第8話 妹系後輩ヒロインはただそれだけで尊い

 窓から入ってくる夕陽が少しずつ高くなり始め、夏の暑さを運んでくる。


 蜂蜜アイスコーヒーを一口含むと口の中に広がる蜂蜜の甘さの中にコーヒーのコクと酸味がほのかに香り清涼感を感じさせる。 そんな夏の暑さを忘れさせてくれる清涼感がたまらない。


葵衣あおいちゃん……? 本当に水月葵衣みなつきあおいちゃんなのか?」


 未だに受け入れがたい現実を少しづつ整理していくかのようにゆっくり口を開く。


「いやだな~先輩、他に誰がいるんですかぁ?」


 誰がって心当たりが誰もいなかったから叫んじゃったんだけど。


「それにしてもここのコーヒー、甘くておいしいですね」


 やっと俺の頭の中で名前は繋がったものの未だに顔が一致しない彼女は、カフェオレを美味しそうに飲んでいる。


「あの〜奏斗、さん……? 水月ちゃんは中学の後輩でいいんですよね……?」


 隣でアウェー感を感じながらもずっとタイミングを伺っていた健吾が恐る恐る話しかけてくる。


 ていうか空気と同化しすぎてて完全にお前のこと忘れてたわ。 すまん健吾。


「正確には小学校も一緒だけどな。 葵衣ちゃんは一個下の後輩で二年生の時に京都に引っ越したからそれ以来になるな」


「それにしても葵衣ちゃんけっこう雰囲気変わったよね」


「え~、そうですかね?」


 俺の記憶の中の葵衣ちゃんは部活でスポーツをしていたこともあってもっとボーイッシュなイメージだから今目の前にいる女の子となかなか結び付けることが出来ない。


「昔の葵衣ちゃんってもっと髪も短くてあんまり見た目とか気にしない感じだったから」


 それにもっと痩せてて胸とかも小さかったしどっちかっていうと……


「確かにあの時の私ってどっちかというと男の子みたいでしたよね」


「そうだね、ほんとに別人みたい! ……だからさっきまで誰か分からなかったことは水に流してください!」


 葵衣ちゃんは見た目を気にすることもなく男子とも分け隔てなく接していたから特に女の子として意識せず仲良くなれた。


 でも今の葵衣ちゃんは昔より伸びた艶やかで綺麗な髪をお団子にして、肌も白くてきめ細かい。


 それに体つきも昔とは違い丸みを帯びて……いや、太ったという意味じゃなくて色んな所が大きくなったという意味で。


 つまりは何が言いたいかというと、


「私、少しは女の子らしくなりましたか?」


「う、うん」


 そういうことだ。


 今の彼女は女の子として意識しないなんて出来るはずもないくらいとても女の子らしくなった。


「先輩にそう思ってもらえて良かったです」


「私が女の子らしくなったならそれは先輩に新しい私を見てほしかったからなんですよ……?」


 今までよりほんの少しだけ甘い息遣いで妖艶な雰囲気を醸し出す。


「先輩が私に幸せを与えてくれたから、なんですよ……?」


「「ぶっ!?」」


 俺と健吾は葵衣ちゃんの言葉にコーヒーを吹き出してしまい応じることが出来ない。


「お前、中一の女の子に何したんだよ……。 まさかロリコン……?」


 やっとの思いで自分を落ち着かせると今度は健吾が疑惑の目を向けてくる。


「何もしてないって! いや、ほんとに!」


「もう一度会えて嬉しい……。 先輩に会えないのが本当に寂しくて、ずっと会いたかったから……」


「ここに来た時もすぐに先輩だって分かったんですよ? 先輩、昔と全然変わってないから。 ……私の中の先輩と同じだったから。 それが本当に嬉しくて……」


 葵衣ちゃんのこちらを介さない発言に健吾の疑惑が留まる所を知らない。


「お前、やっぱり……」


 うわぁ……一年以上一緒にいて健吾がガチで引いてるの初めて見たわ。 


「だから先輩、これ読んでください!!」


「葵衣ちゃんっ!?」


 頬を朱色に染めて彼女が鞄から取り出したのはラブレター……にしては少し大きいA4の封筒。


 生まれてこのかた一度も遭遇したことがなく、ゲームやラノベの中でしか存在しないと思っていた伝説の個別イベント発生の予兆に緊張と微かな期待で震える手で封筒を開ける。


 そこに入っていたのは……


「『恋を知らないあの日の君へ』の同人誌?」


『恋を知らないあの日の君へ』のキャラクターとサークル名が表紙に書かれた同人誌だった。


「はい、先日のイベントで出した恋君本です。 私、『恋君』大好きなんです! もう5回は周回したんですから!」


「……葵衣ちゃんも『恋君』好きなんだ」


 そっか、あいつとの差は分かってはいたけどなんか悔しいな。


「はい! あの読んだ後の何とも言えない喪失感、なのに余韻から抜け出せなくなる程の満足感がたまらないんです! 七瀬茜節炸裂!って感じで」


「分かる! 何回読んでも飲まれちゃうんだよなぁ」


 まぁ好きな作品を共有できるのは嬉しいんですけどね!


「へぇ、『恋を知らない君へ』ってそんなに面白いんだ」


 特に興味もなさそうに健吾が聞いてくる。


「お前中途半端な知識でものを言うと色んなとこで問題になるから……」


「『恋を知らない君へ』です! 『恋君』とも言って七瀬茜の処女作にして累計発行部数60万部を突破した大人気シリーズなんですから間違えないでください!」


「ほらな」


「あぁ、よく分かった。 水月ちゃんが間違いなく奏斗の後輩だってことが」


 とまぁ、こんな感じで中途半端な知識をオタクに披露すると反感を買う上に明らかに斜め上すぎる熱量で聞いてもない知識を長時間に渡って叩き込まれるので気を付けたほうがいい。


「私、先輩に会うまではアニメとかラノベって私とは全く別の世界の物だと思ってて全然触れて来なかったんです。 それこそ運動一筋って感じで」


「でもそんな自分の世界に閉じこもっていた私に先輩は新しい世界を見せてくれた。 だから今の私があるのも、アニメやラノベ三昧の幸せの生活を送れているのも先輩のおかげなんです」


「それに私が同人誌始めたのだって先輩に読んで欲しかったからなんですよ」


「そうなんだ。 でもそれって奏斗のおかげって言うよりむしろ奏斗のせいって言う方が正しいんじゃ……ていうか中一の女の子にラノベ進めるってお前、三年前からずっとそんな感じなんだな」


「失礼な! 俺はもっと前からディープなキモオタだ!」


 あ、健吾の目がさっきとは違う意味で引き始めた。 視線がすげー痛いです。


「あ! すいません私そろそろ行きますね!」


 葵衣ちゃんは時計を確認するとカフェオレを飲み干し荷物をまとめ始める。


 どうやら少しだけ時間を忘れて語りすぎたようだ。


「それでは先輩! 私の同人誌ぜ~ったい読んでくださいね!」


「あぁ! 家に帰ったら絶対に読むよ!」


「それからまた家にも遊びに来てくださいね! お姉ちゃんも喜ぶと思うから!」


「あ……う、うん」


 そう言って健吾にも礼をすると葵衣ちゃんは小走りで店を後にする。


「……で? その過去のトラウマ掘り返されましたみたいな反応はなんなの?」


「な、何が? 全然なんもねーし……」


 ……ほ、ほんとにトラウマとかないんだからな?

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