30.忍び寄る闇Ⅳ



 正体不明の異形の化け物から逃げ惑い、学園の外へと流れていた人波。

 その人波を押し返すようにして、一体の化け物が現れた。


 化け物は人の波を見つけると、身体中に埋め込まれた複数の目玉をギョロリと正面に向け、何の感慨もなしにエネルギーの塊を撃ち放った。

 ただ純粋に威力を高めた、人を殺すのに十分足りえる単純な魔法弾。


 異常事態に混乱し、なすすべを持たない人たちに向けられたそのエネルギー塊はしかし、人波の先頭に居た少女によって軌道を変え、人のいない上空へと打ち上げられた。


「ふぁ……」


 狐のような耳と尻尾を生やしたその少女は、眠たげな表情のままあくびを噛み殺し、振り上げた状態の大槌ハンマーをゆっくりと下に降ろした。

 

「おー、流石だな」


 狐耳の少女の隣に立っていた、長めの金髪を後ろで一つにまとめていた少女が感心したように言う。

 そんな彼女の言葉に、狐耳の少女は無言のまま気怠そうな視線で応える。


 その時、数十メートルほど離れた位置にいる化け物が、再び魔力を集中させ、エネルギーの塊を放ってきた。

 それは真っ直ぐに狐耳の少女の元へ飛来する。

 狐耳の少女はそれをチラリと見やった後、己の身の丈を優に超す大きさの大槌ハンマーを、片手だけで軽々と振り上げた。


 大槌ハンマーの面がしっかりとエネルギー塊を捉え、まるでバットに打ち上げられるボールのように上空へと軌道を変える。


 生き物らしさが感じられない無機質な眼球でそれを見ていた化け物は、ズンと大きく一歩足を前に運ぶ。

 そしてそのまま歩みを加速させ、少女たちの方へ向かってきた。

 

「あー、どうするよ。こっち来てるぜ?」


 目付きの鋭い金髪の少女が、乱雑な口調で狐耳の少女に言う。


「……めんどう。あなたに任せる」


 ふぁとあくびをもらしながら少女が言う。そのとろんとした瞳は、今にも閉じられて眠りについてしまいそうである。こんな異常な状況だと言うのに、彼女の身からはまるで危機感が感じられない。


 そんな彼女の雰囲気が感染したのか、つい先ほどまで混乱の渦の中で大騒ぎになっていた周囲の人々の間に困惑が混じり始める。

 あまりに易々と放たれたエネルギー塊を受け流した彼女たちを見て、もしかするとそこまで騒ぐ状況でもないんじゃないだろうか、そんな風に思ったのかもしれない。


 だが、そんな人たちの考えとは無関係に、化け物はドスドスと地響きを上げながら接近してくる。


「じゃ、あたしがやるか。――展開アクティベート


 化け物に視線を向けたまま、金髪の少女がそう呟いて、自らの手に大仰な弓を顕現させる。

 彼女は矢も無しに大弓の弦を引き絞る。限界まで弦を引いた所で、彼女の手に魔力が集中して太い矢が形造られた。


 魔力で出来た矢は、彼女が弦をパッと離すと弾かれたように射出される。


 唸りを上げながら突き進む矢は、どんどん加速していき、化け物の胸に命中した。

 その勢いのまま化け物を貫くかと思われたが、鏃が少し埋まった程度でピタリと停止した。


 化け物は足を止めて、自分の胸に刺さった矢をジッと見下ろす。


 それを見た金髪の少女は、ノータイムで追い打ちとして弓矢を連射した。

 

 ドスドスと続けざまに矢は化け物の身体に衝突し、その細い矢に見合わぬ勢いと威力に押されるように化け物は後ろへと押し戻されていく。化け物の複数の眼球は、ジッと少女たちの方を無感動に見つめていた。


「随分と頑丈なやつだな」


 少し気に入らないという表情をして、金髪の少女は一呼吸置いて、大きく弦を引き絞る。

 

「これならどうだよ」


 金髪の少女が弦を離す。魔力で造られた一本の矢が放たれ、ソレは化け物との距離を縮めるに連れて、段々と巨大化していく。最終的には大人の男性ほどの大きさになり、化け物の腹にぶち当たった。

 

 それでも矢は化け物の腹を軽く抉った程度で、満足なダメージには至っていない。

 が、しかし、化け物は矢の勢いに吹き飛ばされ、ゴロゴロと後方へと転がっていった。


「ちっ。まぁいっか」


 金髪の少女は不満げに舌打ちを漏らしたが、すぐに気を取り直したように大弓を下ろした。

 そして、背後に振り返ると、困惑した様子で彼女たちを眺めてどうすればいいか分からないという顔をしていた人たちに視線を向ける。


 言葉を魔法でつくった風に乗せて、よく通る声で金髪の少女が言う。


「えー、あたし達はこの学園の生徒会の者です。あたしは遊道ゆうどう結衣ゆいと言います」


「……私はちがう」


 金髪の少女の隣で立ったまま器用に眠っていた少女が、薄眼を開けてボソリと呟く。


「あぁ、もううるせぇな。今はそういうことにしとけ。つーことで、今から皆さんを学園の外に誘導したいと思います。あの程度の化け物、あたしにしたら何でもないので、落ち着いて行動してください。ちゃんと守りますので騒がないでください」


 その気怠そうな、しかしハキハキとした言葉を受けて、人々の間に確かに安堵の空気が生まれた。


 その時、


「お姉ちゃんもいたんだー」


 と、金髪の少女――結衣と狐耳の少女の元に、同じような狐耳と尻尾を生やした少女――かえでが弾むようにやって来る。

 その後ろには少年と少女が立っていた。夜人と小夏である。


「ん、なんだお前ら」


 結衣が怪訝そうな顔で夜人たちに目を向ける。その視線が、かえでに向けられた所で止まった。


「あぁ、かえでじゃねぇか」


 どうやら結衣とかえでには面識があるらしい。


「はい、偶然ですねっ。ところで早速ですが結衣先輩、ボクお願いがあるんです」


「なんだよ」


「アイツ、ボクに任せてもらっていいですか?」


 かえでがうずうずした表情で結衣に尋ねる。その視線はチラチラと、倒れた状態から起き上がってこちらに接近してきている化け物に向けられている。


 結衣はそれを聞いて一瞬だけ逡巡したが、もうかなり近づいてきている化け物と、不安と困惑からまたざわざわと騒めきを大きくしている人たちを交互に見て、最後にかえでの方を向く。


「まぁ、お前ならいいか……。好きにしろ」


 そんな風に軽い調子で言った。


 それを聞いたかえではすぐに動き出そうとするが、思い直したように夜人の方に振り返り、その表情をうかがった。

 そうして夜人が眉をひそめながらも何も言わないことを確かめると、パッと嬉しげな表情を浮かべ、弾かれたようにその場から消える。


 凄まじい速度で飛び出していったかえでは瞬時に接近中の化け物の正面に移動すると、その下腹部に流れるような回し蹴りを叩き込んだ。

 

 化け物はなすすべなく吹き飛ばされて、飛ばされた方向にあった建物に衝突する。化け物の身体は壁を突き破り、その向こうへと消えていった。瓦礫がガラガラと崩れて、後には建物の壁に大きく空いた穴が残る。


 それを見たかえでは、「あっ」と声をこぼし、やってしまったというような顔を浮かべていた。


 しかしながら、化け物を圧倒するかえでを見て、それを見ていた人々の間からは歓声が上がっている。


「あいつはもう少し落ち着いて行動できんのか……」


 夜人は呆れたような言葉を漏らし、それから金髪を後ろで一つにまとめている結衣と、妹が今化け物と戦っているというのに眠たげにあくびを漏らしているもみじに視線を向ける。

 相手のチカラを測るような観察の視線。


「そんで? 結局の所、あたしに何か用か?」


 そんな夜人の目線に自分の視線を重ねて、結衣は気怠そうに言った。


「悪いけどこんな状況だからな、あたしが出来ることにも限りがあるぞ」

 

 あらかじめ釘を刺すように言う結衣。


「い、いえ、そうではなくて……。そのっ、ありがとうございました。……助けてくださって」


 そう言って結衣に頭を下げたのは小夏だ。

 彼女は礼を述べたのだ。自分がどうにも出来なかった皆を守ってくれた結衣ともみじに対して。


「いや、それを言うのはまだ早いだろ。あたしらはまだ学園の中に居て、危険がなくなった訳じゃないんだ」


 結衣は苦笑して、周囲の人々に聞こえないような少し抑えた声でそう言った。


「だが、まぁ心配はすんな。あたしらが何とかする。この集団の後ろの方には先生らもいるし、たまたま先頭付近にいたあたしが先導をやることになったけど、まぁ、兎に角心配はすんな。なんとかなるだろ」


 結衣はポケットから取り出したスマホの画面を見ながら言う。話の内容から考えて、彼女は先生と連携しているのだろう。

 異常事態とは言え、学園側から重要な役割を任される彼女は確かな実力を認められているということだ。

 遊道結衣。生徒会の役員らしいが、夜人もその名前は何度か聞いたことがある気がした。


 どうやら学園側は夜人が思った以上に上手く異常事態に対応しているらしい。

 そのことに、知らずの内に焦っていた夜人も少し落ち着きを取り戻して、思えばほとんど握りっぱなしだった小夏の手を離す。


「ひとまずっ。もみじ、お前妹と一緒にあの化け物を叩いてきてくれ。それから動くから」


「……私がやらなきゃだめ?」


 もみじが煩わしそうに言って、期待するように夜人と小夏をチラリと見た。


「お前が行くんだよ。ほら、早く」


「はぁ……」


 結衣が少しキツイ口調で言うと、わざとらしいため息を吐いてもみじが足を前に運んだ。

 ずるずると巨大な槌を引きずりながら進んでいくが、そのやる気のなさそうな動きの割には割と早い段階で、彼女は化け物との派手な戦闘を繰り広げているかえでの所に辿り着いた。



 

 軽く跳んで化け物の頭上を取り、かえでが頭頂部に鋭い蹴りを叩き下ろす。

 それを受けた化け物は地面に倒れ、その歪な形の四肢を広げる。

 その時ちょうど近くに居たもみじが、片手で持ち上げた大槌を化け物の顔面に振り下ろす。

 

 重い衝撃が落とされ、振動が化け物の頭を貫通して地面に大きな亀裂が走る。だがしかし、化け物の頭は潰れておらず、何事もなかったように化け物は起き上がろうとする。

 それを見て、もみじが面倒くさそうに大きく息を吐き出したのが見えた。


 その後も彼女たち二人は連携も何もない粗雑で暴力的な戦闘を行使して、化け物に一切の反撃の機会を与えず少しずつダメージを蓄積させていく。

 

(あれなら、無理に小夏を連れて逃げる必要もないかな)


 段々とだが、着実に動きが鈍くなっていく化け物を見て、夜人はそう思った。


 さっきまでは夜人自身が小夏を連れて学園の外に逃げようかと思っていたが、これならこのまま学園の指示を得た彼女や教員の助けの中で、着実に外を目指すのが良いように思えた。

 その方が無難だろう。


 夜人は少し心配そうな面持ちで化け物と戦っているかえでともみじを見守る小夏の横顔を確認する。

 

 それを見て、「あれなら心配はいらないって」と、夜人が安心させる言葉を言いかけた時だった。


「――へぇ、驚いたなぁ。まさかこんな所で“同類なかま”と会うなんて」


 すぐ側でそんな声がして、夜人はハッと振り返る。

 そこに居たのは少年だった。夜人と同じか、それより下くらいの年齢に見える華奢な少年。

 肌は病的なまでに白く、唇と瞳は血のように赤い。

 少し長めの髪は変色した血のように赤黒い色をしていた。


 その少年は、かえでたちの戦闘を期待するように眺めている人々の中から、出て来たようであった。

 服装はどこにでもありそうなシンプルさで、武闘祭に訪れた一般客だと思われる。歳を考えると、私服で訪れた学園生の可能性もあるだろう。

 どちらにしても、そこまで気にするようなことではない。


 しかし何故だろう。夜人はその少年から言い知れぬ不気味さを感じ取っていた。



「ねぇねぇ、キミはそうなるまでに何人殺したの? 毎日血はどれくらい飲む・・・・・・・・・?」



 照りつける太陽の下、少年は世間話でもするような気軽さでそう言った。


 

  

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