23.後輩は変態



「――《治癒ヒーリング》」


 夜人は治癒魔法を相当なダメージを負っていそうなかえでに念入りにかけて、見た目ほど酷くはなかった自分の傷口にも軽くかけておく。


「さて、もう抵抗しても無駄だからな」


「……」


 夜人は、何をしでかすか分からないので、かえでを拘束しているつたをもう少し強く締め上げる。


「……っ」


 傷は治癒したし、少し過剰くらいに抑えておいてもいいだろう。

 自分が斬られることも厭わない戦闘狂バトルジャンキーとは、もうこれ以上戦いたくないと切に思った。


「なぁ、かえで」


 もうこのいかれた少女を“ちゃん”付けで呼ぶ気は起きなかった。夜人は呼び捨てで彼女を呼びかける。


「……」


 顔を伏せていたかえでは夜人の呼びかけに応じて、ゆっくりと顔を上げた。


「せんぱぁい……」


「……っ?」


 夜人を見るかえでの異様さに、夜人は思わず一歩後ずさった。


 かえでの頬はこれまでの中で最も赤く上気して、息遣いは大きく荒立っている。

 すぅはぁと何度も荒い呼吸を繰り返し、獣耳はピンと立って、蕩けた瞳がいじらしく夜人を見つめ上げていた。


「な、なんだよ……」


 もう身動きは取れないはずだ。魔法を使う気配を少しでも見せたら、さらに強く締め上げるつもりだし、かえでもそのことは分かっているだろう。


「せんぱい……。ボク、分かっちゃいました」


 かえでの声が震えている。


「なにが」


「ボク、別に血を見たかった訳じゃないんですね」


 知らねぇよと夜人は思ったが、一応聞いておこうと思い、黙ってかえでの言葉を待つ。


「さっき、先輩に蹴飛ばされて、壁に叩きつけられた時にようやく分かったんです。ボクが、強い人と戦って、血を見るほど激しくやりたいってずっと思ってたのは、そうじゃないんですよっ」


 興奮しているのか、大きな呼吸を繰り返しながら、抑揚をつけて喋るかえで。つた雁字がんじがらめにされながら、震える声で言う。


「ボク、分かったんです。ボクは、先輩にいたぶられるだけで、痛めつけられるだけで、それだけで十分満足なんだって」


 ……。


「…………。――えっ、は?」


「ボク、別に血を流さなくてもよかったんです。最後に先輩に蹴られた時、本当に痛かったんです……。でも、……ふふっ、あぁ、よかったなぁ……、じゅる。あ、すみませんよだれが」


「……」


「こうしてる今だって、先輩にキツく締め付けられてるだけでゾクゾクが止まらないです」

 

 恋する乙女のように顔を赤らめて、かえでは夜人を見る。

 だが、そんなかえでを見て、夜人は至極純粋にこう思った。


「お前、頭大丈夫か?」


 もしや夜人がやりすぎたせいで、頭のネジが数本飛んでしまったのだろうか。


「あぁんっ、もっと言ってください……っ。そうなんですっ、ボクは先輩に罵られるだけで悦んじゃう女狐なんですぅ……」


 いや、女狐ってそういう意味じゃないだろと思ったが口には出さない夜人。


「ゾクゾクします……、ふふっ、ボク、今人生で一番ゾクゾクしてますよせんぱい……」


 普通に気持ち悪いと思って、夜人はさらに一歩後ずさる。今の彼女には、決勝試合開始前に振りまいていた愛嬌のカケラもなかった。


「あぁっ、先輩っ。その眼いいですね……っ、その蔑む目付き。ふふ、あ、またよだれ出そう……」


 その後もブツブツと呟き続けるかえでを見て、夜人はしばらく放心していたが、ふと我に返って自分が今やらなければいけないことを思い出す。


 そう。今における最優先して処理すべき問題は、かえでが夜人の実力を知ってしまったということである。

 半吸血鬼ダンピールであることはバレていないだろうが、今の夜人はまだ一応学園最弱という立場なのだ。

 それが、中等部の武闘大会を別次元の強さを見せつけて優勝し、下手したらあの春風凛よりも強いかもしれない彼女を、負かせてしまったのだ。


 学園生であるかえでにそのことを知られているというのは、割とまずい。


 出来損ないだった夜人が、この短期間で一気に異常なチカラを付けたという事実が明るみに出たら、確実に面倒なことになる。

 最悪、そこから吸血鬼ヴァンパイアの存在に辿り着く者もいるかもしれない。


 だから夜人はこの少女の口を封じなければならないのだ。かといって別に殺すつもりはないが、場合によってはそれも視野にいれる必要がある。


「なぁ、かえで。……おいっ、かえで」


「はいっ。なんですか先輩」


 いい笑顔を浮かべて夜人を見るかえで。つたにさえ縛られていなければ、ただの明るくて可愛い後輩だ。


「お前に頼みたいことがある」


 夜人は表情を引き締め、真剣な顔でかえでを見た。ここからは真面目な話だ。


「えっちなことですか?」


「違う!」


「えへ、えへっ、うえへへへっ、でもボク、今何もできない状況なんですよーっ? 別にいちいちお願いしなくたって、好きにいじれると思います。むしろボクみたいな魅力的な女の子がいて、何もしないのは失礼ですよ?」


「だから違うっつってんだろ!」


「はぁ……っ、はぁ……、なんか興奮してきました。身体熱いです……。っ先輩! お願いがありますっ、ボクを無茶苦茶にしてください……っ」


「お前今の状況分かってんのかっ!!?」


「あぁぁぁんっ。その怒鳴り声いいですね……っ。お腹にすごい響きます。好きです……っ」


はぁはぁと息を荒げるかえで。


「一回黙ろうか!?」


 意図せず夜人の身体に力が入り、かえでを拘束しているつたにも力が加わる。

 ギュウと蔦がかえでを締め上げて、彼女の白い肌がさらに青白くなる。


「あぁぁぁぁぁっっ! せ、せんぱぁぃ……っ。ダメですよぉ……。い、今……そ、そんな、こと、したら……、ボク……っんぅぅっ」


「やばっ」


 夜人は慌てて力を調節する。常人なら今ので骨が粉々になっていただろうほどの力だ。かえでは今、身体強化を使っていない。


「はぁ……っ、はぁ、はぁ……っ。せ、せんぱいぃ……っ」


「悪い、やり過ぎた」


「……ぼ、ボク、今の、癖になりそうです……っ」


「……」


 夜人は盛大に頭を抱えた。



(はやく帰りてぇ……)



 


「ねーっ、ねーっ。せんぱーい。なにか反応してくださいよー。ボク、放置プレイってやつは、あんまり好きじゃないみたいですー」


「はぁ……っ、じゃあ今から言う俺の話を最後まで静かに聞いてくれ。絶対、余計なことするなよ? 頼むから」


「はぁーい、わかりましたっ」


 ひとりでずっと楽しそうにしていたかえでを無視し続けて十分以上、ようやくかえでがつまらなそうに唇をとがらせ、落ち着いた様子になったので、夜人はしぶしぶ反応を示した。


「かえでに頼みたいことがあるってのは、さっき言ったよな」


「はい」


「俺がお前とやり合って、こうしてお前を押さえつけられるくらいに実力持ってるってのは、誰にも言わないで欲しい」


「……? どういうことですか?」


 いまいち理解が進んでいない様子のかえで。


「あぁ。俺な、学園では最弱底辺の生徒なんだよ。みんなはそう思ってる。できそこないの雑魚だってな」


「あー。そういえば、ボク、学園にいて先輩の話一度も聞いたことないですね。どう考えても春風先輩より強いのに」


 ふんふんと納得したような顔のかえで。蔦で雁字搦めにされながらそうしているのはかなりシュールである。


「いや、聞いたことくらいはあるはずだぞ。知らないか? “能無しのハズレ野郎”って」


「あーっ! 知ってます知ってます。……てことは。えっ? 先輩ってもしかして“衆印夜人”ですか?」


「……は?」


 夜人は唖然とする。まさかこの後輩、ここまでやっておいて夜人の名前を知らなかったというつもりか。でも確かに名乗った覚えはない。


「なるほどー。夜人先輩だったんですね。びっくりですっ」


「はぁ……。そんで、そういう訳だから、誰にも俺のことは言わないで欲しい」


「なんでですかー? せっかくあんなに強いのに」


「理由をお前に言う必要はない」


「つれないですね。でもー、ボクがその頼みを聞き入れる必要も特にないですよね」


 くすりと小悪魔のように笑うかえで。


「おい……っ」


「ふふふっ、あぁっ、先輩どうしましょうっ! ボク、先輩にいじめられるのも好きですけど、先輩のそういう嫌そうな顔を見るのも好きみたいですっ。先輩をいじめたいって気持ちもあります! ふふっ、先輩っ、ボクって変態ですねっ!」


「静かにしろって言ったろ」


 無言で魔道武装(マギアデバイス)を展開して、刀の切っ先をかえでの首元に突き付けた。


 かえではくすりと笑う。


「先輩はボクを殺せますか?」


「……」


「無理ですよね? 別にボクは先輩にならここで殺されても構いませんけど、先輩は違いますよね? だって先輩、ボクと戦ってる時、一度も急所を狙いませんでした。先輩も分かってますよね? 一回先輩に尻尾を掴まれてから後のボクは、先輩の攻撃を一度も避けませんでした。なのにこうして生きてます」


 事実だ。今この場で、夜人はかえでを殺せない。当たり前だろう。今までまともに戦闘もしてこなかった少年が、魔物ならともかく、同年代の少女を殺せる訳がない。


「いいですよ。刺してください」


 くすくすと微笑むかえで。いたずらが成功した時の子供のような無邪気な笑み。


「――――」


「あははっ、せんぱーいっ。そんな顔しないでくだいよっ。冗談ですって。ボクとしては、できればもう少し先輩のその顔を見ていたい所ですけど、やめときます。これ以上やると、本気で先輩に嫌われちゃいそうなので」


「……もう十分、俺はお前のこと嫌いになったんだが」


「それくらいならボクにはご褒美です。いいですね、その嫌気がさしたような顔」


「はぁ……。もう何なんだよお前」


「あぁんっ先輩っ。呆れないでください。頼み事聞きますよっ。むしろ先輩の言う事なら何でも聞きますっ。知ってますか先輩? ボクの家の決まり事なんですけど、自分より強い人の言うことには基本的に逆らえないんです。だからボクに何でも命令できるんですよ?」


「……ほんとか?」


 夜人は魔道武装マギアデバイスを腕輪に戻しながら、言った。


「はいっ、もちろんですっ。この目を見てくださいっ!」


 かえでのぱっちりしたつぶらな瞳が夜人に向けられる。驚くほど澄んだ眼だ。


「正直。お前のことはあまり信用したくないけど、ここは信じることにする……」


 もし、かえでが夜人の実力を言いふらしたとしても、それを信じる者はほぼいないだろう。逆にかえでが馬鹿にされる展開がほとんどだと思う。


 夜人は《樹縛》を解除して、かえでの拘束を解いた。


「あーっ、終わっちゃいました。悪い事したんだから、もっとお仕置きしてくれてもよかったのにー」


 唇を尖らせながらかえでは立ち上がった。治癒をかけて傷はふさがっているはずだが、衣服の至る所がズタズタに切り裂かれており、血まみれになっている。何も知らない人がこの場を見たら、確実に絶叫するだろう。


「ふふ……。跡になってる」


 かえではしっかり縛り跡の付いた自分の身体を見て、ニヤニヤと口元を緩ませている。


「もう一度治癒するか」


「いやっ、これで大丈夫です」


「なんでそこで、そんな明るい笑顔できるかな……」

 

 頭痛がする気がして、夜人はこめかみを指で押さえた。


「そういやかえで」


「はい?」


「結局、お前が俺を襲ったのは、俺と戦いたかったからってことでいいのか?」


「そういうことですね。決勝の後、テレビの人とかに色々聞かれて、それから帰ってる途中で先輩の匂いがしたので我慢できずに追いかけたんです。それで先輩の姿を見つけて、興奮して襲っちゃいました。決勝で思ったより動けなかったので、欲求不満だったんですよー」


「だからって人を襲うのが許される訳じゃないからな……。あぁ、それと、お前が決勝を俺に見てもらいたがってたのは?」


「先輩がボクの強さを認めてくれたら、ボクと戦ってくれると思ったんですよ。まぁ結局、こんな風にして襲っちゃいましたけど、ふふ」


「そういうことね。分かったよ。……それじゃあ、俺は帰る」


 夜人は体力的にも精神的にも非常に疲れていた。一刻も早く帰宅して眠りたい。


「かえでも酷い恰好してんだから目立たないように帰れよ。じゃあな」


 そう言って、夜人はかえでに背を向ける。


「はーい。先輩っ、また会いましょうねー」


(二度と会いたくない……)


 そうして夜人は元来た道を歩いて戻り始める。


 夜人はその後もしばらく、背後のかえでを警戒していたが、さすがにもう襲い掛かってくる気はないようだった。


(はぁ、マジで疲れた……)


 こうして、武闘大会二日目の夜は更けていくのだった。

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