第108話 甘い未来

「いや~本当にエレナが駆け落ちとはねぇ~。そうじゃないかな~って薄々思っていたのよね」


 修道院への突撃調査から二日経った朝の事、ローズは馬車に揺られながら上機嫌で向かいに座るフレデリカに話し掛けている。

 これで何度目だろうか? とフレデリカは思いながらも、それを億尾に出さずに「そうですね」と返した。

 一昨日院長の自白でアッヘンバッハ家の恐るべき計画の一端を知った後、シャルロッテ嬢と庭園に向かったローズと合流したのだが、顔を見るなりシャルロッテから聞いたと言うエレナの行方を興奮気味に自分に捲くし立てて来たのだ。

 それからローズは二日後の今日に至るまで事有る毎にああだこうだとエレナの駆け落ちについて熱く語って来る。

 そうあれから二日経った。

 合流した後、既に今から王都に戻るのは夜遅くなるとの判断で、シャルロッテが語ったようにお忍びでも周囲には町への到来がバレていると言う話だし、折角ならと町の領主に挨拶がてらその館に泊めて貰う事となったのだが、次の日町の観光名所を案内される事となり結局王都への帰還は二日後の今日となったのだ。

 だが、その間中も話題はそればかりで果てはベッドに入って寝息を立てるまで事有る毎にエレナの駆け落ちについてアレコレと話掛けてきたのだからたまらない。

 フレデリカ的には、このローズの行動について自分で調査して掴んだ真相をまるで子供が褒めて欲しくて何度も自慢していることと同じ心境なのだろうと分析していた。

 こう言う所は昔から変わらないと半ば呆れるフレデリカであったが、それはそれでお嬢様らしいと微笑ましい気持ちになり素直に相槌を打つ事にしている。

 そしておつむの方も成長してないようだ。

 何しろシャルロッテ嬢が語ったと言うエレナ失踪の顛末に纏わる事の真相なんて言うあからさまな嘘を信じているのだから。

 それでなくともエレナへの監視の目を光らせていたフレデリカに取ってシャルロッテの話は全て嘘で有る事は明白だ。

 しかしながら、ローズからの又聞きでも粗が有り過ぎる駆け落ち劇。

 よくそれを信じたなと逆に感心する程だった。


 だが、それを指摘する事はしない。

 何故ならば、その嘘を信じてくれている方が自身の計画を進めやすいからである。

 院長が自白した情報の中にはシャルロッテ受け入れ指示については含まれていたものの、エレナについてはその存在の欠片さえ知らないようだった。

 所詮院長はただの手駒の一つと言う事なのだろう。

 ドライからは計画に関する全ての情報を与えられている訳ではないようだ。

 しかしながらそれこそが、アッヘンバッハ家の計画においてエレナと言う存在が重要な意味を持っている事の証左となるだろうと考えられる。

 実際に駆け落ちが嘘だと断じる根拠は無いが、その様な人物が駆け落ちなどと言う理由で屋敷から姿を消す訳はない。

 ならばアッヘンバッハ家の計画が次の段階に進んだと言う事だろう。

 それが何かまでは分からないが近い内に王都を騒がせるような何かが始まる筈だ。

 ……いや、自分達が王都を離れたこの隙を突いて既に動き出しているのかもしれない。

 知り得た情報を分析している内に、その可能性に思い至ったフレデリカであったが、焦り一つ浮かびはしない。

 それさえもフレデリカが待ち望んでいた自身の計画の開始を告げる鐘の音であるのだから。


 そんな事情を知らないローズはと言うと、ハイテンションはまだ収まりそうもない様子だ。

 しかしながらフレデリカのローズへの心理分析は、あくまでこの世界に生れ落ちこの世界で育ったローズと言う人間として認識しているからに過ぎず、恋愛もの好きだった野江水流と言う前世の記憶を持っている今のローズには通用しない。

 今ローズを駆り立てているのは、羨望と嫉妬であった。

 このゲームの主人公であり将来五人のイケメンの誰かと結ばれる事が約束されている輝かしい立場を捨て、モブですらないゲーム未登場の旅の商人を自らの想い人として選び駆け落ちしたエレナ。

 勿論バッドエンドになる可能性だって有ったし、事実バッドエンドに叩き込む作戦を実行し数々のフラグを未然に潰して来たローズであったが、何しろ相手は自分よりも遥かに少ない回数で全クリした無敵の主人公なのだ。

 本気で攻略されたらあっと言う間に逆転されてしまうと戦々恐々の思いであった。

 それなのに自分の知らないところでイケメン五人よりも好きな相手を見付けるだけでなく、あまつさえその相手の駆け落ちまでするなんて、どこの恋愛物語の主人公なのよ! と声を大にして言いたい気分でいっぱいだ。

 白馬の王子の登場を憧れてはいるものの、そんな真実の愛に目覚めた主人公が決められた相手ではなく自分の選んだ相手と結ばれるなんてシチュエーションも布団の中で何度も妄想した事が有る程大好きである。

 ただ、前世では決められた相手も居なかったし、好きになった相手は根こそぎ知り合いに掻っ攫われると言う不幸な星の元に生まれていた事も有り、シチュエーションの前提自体が成り立たなかったので憧れランキングでは5位と言う微妙な順位に甘んじていただけだった。

 そんな恋愛を実践したエレナにシビれる! あこがれるっ!

 それが羨望の理由である。


 打って変わって嫉妬の理由は簡単だった。

 そんな恋愛を実践したエレナにシビれもあこがれもするけど、それが故に!! それが故に嫉妬する!

 自分がゲームの枠内に必死にしがみ付いて、来るべき主人公の到来を懸念して予めフラグを折って来たと言うのに、それを嘲笑うかのように早々にゲームの枠からドロップアウトして去って行くなんて!

 無敵の主人公を好敵手と認め直接対決を楽しみにしていたと言うのに結局盛り上がっていたのは自分だけなのかと、そんな憤る気持ちも嫉妬心を激しく煽ってくる。


 そんな羨望と嫉妬と言う二つの相反する感情だけでなく、ゲームシナリオと言う楔から解き放たれた喜びと祭りの後の静けさの様な虚無感と言う様々な感情が交じり合い、そんなぐちゃぐちゃな心境を何とか処理しようとしてテンションが可笑しくなっていたので、ついつい何度も口にしているのだった。


 そんなローズであったが、馬車で揺られている内に何とか落ち着いて来た。

 そしてゲームシナリオから解放された今後の事に思いを馳せる。

 今自分が居るのは隠しルートと呼ばれる世界だと考えているローズだが、さすがに主人公によるゲームからのドロップアウトはシナリオ進行に含まれているとは考えにくい。

 自分がエレナだと仮定して、好きな相手が出来たからと職場から駆け落ちで逃げ出した後にどんな展開が有ろうとも、元の職場に復帰するなんて言う恥知らずな鋼のメンタルは持ち合わせてはいない。

 幾らシナリオがそうなっていたとしても、自分やエレナはシナリオ進行に沿って歩くただのゲームのキャラではなく転生者で有るのだから、そこまで厚顔無恥に振舞えるだろうか? 

 いや、何が何でも逃げ出したいと思う。

 エレナの前世がどんな人物だったのか分からないが、同じメンタルを持っていると信じたい。

 だとすると、もう二度と自分の前には現れない事だろう。


 『それにもしこれがゲームシナリオ通りの進行なのだとしたら、裏ルートは途中でゲームの舞台となる場所が変わるって可能性も有るわね。駆け落ちした先で新たなロマンスが展開されるなんて事だって無いとは言えないじゃない?』


 他にも幾つかの可能性が考えられるが、いずれにせよシュタインベルク家の屋敷で繰り広げられる『メイデン・ラバー』は終わりを告げ、これ以降シュタインベルク家はゲーム進行から取り残される可能性が高い。

 根拠は無いが半ば自分に言い聞かせる様な感じでローズはそう思う事にした。


 そして、もし本当にそうであるならゲーム展開上逃れられない不幸な結末から逃れる事が出来るのではないか?

 父であるバルモアが死なず、屋敷の皆が、フレデリカが自分の元から去らず、シュタインベルク家がお取り潰しにならない……そんな未来が来るのではないか?

 エンディングでもまとも語られる事さえ無かった落ちぶれたローズの果てを自らが味わう恐怖に怯えなくてもいいのではないか?


 強制イベントにて確実に没落する運命の元に転生してしまった野江 水流は、必ず訪れる破滅へのカウントダウンに心をすり減らしていたのだ。

 今までそんな恐怖に抑圧されていた心が、己の信条である『最悪を想定して不確定の事項を不確定のまま希望的観測で楽観視などしない』と言う現実主義の考えを捨て、その様な楽観的でしかない希望に縋ってしまっても仕方が無いだろう。


 王都に着いたら薔薇色の未来が待っている。

 主人公と言うお邪魔虫は居らず、死ななかったダンディなお父様と五人のイケメン、それに使用人の皆と楽しく暮らすそんな未来の妄想を浮かべながら馬車に揺られるローズであった。



 しかし、そんな己の信条を捨てた希望的観測による甘い未来など訪れない。

 王都に着いたローズはその事を思い知る事となる。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「えぇっ!! なんですって? オーディック様がっ!!」


 王都に無事に辿り着いた頃には既に夜の帳が降り辺りは暗くなっていた。

 行きと違い領主から借りた貴族用の馬車にシュタインベルク家の旗を掲げているのにも関わらず、先日王城へと向かってる道中の際の様に羨望の目でこちらを見る者は居ないようだ。

 いや、それどころかどちらかと言うと目を逸らしているように思える。

 不思議に思いながらも、市民達は家路を急いでいるのだろうか? とそれほど気に留めず屋敷へと帰って来たローズの耳に飛び込んで来たのは、オーディックが事故に遭い大怪我を負ったと言う報告だった。


 執事長が語るには、本日未明の事、旧市街地の住人達から見知らぬ男性が怪我をしていると言う通報があったらしく、その男の身元を調べた所オーディックであったとの事だ。

 住人達の証言によるとその男は自らが住む集合住宅に突然やって来たかと思うと、階段を上る途中足を踏み外してそのまま落下して床板を突き破ってしまったらしい。

 すぐに助け出したが怪我が酷くすぐに近くを警邏していた憲兵に届け出たと言う。

 なんとか治療の甲斐が有って病院で意識を取り戻したオーディックだが、現在ベルクヴァイン本家にて療養中との事。


「今すぐお見舞いに行かなきゃ!!」


 幸せな未来を夢見て帰って来たローズに冷や水を浴びせかける様なこの報告。

 オーディックが怪我をしたと聞いて居ても立っても居られなくなったローズは、帰って来たそのままで玄関から出ようとした。


「お、お待ちくださいお嬢様。オーディック様のご容態なのですが……」


 執事長は慌てて出て行くローズを引き留める。

 なぜ引き留めるのだろう? もしかして意識を取り戻したと言っても容体は想像以上に悪く、現在面会謝絶とでも言うのだろうか?

 しかし、このまま会わない訳にはいかない。

 ローズは執事長に自分を止めた理由を問い質した。


「お嬢様、落ち着いてお聞きください。オーディック様は、その……」


 執事長から語られたオーディックの容体にローズは言葉を失った。

 『そんな馬鹿な……。だって主人公が居なくなったのに……なんでが始まったの?』

 ローズは信じられない事実に心の中で有り得ないと繰り返す。

 三桁回数をクリアして「メイデン・ラバー」の全てを知ると自負しているローズでさえ発生条件が分からなかったこのイベント。


「オーディック……様が……記憶喪失……」


 ローズの口から言葉が零れた。

 この言葉はゲーム内でもローズの口から零れた物である。

 それは主人公がオーディックと結ばれる唯一の方法。

 オーディックの記憶喪失イベントの始まりを告げる合図であった。


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