第71話 万事休す
「はぇ~広いわね~。うちの何倍かしら~」
ローズは目の前に広がる光景に思わず感嘆の声が零れる。
この場合の『
勿論シュタインベルク家としてもビスマルク家のコレよりかなり狭い。
それでも野江 水流の実家よりは十分以上広いのだが。
「どう? 我が屋敷自慢の浴場は」
急にローズの背後から声が聞こえて来た。
現在そこには居ない筈の声。
「ひゃあっ! ちょっ! なんで居るのよ!」
ローズは慌てて手に持っていたタオルで前を隠しながら振り返り叫んだ。
そこに立っていたのは勿論この屋敷の令嬢であるシャルロッテ。
さらに言うとローズとは打って変わって前を一切隠していない。
それなのに貴族令嬢然とした堂々とした立ち振る舞いで『どうだ!』と言わんばかりの姿。
ローズはそのあられもない恰好に目を覆いながら激しく動揺する。
ローズの驚き様は無理もない事だった。
それを説明するには、少しだけ時を遡る必要がある。
それは夕方の事、ビスマルク家に到着したローズはシャルロッテの父であるカールとその妻クリスティーネ、そしてシャルロッテも交えての楽しい歓談の後、伯爵家の名に相応しい豪華な料理による晩餐会を行う事となった。
シュタインベルク家の料理とはまた異なる品々にローズは喜び大いに舌鼓を打った。
その際に元のローズでも知らない父の若き頃の活躍の数々、それに亡き母の逸話等々それはそれは貴重な話も聞けて大変充実した時間でもあった。
と、そこまではローズとしても本当に楽しいひと時を過ごす事が出来たと言えるのだが、問題はその後。
シャルロッテの部屋にてお喋りをしている際に急にシャルロッテが『思い出した』と言う軽い演技の後に、こんな事を言って来た。
「実は私の屋敷には自慢の大浴場がありますの。その素晴らしさはこの王都……いえ、この国一と自負しておりますわ」
ローズはこの話にとても興味が湧いた。
実は元の世界に居る頃からお風呂が大好きだったローズ。
さすがに高校教師となってからは忙しさにかまけてシャワーだけな日も多かったが、実家暮らしだった頃は庭に別棟として建てられていた檜造りの浴場の湯船で長時間ただ何も考えず湯船に浮かんで瞑想しながら入浴するのが日課だったのだ。
大学時代は友達と各地の温泉巡りをするのが趣味だったし、就職してからも長期休みが取れたら、自分への頑張ったご褒美として有名高級温泉宿に一人で泊まりに行ったりしてる程だ。
そんなローズが自慢の大浴場と言う言葉を聞いて興味を抱かない訳がなかった。
しかもそれだけではない。
不思議な事に使用している湯には様々な体に良い効能が有るとの事だ。
その湯はこの屋敷の地下深くから汲み上げられており、それだけでは温度が温いので更に沸かして使用しているらしい。
ただ、どうやらこの国には温泉といった言葉は無いようで、「それってまるで温泉じゃない!」と大喜びでシャルロッテに言ってみたのだが、不思議な顔して首を捻られた。
どう言うものか説明すると、横に居たフレデリカが「東の国にそのように呼ばれる施設が有ると聞きました」と言っていたので、一応この世界にもそう言った概念自体は有るようだ。
「何故この屋敷だけ?」とか、「近くに火山でも有るの?」とか色々疑問が湧いてくるのだが、ローズはそんな疑問全て『ゲームだから』で片付ける事にした。
なんと言っても久し振りの温泉なのだ。
楽しみで仕方がない。
と言う事で、大浴場に向かおうとしたのだが、後ろをこれ以上に無いくらいの眩しい笑顔でシャルロッテが付いてきた。
「ちょっシャルロッテ。なんであなたまで付いてくるの?」
「そんな事決まってるじゃない。
と、さも当たり前と言わんばかりに少し頬を赤らめながら満面の笑みでそう返してきた。
その笑顔にそこはかとない恐怖を抱きはしたが、心の中で『あぁ、小さい頃の楽しかった記憶を思い出して、一緒に入りたくなったのね』と少しため息を吐き、シャルロッテを見ながらそう思った。
と言えば聞こえはいいが、その視線上にシャルロッテが存在していただけで、ローズ自身が見てるのはその遥か先、涅槃の彼方の虚空を見ている感じ。
心を無にしてそう自分に言い聞かせただけだ。
一応シャルロッテの記憶を
「え、えぇぇっと、私達昔一緒にお風呂入った……の?」
強く否定は出来ないが、念の為に確認してみた。
身の危険自体はヒシヒシと感じるので。
『最近シャルロッテったら、ちょこちょこと昔にあーした、こーしたって言ってくるのよね。それ自体は子供がしそうな可愛いらしい事だったりするし、思い出を新しく作ってあげたいとも思ったけど、これはちょっと違うわよね~』
いや、何もローズは同性とお風呂に入った経験が無い訳ではない。
高校時代には先輩と困った旧友を家に呼んで、お泊り会をした際には三人で一緒に入った事も有る。
大学時代の温泉巡りには友達と湯船に肩を沈め、将来の事を色々と語り合ったものだ。
就職してからの自分へのご褒美である高級旅館に泊まる際だって、客室の内湯ではなく大浴場で知らない入浴客とお喋りをするのが楽しみだった。
それどころか異性も弟とだったら小学校高学年まで一緒に入ったりしていた。
別に一緒に入浴する事は恥ずかしい事などないとローズは思っている。
しかしながら、この国では他の者と一緒に入浴するなど同性であってもあまり褒められた事ではないらしい。
特に貴族の場合はそれは顕著で、使用人に身体を洗わさせる等は別として、一緒にお風呂に入る=
と言いながら、よくフレデリカとは一緒に入ってはいるが、それはあくまで使用人枠での事。
何より自分の身に危険が無い事が前提であるのだ。
『高校時代、先輩はよくあの困った旧友と、特に気にする様子もなく一緒にお風呂に入っていたものだ』と、今目の前であの時先輩を見ていた困った旧友と同じ目をしたシャルロッテを見て感心するように思い出した。
「えぇ、懐かしいわ~。今でも目を瞑ればあの時のローズちゃんの姿が思い浮かぶの~」
ビビクゥッ!
「そ、そそそうなの。へぇ~」
ローズはガクガクと震えそうになる身体を何とか押し止めるのが精一杯で、まともに言葉を返せない。
頬に手を当て幸せそうな顔で目を瞑っているシャルロッテを見ながら、ローズは心の中で『女は度胸! これはただの友情よ。何も怖くない。何も怖くない』と何度も自分に言い聞かせた。
「ほら、一緒に行きましょう!」
そう言ってシャルロッテがローズの腕を抱き締めるように掴み、大浴場まで引っ張り出した。
辺りを見回して助けを求めようとしたが、先程まで居た筈のフレデリカの姿がいつの間にか消えていた。
ビスマルク家の使用人達に助けて貰おうとしたが、誰も目を合わせようとしない。
『あぁ、まだ悪役令嬢時代の使用人達との確執が残ってるのね。主人に逆らったら何をされるかって恐れているんだわ』と、ローズは諦めたかのようにがっくりと肩を落とした。
実際は少々異なっている。
天然悪役令嬢のローズとは違って、屋敷の中に居る時のシャルロッテは比較的温厚であった為、シュタインベルク家の使用人達の様にシャルロッテの事を嫌ってはいない。
ならばなぜ、主人の蛮行に対して目を背けるのか?
それは、あの運命の仲直りの日以降、シャルロッテが実はローズを大好きだったのと言う事を知った使用人達は、その主人の想いを遂げさせてやろうと心に誓ったからであった。
そんな事を知らないローズは死刑台に向かう囚人の気持ちで、シャルロッテの成すがままに引きずられていく。
「ちょっと待ったーーーー!!」
もう大浴場は目の前、ローズは万事休すかと覚悟を決めた次の瞬間、突如ビスマルク家の廊下に二人を止める声が響き渡った。
これぞ天の助けだと声の主を見たローズの顔はパァッと明るくなる。
そう、その声はいつの間にか姿を消していたフレデリカであった。
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