第8話 皆大袈裟ね

「おぉ、どうした事だ。まるで見違えたぞ。ふむふむローズもちゃんとレディーになって行くのだな」


 食事の際に、伯爵がローズを見てそう言った。

 どうやらローズのテーブルマナーを見てそう賞しているようだ。


「勿論ですわ、お父様。私今日から心を入れ替えましたのです。お父様が安心してご出立されます様にと、この日の為に一人で特訓しておりましたの」


 ローズが微笑みながらそう返すと、娘の成長で感動に打ち震え伯爵は目頭を押さえた。

 そんな感動の場面だが、周囲の使用人達は先程の親子の抱擁の時と違って驚天動地と言った表情でローズを凝視している。

 これは仕方の無いことだった。

 元のローズはわがままに育った為、家の中でのマナー全般がなっていない。

 いや、なっていないと言うのは生易しい表現だ。

 適正な言葉を使うなら『壊滅的』と言うべきか。

 勿論だが、対外的、例えばお茶会や舞踏会と言った様な社交界での立ち振る舞いは伯爵令嬢として申し分は無いのだが、こと屋敷内の対内的のマナー全般においてはわがまま傍若無人が相まって見る影も無い。

 要するに外面だけが良いモンスターと言う奴である。

 お茶会や舞踏会と言った場にも料理は有るのだが、軽食や立食で、ほぼ細やかなテーブルマナーは必要としない。


「お嬢様が音も立てずにスープを飲んでらっしゃる……」ヒソヒソ

「くちゃくちゃと口を開けないでお食べになるなんて……」ヒソヒソ

「素手じゃなく、キチンとフォークをお使いになるなんて……」ヒソヒソ


 等々、使用人達のヒソヒソ話からも分かる通り食事の際のマナーは貴族所か庶民でさえここまで悪い奴は居ないだろう。

 伯爵はわが子可愛さに何をしても笑って許せるのだが、ことテーブルマナーにおいては悩みの種だったのだ。

 これに関しては、育て方を間違ったと心の底から反省している。

 幾度か矯正しようと頑張った時期も有るが、ローズの『止めて、お父様』攻撃(目をウルウルさせて懇願)に撃沈して断念している。

 このままだと、伯爵家として誰かと婚姻させるなど恥ずかしくて出来ないのではないかと考えているが、それはそれでまだ娘は若いからと自分に言い聞かせて問題の先送りをしていた。

 この世界の結婚適齢期は十八歳頃からなので、既にローズは足を踏み入れているのにも関わらずそう考えているのは親バカのなせる業だろう。

 実際は育て方全て間違っていたのだが、それには気付いていなかった。


 『ふふっ、ローズのテーブルマナーが酷いのは、ゲームイベントで有ったから知っていたのよね~。思った通り伯爵の前でもそのままだったのね』


 現ローズは伯爵の自身の娘の成長振りに感動している様を見て心の中でほくそ笑んだ。

 何故ローズの中の人である野江 水流が、周囲が感心するレベルのテーブルマナーを扱えるのか。

 それは、彼女の夢である『いつか白馬の王子様が迎えに来てくれる』を信じ切っていた為に、いつ迎えが来ても良いように古今東西のあらゆる貴族のマナーを習得していたからである。

 軽めの朝食程度で使用するマナーなど頭で考えるまでも無くまるで自動モードの様に体に染みついていた。

 周囲から無駄だと笑われる事も有ったが、現在それが見事に役に立っている。

 人生分からない物だ。


 『しかし、これは好都合だわ。ただ単に『心を入れ替えた』なんて急に周りに言っても、頭の病気とか別人と入れ替わりなんて怪しまれちゃう。だけど、父親がきな臭い噂が立っている任地に出立する朝に今までを改めるなんて決意表明をしたって事なら、立ち振る舞いが大きく変わっても感心されることは有っても疑われることなんてまずないわよね』


 ローズはずっと人格が変わったのをどう辻褄を合わせようかと悩んでいた。

 そこに伯爵との食事と言うゲーム外イベントが発生したのである。

 この三日間、ゲーム内のローズの行いの数々に対して主人公視点から憎しみを持って何度も見せられていた為に、恐らく元のローズ以上にローズの立ち振る舞いに関して詳しくなっていた。

 そこで、伯爵との食事が役に立つのではないかと考えたのである。

 

 1.完璧なテーブルマナーを見せる。

 2.周囲は驚き、事情を聴いてくる。

 3.そこで、父親に安心させる為、自身を変える事を決意したと表明する。


 これには、自身が変わった事を自然に周囲へ知らしめるだけでなく、幾つかの複合効果が含まれる事も想定していた。

 一つは、父親が自分に対しての興味を更に強めると言う効果。

 成長した娘に早く会いたいと思わせ、任期を切り上げさせることを期待している。

 これはすぐに効果を現れている様だった。

 伯爵の感動に打ち震えている様でも分かる。

 もう一つは、周囲の自身に対する好感度上昇率のバフ効果。

 要するに、不良が気まぐれで捨てられている猫を可愛がっただけで、実は良い奴?と周囲が勝手に思い込むアレである。

 今までの悪評すら何故か『実は理由があったんじゃ?』と勘違いさせる程のバフ効果が発生するのだ。

 これに関しても、周囲の使用人の顔から既に効果抜群なのが見て取れた。

 驚愕の表情をしていた使用人の顔が、徐々に感心から感動に移行しているのが分かった。

 伯爵の後ろに控えている執事長など必死に涙を堪えてプルプルしている。


「お父様? この度赴かれます砦は、近頃色々ときな臭い噂のある土地。どうかいついかなる時もご用心なされますように。そして、無事に戻って来られます事を毎日神様にお祈りいたします」


「あぁ、分かった。しかし、私の任地の事まで調べておるとは、本当に成長したのだな」


 今までのローズは、父親の事が好きだったが、貴族としての仕事の内容など一切興味が無かった。

 この様な忠告的なアドバイスは元より、心配する素振りも見せなかったのだ。

 親バカな伯爵は自身の娘が貴族としての自覚をやっと持ってくれたと単純に感動している。


 『これで少しは、警戒してくれるとは思うけど……、正直まだまだ不安だわ。強制イベントを回避するには全然足りない。確か伯爵は左胸を弓で射られて、それが元で亡くなった。鎧を着ていなかった所為ってセリフも有ったけど……、このゲームって鎧着ている騎士キャラがイベントでも出て来ないのよね。文明的に貴族や騎士が鎧を着ていた様な時代ではないのかも。なら鎧を着ろとは言えないか。う~ん』


 ローズはテーブルマナーを自動モードで口の中に料理を運びながら、頭の中では頭脳をフル回転で強制イベントを回避する方法を考えていた。


 『今この場であれこれ言っても始まらないのは分かっている。強制イベントが発生する赤草の月より前に任期が終わる様に色々とこちらから働き掛ける必要が有るわ。けど、強制イベントを回避出来るかどうか……。射られる箇所は分かっているんだし、直撃さえ避けれたら何とかならないかしら? そうだ!』


 ローズは、テーブルの上に並べられた食器の中で有るものに目を付けた。

 それは日の光を反射して輝いている銀製の小さな皿。

 思いの外肉厚なので強度は有りそうだった。

 ローズはその皿を取り上げ、そっと口付けをした。

 周囲は突然のローズの行動に首を傾げている。


「お父様、今私はこのお皿に願いを込めました。このお皿を私と思って肌身離さず持って居て下さいませんか? 出来ればお父様の鼓動をいつも聞いていられるように左胸のポケットに入れて頂けると嬉しゅうございます」


 その言葉に皆が感動した。

 離れたくないと言う気持ちを、せめて我が身の分身として思いを込めた物を渡す事によって健気にも耐える。

 そう捉えたからだ。

 『なぜ食器を?』なんて言う疑問は、この場の皆の頭の中には湧かなかった。

 何故ならば、これは幸運なる偶然なのだが、実はその食器は元ローズのお気に入りで、これに関する主人公叱咤イベントが後に発生するのだが、ゲーム中は皿の画像は出てこなかった為、現ローズはその事を知らない。

 しかし、使用人ならばこの事は周知の事実である。

 お気に入りの食器をお守りとして贈る。

 好感度上昇バフ効果のお陰も相まって もうそれはそれは大変な感動の嵐が使用人の心の中で吹き荒れ、所々から嗚咽まで聞こえてきた。

 執事長などもう号泣だ。

 事情を知らない現ローズは、『皆大袈裟ね』程度にしか考えていなかった。


「分かったぞ、ローズよ。このお前がお気に入りとしている銀の皿を、お前と思って何時如何なる時も肌身離さず持っておこうぞ。いやそれだけだと落とすと大変だ。おい誰か、私の隊服の裏地に縫い付けてくれまいか?」


 そう使用人に声を掛けた。

 メイドの一人がローズに駆け寄り、恭しく皿を受け取ると部屋から出て行った。

 伯爵の命令通り、皿を縫い付けに行ったのだろう。


 『ん? いま気になる事を言ったわね? ローズのお気に入りの皿? どっかで聞いた事が有った様な……。まっ良いわ。これで助かる可能性が少し上がったと思う。今出来るのはここまでかしら。これ以上はゲーム外の情報を色々調べなくちゃ無理ね』


 そう思い、ローズは自動モードにしていたテーブルマナーを解除して憧れの貴族の朝食を堪能した。

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