32.春風凛Ⅰ
「――っぅ!」
紙一重の距離をエネルギーの塊が通り過ぎて、凜の髪を舞い上げる。
回避のために逸らした上体を起こし、地面を蹴って化け物に接近する。そんな凛を見て、化け物はまた掌からエネルギー塊を放つ。
ノータイムで放っているにも関わらず、無視できない威力。まともに喰らえば終わりだろう。
凜は横に跳んでソレを躱す。――が、その躱した先にまたエネルギー塊が飛んできた。しかも数は一つじゃなく。同じものが三つ、凜の行く手を阻むように飛来したのだ。
――近づけない。
「あぁもうウザったいわね!」
やむなく後ろに退がって、剣先を離れた距離にいる化け物に向ける。
「――《
拳大の炎塊が、ボッと空気を焼く音を立て空中に生まれる。それを皮切りに、空気を焼く音が連続して無数に響く。
計として五十を超える火炎の弾幕が、瞬きの間に生成された。その一つ一つが、しっかりとした威力を保っている。
彼女の優秀さを物語る光景である。
だが、そんな彼女であっても、視線の先にいる異形の化け物の相手は、困難を極めている。
「行きなさい」
凜のその言葉を合図に、一斉に火炎の弾丸が発射する。唸りを上げながら、その弾丸は化け物を包み込むように衝突し、燃え上がった。
メラメラと化け物の身体に火がついて、肉を焼く。肉の焦げる臭いがして、煙が上がる。化け物の動きが止まる。
それを確認して、今度こそ凜は正面から化け物に肉薄した。
「ハァァっ!」
剣の間合いまで近づいた凜の腕がブレる。
剣閃が瞬き、炎に包まれている化け物の腹に斬撃が駆ける。
確かな手ごたえを得た。それを示すように裂けた肉がパックリと割れ、その中身をさらに炎が焼き焦がす。
間を置かずさらにもう一振り。
斬撃が、今とは逆向きに走った
クロス型の傷がその身に刻まれ、火炎の向こうで、無感動な眼球が一斉に凜の方へ向けられる。
その気味の悪さに、凜は思わず顔をしかめた。無言のままというのが、なおさら異常さ加減を誘っている。
「――――」
前触れなくブンと大気を薙ぐ音が鳴った。燃え上がった化け物の剛腕が、凜を叩き潰そうと振り上げられていた。
他の化け物の個体とは一線を画す、巨体に見合わぬ迅速な攻撃。別次元の動き。
「っ!」
十分に警戒していたはずなのに、凜は回避に一歩遅れてしまった。
(避け切れない――っ)
そう判断して、長剣を投げ捨て、振り下ろされる化け物の腕に対して自分の両腕を重ね合わせた。
化け物の拳が、重ねた腕にぶち当たる。
バキリと不快な音が鳴ったのを感じながら、凜は自分の身体が硬い地面を削るように滑っていることを悟った。
何もかもが速すぎて、痛みも感じない。ただ凜は、自分が吹き飛ばされてるこの状況を、単なる事実として、どこか遠くで起こっていることのように感じていた。
地面に叩きつけられ、摩擦を得ながら次第に凜の身体は減速し、停止する。
凜が滑った後の地面はしっかりとその跡を刻んでおり、凜はそれを不明瞭な意識と視界の中で捉えていた。
「……っ。う、っとうしいわね……」
凜は倒れた状態のまま、口の中を噛み切って意識を覚醒させると、化け物の近くに転がっている自分の
“位置記憶“がなされている
凜は手を着いて立ち上がろうとするが、その際に激痛が走り、腕が折れていることを悟った。
「っ……ッ」
立ち上がることに失敗して、凜は再び倒れ込む。そして、今更のように全身が痛みを訴え始めた。
両腕は燃え上がるように痛んで、ひじや膝には酷い裂傷があって、血が流れていた。
(情けない。こんなことで……ッ)
心の中で己を叱りつけ、凜は唱える。
「――
再度、
猶予もなく、魔力も足りていないため、完治とまではいかないが、まともに動ける程度まで自分の身体が回復したことを凜は感じ取る。
その時、ドスドスと地面を揺らしながら近づいて来る化け物の影があった。
化け物の身体に移っていた炎は既に鎮火して、焦げた跡が全身に広がっていた。相変わらず身体中に埋め込まれた赤い眼球は、無感動に凜を眺めている。少しも元と変わらないその様は、炎による損傷を感じさせない。
実際に、ほとんどダメージは受けてないのだろう。
化け物は無骨な両の拳を組み重ねると、凜に向かって振り下ろす。
「っ」
凜は咄嗟に起き上がって、大股を開いていた化け物の股下を潜り抜ける。
その瞬間、化け物の両拳が地面に叩きつけられ、大振がその場に広がる。
グラリと波のように固い地面が揺らいで、そこら中で地割れが起こった。その内の一つが化け物の足元で起こり、化け物の片足が踏みしめていた地面が大きく裂けて口を開けた。
片足が地割れに吸い込まれ、化け物はその場で多くバランスを崩す。
凜はそれをこの上ない好機と捉えた。
化け物の背中に狙いを定め、凜は剣を両手で握りしめた。
そして――――。
「――《
手元に魔力が集中して、渦のような流れが生まれる。
彼女が使おうとしているのは、灼熱の爆発を引き起こす魔法。かなり高位の術で、凜であっても一度使えば著しく魔力と体力を消費する。
既に大きく消耗している彼女にとって、ここでこの魔法を使うのは一種の賭けだ。
だが、切り札を使う機会はここ以外ないと判断した。リスクを恐れて勝てる相手じゃない。
凜は振り上げた剣の切っ先を化け物の背中に突き刺した。
剣先が焦げた肉を裂き、身に喰い込む。だが、まだ浅い。
「はぁぁああああああ―――」
声を張り上げて、ただ力のみでもって強引に剣先を、肉の奥に埋め込む。
ズブズブと少しずつ肉を裂いていく嫌な感覚と共に、刃が深く突き進んでいく。
その時、片足を地割れに取られていた化け物が、もう片方の脚で踏ん張って、足を引き抜こうともがいた。
「っ!」
――やるなら今。
瞬間、凜は化け物の身に埋まった
カッと眩い閃光が化け物の体内で、より正確に言えばその身に埋まった剣先で弾け、爆発した。
同時に灼熱の奔流が渦巻く。術者の凛でさえ、焼け付くようだと感じる炎。
「――ぁぁぁああああああッ!!」
魔力という名の燃料を注ぎ込んで、さらに苛烈に火を起こす。燃え上げる。焼き尽くす。
熱く。もっと熱く。激しく。何もかもを灰燼に帰すつもりで。
今使えるチカラを全て使うつもりで、凜はその魔法に全霊を注ぎ込む。
化け物の体内で、そんな火炎の塊が暴れ狂い炸裂してを繰り返す。幾重にも重なる爆発により、熱は著しく上昇し、止まることなく、遂に化け物の肉体の限界を超えた。
ドロリと妙な感触が、剣を通して伝わってくる。
そう思った時、剣を突き刺した隙間から、溶けた肉が流れ落ちてきた。
見るに堪えない光景だった。気味が悪い。
だが、何より気持ち悪いのは、自分の身体がそんな状況に陥っているに関わらず、ジッといくつもの眼球が凜に向けられたままであるということだった。
「さっさと倒れなさい……ッ!」
額から大量の汗を流して、荒い呼吸を繰り返しながら、凜は叫んだ。それに呼応するように、化け物の体内で爆発が起こる。
それがとどめとなったのか、化け物の上半身が弾けるように吹き飛んで、頭部と片腕が身体から千切れ落ちた。
その断面は爛れていた。
爆発の衝撃に押されるようにして、残った化け物の身体が地面に倒れる。ズンと重い地鳴りがその場に響いた。
その拍子に化け物に突き刺さっていた剣も抜け、凜は長剣を杖のように地面に刺して、倒れそうになる身体を支えた。
倒れた化け物に視線を落とす。
身体の至る所が溶けて爛れている。千切れた片腕と頭部に動きはなく、残った本体も同様だった。
身体に埋め込まれた眼球も、何もない方向にジッと向けられたまま固まっている。
流石に力尽きたようだった。
「はぁ……っ、はぁ……っ。ホント、なんなのよコイツら。いきなり出て来て、気味の悪い……。ちっ、ムカつくわね……っ」
苛立たしげに吐き捨てながら、凜は呼吸を整える。
かなりの無理をしたせいで意識は朦朧としており、気を抜けば今にも飛んでしまいそうだ。
大きく深呼吸して、強引に身体と気持ちのスイッチを切り替える。
「はぁ……っ。まぁ、いいわ」
凜は杖代わりにしていた剣を腕輪の状態に戻して、化け物の遺体に背を向ける。
「あいつらに追いつかないと……」
凜は自分の身体に鞭を打つと、冬乃が引き連れた集団が向かった方向に足先を向ける。そして、歩き始めた。
その時――、化け物の身体に埋め込まれた眼球の一つがピクリと動いた。
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