第70話 這い寄る闇

「まぁ良いわ。だってローズちゃんは今晩私の家に泊まりに来る事になってるんだもんね」


 一瞬ゾクッとしたものを感じたローズだが、嬉しそうにしているシャルロッテに笑顔で返す。

 そう言えばそんな約束をしていたわと、すっかり忘れていたのだが、その言葉で先日お泊りの約束していた事を思い出した。


「えぇ、そうだったわね。勿論憶えているわ」


「うふふふふ~。お泊り会なんて13年と142日振りね~」


 ビクッ!


 シャルロッテが年単位だけじゃなく、日単位で久し振りと言ってきた事に戦慄が走った。

 だが、まだ慌てる状況じゃないと自分に言い聞かせる。

 喧嘩別れした大好きだった親友とのお泊り会なのだ。

 もしかしたら懐かしき日々に思いを馳せ、つい最近幼き日の日記の日付を見て計算したのかもしれないし、それどころか王国式上流階級ジョークと言う線も捨てきれない。


 『 ……うん、その私の反応にキョトンとしてこちらを見ているその顔は、ジョークを言ったって感じじゃないわね! と言う事は、たまたま過去の日記を見直して日付から逆算しただけよ。きっとそう。これ以上考えるのは止めにするわ』


 と、たまに本気か冗談か分からない愛情を注いでくるシャルロッテ。

 そろそろシャルロッテを止めないとなぁとは思い始めてもいる。

 なんたって自分はノーマルなのだから! と。


 とは言え、その内シャルロッテも好きな殿方が出来るでしょう、そうすれば自分への依存も薄らぐはずだと、なんとなくローズは思っている言い聞かせている

 それは、よもやシャルロッテが旧友と同レベルなあっちの趣味を持っているはずがないと言う楽観的思考からくるものだ。

 人によってはそれを思考停止と呼ぶのだろう。



「勿論私もご一緒させて頂きます。お嬢様の貞操は私が身を挺してお守りいたしますのでご安心ください」


「ちょっと、フレデリカそんな大袈裟な……」


「そうですよ。私の屋敷なのですから世界一安全です」


「ある意味一番危険です。それにそう言う訳にはいきませんとも。お嬢様のお付である私は、お嬢様が外出する際には同伴する義務が有ります。あぁ、エレナは屋敷でお留守番ですよ」


「う~。は、はい……」


 フレデリカの言葉に残念そうな顔をするエレナ。

 どうやら自分も行きたかったのだろう。


 『う~ん、最近エレナ主人公フレデリカお助けキャラの関係って、こんな感じになっちゃってるんだけど、これってどうなの? エレナはもっと主人公の自覚を持った方がいいと思うの。なんでお助けキャラに言い含められて落ち込んでるのよ。それも本来ライバルで有る私と一緒に居られないからなんて』


 ローズは最近乙女ゲームの本分から逸脱しだしているエレナの行動を疑問に思っていた。

 隠しルートだからと言って状況に流され過ぎているその態度。

 少なくとも出会いの場での直接対決第一戦とそれに続く第二戦。

 あの時は、ローズに対しての憎しみの感情がちらほらと伺えたのは確かであった。

 特に第二戦の時の魂の慟哭とも言える感情の爆発は、憎しみと怒りに染まっていた。

 ダニアンとユナの機転がなければ、あの時点でゲームオーバーとなっていてもおかしくはなかったのだ。


 それなのになぜ?


 ローズは今のエレナの行動が不思議でならない。

 何が有ったのだろうか?

 もしかして主人公だけに知らされるシステム情報tipsなんてものが存在するのだろうか?

 そんな事はプレーヤーではない、ゲームの登場人物の一人に配役された自分では知る由もなく、いくら考えても答えは出ないだろう。

 ただ、今のエレナの表情や態度は何となくだが既視感が有った。

 と言っても現実世界での野江 水流としての人生経験から来るものではない。

 それはこのゲームをプレイした時に感じたものだ。

 それが何なのか思いだそうと、ローズは記憶の淵を手探りでかき混ぜる。

 暫し考えていると、記憶の混沌の中で何かが触れた気がした。


 『ん? もしかして……。もしかしてだけど。この……隠しルートって……』


 何かの記憶に触れた途端、が脳裏に姿を現した。

 しかし、それは視覚情報ではない。

 いや視覚情報ではあるのだが、像を結んでいる訳ではなかった。

 要するに脳裏に現れたのはゲーム中に表示されるキャラ画像ではなく、テキストウィンドウに流れる文章データだ。

 このゲームは主人公の一人称視点でグラフィックが表示されるが、状況を語るテキストは基本三人称で表現されていた。

 即ちゲーム中はイベント画像を除き、エレナの姿は表示されない。

 エレナの感情を知るには音声によるセリフの演技以外、テキストウィンドウに表示される状況説明テキストからを想定する必要がある。

 そして現在エレナが浮かべている表情は、ゲーム後半によく流れる状況説明の状態によく似ていた。

 

 『ちょっと待って……? そんな……。今のエレナの表情や仕草って、イケメン達とのイチャラブモード時の描写にそっくりじゃないの……?』


 信じられない、信じたくない仮定。

 それが意味する事は……。


 『もしかして隠しルートの攻略対象の中にあたしが含まれているって事ーーーー!?』


 辿り着いた自身の考えに一瞬気が遠くなるのを感じたが、何とか踏みとどまる事が出来た。

 まだだ、まだ気絶していい状況じゃない。

 そんな言葉が遠のく意識を引き留める事に成功したのだった。


 もしかしたら、突然姿を現した通常ルートには一切姿を現さなかったシャルロッテも、このルートでは攻略対象なのかもしれない。

 ならば、フレデリカさえ対象と言う事?

 要するに『メイデン・ラバー』の隠しルートとは『禁断の百合ルート』なのではないだろうか?

 次々と押し寄せる恐ろしい仮定の嵐。

 ローズはそれに押し潰されそうになる。




 『……いやいや。そんな訳ないでしょ。うんナイナイ。こんなのただの友情や親愛の情って奴よ。あははははは』


 そして、ローズは考える事を放棄するのだった。

 これは人によらずとも思考停止と呼ぶ。




        ◇◆◇




「では、ビスマルク家に行ってまいります。帰りは明日になりますので」


「行ってらっしゃいませ、お嬢様。お気を付けて」


 その日の夕方、シャルロッテとの約束通りお泊りの準備を終えたローズがフレデリカを伴って玄関前に待機させてあった馬車に乗り込みつつ使用人達に声を掛けた。

 そこには仕事中の者を除き手が空いている使用人達が愛する主人をお見送りする為に集まっている。

 そして主人の言葉に、心配する気持ちを隠して一斉に元気良くお見送りの挨拶をした。

 勿論そこにはエレナの姿も見える。

 しかしながら新人と言う事も有り、他の使用人達より後方に控えており、目の前に立つ他の使用人の向こうに居る主人を笑顔で見送るべく一生懸命背伸びをして顔を出していた。

 そんなエレナも他の使用人達と同じく主人であるローズを心配する気持ちでいっぱいであった。

 やがて主人が乗る馬車は出発し、そのまま屋敷の外へと姿を消していく。

 その間使用人達は頭を下げたままじっと待っている。



 外門締まる音と共に使用人達は頭を上げて自分の職場に戻りだした。

 だが、エレナはそのまま立ち止まり主人が出ていった先を見つめ続ける。

 その眼にはローズに対する切なく焦がれるような想いが浮かんでるのが見て取れた。


 暫く後、我に返ったエレナが仕事に戻る為に、屋敷の玄関へ振り返ろうとした……その時だった。



《全く良いご身分だな》


 突然、近くの茂みの陰からとても嫌悪感の沸く嫌らしい声が聞こえてきた。


「え?」


《こっちを見るな。怪しまれるだろ。そのまま黙って聞いていろ》


 その声の方に顔を向けようとしたら、静かながら怒気を孕んだその声に制止された。

 エレナはその声に従って凍ったように身を固めた。


《なぜ敵であるローズに甲斐甲斐しく仕えている。お前がここに来た目的を忘れたのか?》


 その言葉にエレナはキュッと唇を噛む。

 ……忘れた訳ではない……。

 そう心の中で呟いた。


《思い出せ。ローズはお前の敵だ》


 エレナは、惨めで呪われた運命の元に生まれて来た自分の生い立ちを思い出す。

 ……そう、ローズは敵。惨めな生活をして来た私と華やかなで享楽に生きて来たローズ……

 ふつふつと彼女の中にどす黒い怒りの感情が煮え滾り出した。


《憎め! 憎め!》


 声はエレナの心を煽り、その燃え盛り出した憎悪の炎に次々薪をくべていく。

 ……憎い。そうだ憎い。……けど、……

 一瞬、昼間の出来事が脳裏を掠めた。

 その光景に浮かぶのはローズの優しい微笑。

 ……憎……い?……

 憎しみの感情が少し薄らいだ気がした。


《今の姿に惑わされるな! どうせすぐにわがままで愚かなローズに戻るだろう》


 ……知っていたローズとは違う姿に騙されていただけ。本当のローズは悪女なのだ。惨めに生きて来た自分を嘲笑う存在なのだ……

 そう自分に言い聞かすが、脳裏に浮かぶローズの姿は悪女などではなく、誰彼構わずに手を差し伸べる聖女の如き姿ばかりだ。

 そして、その顔に浮かぶ笑顔は自分を嘲笑うものではない。

 まるで死んだ母と同じ優しさに満ちているのだ。

 ……憎め…ない……


《おい! 母親が受けた屈辱を思い出せ! そしてお前の呪われた血を!》


 ……ハッ! そうだ! あんなに優しかった母は病に犯され、最後は医者に診て貰う事も叶わず、寒さと飢えで死んでしまったのだ。熱にうなされ意識も朦朧としていた母は、ある人物の名を苦しそうに何度も呼びながら死んでいったのだ……

 母の臨終を思い出したエレナの心を闇が再び支配する。


《そうだ、良い顔になって来たじゃないか》


 ……憎い…憎い……


《いいぞ、いいぞ。もっとローズの事を憎め。あいつはお前の全てを奪ったのだ。富も名誉も人々からの賞賛も、全てお前の物だった》


 ……そうだ。今のローズに向けられている皆からの愛は、私に向けられるはずだった……


《全部奪い取ってやれ……》


 ……全部奪い取ってやる……


 それっきり謎の声は聞こえなくなった。

 しかし、もうそんな声は必要無い。

 私は全部思い出した。

 私がこの屋敷に来た理由。

 ローズへの復讐を……。


 いまだ凍ったようにその場で固まったままのエレナ。

 しかしその瞳にはローズに対する切なく焦がれるような想いは既に消え失せ、憎しみの色だけが浮かんでいた。




 これまで平和であったシュタインベルク家の屋敷。

 しかし、突如として現れた這い寄る闇によって、その平和な日々は少しづつ蝕まれていくのであった……。

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