第109話 記憶喪失

オーディック

『……お前は誰だ?』


 頭部に巻かれた包帯が痛々しい。

 意識は戻ったようだが、いまだベッドから起き上がることが出来ないのだろう。

 普段の明るい姿からは想像もつかないとても焦燥した表情で踊りこむ様に部屋に入ってきた人物にそう言い放った。  

 →Push...ピッ


ローズ

『オーディック様……なんてこと……』


 いつもと違う自身への言葉にその表情。

 国を騒がす悪女と名高いローズだったが、幼馴染から向けられた事の無いこの敵意に言葉を失った。

 そう明確な敵意。

 記憶を失っていると聞いてはいたが、ならば何故自分に対して敵意を向けるのか?

 その事実にローズは困惑を隠せないでいた。

 →Push...ピッ


オーディック

『お前は誰だと言っている。答えろ』


 先月末の事、赴任先にて敵の矢によってこの世を去った父。

 伯爵である父の権威を笠に着て好き放題していたツケが回って来たのか、それ以降使用人は一人辞め二人辞め、ついには国王からの召喚により永きに続いたシュタインベルク家の栄光は地に落ちた事により、たった一月前までは執事から下人まで合わせ優に50名は居た使用人達も今では就職先がまだ決まっていない者が僅かに残るばかりとなっていた。

 そればかりか従弟のカナン、それに宰相の息子のシュナイザーと父に仕えていたディノでさえ屋敷に寄り付かない。

 まるで兄の様に優しかった公爵家三男坊のホランツでさえ最近では姿を見せないでいる。

 →Push...ピッ


 現在ローズの側に居るのは最近冷たい態度を取るようになったお調子者メイドのフレデリカ、天涯孤独で行くあても無いエレナあなた、そしてこのような状況に陥ろうと同じ態度でローズに接していたオーディックのみ。

 そんなローズにとって輝かしい日々を思い出させてくれるオーディックの存在が心の拠り所となっていた。

 それなのにオーディックが向けてくるこの敵意。

 ただでさえ失意の沼にその身を落とされていたローズには、手に掴む蜘蛛の糸が切れたかの様な衝撃を受ける。

 明らかに怒気を含んだ目を向ける幼馴染に自分の事を思い出して貰おうと駆け寄りながらローズは自分の名前を叫んだ。

 →Push...ピッ


ローズ

『オーディック様、私です! ローゼリンデ……あなたの幼馴染のローズですわ』


オーディック

『幼馴染だと……? グッ……頭が……クソッ! お前の顔を見ていると頭が割れそうになる。胸がムカムカしてくる。お前の顔など見たくない! 部屋から出て行け!』


ローズ

『そ、そんな……』


執事

 『すみませんが、今日の所はお帰り下さい』


 主人同様、ローズに敵意を持っているかの様な態度で部屋から追い出された。

 仕方無くローズは自分の館に戻る。

 →Push...ピッ



  Now Loading...



 オーディックの館から帰るなり自分の部屋に籠りふさぎ込むローズに、あなたは日頃虐められていた事も忘れてただその身を案じていた。→Push...ピッ


エレナ

《可哀想なローズ様。……そうだわ! ローズ様がお見舞いに行けないのでしたら私が代わりにお見舞いすれば良いんじゃないかしら? そしてお手紙とお言葉をお伝えすればオーディック様の記憶も戻られるかもしれない……》



 ローズに提案しますか?〈YES/NO〉


 ローズに提案しますか?〈YES〉ピッ



 ローズの身を案じたあなたは、ローズの代わりとなってオーディックのお見舞いをする事を思い付いた。

 既に人気も無い屋敷の廊下を走りローズの部屋に向かう。

 そして、ローズの心を表すかのように固く閉ざされているその扉をノックした……。

 →Push...ピッ




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




『……その後、主人公であるエレナと記憶を失くしたオーディックは親交を温めいく。やがて心を通わし遂には結ばれる……』


 ローズはオーディックの運び込まれているベルクヴァイン子爵家邸に向けて馬車に揺られながら『オーディックの記憶喪失』イベントの事を思い出していた。

 三桁回数クリアしたローズでもこのイベントは一度しか遭遇した事が無い。

 だが待ち望んでいたからこそ、鮮明に覚えている。


 そのイベントは突然始まった。


 回避不能の強制イベントである伯爵暗殺イベント後『王城からの召喚状』を経て、今回も特にオーディック攻略に向けてのめぼしいフラグは見付からなかったと諦めていた矢先の事だった。

 いつも通りのミニキャラがあくせく働き回る平日の仕事状況の画面が突然暗転しローディング画面が表示された。

 最初は『この時期に発生するイベはなんだったかな?』と自作の攻略ノートを開き、今回立てたフラグから発生する渋草の月のイベントに目を通していたのだが、ロード画面の暗転が終了する前に、それがいつもと違うイベント発生だと気付く事となった。

 控え目に言ってもクソゲーの煮凝りとも言うべきこのゲームのUIだが、唯一機能するのが既読スキップである。

 しかしながらピコピコと聞き慣れたスキップ音が流れることも無く、ピロっとメッセージウィンドウ表示音だけが聞こえてきたのだ。

 その時でもまだ怪訝な顔をしながらも手元のノートに目を落としていたのだが……。

 

『あっ! うわぁぁぁぁ!!』

ドーーンッ! グワッシャーン。バキバキ。


 突如テレビのスピーカーから聞こえてきた悲鳴と激しく何かがぶつかる音。

 不意を突かれた野江 水流は弾かれるように顔を上げた。


「えっ? ちょっ、何これ? こんなイベント有ったっけ?」


 記憶を漁るが、悲鳴から始まるイベントは大抵エレナがドジを仕出かすものばかり。

 今スピーカーから聞こえて来た声は、エレナではなく男性の声だった。

 しかも、今のはオーディックの声ではなかったか? そんなイベント有ったっけ? ……いや無い!!


 既読スキップが働かないと言う事はそれは新イベントだと言う事。

 これがバグで既読スキップがハズレたとかなら製作者め覚えてろよ! と心の中で吠える。

 そう、これは待ち望んでいたである筈だ。


「これが夢にまで見たオーディック様攻略のイベントの始まりなのね! イヤッフゥゥゥゥゥゥ!!」


 野江 水流は貴重な三連休全てを費やし三徹……いや既に日付が月曜になった今、四徹さえ覚悟していた事も有り、有り得ない程のナチュラルハイ状態だったので近所迷惑も顧みず歓喜の叫び声を上げた。


 初イベントである。

 一瞬たりとも気が抜けない。

 思わず身代わり見舞い提案の選択肢で『YES』を選んでしまったが、下手するとローズに激怒されて終了する可能性だって有ったのだ。

 野江 水流は今まで培ってきた恋愛モノ知識をフル動員させてイベントに臨む事にした。

 だが、三徹の疲れが出ていたのであろう、その時セーブをすると言う知恵は回らず、それが後にセーブ不可の結婚許可イベント時に神経をすり減らす事に繋がるのだが、この時はまだその事を知らない。


 そんな野江 水流の心配は余所に、自業自得とは言え度重なる不幸により心身共に疲れ切っていたローズはエレナの提案を快く受けたのでホッと安堵した。


ローズ

 『まぁ、なんて優しいの。ありがとうエレナ。お願いするわね』


 このセリフがスピーカーより流れて来た時は自分の耳を疑う。

 今までその口が放つ主人公への言葉は悪意を物理的に固めた剣のようにグサリと野江 水流の堪忍袋の緒どころか本体をブチ破らんとするかの如くダイレクトアタックをかましてきていたものだが、今耳にしたのはとても弱々しいものであるが深い感謝の想いを込めたセリフ。

 確かに没落決定後にフレデリカなどには弱気な面を見せる場面は有ったが、主人公に対しては最後の最後までヘイトを稼ぐ事に余念が無かった悪役令嬢だったのだ。

 それが素直に感謝した? そんな馬鹿な! お前は一体何者だ! とその豹変振りに薄ら寒い恐怖さえ抱いた程だった。


「え? えぇ……うわぁ~」


 記憶喪失イベントが進むにつれて野江 水流の中に少しだけ罪悪感が募り出す。

 途中何度か思わずこんな言葉が口から零れたのも仕方が無いだろう。

 何故ならローズからの想いを込めた手紙や見舞いの品に対するオーディックからの感謝の想いは全てエレナに注がれていったからだ。


ローズ

 『エレナ、お帰りなさい。 オーディック様はどうだった? 元気になられた?』


エレナ

 『えぇ、大分お元気になられて。最近では少しの時間なら庭園へお出になられるようになりました』


ローズ

 『まぁ、それは良かった。ありがとうエレナ。あぁオーディック様、早くお会いしたいですわ……』


 少しおどおどと、しかしオーディックの快方を信じその希望に目を輝かしているローズのセリフ。

 それに対するエレナの言葉は確かに真実のみを語っていた。

 ただ、そこにはオーディックの気持ちの移り変わりとエレナの慕情については語られていない。

 ゲーム内のローズは知らずとも、プレーヤーからはイベントの一部始終を知っている。

 イベント進行によって逢瀬を重ねる毎にオーディックはエレナに傾倒していくその様を。

 初めの頃はローズに対する忠義からかその想いを遠慮していたエレナであったが、やがてエレナ自身オーディックの事を愛する様子が描かれていた。


 主人の想いと自らの想い、その天秤に揺れるエレナ。


 平時ならかなり好物なシチュエーションではあるものの、三徹で疲れた身体に悪役令嬢の弱り具合はかなり堪える物であった為、自分でも思う以上に同じ弱った者同士であるローズに対してシンパシーを感じてしまっていたようだ。

 それは好きな相手を他人に横取りされ続けた人生経験に寄るものも大きいかったのだろう。

 まるで自分がエレナにオーディックを寝取られたと思うようにローズとシンクロしていた。


 そして訪れた記憶喪失イベント最後のシーン。

 会いたい気持ちを抑えきれなくなったローズは、密かにエレナの後をついて行きそこで二人の仲睦まじい逢瀬を目撃するのだ。

 本来のローズであれば激怒して乗り込む場面では有るのだが、心身共に疲れ切り今まで自分のして来た行いに懺悔する日々を送っていたローズに取って、その光景はこれこそ神からの罰なのだと納得して影から二人を祝福しそのまま王都を去って行くのだった。

 これ以降のローズの行方は杳として知れずゲーム本編にも登場しなくなる。



 と、ここで野江 水流は寝取られた同志として涙ながらにシンクロしていたローズから心が離れた。

 それは何故か?

 勿論可哀想だと思っているし、二人を祝福して王都を去るのも格好いいと言えるかもしれない。

 だがしかし! 野江 水流の心に湧き上がって来た言葉……それは。


「だぁぁーーーー違うだろ!! お前は今までどれだけ性悪で主人公に暴言を吐いて来たってんだよ。悪役令嬢ならそこで飛び込んで来て玉砕してなんぼだっての!! 本当に好きなら奪ってみろってんだ!!」


 あまりにも今までヘイトを溜めに溜めていた悪役令嬢にシンクロし過ぎていた為に、逆に大人しく身を引くローズに対して怒りを爆発させたのだった。

 逆切れである。

 しかも、確実に自分が同じ立場なら同じ事をしただろうと分かっているにもかかわらず。

 だけど……だからこそ自分には出来ない行動を取って欲しかったのだった。



「はぁはぁ。……って、なに悪役令嬢の気持ちになってんの? あは……ははは、はぁ」


 一頻り吠えた野江 水流はそこで冷静になり、乾いた笑いを浮かべる。

 そして途中怒りのあまり電源をブチ切りしそうになっていた事を思い出し肝を冷やした。


「いけない、いけない。やっと全クリ目前まで来たってのに何やってんのよ。明日……いえ、もう今日か、鬱陶しい事に早朝から職員会議だし、早くクリアして寝ないと仕事に差し支えるわ。取りあえず、セーブセーブ! ……って、あれ?」


 今はもう深夜一時を回ったところ、明日は六時起きで職場である高校に向かわねばならない。

 これ以上無駄な事に時間を取られる訳にはいかず、トライアル&エラーで乗り切るしかないと一旦セーブしようとしたのだが、メニューの中のセーブがグレーアウトしており選択が出来なっている事に気付いた。


「えっ? えっ? いつから? ……怖~さっきのイベントも下手したらかなり戻される事だったわ。もう! 本当にこのゲームの開発者は意地悪ね。こんな大事な時にセーブさせないって悪意の塊だわ」


 ゲーム初期の手探りだった頃と比べ、能力もカンストしノートにびっしりと攻略法を書いた今となっては余程気になる分岐点でもなければセーブはしなくなっていた為、今回のプレイではかなり戻らなくてはならなくなる。

 フラグの立て方が分からない以上、そこまで戻されるとまたこのルートに来れるか分からない。

 ここでセーブ出来ないと言う事は、一つの選択ミスで四徹確定となる。

 いや、その場合確実に心が折れて電源を消しただろうが、そのまま立ち直れず高校をズル休みする所であった。



        ◇◆◇



「……その後、眠気と戦いながら何とかクリア出来た訳なんだけど……あのまま心が折れて寝た方が良かったのかしら……」


 当時の事を思い出していたローズはポロリと呟いた。

 それを聞いた馬車に同乗しているフレデリカは怪訝な顔をする。


「どうされましたか? お嬢様?」


「え? あ、あぁ何でもないわ。独り言よ」


 慌てて誤魔化したローズは心の中で自分の不注意さを反省する。

 思った以上に動揺しているようだ。

 しかし、それは仕方の無い事だろう。

 他のルートでは有り得なかった、本当の意味での悪役令嬢ローズの終焉を司る『オーディックの記憶喪失イベント』が始まったのだから。


 『でも、ゲームとは違うわ。お父様は生きてるし、王城からの召喚状も乗り切った。それになりより私の元には皆が居てくれる。……そりゃカナンちゃんとホランツ様は今は居ないけど……。大丈夫、だって主人公が不在なんですもの。ゲームのローズみたいにはならないわ。オーディック様だって笑顔で迎えてくれる筈よ……多分』


 ローズは不安を心の底に押しやって無理矢理心を奮い立たせる。

 そして、早くベルクヴァイン子爵邸に着かないかと窓の外を流れる景色に目を向けた。

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