第9話 だから彼は彼女のことが苦手だ。
「ただいま~」
いつもならば家に帰ってお決まりの声をかけても電気もついてないリビングからは返事が返ってくることはない。
俺が家に帰ったのは六時半を少し回った頃だったけど、両親はいつも通り仕事に行っていて留守にしている。 まぁたまに早く帰ってくることがあるけど遊びに行っていてどっちにしろ家にいないし帰りも遅い。
これが俗にいう超放任主義である。
「あ、帰ってきたんだ」
でも今日は返ってくるはずのない返事が返ってきた。
もし、この返事を返したのが母さんなら珍しいが、「あぁ、今日はいる日か」で終わる状況……。
ただ今日に限ってはそこにいたのは俺の母親ではなく、さらに言うなら父親でもない。
「久しぶり、お邪魔してるねカナ」
けれどその人物は家族かのように話かけてくる。
年は俺より二つ上、背は俺と同じくらい、けれど性別は反対。
「うわわわわわああきゃあああ~!」
他人が家にいることは問題の本質じゃないからとりあえずスルーするとして、本当の問題は別にある。
問題は彼女が顔を出したのが脱衣所だということだ。
さらに言うなら見るからに彼女は服を着ていないのだ……いや、上しか見えないから下は履いてるか分かんないけど。
短髪でボーイッシュな見た目をしているけど明らかにボーイッシュじゃない立派なそれが俺の目の前で揺れる。
まぁそんな訳で俺は女の子の様な叫び声を上げて思考がフリーズしてしまった。
……なんだこのラッキースケベは。 思わず疲れも忘れて色んな所が元気になっちゃうでしょうが。
「うわっ! びっくりした~。 急に大声出さないでよ」
で、彼女はこんな「これなんていうエロゲ?」と言ってしまいそうな程の異常な状況にもかかわらず、俺の目の前で揺れている大きな物を隠そうともせずきょとんとした表情をしている。
「なんて恰好してんすか!
「ん? あぁ、ごめんごめん。 声聞こえたから服着る前に出てきちゃった。 興奮した?」
彼女は小悪魔のように微笑んでそう言った。
「いいから服を着てよ!」
……そんなのするに決まってるじゃん。
「あはは、ごめんごめん。 でもそんなに恥ずかしがることないじゃん。 昨日今日の付き合いじゃないんだしさ~」
「違うでしょ! そこは千翠さんが恥ずかしりながら『何見てんのよこのスケベ!』って言って俺をぶん殴るところでしょ!」
「そんなことないって。 おばさんに許可もらったとはいえ勝手にお風呂借りたの私なんだしさ」
勝手に家に入れたのは母さんか……。 絶対にうちのセキュリティーは見直す必要があると思うのだが。
「それに今時そんな展開ラノベでだって見ないよ?」
「はぁ、まぁいいですよ。 それで今日は何の用ですか?」
「いや~、さっき葵衣から連絡きて妹がもう会ったのに姉の私が挨拶しないのも変かと思って会いに来ちゃった」
「つまり特に用はないと?」
「ん~、まぁそうなるね」
本当に何がしたいんだよこの人は……。
……さて、そろそろ読者様方もこいつ誰だよと思い始めた頃だと思いますので名前を出したまま放置していた人物紹介に戻りましょう。
葵衣ちゃんと姉妹というクソ羨ましい関係にある彼女の名前は
年は俺より二つ上の19歳。
千翠さんは俺が小学5年生の時からの付き合いで、その時の彼女は中学生とは思えないほどのしっかり者でよく葵衣ちゃんを連れてうちに面倒を見に来てくれてた。
そのため両親からの信頼も厚い。
……正確には見てのは面倒じゃなくてアニメなんだけどな。
彼女は当時から俺を凌駕するほどのオタクで中学三年生の時に同人活動を始め、今では常に壁サークルを構える程の人気同人作家の一人となっている。
実は葵衣ちゃんがオタクやラノベに偏見を抱いていたのは千翠さんを近くで見てきたからというのが大きい。
ほんとこの人と一緒に暮らしててよくあんな真っすぐないい子が育ったよな。
……まぁ、ラノベを数冊布教しただけでハマった所を見ると血は争えないということなのだろうけど。
「ていうか千翠さん夏コミの原稿やんなくていいんですか? いつも締め切りギリギリだって言ってましたよね?」
俺は毎回コミケに参加していて当然千翠さんの同人誌も買っているから千翠さんとは年に一回は必ず会っているのだ。
だから本当はそんなに久しぶりでもなかったりする。
「おっと、カナのくせに中々痛いとこ突いてくるな。 女の子に痛い思いさせるなんて感心しないよ?」
「痛い自覚があるなら帰って原稿書けばいいじゃないすか」
俺の言ったことが気に食わなかったのか膨れながら言う。
「そんなこと言わないでよ~。 どうせやることないんでしょ?」
「自分の小説書かなくちゃならないんですよ」
「へ~、カナ小説書いてるんだ。 見してよ」
「見せません。 まだ修行中なんで」
「えー、いいじゃん別に。 私に感想言ってもらえる機会なんて滅多にないよ?」
「まぁ、確かにそうなんですけど……」
見せないっていうか見せれるような小説がないだけなんだけどなんか悔しいから言いたくない。
「ふ〜ん、その感じだとまだ人に見せられるような小説ないんでしょ?」
「ぐぅ……!」
なんでみんな俺の考えてること分かんの? 最近の女の子には人の心を読める特殊スキルでも付与されてんの? そんなこと出来るのは一人で間に合ってるんですけど。
「当たってるみたいだね。 じゃあ、また書きあがった見してよ。 私がコテンパンにダメ出ししてあげるからさ」
今度は少女のような笑顔を浮かべて言う。
そんないい笑顔でコテンパンとか言わないでよ。余計怖いわ。
「そういえば、葵衣ちゃんも同人始めてたんですね」
「葵衣に聞いたんだ。 もう読んだの?」
「いえ、この後読むつもりですけど」
「じゃあ、読んだら正直に感想言ってあげてね」
「そのつもりですけど。 それにしても葵衣ちゃんまで同人始めるとは思いませんでしたよ。これも千翠さんの影響なんですかね?」
「……本当はこっちに来て欲しくなかったけどね」
千翠さんが放った言葉と表情は今までとは比べ物にならないほど冷たく感じた。
「……え?」
そして俺はこの顔を知っている。
「あの子に才能なんてないから」
彼女がこの顔をする時はいつも決まって興味がないものを相手にする時だ。
「なんでそんなこと……」
「さて、そろそろ帰るかな」
俺の言葉を遮り立ち上がった千翠さんの表情とトーンはいつものつかみどころがなく明るいものに変わっていた。
「ちょっと待って! まだ話は終わって……」
「読めば分かるよ」
そう言って千翠さんは部屋を後にする。
あぁ、この人はいつもそうだ。
いつもはどこまで明るくてこっちのことなんて何も考えない何も気にしない、そんな風に振舞っている。
そのくせ興味が無いものには酷く冷徹で核心に触れるようなことは何も教えてはくれない。
本当に昔から変わらない。
優しくて甘くて気が許せて、それなのにどこか冷たい。
だから俺はそんな彼女が苦手だ。
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