38.血に染まった後




 サンの胴に向け斬撃を放った夜人。


「――っ」


 自分の身を犠牲にした捨て身の攻撃。昨夜、かえでの無茶苦茶な戦い方を見ていなかったら、この土壇場でそれを行うことは決断しなかったかもしれない。

 

 紅血の刀は、深々とサンの身を斬り裂いた。

 たった今夜人が受けた斬撃と違い、明らかに内臓まで届いた深さ。サンの表情から笑みがこぼれ落ちて、その血のように赤い瞳が限界まで見開かれる。


 無慈悲に身を引き裂かれたサンはよろけたように一歩後ろに退がって、自分の胴体に刻まれた傷を、信じられないものを見るような目で見下ろす。


「……――はっ、ははっ、ははははっ、ここに来て血のり方を身につけるか。良いセンスしてるよ、まったく。……はははっ、か、は、ぁ゛」


 目を見開いたまま、真顔で笑いをこぼして、サンは口から血の塊を吐き出した。


「が、げ、げほ、ぁ゛ぁ」


 サンは口元を手で押さえるが、指の隙間から大量の血が漏れてくる。何とかそれを押しとどめようとするのだが、それは意味のないことだった。


 そんなサンを見つめながら、夜人は紅血の刃をサンの首元に添える。


「正直さ、色んな事が一気に起こり過ぎて、お前がここを襲撃した首謀者って分かってても、それを呑み込みきれてないんだ」


「ふ、ふふ、はは……っ」


 サンは喉の奥から込み上げる血を手で受け止めながら、かすんだ瞳で夜人を見上げる。


「だからイマイチお前を恨み切れない」


「へぇ、それで?」


「……殺すのに抵抗がある」


「な、ならさ、別に捕縛してくれてもいいんだよ? ……最初はそのつもりだったんでしょ、ほら、今ならボクを簡単に縛れる」


 確かにそのとおりだ。

 サンが作り出したあの三十メートルを超す血の大剣は、サンが深い傷を負ったせいか既に消えている。

 今ならサンを拘束するのは難しくないだろう。


 つい先ほどまでその大剣を受け止めていた白夜は、上空に浮かんだ血のプレートの上で、静かに夜人とサンのことを見下ろしていた。夜人の判断を見守るように。


「……でも、殺す。お前はここで殺しておかないとダメな気がする」


「ふふ、あはは、そう……かい。良い判断だ。実際その通りだと、思うよ……」


 サンはたどたどしい口調で、時折せき込んで血を吐き出しながらそう言った。


 夜人はそんなサンを見て、複雑な感情を抱きながらも無表情を保って、サンの首を斬り飛ばすために刀を振りかぶった。


「――じゃあな、サン」


 


「けどさぁ、ヨルト。そこでキミが油断するのはいけないと思うよ。ヒトのこと言えないよねー」



 サンが口を覆っていた手を離し、血塗れになった口元に薄い笑みを湛える。



「夜人、後ろっ!」


 白夜の焦った声が上空から聞こえると同時、その場に突風が吹く。質量を持ったものが高速で移動することで生まれる風圧。

 そんな風が夜人の背後で二つ・・生まれ、その刹那、金属と金属が激突し合う音が鳴り響いた。


「――っっ!?」


 激突音は、夜人の首筋付近で震えた。


 首だけで振り返って確認すると、血で出来たロングナイフが夜人の首に向けられており、あと数ミリで直撃するという位置で、白夜の血の刀に受け止められて静止していた。


「ごめん夜人、油断してた……っ」


 白夜の焦った声。

 

 タッと地面を蹴る音がして、夜人の背後にあった一つの気配が遠ざかる。

 血のロングナイフを逆手に構えたその人物は、サンの隣に並ぶと、呆れきったような疲労感の籠る声を上げた。


「はぁ、全くサンは馬鹿なのですか。勝手に居なくなったと思って探しに来たら、どうしてこんな所で殺されかけていたのか、教えていただけます?」


「ふふ、ふふっ、あははははっ、いいとこに来たねルージュ。別に心配なんてしなくていいのに、今回は君の心配性が役に立ったみたいだ」


 そんなサンの気楽な発言に、頭痛がするようにこめかみを押さえている一人の女性。

 夜人よりも背が高く、スラリとした細身の女性だ。

 瞳も腰まで届く髪も鮮血の如く目の覚めるような明るい赤色。まつ毛が長く、ハッキリとした顔立ちの女性だった。

 どことなく男らしさも感じさせるその端正な面差しを呆れの色に染め、彼女は横目で弱々しく息を吐き出しているサンを見る。そして、今度はゆっくりと夜人と白夜に鮮血色の瞳を向けた。


「すみません、申し遅れました。私の名前はルージュ。吸血鬼ヴァンパイアの一人で、僭越ながら“陽の目を見る者ディフレンター”です。余裕があれば覚えていただけると光栄です」


 ルージュと名乗った女性は優雅に一礼する。


「うちのサンが迷惑をかけたようで大変恐れ入ります」


「やだなぁルージュ、ボクも子供じゃないんだから」


「だったら無駄な心配をかけさせないでください」


 ルージュが悩まし気に吐息した。


「さて、それではサン。早く帰りますよ。既に魔道騎士団が到着していて、何人かがこちらに向かっています」


「それはいけないね、アイツらに気取られるには少し時期が早い」


「だから派手な行動は慎むように申し上げましたのに」


「しょうがないじゃん。せっかく面白いヤツに会っちゃったんだから。ねぇ、ルージュ、彼らって二人共も半吸血鬼ダンピールなんだって。びっくりだよね」


「ええ、そのようですね」


「あれ、気付いてた?」


「少し考えれば分かります」


 夜人と白夜がいるにもかかわらず、軽い調子で言葉を交わすサンとルージュ。

 それを見て、夜人は動揺していた。


「おい、待てよ。逃げる気かっ?」


「えぇ、そのつもりです。あと、間違っていたら申し訳ないですが、貴方たちを異端者等(ヘレティクス)の者と見なした上で通告させていただきます。――私たちは止まるつもりはありません。ですので、私たちの邪魔をするなら、相応のお覚悟を」


 そしてルージュはもう一度丁寧で優雅な礼をしてから、サンに視線を送る。

 その視線に応えるように頷いたサンは、「じゃあ、またね」と薄く夜人と白夜に笑いかけ、背中を向けた。


「それでは、大変失礼いたしました」


 そう言って、ルージュもまたサンの隣に並び、夜人たちに背を向ける。

 吸血鬼ヴァンパイアの二人は、散歩でもしているかのようなゆったりとした足取りでその場から離れていく。


「おい待て!!」


 夜人は咄嗟に叫ぶ。夜人を中心にして魔力の渦がうねり、周囲に散った血液が彼の叫びに応えるように宙に浮かび上がった。


「いや、夜人。いい」


 そんな夜人の肩に手を置いて、宥めるような声を発したのは白夜だった。


「おい白夜、いいのかよ!?」


「仕方ない」

 

 白夜はその感情が読みづらい平坦な表情を僅かに歪め、呟くようにそう言った。


「今ここでアイツらとまた戦うのはリスクが大きい。魔道騎士団が近付いているのも事実。僕たちも、まだ人間に露見しちゃいけない。それに、アイツは強い」


 白夜は遠ざかって行くルージュの背中を見つめながら言う。


「僕たちも消耗してる。戦えばタダじゃすまなかった」


「っッ……」


 夜人は唇を噛み締め、紅血の刀の柄を握りしめる。

 あのサンという少年を生かしておくことに言いようのない不安を覚える。ここでアイツを殺しておかなかったことを、後で酷く後悔するような、嫌な予感。


 妙な同情なんかせずに、すぐに殺しておくべきだった。


 だが、そんなことを後悔してももう遅い。気付けば、サンとルージュの姿はどこにもいなくなっていた。

 夜人の視界からこんな短時間で消えることなど不可能なはずだが、何をしたのだろうか。本当に得体が知れない。


「さぁ、夜人。僕たちも行こう。ヒトが来ちゃうから」


「……あぁ」


 やりきれない思いを抱えたまま、夜人は白夜の言葉に応えたのだった。




 こうして、吸血鬼ヴァンパイア半吸血鬼ダンピールの邂逅と血濡れの戦いは人知れず終わりを告げた。

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