36.ダンピールとディフレンターⅡ




「――――」



「ん――?」


 

 激痛のあまり朦朧とする意識の中で、夜人はその光景を捉えていた。


 突如として現れた黒い影。正確に言えば黒い布を纏った何者かが、流れるような蹴りをサンの顔面に叩き込んだのだ。

 サンは何が起こったかよく分かっていないという表情のまま、蹴りに抵抗する間もなく吹き飛ばされ、低空を滑るようにしながら離れた位置にある建物の壁に激突したようだった。

 そのままサンの身体は壁を貫通して、幾つかの破壊音や何かが倒壊する音が遠くから聞こえてくる。


 一体何が起こったのだろうか。


 夜人は歯を喰いしばって、何とか痛みを堪えながら、その場に立ち上がろうとする。

 だが、ぐらりと身体が大きくフラついて、またうずくまるように地面に倒れ込んだ。


「っぅぐ……っ!」


「……無理に動かない方がいい。今、応急の処置をする」


 頭上から、そんな声が聞こえた。

 透き通るような中性的な声だ。


 その人物は、夜人の肘から先が切断された左腕をそっと持ち上げるようにすると、何か紐のようなもので腕をきつく縛って止血をした。

 続けて、何やらブツブツと呟く声が聞こえたが、意識がハッキリしていない上に小さな声だったため、なんと言ったかは聞き取れなかった。

 

 しかし、その声が途絶えたと思ったら、左腕を襲っていた焼け付くような激痛がウソのように引いていったのだ。 

 スッと痛みが消え、頭の中がクリアになる。


「……!」


 そこで夜人はハッとして、顔を上げた。

 その時、正面で軽く屈んでいた人物と目が合う。それは夜人と同年代くらいの少年だった。


 一切他の色素が混じっていない純白の髪。それに準ずるような透明感のある白磁の肌。限界まで薄くしたような薄紅色の瞳。身体付きは華奢で、しっかりと食べているのか心配になるほどだ。

 だけど顔立ちは驚くほど整っていた。スッと通った鼻梁と形の良い眉。どこか退屈そうに細められている瞳はよく見ればパッチリとした二重で、全体的に中性的な印象を与えるその顔のつくりは何故だか儚さを感じさせた。


 そんな一見少女のようにも見える少年が、心配そうに夜人のことを覗き込んでいた。


「痛みを遮断した。傷はまだ癒してないから注意して」


「あ、あぁ……」


 戸惑い交じりに頷いて、夜人はフラつきながらも何とか立ち上がる。


 左腕に目をやると、少年の言葉の通りに痛みが消えたが治った訳ではないようで、肘から先にはまだ肉と骨が露わになった断面が見えていた。

 だが、傷口の付近を紐できつく縛っているお陰で、流血はほとんど止まっていた。


 そこで夜人は、止血をしている紐が、血で造られたものであることに気が付く。見た目はどう見ても血液なのに、質感は本物の紐のようであった。

 これによく似た技術を、夜人はほんのついさっきこの場で見た。


(まさか、こいつ……)


 突如として現れた謎の少年。黒い外套コートを羽織っているものの、フードは脱いでおり、それなのに降り注ぐ陽光を全く気にしていない。いや、眩しくはあるのか、少し煩わしそうに眼を細めていた。


 その少年は不意に夜人から視線を外して、サンが吹き飛んで言った方向をジッと見やる。そしてまた夜人に視線を戻した。


「夜人、まずこれを飲んで」


「俺の名前……、知ってるのか?」


「うん、聞いた」


 コクリと頷いて、少年は外套コートの胸ポケットから血液が詰まった瓶を取り出し、夜人に手渡した。


(……誰から聞いたんだ?)


 夜人は言葉足らずな少年の言葉に疑問を覚えたが、あまり悠長にしていられないことに気付き、栓を開けると瓶の飲み口を唇に触れさせた。


「……っ」


 血液が流れて、舌に触れた瞬間、夜人は全身が痺れるような錯覚をした。続いて、喉を通り抜けて血が体内に流れ落ちる。

 身体に染み渡るようだった。いつまでも飲んでいられそうだ。冗談ではなく生き返ったような感じがする。

 血に触れる舌は、今までにないくらいの美味だと歓喜して、口内で芳醇な香りが広がっている。ずっと血液を欲していた身体が歓声を上げて、同時に活力があふれた。

 血を飲まずに時間が経ち、知らずの内にだんだんと落ちていたチカラが元に戻ったことを確信する。


 前回に血を飲んだ時は記憶が飛んで、どんな感じだったのか不明になったが、今回は違う。

 夜人はしっかりと意識を保って、血液という飲み物・・・の素晴らしさを身体の芯に叩き込まれながら、一息に瓶の中にあった血を全て飲み干した。


「はぁ……っ、はぁ……っ。……ふぅぅ、はぁ」


 夜人は大きく呼吸して息を整え、瓶を持ったまま少年の方を見る。


「その……助かった。ありがとう」


「いや、それが僕のやることだから」


「あぁ、そうか……。それじゃあ、名前聞いてもいいか?」


「……白夜はくや。それが僕の名前」


 少年――白夜はそう言うと、ピクリと肩を震わせて、視線を横にずらした。


「……来る」


 白夜が呟いた瞬間、風圧がその場に駆け抜け、夜人のすぐ側でギィィンッと金属同士が派手にぶつかり合う音が鳴り響いた。


「あーあーっ、うざったいうざったい、うざったい。良い所だったのにさぁっ、邪魔しないでほしかったな……。ていうか、誰なのかな、キミは」


 衣服のあちこちが破れ、全身に埃を被ったサンが、紅血の剣を振り下ろした状態で、歪んだ笑みを浮かべていた。

 そんなサンの剣を真っ向から受け止めているのは、白夜だった。彼もまた紅血の刀を目先で水平に構え、振り下ろされたサンの刃を防いでいる。


「お前がサン?」


 サンと鍔迫り合いを続ける白夜が、落ち着いた声でそう問いかけた。


「あぁっ、そうだけど? キミは誰? ねぇ、誰だよ。ボクがちゃんと答えたんだからさぁ、キミも答えてくれると嬉しいなぁ。ボクが先に質問したんだよ? 礼儀ってものを知らないのかな?」


 明らかに苛ついた声で、サンが血剣に力を込めながら言う。

 一瞬押し切られそうになったが、すぐに持ち直して剣を刀で押し返しながら白夜が返答をした。


「僕は白夜」


「へぇ、ハクヤかー。なんかさぁ、キミも吸血鬼ヴァンパイアの血を持ってるみたいだけど、陽を浴びても平気みたいじゃん」


「それが?」


 白夜が小さく首を傾げて、弾かれたように大きく後ろに退がった。


 サンと白夜が一定の距離を置いて、向かい合う。


「キミはどっち・・・なのかな? 普通に考えたらディフレンターだろうけどさ、たった今、とても珍しい例外を見たばかりなんだよ。まさか、キミも半吸血鬼ダンピールって言うつもりじゃないよね?」


「あぁ、なるほど」


 白夜が何かに納得したように頷いて、側にいる夜人をチラリと見た。


「そうだ。僕は半吸血鬼ダンピールだよ」


「っ!?」


(こいつも……、半吸血鬼ダンピールなのか?)


 夜人は白夜をまじまじと見る。

 先ほど、サンから半吸血鬼ダンピールが禁忌の存在だと聞かされて、それを鵜呑みにし、どこかで諦めていた。

 もう自分と同じ存在はいないんじゃないか、と。


 しかし、ここにいる白夜という少年は、自らを半吸血鬼ダンピールだと称した。


「お前のことは捕縛するか、殺せって言われてる。だから、覚悟して」


「ボクを捕まえる? あぁそうか。キミはヨルトと違って色々把握してそうだね。もしかして“ヘレティクス”の一員かい?」


「……うん」


 小さく頷く白夜。それを見て、サンはやけに大げさに笑い声を上げた。


「くくっ、はは、あははははっ!! なるどねぇ。アイツら、半吸血鬼ダンピールを使い始めたんだ。理解したよ、だからヨルトを助けに来たのか。ははっ、ははははっ! ……バカじゃないのか?」


 ふと笑みを閉ざして、嫌悪や不快の感情を表情に見せるサン。


「……なぜ?」


「バカに決まってるだろッ! 本当にキミたちにはプライドってもんがないみたいだ。人間たちと仲良くなりたいがために、禁忌まで犯すか。あぁ、情けない。情けないよ。嘆かわしい。同じ吸血鬼ヴァンパイアの一人として、とても残念だな。そして、恥ずかしい」


 この言い方。

 つまり、サンが先ほど口にした“ヘレティクス”と言うのは、再び人間との共存を望んでいるという吸血鬼ヴァンパイアたちの集まりを指す名称だろうか。

 そして、この少年、白夜はその集まりの中の一人という訳だ。

 

「お前がそう思ってたとしても、僕たちには関係ない」


 白夜は滔々と返して、夜人に意味のある視線を向ける。


 夜人は今、左腕を失い。慣れない感覚に襲われ、立っていることにさえ違和感を覚えている状況だった。

 しかし、白夜のお陰で痛みはなく、血を飲んだことで身体には活力が戻っている。


 夜人は白夜の言わんとすることを理解し、頷いた。



「……元々、説得できるとは思ってない。相容れない。だから分裂したらしいし」


「そうだったね。予想外なことが起こり過ぎて、ちょっと興奮してたよ。勘違いしないでね、ボクもキミたちにボクらの価値観を押し付けるつもりはないんだ」


 「……たださ」と、言葉を継いで、サンが剣の柄を握る手に力を込める。


「どうしようもなく苛ついたからさ。ちょっと、ボクの運動に付き合ってくれない?」


「――あぁ、やってやるよっ」


 夜人が叫んで、右手で握った黒刀でサンに向かって振り下ろす。

 左腕がないせいでバランスが取りづらく、いつもよりずっと不格好な剣技だったが、先ほどよりも遥かに速く、力強かった。血を飲むだけでここまで変わる。夜人は改めて、自分の身体には吸血鬼ヴァンパイアの血が流れている事実を実感した。


「っ!」

 

 サンが驚きに目を見張って、刀を躱そうと背後に跳んだ。が、その前に剣先が、サンの胸部を切り裂き、血飛沫が散った。


 サンは地面に足を着き、斜めに走った傷口を見下ろした後、感心したように夜人を見やった。


「あぁ、血を飲んだんだね。随分と変わるもんだ、すごいすごい」


「……未だによく分かんねぇんだけどさ」


 夜人は刀の切っ先をサンの喉元に差し向けながら、複雑そうな表情で口を開く。


「要するにてめぇは、人間たちに復讐がしたくて、俺や俺の周りにいるみんなを殺すんだろ? 俺は人間と吸血鬼ヴァンパイアの間に何があったのか詳しく知ってるわけじゃないし、むしろ何も知らないんだろうけど……。お生憎、それをみすみすと見逃すわけにはいかないんだよ」


「夜人、大丈夫そうだね」


 そんな夜人の右隣に白夜が並んで、左手で握った紅血の刀をサンに真っ直ぐと向けた。 


 夜人は昨夜、変態な後輩のかえでと血みどろの勝負を繰り広げたことを思い返す。

 夜人は今まで、“ヒト”という生き物を殺したことがない。魔道戦士ブレイバーの卵と言えど、ここまで普通に暮らしてきた者ならば、そんな経験なんて無いのが普通だろう。


 だからヒトに攻撃をする時、急所を狙えない。自分の手でヒトの命を奪うことに、先の見えない暗闇を覗く時のような、未知に対する恐怖を覚えるのだ。そのことを、かえでとの戦いで気付かされた。


 しかしながら、ここでこのサンという少年を取り逃がせば、後に夜人にとって嫌なことが起こることは間違いない。

 夜人はもう、サンと関わってしまったのだから。


 だとしたら、ここは覚悟を決める場面だ。

 自分のために、利己のため、本気でヒトを殺す覚悟。



「夜人、やることは分かってる?」


「あぁ、白夜。アイツ――サンをとっ捕まえるか、それが無理なら、殺せばいいだろ?」


「そう。じゃあ、行くよー―」


 夜人と白夜が一瞬互いの視線を交わし合い、左側と右側から、それぞれ右手と左手で刀を構えて、サンに迫る。


 サンは歪んだ微笑みを湛えて、それを迎え撃つ。



 刀と剣が交差して、火花が散った。

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