第103話 行方

「な、おま……いえ、貴女はローゼリンデ! ……様ではないですか……」


 馬車内での激臭の攻防を何とか凌ぎ切ったローズは、町の外れに建てられている修道院へと身分を隠したまま直行したのだが、商家の娘風の服装で偽装していたに関わらず修道院の院長を務めていると言う中年のシスターには一目で見破られてしまった。

 それにしてもここまで驚く事だろうか? シスターは目を剥いて顔が引き攣らせている。


 『一瞬『お前』とか言いそうじゃなかった? それに『様』も取って付けた様な感じじゃない? ちょっと失礼過ぎるわねこのシスター』


 前世では庶民だった記憶が有るので、あえて思った事を突っ込まず聞き流すローズであったが、自分以外の貴族なら今ので激怒するのでは? と思わなくもない。

 ここまで動揺するシスターの態度に疑問を抱くローズであったが、よく考えなくても心当たりがあるではないか。

 その心当たりにげんなりしながらもどうしたものかと考える。


 『う~ん、もしかして悪役令嬢時代に、この人に対して何か酷い事をしたのかもしれないわね。もしそうなら謝らないと……』


 悪役令嬢であったローズの場合、この様に驚かれ怯えられる理由などそこら辺に転がっていてもおかしくないではないか。

 明らかに尋常じゃないシスターの様子に、ローズは過去の悪行に被害者かもしれないと推測した。

 なにしろ悪役令嬢時代を思い出したとはいえ、息をする様に悪行を重ねて来た事に加えて他人の事などジャガイモや案山子程度にしか思っていなかった手前、正直な所被害者の顔など覚えていない。

 勿論目の前で驚愕の表情を浮かべ恐れおののいているシスターの顔は、記憶の端にもかすりもしなかった。

 しかしながら、相手はこちらの事を名乗らずとも一目で自分と言い当て怯えている。

 噂で悪行を聞いていたにしてはいささか大袈裟だろう。

 となれば、直接の被害者の可能性が高い。

 ローズは恐る恐るなぜそれ程怯えているのかシスターに尋ねてみる事にした。 


「あ、あの、もしかして以前お会いした事が有りましたでしょうか?」


 まずは面識の有無だ。

 一応ローズとて社交界デビューを果たしている伯爵令嬢である。

 悪役令嬢時代の素行の悪さで父親からそれとなく王国行事等の公の参加は控えめにされてはいたが、それなりには人前に姿をさらしていた。

 だからこそ悪女などと言う悪名が王国に轟いていたのだが、だとすると教会繋がりの行事でこのシスターと出会っていた可能性も考えられる。

 その際に失礼をしたのだろうか? それともそれを目撃しただけなのであろうか?

 出来れば後者でありますようにと、ローズは祈った。


「い、いえ。直接……直接はお会いした事は有りません」


 シスターはローズの問い掛けに突然我に返ったかのように姿勢を正し表情引き攣らせながらもそう返してきた。

 その回答に困惑するローズ。

 直接会った事が無いのにあの狼狽えよう。

 ただの目撃者でありますようにと祈りはしたが、その過剰気味に驚いていた態度から自分の悪行による被害者だと覚悟していた。


 それなのに直接会った事も無いらしい。

 と言う事は噂で悪行を聞いたか、それとも知り合いが被害者だったのか。

 取りあえずシスターが直接の被害者ではないと言う事に安堵した。

 それと同時に最近薄れて来たと思っていた悪女のレッテルは、王都を離れた途端これ程まで人を怯えさすのだろうか?

 いまだに悪女伝説が健在だと言う事実に、皆から許される道はまだまだ遠いと溜息を吐く。


「シスター。お嬢様の事を知っているのでしたら先程からの態度は無礼でしょう。謝罪しなさい」


 突然横に立っていたフレデリカが、厳しい口調でシスターの態度を咎める。

 フレデリカの言葉に自分の犯した貴族に対して大変失礼な事をしたと言う事に気付いたシスターは頭を深く下げて謝って来た。


「あぁ……あの、ま、まさかローゼリンデ様がこの様な場所に来られるとは思ってもおりませんでしたので……。お恥ずかしい所をお見せしまして申し訳ありません。なにとぞ先程の御無礼をお許しくださいませ」


 悪役令嬢時代のローズのみならず普通の貴族でさえ憤慨してもおかしくない程の無礼な態度は本来その様な謝罪で場が治まるものではないが、悪女時代の罪悪感に苛まれているローズは聖女の如き慈悲の笑みを以って許す事にした。

 出来ればこれで今までの事をチャラにして欲しい、そんな下衆な期待を込めて……。


「いえ、シスター。お顔をお上げください。こちらこそ何も連絡せずに突然伺ったのですから驚かれても仕方有りませんわ」


「あぁ、許して頂きありがとうございます。あ、あの……そ、それでローゼリンデ様がこのようなところに何の御用でしょうか?」


 今度はシスターが目的を尋ねて来た。

 その目にはまだ怯えの色が見える。

 どうやら先程の笑みではチャラになっていないようだ。

 もしかしたら、今度は自分が被害者となるのだろうかと考えているのだろうか?

 恐る恐る目的を聞いてくるシスターの態度に申し訳なく思った。


「いえ、たまたま近くを通ったので立ち寄ったのですよ。ここは大変良い所ですね。それと……」


「あ、あのシャ、シャルロッテなら、今は隣村へ使いに行っております」


「え?」


 町の代官にも会わずにお忍びの格好で乗り込んで来たと言う現状から、いきなり人物名を言うと要らぬ噂が立ってもおかしくない。

 その為、まずはお忍び旅行の最中に偶然立ち寄ったと言う設定で話を進めようと事前にフレデリカと打ち合わせしていたのだが、いきなり答えが飛び出して来た。

 もしかしてついポロッと言ってしまったのかと思い、いままでの短い会話を反芻したが何度思い返してもシャルロッテのシャの字も口にしていない。

 それを確認する為にチラとフレデリカの方に目を向けると、ローズの視線に気付かなかったのかフレデリカの目はジッとシスターを凝視している。

 半ば異様なこの空気にローズは訳も分からず首を捻りながらもその理由を聞くことにした途端、先にシスターが口を開いた。


「あぁ、シャルロッテと敬称無く申しましたのは、修道院の規則なのですよ。貴族であろうともここでお勤めの間は、一修道女として扱われますので」


「なるほど~、ってそうじゃなくて、えっと……なぜ私がシャルロッテに会いに来たと思われたのですか?」


 シスターの言葉に感心しそうになったが、すぐに正気に返りなぜ自分の目的を知っていたのかを尋ねる。

 しかしながら、ローズは初対面での無礼な言葉の原因はそれが関係してるのかもしれないと納得した。


「え……? あ、いえ……。あの……その……」


 ローズの問い掛けにシスターはしまったと言う顔で狼狽えだした。

 明らかに何かを隠しているような態度。

 よく考えたら最初からシスターの態度はおかしいのではないか?

 一連の様子から導き出される答えは……。


 『もしかしてこのシスターってば、シャルロッテと共犯じゃないのかしら? そう考えたらシスターの態度の全てに辻褄が合うわ。シャルロッテはシスターにエレナを匿う事を頼んだのよ。だからその主である私が来た事に驚いたのね。ふふふふ、私ってば名探偵ね』


 本人的には隙の無い名推理にローズはとても満足げだ。

 自分の悪名に恐れている訳じゃないと言う事が分かったのも収穫である。

 さて、どうやってエレナの隠れ場所を吐かせるか……。


「あ……あぁ! そうそう! 最近お二人が仲直りされたとお聞きしまして、ここに立ち寄られるのでしたらシャルロッテにお会いに来たのだろうと思ったからですよ」


「まぁ、そうでいらしたの」


 明らかに今思い付いた理由を話すシスターに、感心したと言う感じの言葉を返すローズ。

 しかし、その心の中では『ププププ、演技が下手ねぇ~。もうネタは上がってるんだから』と笑っていた。


「シスター、先程シャルロッテ様が隣村に行ったとの事ですが、いつ頃お帰りになるのですか?」


 ローズはあくまでとぼけるシスターにエレナの隠れ場所を吐かせる為の作戦を考えていると、横でフレデリカが口を開いた。

 なるほど、まずはシャルロッテから外堀を埋めていくのか、とローズは感心する。

 優秀なフレデリカの事だ、既に自分と同じ結論に達しているのだろう。

 いきなりエレナについて聞いても白を切られてのらりくらりと時間稼ぎをされる可能性がある。

 それに今現在だってこの部屋の様子を扉の向こうから聞き耳を立てて伺っているかも知れないのだ。

 『エレナ』と口にした瞬間逃げられる可能性さえある。

 となれば、親友に会いに来ただけと言う事を強調して油断させた方が良いだろう。

 ローズはフレデリカに交渉を任す事にした。


「え……えっと。いつ頃になるかは……その~」


 シスターは煮え切らない回答で口を濁している。

 その態度からローズは更に推理を閃かせた。

 もしかするとシャルロッテが出掛けたと言う事自体嘘なのでは?

 偶然馬車から降りた自分達をシャルロッテが目撃して慌てて一芝居打ったのかもしれない。

 その様子を想像して『シャルロッテ、お主も悪よのう』と心の中でほくそ笑むローズ。

 そして『あなたの失敗は、芝居を頼んだ相手が壊滅的に演技が下手だったってことよ』と勝利宣言をした。


「おや? あなた……どこかで見た事が……?」


 しどろもどろしていたシスターは突然フレデリカの顔を見て動きが止まった。

 そして何かを思い出すかのように言葉を絞り出す。


 『え? ちょっと待って? ここで知り合い設定登場とか止めて。話がこんがらがっちゃうじゃない』


 二人が知り合いだとか言われると、恐らく無駄な会話が増えてしまうだろう。

 その間に逃げられる可能性だって有る。

 ローズは話を進めるよう促す為にフレデリカに目を向けた。


 『あれ……?』


 フレデリカの顔を見たローズはその表情に違和感を覚える。

 まるで目の前の人物に興味など無いと言いたげな冷めた目付き。

 てっきりフレデリカも知り合いとの再会に驚いた顔をしているのだろうと思っていたが、その表情はどう見てもそんな感情を抱いているように見えなかった。


 『フレデリカはこの人の事知らないのかしら? あっ! もしかしてこれってシスターの作戦なんじゃない? 知り合いを装って時間稼ぎをしようとしてるんだわ。やるわねシスター』


 ローズは先程までとは打って変わって『記憶を漁って思い出す』と言う迫真の演技をしているシスターを褒め称える。


「記憶に御座いませんね。勘違いじゃないでしょうか?」


「そ、そう? けど……。いえ、そうよね。勘違いだわ。あの子がここに居るはずないもの。だって……あの悪魔は……」


「シスター! それよりも回答をお聞かせ願います。シャルロッテ嬢はいつお帰りなのでしょうか」


 フレデリカの言葉に勘違いだったと呟くシスターに被せる様に先程の質問の回答を迫った。

 その所為でシスターの呟きの最後の方はよく聞き取れない。

 なんと言ったのだろう? と首を捻るローズだが、少なくともどうやらフレデリカも自分と同じく無駄な時間は取られたくないのだろう。

 『二人の思いは一緒ね』とローズはフレデリカとハイタッチをしたい気分になる。


「え……っと、そ、それは遅くなるかもしれないわ。実は今シャルロッテは幾つかの村の教会を回って今までの罪の懺悔をすると言うお勤めをしているのよ。もしかすると明日か……それとも明後日か……」


 そう来たか! とローズは起死回生に近い言い訳の登場にぐぬぬと唇を噛む。

 別の用事の途中で偶然立ち寄ったと言った手前、帰って来るのがいつになるのか分からないと言われると、引き下がるしかないではないか。


「なら、ここで待ちましょう。明日でも明後日でも帰って来るまで何日でも」


 このピンチをどう乗り切ろうかと考えているとフレデリカはそんな事は意に介さないとでもいう様な口調でそう言い切った。


「え?」

「え?」


 その言葉にローズとシスターは揃って驚きの声を上げる。

 『なるほど、こんな時は言い切ってしまえば良いのか』と、フレデリカの男前な回答っぷりにローズは思わずスタンディングオベーションを送りたい気分になった。


「で、でも、先程何処かへ行く予定が有ると仰られていたではないですか。出来ましたらお帰りの際にもう一度立ち寄って頂ければと……」


「いいえ! 帰って来るまで待つと言ったでしょう。それともなんですか? フレデリカ様にお嬢様と会わせたくない理由でも有るのですか?」


 フレデリカは何とか帰らせようとするシスターの言葉を遮る。

 シスターはと言うと、フレデリカの迫力に言葉も出ないと言う顔をしていた。

 これは決まっただろう、ここまで言い切られたら観念するしかない。

 これ以上しらばっくれても逆に自分は知っていると白状しているようなものだ。

 ローズは心の中でフレデリカの健闘に称賛を送る。


「それとも、お嬢様のではなくて、お嬢様のではないですか?」


「え?」


 ローズは今フレデリカが言った言葉が理解出来ず、頭の中が真っ白になった。

 『会わせたくない』ではなくて『会わせられない』? なぜ言い換えたのか?

 その意図が掴み取れないでいる。

 同じ意味の様にも取れるが、わざわざ言い換えたのには訳が有るのだろう。

 『会わせたくない』と言う言葉にはシスターの意志が入っているが、『会わせられない』と言う言葉はシスターの意志ではない別の要因が含まれているのではないか?

 例えば、……とか?


 言葉の違いに気付いたローズが『逃げられた!!』と声を上げようとしたそれよりも早くフレデリカが言葉を続けた。


「例えば……」


 フレデリカの言葉に腰を折られたローズは『あぁそれ私が言おうと思ったのに』と、フレデリカはこれから自分と同じ結論を言うのだろうと先を越された事に悔しがった。


「シャルロッテ様は元々……のではないでしょうか?」


「え?」


 又もやフレデリカの言葉にローズの頭は真っ白になった。

 何を言っているのだろう? フレデリカがここに来ていない?

 自分の想定とは違う言葉に理解が追い付かなかった。


「ちょっと、フレデリカ。それはどう言う意味なの?」


「どうもこうも、言葉の通りですよ。シャルロッテ様はこの修道院に来ていないと言う事です」


 フレデリカはそう言い切った。

 どうやら聞き間違いではないようだ。

 ここに来るまでの前提をぶち壊す発言にローズは混乱する。

 シスターはと言うと、てっきり笑い飛ばすのかと思ったが何故か目を見開いて動かない。

 いや、口元を見ると何かをブツブツ言っているようだ。

 小さい声なのでよく聞こえないが「やはりこいつは……」と言う言葉だけは聞き取れた。

 それが混乱に拍車をかける。


「いや、それは有り得ないでしょ? だってフレデリカだって調べたって言っていたじゃない」


「えぇ、運送会社を調べた限り何処にも不備はございませんでした」


「なら……」


「不備が無い……いえ不備が無さのですよ。誰も彼もまるで揃って同じ脚本で書かれた舞台の様に足踏み揃えて同じセリフを吐き、残された書類にしても他の書類と比べて明らかに整い過ぎている。どうやら完璧主義者の脚本家が居るようです」


 フレデリカの言葉が1mmも頭に入って来ない。

 脚本家とは誰の事? シャルロッテの事だろうか? それともエレナ?

 もしかするとメタ的な言葉なのだろうか?

 フレデリカはこの世界がゲームだと知っていてシナリオライターに文句を言っているの?

 ローズの頭の中には疑問が次から次と沸き上がり収拾がつかなくなっている。


「そ、そんな、まっさかぁ~。そんな訳ないって。あははは」


 理解を超える出来事にローズは心を落ち着かせる為にあえて明るく振舞い笑い声を上げた。

 しかし、フレデリカも……そしてシスターもローズにつられて笑い出す者は居らず、真剣な顔のままだ。




 タッ……タッ……タッ…タッ…



 その時、立ち竦むローズの耳に遠くから近付いてくる足音が届いた。

 混乱冷めやらぬローズは足音に促されるように音のする扉の方に顔を向ける。


 タッ…タッ…タッタッタッ

 ガチャ


 足音は扉の前で立ち止まったようだ。

 そしてノブに手を掛ける音がする。


「な……バカな。なぜ?」


 フレデリカがそう呟いた。

 扉の向こうの人物に予想が付いているのだろうか?


 ガチャガチャ……バン!


 一瞬の後、扉は勢い良く開かれ誰かが部屋へと飛び込んで来た。

 そしてその人物は止まる事なくローズ目掛けて走り出す。

 突然の事にローズは暴漢かと思い身構えたのだが、相手の顔を見た瞬間身構えるのを止めた。

 そのまま近付いてくる人物を受け止める様に手を広げる。

 いつもは避けたりするのだが、やっと会えたのだからたまには良いだろう。



「ローズちゃーーん。本当に会いに来てくれたのね!!」


 その人物はローズの受け入れ態勢を見て嬉しそうな声を上げそのまま抱き付いた。


! 会いに来たわよ」


 ローズは抱き付いている人物……シャルロッテの頭をポンポンと撫でながらそう言った。

 『なんだ、フレデリカの勘違いだったんじゃない』とフレデリカの方ににやけ顔で振り返る。

 しかし、てっきり恥ずかしがって顔を赤らめているのかと思ったが、フレデリカの両目は見開かれていた。

 そして、それは横目に見えたシスターの表情も同じだった。


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