滅血の鼓動

澤松那函(なはこ)

滅血の鼓動

 桜の花びらとガス灯と蒸気がいろどる石畳とレンガの街並み。春の日ノ本国ひのもとこくではあふれた景色を駆け抜ける天野あまの一太郎いちたろうの心臓は、高鳴っていた。その心拍数、一秒間に三十億回。

 心拍から生じた振動が心臓から血管を伝わって全身に巡り、一足跳びで周囲の建物よりも高く舞わせた。

 一太郎は、ぼさぼさで無造作な髪を加味しても相当な美青年だが、背はあまり高くない。

 紅い単衣ひとえの着物と黒いはかま。着物の下には藍色のラクダシャツを身に着け、質の良いブーツを履いている。日ノ本国の男性として、ごく一般的な服装だ。


「青年よ! 少しは楽しませてもらわんとな!」


 一人の男が跳躍ちょうやくし、一太郎と同じ高度に迫った。

 男の年は、三十の半ばに見える。長身痩躯ちょうしんそうくだが、顔のつくりは平凡だった。しかし 真っ青な顔色とくぼみ落ちた双眸そうぼうが、人間らしい血の巡りを感じさせない。

 黒い着流しをふわりとまとい、胸元が大きく開いている。

 男の口からふしゅーふしゅーと細い吐息をこぼれると、両手から電撃がほとばしる。

 尋常ならざる所業を前に、一太郎はそれが起きることを知っていたかのように空中で身をひるがえし、電撃をかわしてみせた。


「もっと踊って見せてくれ! お前のワルツは中々に見ごたえがある!」


 再び放たれた電撃だが、一太郎は着地と同時に地面を蹴り、逃れる。ヒョウでも及ばない機敏な身のこなしだ。

 一太郎の常人ばなれた動きを可能にしているのは、彼の鼓動だ。

哺乳類は一生を終えるまでに三十億回心臓を鼓動させると言われている。

 人間でもネズミでも象でも回数は同じであり、違いは脈を打つ速さだけだ。

 もしも一生で行う三十億回分の鼓動をほんの一瞬で行ったのなら?

 その時生み出される奇跡の力がある。命を注ぎ込んだ超高速の鼓動は、超振動波を発生させ、人知を超えた現象を現実のものと化す。

 強力無双。未来予知にも等しい先読み。万物を崩壊させる血の業。これらの技術は鼓動法と名付けられ、それを扱う手練れを鼓動使いと呼んだ。


「初めて出逢であった鼓動使い! こんなものか!?」


 男から迸る電撃が落雷と錯覚させるほどの閃光を放った。

 一太郎は、後方へ飛んでこれをかわすと、背後にある路地に身を滑り込ませた。


「しかし、まいったねぇ。まさか共鳴器きょうめいきを忘れちまうとは」


 一太郎は、飄々ひょうひょうとした表情を崩さなかったが、声音は心底弱った風だった。


「普通忘れませんよね?」


 一太郎の頭上から少女と共にカバンが落ちてきた。

 年の頃は十代後半。絵に描いたように容姿端麗な美人で、栗毛色の髪を束ねて左の側頭部から垂らしている。

 服装は、上衣が白、下衣が黒の三分丈の甚平で、上衣の下には浅黄色をした襟なしのシャツを身に着け、腰から鳩尾まで朱色の帯を巻き付けている。

 ひざ丈のブーツは、青年のものよりも動きやすそうだ。

 カバンの方は、黒い金属で出来ており、小柄な人なら詰め込めてしまいそうに大きい。


「さてさて、一太さんの鳥頭を治す薬はないものでしょうか?」

「頭の出来に関しちゃ、お前さんより、処置のしようがあると思ってるんだがね」

「なんてひどい罵詈雑言ばりぞうごん! だけど君に罵倒されるたび、私の身体はうずいてしまいます!」

「神様も残酷なことをなさる。お前さんの頭に脳みそ入れる代わりに性欲だけ突っ込んじまったんだから」

「そうやって言葉責めで火照ったわたしの身体を朝まで激しく犯すつもり……構いません! 君が考え付くありとあらゆる欲望をわたしの身体に叩きつけてください!」

「毎度疑問なんだがね。どういう育ち方したら、お前さんみたいになれるんだね?」

「いたって普通の暖かい家庭で、いたって普通の心優しい両親に育てられました。つまり両親の育て方に問題はありません。わたし個人の問題という事で」

「いよいよ救いがなくなってきちゃったよ……まぁいいさね。お前さんの処置はあとで考えるとして、まずは虚ノうつろのたみを処理しないとね」


 一太郎は、少女からカバンを受け取り、路地から飛び出した。

 男は一太郎の姿を見つけるや、両手を帯電させる。


「こいつで消し炭に――!?」


 刀剣の切っ先のように鋭い一太郎の眼光に、男は身をすくませた。


「今からお前さんを駆除するが、よーござんすか?」

「やれるものならやってみろ!!」

「そいじゃあ遠慮なく。滅血の鼓動・指揮者コンダクター!」


 一太郎が手にしていたカバンを開くと、ギシギシと金属の擦れ合う音を響かせながら、ガバンが獣人のような姿へと変じていく。

 黒鋼の光沢を放つ躯体は、一太郎よりも一回り大きい。口には鋭い牙が並び、手足には指の代わりに鋭い金属の爪が五本ずつ生えている。

 一太郎は両手に手袋をはめた。五指の指先と手首が糸で繋がっており、さらに手首から金属の繊維を編み込んで作った太い管が黒鋼の獣人の両肩に繋がっている。


「一式・くるみ割り人形!」


 一太郎の咆哮と共に、心拍数がさらに跳ね上がっていく。

 鼓動によって生み出された超振動波は、血液に浸透し、手袋の管を通して『くるみ割り人形』へと流れ込んでいく。

 刹那、くるみ割り人形は大地を蹴り、男の懐に飛び込んだ。

 知覚を許さず繰り出されたくるみ割り人形の爪は、男の胸を穿ち、その身を微細な灰と化す。

 あとに残された桜の花びらと共に中空を舞う灰の残滓だけであった。




 ――――――




 居酒屋一太は、界隈でも評判のいい店だ。

 調理場と席が対面式になっており、十人も入ればいっぱいになってしまう。お座敷もなく、宴会を開くのに向いた店ではない。贅を尽くした美食を味わえる店でもなかった。

 けれど安い食材なりに、手際よく調理された料理の評判は上々で、時たま政財界の大物が足を運ぶこともある。

 大衆店だから、比率としては圧倒的に庶民の方が多い。とは言え、この店に貧富は関係ない。皆が等しく客であり、普段の立場を忘れて話に花を咲かせている。

 それは店主である天野一太郎と浦宮和美の人柄によるところが大きい。

 昼時が過ぎた事もあり、今店に居る客は二人だけだ。

 調理場では、和美が徳利とっくりを持って一太郎に詰め寄っている。


「だからこの熱燗あつかんを使って、ワカメ酒をしてください。ちなみにわたしのワカメは不毛の大地ではありますが……」

「そいじゃあアワビ酒じゃないの。俺は、貝を喰いたい気分じゃないんだよ」

「じゃあ一太くんがワカメとマツタケの土瓶蒸どびんむしをしてください。わたしが味わうので」

「……品切れ中だよ」

「取れちゃいましたか!?」

「食べごろに育ってないんだよ」

「今すぐ育てましょう! わたしの手にかかれば、どんなシメジでも瞬時も高級マツタケに早変わり――」

「いいから、早くお客さんにお出しよ」

「……わたしのあわびを?」

熱燗あつかんだよ!」


 和美は、唇をカラスのように尖らせながら若い男性客の前に熱燗あつかんを置くと、彼は呆れた様子で口を開いた。


「……ありがとう」


 彼は勘助かんすけと言い、常連客の一人である


「お客さん、うちの店員がすいませんね」

「妻と言ってくれませんか? お客様には一太くんと私の正しい情報を知っていただきたいので」

「いつお前さんと婚姻届を出したっけ?」

「昨日出しました」

「……また勝手に出したのかね?」

「受理してくれましたよ」

「また俺の筆跡を真似したね」

「二十回目のおめでとうを言われました」

「役人の顔、ひきつっていなかったかい?」

「さぁ? なんの事やら」

「役所に行って無効にしてもらわなくちゃ……あ、お客さん、騒がせたお詫びにおごりましょう。何かつまみますかね?」

「一太くん、わたしの大豆をつまんでくださいませんか?」

「お前さんにゃ、つくづく付き合っちゃいられないよ。それでお客さんどうします?」

「じゃあ焼き鳥を貰おうかな」

「はいよ。今日はモモとネギマしかないんだけど、それ一本ずつでよーござんすか?」

「構わないよ」

「和美。お客さんにモモとネギマ」

「わたしのモモは一太くん専用なので、おさわり厳禁!」

「いいから早く焼きなさいよ。今日はお前さんの担当だろ」

「はーい。わたしのモモを?」

「火傷しても面倒見ないよ」

「鳥モモ焼きまーす」


 一太郎と和美のやり取りに、客は圧倒される。

 普通なら二人のとち狂った夫婦漫才を見て、足が遠のきそうなものだが、何故か暖簾のれんをくぐりたくなる独特の魅力があった。

 店の常連である新妻にいづま秋葉あきはも、その一人だ。

 化粧もきっちりしていて、女の色香を振りまいているが下品さはない。紫色の生地に藤の花が描かれた小紋をふわりと着こなしている。

 お猪口ちょこの酒を大事そうにチビチビやりながら楽しげだ。


「二人の話を聞いていると本当に飽きないわね」

「俺は、飽きてるんでとっとと縁が切れてくれたらいいんですがね」

「一太くんの皮肉は愛情の裏返しって、わたし知ってます」

「どうやったらそんな都合のいい思考回路になれるのかねぇ。一度医者に診てもらったらどうだね」

「処置なしと言われました。忘れましたか?」

「ああ……そうだったっけ」

「あなたの鳥頭も医者に見せた方がいいのでは?」

「処置なしだとさ」

「救いがありませんね。そういう度を越した天然ボケなところが大好き!」

「口より手を動かしなさいよ」

「分かってますよ。お客様、焼き加減はレアで構いませんか?」

「お客に鳥を生焼けで出すんじゃないよ! 中まで火を通しなさい」

「はーい」


 二人のやり取りを眺めながら秋葉は、右隣に座る勘助に声をかけた。


「そう言えばあなたは知っているかしら。例の噂」

「噂?」


 勘助は訝しんだ顔したが、すぐに思い至ったようだ。


「ああ。三丁目通りでよく出るって話でしょ」


 一太郎の耳がピクリと跳ねた。


「そいつはどんな噂なんで?」

「深夜になって若い者がうろついていると出るらしいんだよ」

「出るって何が出るんですかね?」


 一太郎の問いに、勘助が答えた。


「化け物だよ。あの辺りは、ここ数年神隠しが多いっていうだろ? 既に四人が消えてるとか……それで昨晩も出たらしいんだよ」

「誰か消えたんで?」

「いや、助かったらしい。何かに追われたらしいんだけど」

「私もそう聞いているわ。たしか……化け物に追われたって言ってるとか。警察も対応に困っているらしいわ。虚ノ民かしら?」


 秋葉の言葉に、勘助は怪訝けげんそうな顔つきをする。


「あれって都市伝説みたいなもんでしょ? 実在するのかな?」

「そこまで分からないわ。でも、実在するなら彼等を討つ鼓動の戦士も居るのかしら」

「鼓動の戦士? なにそれ?」

「聞いた事ない? 心臓をとても早く動かす事で人間離れした技を扱う超人の話よ」

「聞いたような、聞いてないような……」

「私みたいな人間にとって羨ましい限りだわ」

「そう言えば秋葉さん、心臓が悪いんだっけ?」

「手術だけで四度よ。大好きなお酒も満足に飲めないわ。この一杯が唯一の楽しみよ。でも近々また手術をしなくてはならないの」

「そいつは大変だ。手術ってどんな事するの?」

「よくは知らないわ。胸を開いて心臓に何かするらしいんだけど……とにかく定期的にやらなければならない手術らしいの」


 秋葉は、お猪口ちょこに残った一滴の名残惜しげに飲み干した。

 勘助は何も言わずに、秋葉の徳利とっくりを手に取った。この行為を誰もとがめない。秋葉が残した酒を頂くのは、この店ならではの風習である。


「お代はここに置いておきます。一太さん、和美ちゃん。また今度」

「はい。どうもありがとうございました」

「また彼氏さんののろけ聞かせてくださいね」


 秋葉が店を出ると同時に、和美が焼き鳥が二本乗った皿を勘助の前に置いた。


「勘助さんは、お時間まだよろしいのでしょうか?」

「うん。会議のほうも昨日の段階で大筋は固まってるから、社長らしく横綱出勤するよ」

 勘助は、お猪口ちょこを煽ってから焼き鳥を頬張った。


「……和美ちゃん」

「なにか?」

「これ……生焼けだよ」

「レアがいいって言ってませんでした?」


 一太郎の張り手が和美の頭をはたき、甲高い音を響かせた。




 ――――――




 満月の光がまぶしいぐらいに照っているが、三丁目通りは霧に覆われているせいで、見通しは最悪だ。

 ガス灯の灯りも今日は頼りない。

 石畳を踏む小気味よい音を鳴しながら、一太郎と和美が霧の中を歩いている。

 一太郎は、共鳴器であるカバンを持っていた。

 共鳴器とは、共鳴鋼と呼ばれる特殊な金属で出来た武具であり、超振動波を流し込む事で強度が増すだけでなく、超振動波を増幅する事も可能だ。

 数は、隣を歩く一太郎を見つめて、嘆息たんそくを漏らした。


「また共鳴器を忘れそうになるとか、つくづく一太くんは鳥頭のようで。鳥頭一太郎に改名してはいかがでしょう?」

「お前さんが変質者和美に改名するなら構わんよ」

「わたしの苗字は、天野になりますよ。あ、一太くんが鳥頭に改名するなら鳥頭和美で」

「お前さん、本当にそれでいいのかね?」

「ぶっちゃけ苗字とか、どうでも構いません。一太くんと同じ名前になれればそれだけで幸せになれますから」

「じゃあお前さんには、永久に幸せが訪れないんだね。可哀想に」

「何を言ってるのやら。永遠の愛を誓い合った仲ではありませんか?」

「記憶にございませんな」

「また鳥頭を発揮して……そうやって、いつもとぼけたふりをしているから、本当にとぼけた頭になってしまうのではないでしょうか?」

「お前さんに言われちゃ救いがないよ」

「一太くん。実は私のこと好きすぎなのではないでしょうか?」

「……はい?」

「好きすぎるからこそ遠ざけるような事を言って自分の気持ちを律している。ああ、何でいじらしいんでしょう」

「調子がいいのも、ここまで来ると病気だね」

「そう、わたしは恋の病に侵されています。直せるのは、あなたのお注射だけ……」

「どういうお注射か、俺は聞かないよ」

「最近冷たくありませんか? わたしへの愛情故に……ツンデレというやつでしょうか。ポイント高すぎます。ますます好きが止まらない!」

「お前さんには、自重の意味を辞書で引いて欲しいね」

「そんなわたしも、たまには暖かい愛情が欲しくなります」

「生憎と品切れ中なんだよ。余所で探してくれ」

「そんなこと言ってて、わたしがいざ離れてしまったら、泣くのはあなただと思いますよ?」

「そうかね?」

「間違いありません」

「じゃあ賭けてみるかね? この仕事が終わったら一週間一度も会わない」

「そんな残酷な提案よく出来ますね!?」

「いや、お前さんがああ言うからさ」

「わたしのツンデレ返しが理解出来ませんか!?」

「理解出来ませんね」

「つくづくあなたは……そういうところも愛しています!!」

「お前さん、本格的に病院で見て貰った方がいいよ。金は出すから」

「お金はいらないから愛をください」

「あいにくと売り切れ中だよ。入荷時期も未定でね」

「いけず」

「力付くで追い払わないだけましだと思うがね」

「そういう優しい所も愛してます」

「お前さんにゃ何言っても無駄だね。全部自分に都合よく解釈しちまう」

「とても前向きな性格と言ってください」

「それこそ都合がいいってもんだよ」

「前向き」

「弱ったよ」

「わたしの魅力に屈しましたか?」

「強情さに飽きれてるんだよ」


 一太郎は足を止めた。

 周囲の空気が凍り付いたように冷たい。

 春の気配が世界から消え失せてしまったようだ。

 和美も足を止め、辺りを見回した。だが、霧のせいで視界は最悪。何も見えない。

 しかし一太郎と和美を向けられるものがある。


「和美。お前さんも感じるかい?」

「感じますよ。びりびりと……あなたの愛を」

「それじゃないよ。あと出してないよ」


 敵意。害意。殺意。霧中に染み渡っている。

 気配の主がどこに居るか分からない。しかし近くに居るのは確実だ。

 ぶつけられる意の濃さがそれを証明している。


「滅血の鼓動・指揮者コンダクター


 一太郎が口の中で小さく言うと、カバンが人型に変じた。

 併せるように和美も、懐から手甲を取り出し、両腕に身に着ける。

 一太郎の共鳴器と同じく黒い光沢のある金属で出来た手甲だ。

 

 ふしゅー。


 何処からともなく消えてきた。

 ヘビの呼吸音にも似ている。

 一太郎は、警戒心を研ぎ澄ました。

 虚ノ民が近くに居る。それは間違いない。


 ふしゅー!


 ひときわ大きな呼吸音が一太郎と和美の鼓膜を揺らした。

 二人は一斉に頭上を見上げる。音は上から聞こえていたのだ。

 霧を切り裂き、男が落下してくる。一糸まとっておらず、真っ白に染まった肌を露わにしている。歳は一太郎と和美より一回り年上か。端麗たんれいな容姿と言ってよい。

 男の強襲を一太郎のくるみ割り人形が右手一本で受け止める。

 左手の爪を繰り出そうと、くるみ割り人形が構えると、男の口から白い霧が噴出した。瞬間、くるみ割り人形から伝わっていた手応えが消え失せる。


「これが奴の虚穴法きょけつほうかね」


 虚ノ民は心臓を持っていない代わりに、虚穴と呼ばれる特殊な期間を持っている。

 特定の何かを虚穴に吸収し、血液のように循環させて生命活動を維持している。炎や水、空気や油など、様々だ。

 普段は生命維持に使っているこれらを虚ノ民は、身の危険が迫ると解き放つ。そうした術を虚穴法と呼んだ。


「大気中の水分を吸収し、霧にして吐き出すってところかね。逃がしちまったようだ」

「折角捕まえた敵をむざむざと逃がしてしまう一太くんのドジっこなところも愛しています」

「……お前さん煽ってるのかね?」

「完全なる慰めのつもりであります」

「下手な慰めはいいから、お前さんも探しとくれよ」

「ああ、それならもう見つけてますよ」


 和美は、右の裏拳で霧を薙ぎ払った。和美の一撃は背後から迫っていた虚ノ民の顔面を正確に捉える。


「頭上から背後から……虚穴法的にも奇襲が得意なんでしょうけど、同じ手段を何度も使うと、見切られちゃいますよ?」


 顔面が砕ける鈍い音が響き、虚ノ民の身体が地面に叩き伏せられる。


「滅血の鼓動・粉骨砕身ふんこつさいしん。わたしの鼓動は小細工なしで増幅した超振動波を相手に叩き込むだけ。でも細工がない分、破壊力はあります。この世に破壊出来ないものが存在しないぐらいに」


 男の砕けた顔面だが、瞬く間に修復されていく。

 虚ノ民を仕留めるには、頭部を破壊してもダメだ。

 本来心臓があるべき場所に開いた穴――虚穴に超振動波を流し込まねばならない。

 和美の攻撃によって生じた隙、間髪入れずに一太郎のくるみ割り人形が襲う。

 電光石火の速攻は、虚ノ民の反射神経を持ってすら回避は叶わず、鋭い鉄爪が男の胸を抉った。

 膨大な超振動は虚穴を持っても吸収し切れず、全身を駆け巡り、内側から崩壊させていく。

 最後に残されたのは虚ノ民の、


「ごめん秋葉……もう君を救えな……い」


 切なげな断末魔の呟きだった。




 ――――――




 居酒屋一太で新妻秋葉は、お猪口の酒を大事そうにちびちびやっている。


「恋人にね。フラれちゃったみたいなの」


 秋葉の言葉に一太郎の片眉が跳ねた。


「そうなんですか?」

「昨日待ち合わせ場所に来なかったわ。こんなの初めてよ……面倒な女だものね。仕方ないわ」

「そんなこたぁないですよ」

「ありがとう。でも和美ちゃんがジェラシーしてるわよ」


 和美の鋭い視線を一太郎はいなして続けた。


「恋人って、たしかお医者でしたっけ?」

「ええ。私のためにお医者になって私のために手術をしてくれたわ……でも彼が私から逃げ出してもいいの。それで幸せになれるならいいの」

「きっと逃げ出したんじゃないですよ。あんたのことを愛してますよ」

「そうかしら。今日はもう一本貰おうかしら?」

「お体のほうは?」

「もういいわ。多分遠くないうちに……だから彼氏にフラれたヤケ酒よ」

「はい」


 秋葉は、お猪口の酒を一気にあおった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

滅血の鼓動 澤松那函(なはこ) @nahakotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ