第102話 思い出

「結構遠いのね。あとどれくらいかしら?」


 ローズは馬車に揺られながら、窓の外に流れるまだ日の低い午前中の景色を眺めながらそう呟いた。

 聞くと実際見るのでは違うもの。

 地図上では近いと思っていたのだが、それ自体前世の地図と比べるまでまでもなくこの世界の文明レベルでは大雑把な位置関係が分かる程度な代物だ。

 それに加え馬車での移動なのだからそんな感想が出るのは仕方が無いだろう。


 この王国は、その領土のほぼ中央に位置する国王の所有する中央領、そしてその中央領を外敵から護る為に地方貴族達が治める辺境伯領で取り囲む様に配置されていた。

 目的の修道院が建っている町は一応中央領内ではあるものの、かなり外れに在りほぼ辺境伯領との境に位置していた為、早馬でもない限り半日以上は優に掛かる道程である。

 『シャルロッテにエレナの手掛かりを聞いて来る!』と格好付けて部屋から出たものの、『今から手配すると修道院に着くのは早くても夜中になるので道中危険だから出発は明日に』とダメ出しされた為、渋々その日は諦めて明くる日である本日早朝からこうして馬車に揺られていると言う訳だ。


「まだ道半ばと言った所でしょうか。時間が掛かるのは仕方有りませんよ、お嬢様。なにしろ現在伯爵令嬢が乗っていると分からぬように安物の馬車を使用してるのですから」


 馬車に同乗してるフレデリカはローズの言葉にそう返した。

 その言葉通り、現在ローズが搭乗している馬車はいつも使用してるシュタインベル家所有の馬車でも、ましてや王城へと参上する際に乗車した王宮所有の最新式高性能な来賓送迎馬車でもないただの庶民用の乗り合い馬車である。

 貴族用の高級品に比べて庶民用の馬車は、馬も悪けりゃ車体も重い。

 その性能の違いにより時間が掛かるのは当たり前であった。


 なぜ現在この様な庶民用馬車に乗っているかと言うと、貴族の移動とは目立つものである。

 移動だけでも娯楽に餓えた庶民達にとっては格好の話の種となり、その噂はあっと言う間に近隣に広がってしまうだろう。

 また貴族が地方の町に立ち寄る場合、まずその町を治めている貴族と面会する事が慣例である為、もしエレナがフレデリカに匿われていたのなら、その間に逃げられてしまう恐れが有るからだ。


 と、馬車の手配をしたフレデリカはローズにそう説明した。

 それを聞いたローズは『それもそうね』と納得したので、お世辞にも乗り心地が良いとはいえないこの庶民用の馬車に乗る事にした。

 しかしながらフレデリカの思惑はローズに説明した以外にも存在する。

 勿論その意味も十二分に含まれているのだが、偽装する相手はシャルロッテやエレナだけではない。

 また馬車の手配もごく一部の者しか知らせておらず、もし情報の漏洩が有った場合はそのルートを特定出来るようにしていた。


 その為、現在この馬車に同行している者は四名。

 ローズとフレデリカ、そして護衛を兼ねて御者に扮した信頼出来る衛兵が二名馬車の外で周囲を見張っている。

 執事長やローズを心酔している食堂付きの使用人カップルであるユナとダニアン達もローズを心配するあまり同行する事を希望したが、フレデリカはその申し出を断った。

 その代わりとして屋敷に残って周辺の動きを監視するよう願い出た為、三人は納得し大人しく屋敷に残る事にしたのだった。

 その様な理由から同行人数こそ少ないが、前世の記憶を取り戻してからと言うもの毎日鍛錬を欠かさず行っていたローズは、既に前世の強さを凌駕するレベルに達しており、正直なところ地方で陣を構える様な大物なら兎も角、中央領でこそこそ隠れながらチンケな犯罪をしている野党如きが何人束になって来ようとも敵ではない事も有り、そこの心配はあまりされなかった。

 事の発端であるエレナを心配する古い使用人については、ある意味部外者としてフレデリカは何も伝えていない。

 彼女の事はメイド業の先生として尊敬はしているし、昨日エレナとの三代に渡る絆の関係も知ったのだが、だからこそ逆にエレナの背後に見え隠れする王国の闇について知らせぬ方が良いと考えたのだ。


 と言うのは理由の半分。

 もう半分はフレデリカ自身持てる力をフル回転させて調べ上げたエレナの素性を、古い使用人の方が知っていた事に対する対抗心によるものだ。

 その為、ローズにも勿論『これは秘密作戦ですのでご内密に』と言うローズの心をビビッと刺激する殺し文句で口止めをしている。


 祖母の代からの付き合いだったなど反則だろう。

 しかも先日もそれとなくエレナについて聞き込みした際にも、その様な事一切黙っていたではないか。

 我ながら子供じみた嫉妬だと笑うフレデリカなのだが、それも自らの中に新しく生まれた心の変化によるものなのだろうと自覚しており、それに対して心地良ささえ感じていた。



「まだ半分か~。ねぇフレデリカ? 修道院にエレナは居ると思う?」


 ここまで来ておいて今更な質問ではあるが、フレデリカはそれには触れず思っている事を口にする。


「可能性は無くは有りませんが、恐らく居ないでしょう」


「う~ん、やっぱりそうか~」


 フレデリカの言葉にローズは腕を組んで悩む様な顔をしながらもコクコクと頷く。

 出発前までは可能性が高いと思っていたのだが、昨日もフレデリカが言っていた通り王都から出る際には同乗者の身元証明が必要だった。

 それについてはローズ本人も数時間前に身をもって体験したのである。

 貴族用馬車に乗っている際は気付かなかったのだが、街から出る際に外出許可書に照らし合わせて、それとなく馬車の中を確認しているらしい。

 いつも門の脇に建っている櫓の上の衛兵とよく目が合うと思っていたが、その話を聞いて『あれは中を伺っていたのね』と納得した。

 今回偽装用に乗合馬車に乗っていた事もあって、入口にて扉を開けて馬車の中まで監査が行われた。

 フレデリカが何処かから入手して来たと言う貴族のお忍び用の許可証のお陰でそれ程多くの時間は取られなかったものの、本来貴族が平民に偽装して王都から旅立つと言う行為はかなりグレーな事らしく、そのお忍び用の許可証と言う物が無いと身元確認が取れるまで拘留されるそうだ。

 それを聞いたローズは『貴族って、思ったより不自由なモノね』と呆れた声を上げた。


「出門記録によるとシャルロッテ様はビスマルク家の馬車は使用せず貴族用のチャーター便で修道院に向かったようです。昨日運送会社にも確認いたしましたが、搭乗者に関して会社所属の護衛の他はシャルロッテ嬢一人だけだったようです。この事に関しましては正式な契約書が残っておりましたし、現時点では特に不審な点は見当たりませんね」


「ふぅ~、結局私の取り越し苦労なのかしら?」


 と返しながらも、フレデリカの行動力の凄さに『さすがゲーム内のお助けキャラ』と心の中で感心していた。

 もしかすると出発を今日にずらせと言った本当の理由はそれを確認する為だったのかとさえ思う。


「そうとも言い切れませんよ。私の方でもシャルロッテ様と街を歩くメイドの目撃情報は入手しましたし、少なくとも昨日ローズ様が仰られた通りエレナの行方の手掛かりを知っている可能性は大いに考えられます」


「ありがと。そう言ってくれるとフレデリカに無駄骨を折らせたかもしれないって罪悪感が少しだけ薄らいだわ」


 ローズはそう言ってフレデリカに笑顔を向けた。

 フレデリカはそれを澄ました顔で受けて頭を下げる。

 心の中で『こうしてお嬢様との二人旅が出来るのですから、なにも収穫が得られなくとも全然無駄骨になんて思いませんわ』と呟いた。




 それから暫くの間、ローズは馬車に揺られながらあれこれと他愛の無い事も含めフレデリカと雑談をしていたのだが、ふとした切っ掛けで会話が途切れたので『少し休むわ』と言って、窓の外を眺めながら、今までの自分を取り巻く状況を整理する事にした。


 『しかし、主人公が不在だなんて本当にゲームでは起こらなかった事ばかり起こるわね。主人公のお助けキャラだったフレデリカが私を助けてくれたり、お葬式でしか存在感が無かったお父様が国を救った英雄で、存在すら出て来なかったお母様は聖女なんて呼ばれている。他にもゲームでは嫌いだったモヤシ爺なんて、今では尊敬する師匠なんですもの』


 野江 水流の意識が目覚めて以降、毎日が驚きの連続だった。

 ゲームでは語られなかった裏設定の多さには逆に呆れたほどだ。

 特にゲームで嫌と言うほど味わった悪役令嬢以前の幼い頃の記憶を思い出してからは、もしかするとこの世界がゲームだと思っている方が間違いなのではないか? なんて考えた事さえあった。

 それに関してはゲームと同じ展開のイベントが時折起こる事によって否定されている。

 さすがに予知能力者でもないとイベントの結末が分かったりはしないだろう。


 『ゲームでは登場しなかった人も沢山居るのよね。オーディック様の両親であるサーシャ様にミヒャエル様がその代表ね。特にサーシャ様なんてキャラが出て来ないなんて酷い損失よ。開発段階で切り捨てたんだとしたら開発者は無能だわ』


 他にもゲームでは出て来ない人達の事を思い浮かべる。

 中には辛うじてモブ画像としてそれっぽい存在で出て来る者は居るものの、遠い血縁者だと言う派閥長のベルナルド、現在会いに行こうとしている二人目の悪役令嬢であるシャルロッテ、そんな一癖も二癖もあるキャラ達がゲーム内ではその存在を示す噂すら登場しない。

 逆にゲーム開発とはここまで世界観を作り込むものなのかとローズは感心した。


 『登場しないと言えば、六人目のイケメンであるオズの登場だわ』


 ローズは忘れていたもう一人の幼馴染であるオズの事を思い浮かべた。

 ローズはこのようにオズの事を六人目と呼称しているが、本当にそうだと確信している訳ではない。

 隠しキャラの存在はゲームには付き物であるが、久し振りに会った幼馴染と言うポジションであり、他のイケメン達の様に悪役令嬢としてのローズに対する確執が存在しないので、庶民出の主人公に対して恋愛フラグが立つ事が想像出来ないからだ。

 とは言え、恋愛物についてはケンカから始まる恋と言う思いも寄らない恋物語も数多く存在しているので安心は出来ない。

 なにしろアレだけ濃いイケメンがモブの筈は無いだろう。

 オズとの出会いについて口にした途端、主人公との出会いイベントが始まるのではないか? と言う懸念すらある。

 今後もフレデリカ相手にも口にすまい。

 ローズはそう心に誓っていた。


 『全部思い出したと思っていたけど、お母様が亡くなったショックが強過ぎてそれ以前の事は全部思い出した訳じゃなかったのね』


 ローズ自身オズとの記憶は幼かったと言う理由も有るだろうが、どこか霞がかって実感が薄いものであると感じていた。

 それについては今しがたの言葉通り、母の死が影響しているのだとローズは推測している。

 一昨日オズと遊んでいた場所が王宮だと知ったローズだが、なぜそこで遊んでいたのか記憶に無い。

 父や生きていた頃の母からは、ただ仲良くする様にと言う言葉しか頭に残っているだけ。


 『それにしても二人のオズの記憶は何だったのかしら?』


 昨日はあの激臭から逃れる為にあれ以上考えない様にしていたのだが、改めて時間が出来るとなんだか気になってしまう。

 偽りの記憶にしたら、思い出す度にトクンと心臓が跳ねる。

 本当にアレは幻だったのだろうか? それとも……。

 ローズはその記憶を今一度遡ろうとした。


 オズとの記憶で覚えている最後の記憶は、振り返ったオズが『どちらを選ぶんだ』と聞いて来た事だった。

 あれはそんなシチュエーションに憧れていた自分の妄想の産物だろうか?

 記憶に確信の持てないローズはその思い出を何度反芻させる。


 『どちらを選ぶ? これは妄想なんかじゃない……確かにその言葉を聞いた記憶が有るわ。その時、私は何と答えたのかしら?』


 記憶と言うのは曖昧なモノだ。

 ただの思い込みや妄想でさえ、自分がそれを真実だと強く思い込めばやがて自分の中では現実にあった事だと錯覚してしまう。

 だが、二人のオズの記憶は錯覚ではない事をローズは確信していた。

 あの日……確かに二人のオズを見たのだ。

 だからこそ自分はただ驚き言葉を失いケンカする二人をただおろおろと見ているだけしか出来なかった……それを思い出した。

 そして自分は問いかけになんと答えたのだろう?

 それについては思い出せない……。


 ローズはそれ以降の記憶が霞どころか一切の闇である事に気付いた。

 ただ自分の泣き声だけが耳に残っている。

 もしかしたら答えを出せずにその場で泣き出したのだろうか? それとも気絶でもしたのだろうか?

 いずれにしろ、それがオズとの最後の記憶であった。

 それから間も無く母であるアンネリーゼが急逝し、更には悪役令嬢の道へと足を踏み外した為、会う事も無くなったのだろう。

 十余年の月日の後、先月裏庭で再会するまでは……。


 『また逢えるかしら? ううん、待っていてくれと言っていたんだもん。きっと逢えるわよね』


 ローズは次出会う事が出来たなら、二人のオズについて聞いてみようと心に決めた。

 なぜその時の記憶が無いのか、そしてなぜそれ以降会いに来てくれなかったのか。

 それを確かめる為に……。




「……じょうさま? お嬢様? ……むぅ、念の為一度試してみましょうか」


 深く考え込んでいたローズの耳に、突然フレデリカの声が聞こえて来た。

 どうやら休むと言った割に、窓の外を見ながら難しい顔をしている様子が気になって声を掛けたのだろう。

 まだ考えたい事が有るので適当に相槌を打って安心させようかと思ったのだが、聞き逃しかけた最後の言葉にローズは一抹の不安が過り反応した。

 つい最近『試す』と言う言葉を聞いた気がする……あれは確か……!!

 その事に思い至ったローズは、深く思考の海に浸っていた意識を急速に覚醒させた。


「フ、フレデリカ!! ちょっと待って! それってアレでしょ? とっても臭いやつ!」


 ローズは案の定フレデリカが手に持って今にも開けようとしている小瓶を凝視しながら叫ぶ。

 恐らくあのとても臭い解毒剤と言う名の劇薬に間違いないだろう。

 なぜフレデリカが持っているかは謎だが、もしかするとシュナイザーから譲り受けたのかもしれない。

 それを今にも開けようとしているのだ。

 広いラウンジでさえ暫く匂いが消えなかったあの激臭。

 こんな狭い馬車の中で蓋を開けようものなら、洗脳が解ける解けない以前に気絶する自信がある。

 絶対開けさせてなるものかとローズは必死だ。


「おや、この薬をご存じでしたか」


「ええ、昨日シュナイザー様に嗅がされたのよ! 洗脳されてるか試したって理由で!」


「ちっ……先を越されましたか……」ボソッ。


「ちょっと! 今、舌打ちして酷い事言わなかった?」


「空耳です。お嬢様が臭さに悶える顔がみたいだなんて言っておりませんわ」


「それ本当に言ってなかったでしょ! ちょっと最近フレデリカって私に対してSっ気が強くない? 前まではお嬢様~って私にお仕置きされてたじゃない。最近ご無沙汰なんだけど」


「人間とは日々成長するものですよ」


「そんな雑な理由で……。それよりその蓋を開けようとしないで」


「おや? そんなに嫌がるとはもしかしてお嬢様……?」


「違う! 違う! こんな狭い所で開けたらフレデリカだって大変よ? だから落ち着いて」


「安心して下さい。私はこの手の匂いは平気ですので。むしろどんと来いですよ」


「ひぃぃぃぃーーー!! 変な所はマゾのままなのねーーーー!!」


 そんなローズとフレデリカの攻防は修道院に着くまで続くのであった。

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