第76話 最後の質問

「とうとう着いてしまった……」


 ローズは少しばかり揺れる馬車の中で思わずそう零した。

 その言葉通り、先程城門を通り抜け送迎馬車の停車場所に向かっている所だ。

 ローズは何度も『大丈夫』と自分に言い聞かせているが、元の世界で三桁回数にも及ぶシュタインベルク家の没落を目にして来た手前、その地獄への片道切符とも言うべき招待状への恐怖はなかなか拭えるものではなく、更に言えば少なくともゲーム中に国王からの救済を喜んだローズがエレナの前で読み上げた内容とほぼ一致していたのだからしょうがない。


 ゲームとの違いを述べるのなら、それは指定日だ。

 ゲームでは招待状と言う体であるのだから常識的な範囲の日時で三日後を示していた。

 だが今回届いたは、早朝に届いておきながらその日の正午と言うあまりにも短過ぎる期限を記している。

 いくら国王と言えども伯爵令嬢に対して失礼に当たらないのか?

 と、ローズも思わなくもない。

 フレデリカもそんな愚痴を遠回しに言っていたのだから、自分の考えは間違っていないのであろう。

 だが、執事長が言うには招待状と言う形を取っているからそう思うだけで、城仕えの貴族ならば国王からの呼び出しにすぐさま参上する事は別に不思議ではないとの事だ。

 逆に国王はお嬢様に気を使って招待状と言う回りくどい手を使ったのではないか? と言っていたので、そう言うものかと自分を納得させた。



 そんな事を思い出していると急に馬車の進む速度が遅くなる。

 窓から様子を窺うと、少し離れた所に広場が有り、使用人と思われる者達が控えているので、そこが停車位置なのだろう。


 『しかし、国王様か~。一度だけイベントに登場したのよねぇ~』


 窓から見える王城の庭園を眺めながらそう心の中で呟いた。


 『メイデン・ラバー』

 それは平民の女の子が数奇な運命の果てに伯爵家のメイドとなる所から始まる乙女ゲーム。

 悪役令嬢から数々の嫌がらせを耐え抜き、やがてその悪役令嬢の取り巻きイケメン達の誰かと結ばれる……そんなストーリーだ。

 恋愛相手が貴族や騎士だとは言え、主人公はただの平民上がりのメイドである。

 そんな身分の者が国王との接点など有る訳もなく、それどころか伯爵令嬢であるローズでさえゲーム中に面会したと明言されるのは召喚状イベントのみ。


 しかし、ゲーム中に登場する攻略対象以外の多くの貴族や使用人達がモブ絵流用で賄われているこのゲームにおいて、さすがと言うべきか国王だけは一枚絵が用意されていた。

 ただし、その一枚絵が登場するのはこのゲームにおいて野江水流がプレイした中では一イベントのみ。

 それもその筈、国王が登場するのは王族の血を引くオーディックルートの最終イベントにおいて他ならない。

 そのイベントにおいて国王は自らの甥であるオーディックの相手として平民出のエレナが本当に王族の血と交わるに相応しい相手なのかを見極める為に、エレナに様々な質問でその資質を見極めようとすると言うものだった。

 しかもこのイベントの少し前からセーブ不可と言う鬼仕様となっており、気付いた時にはもう遅い。

 野江 水流は最後にセーブしたのがかなり前だったと言う事を思い出し、もし選択ミスでゲームオーバーにでもなろうものなら、確実に心が折れてしまうだろう事と戦慄した。

 何故かと言うと野江 水流は自らに課した三連休中に絶対コンプすると言う制約を課していたからである。

 生まれてこの方ここまで集中した事が無い程、全身の神経を研ぎ澄ませて国王の一問一答に集中した。


 そこまで自分を追い詰めた制約とは、毎日昼休みに食べるのを楽しみにしている焼きプリンを一週間我慢すると言う傍から見るとささやかな物であった。

 だが、それは野江 水流にとって非常に大切な事である。

 有名私立進学校と言う色々とストレスが溜まる職場において、焼きプリンをお昼に食べる事は砂漠の中のオアシスと言うべき安らぎの時間で有り、それを一週間我慢するなど到底耐えられる物ではなかったのだ。

 ちなみにこの世界に焼きプリンと言うものは存在しなかったが、材料自体は普通に存在していた為、屋敷のシェフにレシピを教えて作って貰っており、ローズは毎日の心の安寧を得ているのはここだけの話。

 そのレシピが世間に流れ、焼きプリンがこの国で一大ブームを巻き起こす事になるのだが、それは語るに値しない小事だろう。


 話は戻って、野江 水流はその背水の陣にも似た決死の覚悟によって国王に勝利する。

 国王から繰り出される数々の質問、中には『これ恋愛ゲームに関係するの?』と思わず本音を漏らすような問い掛けも数多く混ざっていたのが気になったが、王族の血を持つ者と結ばれるにはこれぐらいの意識を持ってないとダメなのかもと、自分に言い聞かせながら一問一問真剣に回答した。


 『なんか最後の方心理テストみたいだったのよね。最初の頃こそゲーム内の〇×クイズみたいな感じだったのに、どんどん怪我している人を見たら~とかどちらを助ける~とか、最後の方なんて世界平和とか戦争が~とか言い出した時は正直引いたわ。開発者達って何か意識高い系の啓蒙本でも読んで被れていたのかしら?』


 その様な予想の右斜め上を突き抜ける質問を前に過去最大級に精神を集中していたからか、一問毎にごっそりと体力を奪われたかの様に疲れて行き、やがて集中力も途切れ途切れとなる。

 そして極め付けは最後の質問だった。

 それは今までと打って変わってあまりにも馬鹿らしくメタ的な質問だった為に『なによこれぇーーーーーーーっ!!』と思わず叫んでしまったが、そのツッコミの激情のままに選んだ選択肢であったにもかかわらず、回答後に国王から告げられた言葉によるとその選択肢で正解だったようで、一瞬の内に肝は冷え野江 水流は冷静となった。


 『いや~、最後の最後で選択肢間違っていたらとか、今思うと本当に恐ろしいわね。確実に次の日ゴミとして出してたわ。円盤バキバキにしてね。多分私が死んじゃったのって三徹の最後にあれだけ精神を集中させた所為よ。一問毎にゲームで言う所のHPが減ってる~って実感したもの。しかし『なによこれぇーーーーーーーっ!!』のツッコミの後に、ローズとなってまた『なによこれぇーーーーーーーっ!!』を言うなんて人生分からないものよね~』


 自らの数奇な運命に思わず笑みが零れそうになった。

 最後の質問だってそうだ。

 その場ではツッコミを入れたものの、改めて思うとあまりにもバカバカしくて笑いが込み上げてくる。

 何故かと言うと、それは……それは……?


『本当、最後の質問って開発者のおふざけにしても趣味が悪かったわね。口調も変わっちゃってさ。フフフ…フフ……あ、あれ? ちょっと待って? 最後の質問って確か……?』


 最後の質問を反芻しながらその意味を改めて考えた時、疑問と共に背筋に冷たいものが走り笑いなど消え去った。


<<キミは………………望むかい?>>


 口調どころか声まで変わっていたかもしれない。

 渋めでダンディーな国王様の声ではなく、どこかフランクな匂いを醸し出す若い男の声。

 いや、今改めて思い出すと途中からその声に変わっていた様な気がする。

 特に世界平和や戦争と言った質問の時から変わっていた事を思い出す。

 ローズは当時の事を記憶の中から引っ張り出しながら一つ一つ違和感の根拠を挙げていった。

 当時は三徹で頭がハイになっていたからただの開発者のおふざけとしか思わなかったし、声の違いも『この声優さんは声幅が広いわね』としか思っていなかった。

 だが、これはゲームの演出としては明らかにおふざけの域を超えていないだろうか?


 全くゲームに関係しない質問。

 王族に与する事になるのだから戦争と平和についての心構えを問い質したのかと思ったが、国王の従甥と言う継承権として下から数えた方が早い相手との婚姻でそこまでのグローバルな質問をするものなのか?

 しかもただの乙女ゲームのイベントで。

 よく考えると質問内容も目線的に支配者の目線の帝王学ではなく、どちらかと言うと一般人に近くまるで道徳や倫理の教科書かと思うようなものばかり。

 なにより最後の質問に関しては明らかにおかしいではないか。

 ローズは恐る恐る最後の質問内容を単語で区切って読み上げてみた。


 『私達が……創った……世界ゲーム……転生……望む……?』


 メタ的な質問? 確かにある意味メタフィクションな言葉と言えるだろう。

 しかし、乙女ゲームで攻略対象と結ばれる質問で出て来ていい物なのか?


 怖い……。


 ローズの頭の中に訳が分からない質問に対して恐怖を抱く。

 この恐怖が執拗なまでに国王との面談を怖がっていた理由だと言う事を理解した。

 そして、ポツリと言葉を零す。


 『私、その質問になんて答えたのかしら……?』




        ◇◆◇




「……お嬢様。……お嬢様っ!! しっかりして下さいっ!? 」


「キャッ! えっ? え? あ、あれ? ど、どうしたのフレデリカ。急に大声を出したりして」


 突然のフレデリカの大声に、ローズは思考の深淵から引きずり上げられた。

 まだ思考の残滓塗れになっているローズにはフレデリカが声を上げた意味が読み取れず、あたふたとするばかり。


「馬車はもう着いていますよ。ほら執事の方もずっとぼーっとしているお嬢様に対して驚いてるではないですか。もっとしゃきんとして下さいませ」


 その言葉でローズは正気に戻り辺りを見回した。

 確かに馬車は止まっている。

 それに開かれた扉から心地良い風が仄かに混ざるバラの香りと共に頬をくすぐっていた。

 その扉の向こう側から自分の事を心配そうに見ている自分と同い年くらいの若い執事の姿。

 どうやら手を引いて下ろしてくれようと扉を開けたようだ。

 声を掛けても全く動く気配の無いローズに対して、どうしていいものかとローズの手を取る為に手を差し伸べたまま戸惑っている様子。

 

 『あっちゃーーこれは大失態だわ。折角評判が上がって来たみたいなのに、また悪い噂が出て来ちゃう。このままじゃ出頭命令が本当になっちゃうわ。何とか誤魔化さないと……』


 と慌てているローズに対して、若い執事の心中は恐怖の真っ只中に居た。

 声を掛けても全く動かないローズを前に自問自答を繰り返す。


 『無視された? しかもローズ嬢に? 俺如きでは相手にもされないと言うのか? ど、どうすればいいんだ……』

 

 執事と言えども王城に使える者はそれなりの身分の出である。

 彼の場合はとある弱小男爵家の五男だった。

 五男では家督を継ぐなど有り得ない。

 他の貴族への養子縁組も家名の格的に難しいだろう。

 かと言って弱小男爵家では、家督を継がない者が好き勝手に暮らせるほど裕福ではない。

 だから城付きの執事となれば家名を汚す事なく、またそれなりの生活も望めるだろうと、彼は礼儀作法や執事の仕事を必死に勉強した。

 その努力の甲斐あってか、若くして念願の城付きの執事になる事が出来たのだ。


 彼は執事として優秀である。

 元貴族であり、そして紳士淑女に相対する礼儀作法を学んだが故に、普段ならば今の様に呆けている令嬢相手に再度手を取る事を促す為の気の利いた言葉を述べるのは朝飯前だった。

 しかし、今相手しているのはあの二大悪女と悪名高いローズ。

 性格が変わったと聞いているとは言え、直接見た訳でもなくそれらはただの伝聞だ。

 理由としては貴族令嬢としての自覚を持ったとの事だが、下手な事を言って怒らせてしまう可能性は否定出来るものではない。

 その為、噂のローズに対してどう声を掛けて良いのか分からないで固まっていたのだった。


 声を掛けたローズは、自分の言葉を無視したまま無表情で虚空を見詰めている。

 そして馬車の外、停車場の周囲には同僚が控えており、若い執事はその皆からの『何を固まっているんだ? 伯爵令嬢に対して失礼だろう』と言う無言の圧力を感じて、心臓が締め付けられる。

 彼は『あいつらめ! 皆して俺にローズ嬢の手を引く役を押し付けたくせに』と心の中で同僚達を呪う言葉を吐いた。


 だが既にローズを凝視した状態で固まってから十数秒は経ってる。

 そもそも貴族令嬢を何も言わずにガン見すると言う行為は大変失礼な事だ。

 普通の貴族令嬢に対してだって十分に問題となる時間はとうに過ぎていると言うのに今の相手はローズ。


 若い執事は心の中で『俺の人生は終わった……』そう呟く。

 相手は伯爵家。

 しかも過去に何人かの執事やメイドを首にしたと言う悪女なのだ。

 脳裏には城への奉公が決まった自分を笑顔で送り出してくれた両親の姿が映る。

 二人の信頼を裏切る事になるだろう。

 下手すれば弱小男爵家など潰そうとするかもしれない。

 『皆ごめん……』そう若い執事は心の中で両親や兄弟に懺悔した。

 目は開いているものの、血の気が引いている為か真っ暗で何も見えない。

 このまま気を失いそうだ……。

 若い執事はそのまま崩れ落ちそうになった。


 その時、彼の耳に天使の声が届いた。

 それと共に凍ったかの様に動かなかったローズへと伸ばしていた手の先に何かが触れた。

 とても温かい。

 その温かさは恐怖で凍りついた身体を溶かすのに十分な温度だった。

 若い執事は思わず温かさを感じている手の先を見た。

 するとそこには伸ばした自らの掌の上に誰かが手を重ねているのが見えた。

 その腕をゆっくりと辿ると……。



「ご、ごめんなさいませ。突然の国王様との名誉有る謁見につい緊張してしまいまして……」


 声の主は勿論ローズ。

 ローズのぼーっとしていた所を見られた恥ずかしさを誤魔化す為に考えた案は、渾身の笑顔を浮かべる事。

 それも最近何やら評判のいい慈愛の聖女スマイル。

 そして差し伸べている若い執事の手に優しく重ねて自らの非を謝る。

 『前世の事を考えていた』など、とても言えた物ではないので『国王の謁見に緊張していた』と当たらずとも遠からずの言葉で。

 そう、王様との面会に緊張している貴族令嬢を装ったのだ。


 ローズとしては苦し紛れのつもりだったのだが、その効果は地獄に落ちたと思っている若い執事には絶大だった。

 その過去最大級とも言うべき眩いばかりの聖女スマイルを接触しながら間近で見てしまった若い執事は


 貴族令嬢に対して無礼を働いた事の咎で職を失い、家名を傷付ける事になると絶望した彼にとってローズはまさに神からの救いに映ったのだろう。

 だから完全に恋に落ちた。

 ここまで誰かを好きになった事などない……いやこれからもないと断言出来る。

 彼は心の底からそう思った。

 しかしながら身分が違うのは若い執事にも分かっている。

 彼の実家が貴族と言えども、弱小男爵の五男である自分には、伯爵令嬢を想う事など許されるものではない。


 『あぁ、神よ。彼女と巡り合う事が出来た幸運に感謝します』


 彼は一度だけ神に感謝の言葉を述べた後、その想いを胸の奥へと大切に仕舞い込み、執事の仕事を全うする。


「こちらこそ大変失礼を致しました。お会いできて光栄です。さぁお足元にお気を付けてください」


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