35.ダンピールとディフレンターⅠ
「あ、コレが気になる?」
サンが手に持って、だらりと剣先を下げている血の剣に夜人が注目していると、サンが悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
初めて見る技術だ。一見、魔法を使っているように思えるが、少しも魔力の気配を感じない。
未知の技術だ。十分に警戒しなければならない。
夜人が刀を強く握りしめ、守りの体勢を取る。
「まぁ、それだけ
武器を構えた夜人が目の前にいると言うのに、サンは脱力した姿勢で滔々と語り続ける。
「
血の剣を軽く持ち上げて、サンが何気なくその剣先を眺めた。
「ちょうど今、キミが使っている“
「あと、こういう技もある」と、サンが血の剣をおもむろに持ち上げ、軽く振った。
ドロリと血剣の先が液状化して、一つの小さな血塊が分離して宙に浮く。それらの血塊は小さな刃の形を取ると、夜人に向かって射出された。
「っ!」
夜人は咄嗟に飛来した血の刃を弾こうと刀を振った。だが、刀と接触する直前、血の刃は軌道を変えて、夜人の首元を狙う。
「――《
夜人が叫び、それに呼応するように横殴りの風が吹きつけた。血刃はその突風に押され、首元スレスレを過ぎていく。
その際、首の薄皮が数ミリ切れて、少し血が流れた。
「……っ!」
夜人は横目に血刃が遠くに飛んで行ったことを確認して、正面で笑っているサンに視線を戻した。
「すごいでしょ?」
サンが首を傾ける。
「まぁ、
「……どういうつもりだ」
夜人は、わざわざ手の内を明かすようなサンの行動の意味が分からず、溜まらずそう言った。
「え? なにが?」
「お前は……っ、俺のことを殺したいんだろっ? なら、俺だってお前のことを殺すつもりで抵抗する。じゃあ何で、わざわざ俺に手の内を見せるんだよ……っ」
「あぁ、なるほど。いや、別に変なつもりはないよ? 単純にヨルトに見せてあげたくなっただけさ。ほら、がっつり戦闘が始まっちゃったら、説明する暇もないだろうし……。うーん、でも、そうだな。それが納得できないって言うんなら、理由をつけようか?」
そう言って、サンは一瞬考え込むような仕草を取ると、「あっ」と呟いて、夜人を見た。
「だって、不公平じゃん。ボクはヨルトが魔法や
それを聞いた夜人は、顔をしかめる。調子の良い事を言う目の前の相手に、不快が募った。
ふとした瞬間に忘れそうになるが、この少年は大量の
「……いきなり学園を襲撃してくるようなヤツが、不公平を語るのか?」
すると、サンは驚いたように目を見張って、一瞬固まる。そして、肩をふるふると震わせながら笑い声を上げた。
「あはっ、あは、あははははははっ!! ふふっ、ふふふ、あぁ、確かにその通りだね! その通りさ! ボクは不公平かどうかなんて微塵も気にしない。どんな手を使っても、人間たちに復讐をするつもりでいる。でもヨルト、キミはいいねぇー、面白い。あぁ、ここで殺すのは惜しいかも。惜しいなぁ。ほんとに惜しいなぁ。キミの中に人間の血が通ってなかったら、本当に仲間になって欲しかった。あぁ、惜しいなぁ。ふふっ」
くすくすと笑うサン。
「でもダメだね。ダメだ。だめダメ駄目。だめだめだめだめだめだめ。キミの半分は人間だからさぁ。……やっぱり殺さないと。……だめだよー―」
不意にサンが顔を俯かせて、ブツブツと何かを呟く。しかし、それはとても小さな声で、夜人には彼が何と言ったか聞き取れなかった。
ピクリと、サンが血の剣を握っている手が震える。段々とその度合いは大きくなって、腕がブルブルと発作でも起きたように不気味に振動し始めた。
「――――ッ」
ふと、何の前触れもなく、サンが夜人に肉迫して、血の剣を振り下ろした。恐ろしいスピード。だが、先に一度、サンの速さを体感していた夜人は、何とかギリギリのところで反応することが出来た。
黒刀で血剣を受け止める。
キィンッと金属同士がぶつかり合ったような音が鳴り響き、力の余波が伝わって夜人は思わず一歩後ずさった。
だが、何とか踏ん張ってサンの剣を押し返す。が、さらに力が加えられ、夜人は苦しい表情を浮かべた。
(やばい――っ)
少しの間の鍔迫り合いの後、押し切られると判断した夜人はパッと剣を引いて後ろに退がった。
「――あははっ、よく反応したねっ?」
サンは後退した夜人に張り付くように前進し、連続で剣を振る。
技術も
異常な程の反射速度と身体能力を持つサンにとって、剣の技など不要なのだ。意味のない事。ただ相手を殺そうと、思うままに剣を振ればそれで事足りるのだから。
「――っっぅ!」
刀と剣がぶつかり合う音と衝撃が連続して響く。秒の間に数十を超す応酬が交わされる。文字通り目にもとまらぬ剣戟。
「あは、ふふっ、はははっ」
何が可笑しいのか、サンが笑い声を上げる。
つまり、笑いを上げるだけの余裕があるということ。
サンが剣を振るう度に、少しずつ夜人が後退していく。そうせざるを得ない。サンが繰り出す怒涛の剣撃に、何もすることが出来ない。守りに徹しても、一切気を抜くことが出来ない。
だがしかし、このままだと何も好転しない。そう思って、夜人が反撃の初動を起こすと、頬に強い痛みが走った。
「っ!」
頬の一部がパックリと綺麗に裂けて、だらりと血が流れだす。
(やっぱ無理だ……っ! くそっ、身体が付いて行かねぇっ)
サンの実力が自分より高みにあると判断して、夜人の中に微かな動揺が生まれる。
――紅血の剣が数度瞬いた。
その刹那、夜人の身体のあちこちに鋭い熱が生まれた。二の腕と肩口、腹の横と、太腿の近くにスッパリと赤い線が刻まれて、そこから血が噴き出す。
「っ! ――《
出し惜しみすれば終わると判断し、魔力の消費量は考えず、なりふり構わず魔法を発動させた。魔法を構成する上で、本来調節が必要な過程を、膨大な魔力を注いで強引に乗り越える。
バヂッと夜人を基点に弾けるように紫電が走り、周囲一帯が電流の荒波で包まれた。
「……っ」
「ふーむ。何だか苦しそうだね」
瞬きの合間に電撃の効果範囲外にまで後退したサンが、胸を押さえて荒い呼吸を繰り返している夜人を見て、首を傾げた。
そして、何かに思い当たったように、「あぁ」と頷いた。
「もしかして、血が足りてないのかな……?」
「っ!!」
「図星かぁ。なるほど、どういう訳かはしらないけど、キミは満足に血を飲めていないんだ。しかし、それでここまで動けるんだね。いくら
「ちっ!」
夜人は舌打ちを漏らして、今度は自分から仕掛けに行く。地を数度蹴って、サンを間合いに捉えると、斬り上げるように刀を動かす。
サンはそれを軽く上体を逸らすことで躱して見せた。
だがもちろん夜人の攻撃はまだ終わらない。
躱されたその瞬間に刀を切り返して、速度を重視した連撃を放つ。だがその一つ一つを、サンは手にした血刀も使わずに易々と躱していく。それどころか、口を開く余裕まであるようだった。
「ねぇ、ヨルト。最後に血を飲んだのはいつ? その時どれくらい飲んだの? 一昨日? 三日くらい前? 人間一人分くらいかなぁ。あぁ、せっかくなら万全のキミと戦ってみたかったな。残念だ。すごく残念」
「あぁ! くそ!」
嘗められている。夜人は額に汗を浮かせ、呼吸をする間も惜しんで刀を振り続ける。が、まるで当たる気がしない。
上空で燦々と輝いている太陽が鬱陶しい。本当に邪魔だ。
容赦なく降り注ぐ陽光に当たる時間が増えるに連れ、夜人は自分の身体から力が抜けていくのを感じていた。
そして、それに合わせて渇きが、飢えがどんどん大きくなっていく。
――血が足りない。
今も傷口から血が流れているせいで、血が足りないという意味ではない。
夜人は今、自分の口から、誰かの血を飲み込みたくて仕方がなかった。身体が血を欲している。血が足りないと叫んでいる。吸血をしないとダメだと。
二週間以上前、ティーナが夜人の前に現れた時以来、夜人は一度も血を口にしていない。
その日から、日に日に吸血の欲求が高まっていることを夜人は感じていたが、必死にそれを押さえてきた。
昨日、かえでと血を流す戦闘を行ってからは、血が飲みたくて飲みたくて、もう頭が狂いそうだったが、何とか理性で堪えていたのだ。
だって、今までは大丈夫だったのだ。自分が
夜人が何故そんなことをするのか。
正直に言えば、血を飲むという行為に抵抗があったのだ。
別に吸血鬼の生き方を否定するわけじゃない。だけど、ほんの少し前までは夜人は“人間”だったのだ。これは感情の問題。頭で考えてどうにかできる事じゃない。
だが夜人は、そんな風に吸血を避け続けてきたことを、今になって後悔していた。
もし、そのせいで、夜人がここでサンに殺されてしまえば、何の意味もない。
何の意味もないのだ。
夜人がここで死んで、それを小夏やティーナ、夜人の家族が知ったら、どう思うだろうか。
――そんなこと、考えたくもない。
「あぁ、悪いねヨルト。ボクは血の保存瓶なんかは持ち歩かない主義なんだ。というより、保存された血の味がどうも嫌いなんだよ。持ってたらキミに渡してもよかったんだけど、持ってないんだからしょーがない」
「……ッ!?」
その時、夜人が全力で振り下ろした刀がピタリと停止した。
サンが片手で刀の先を摘まむように受け止めたのだ。夜人は刀に力を込めるが、少しも動かない。押すようにしても、引こうとしても、まるで動く気配がしなかった。
(ウソだろ……っ!?)
この少年は本当に
「これ以上続けても、意味はなさそうだね」
淡々とそう言って、サンはパッと夜人の刀から手を離す。
「っ……」
引き抜こうと力を込め続けていた夜人は、その拍子に数歩後ずさってしまい、バランスを崩す。
その瞬間、視界の端でサンが構えた紅血剣がブレて、左腕に燃え盛るような熱が弾けた。同時、左の腕が軽くなり、異様な喪失感を得る。
「―――――ぁ」
ゆっくりと夜人が自分の左腕に視線を向ける。
――左腕の肘から先が無くなっていた。
「っっっ!!?」
スッパリとキレイな断面の肉と骨が露わになっている。ハッとサンの方を見ると、彼の手元には“左腕”があった。
「ほら、綺麗に取れたよ? ヨルトの腕」
サンは自慢でもするように“腕”を掲げ、パッと手を離す。腕はサンの足元に転がって、生々しい音を立てた。
「……ぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
気付いた時、夜人は地面に両膝を着き、刀を手放して右手で左腕の断面を押さえていた。おびただしい量の血液が、ドクドクと断面から流れ出ている。
「さて、次は脚かな。それとも早く楽にして欲しい? ヨルトは半分人間だけど、もう半分は
サンは膝を抱えるようにしてしゃがみ込んで、うずくまる夜人に顔を近づけた。
「ほら、ねぇ、ねぇ、呻いてないで選んでよ。どっち? どっちがいいのさ?」
悪戯っ子のような笑顔でそう問いかけるサン。
「――――」
その時、サンと夜人の上空を何か黒い影が横切った。
そして――――。
「え――?」
風を切る音。
黒い影が放った蹴りをモロに受け、サンは吹き飛ばされる。
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