20.中等部武闘大会決勝試合Ⅱ





 試合が始まった瞬間――まず観客の目には、かえでの姿が消えたように映った。彼女の一連の動きを初動から結末までハッキリと目で追うことができたのは、実力の突出した少数のみだった。


 かえでの対戦相手である風上俊という少年。この決勝に勝ち進んだ彼であっても、上記の多数派に留まっていた。


「――え?」


「うーん。今のでもう無理なんだー、流石にがっかりだな。君ならもう少しいけると思ったんだけど」


 かえでは俊の目の前で泰然と停止して、後ろ手を組み、上目遣いで彼を見上げる。

 

「ねー、風上くん。君、速さに自信があるんでしょ? まさか、飾りってわけじゃないよね? 見せてみてよっ」


「くっ! ――《風陣装ラファガブースタ》」


 彼がそう唱えると、彼の身体が乱気流のような風を纏い始める。やがてその風は静穏になっていき、身体を包み込むアーマーと化した。

 この《風陣装》は身体の動きを支え、強化する。身体強化にこれを上乗せすることで、俊という生徒は平均な学園生よりも高い機動力を得ていた。


「女の子に武器を向けるのはあんまり気が進まないけど……、勝つためにやらせてもらう!」


「へー、かっこいいっ。でもそういうのは、ボクより強くなってから言ってほしいな」


 ブンッと空を斬り裂く音が鳴る。彼が小太刀を横に薙いだ音だ。かえではそれを、上体を逸らすことで躱した。かえでの鼻先数ミリの位置を、刃先が通過していく。


 一歩後ろに下がり、後ろ手を組んだまま俊を見てかえでは笑う。


「もっと、もっと来ていいよ。決勝だけは早く終わらせる気はないから。――ボクと遊ぼう?」


 小鳥のように小首をかしげる。


「余裕ぶってると痛い目みるよっ!」


 嘗められていると感じ、鋭い語気を吐きながら俊は踏み込んで小太刀を振るう。

 斬り上げ、突き、袈裟斬りに逆袈裟からの回し蹴り。横に薙いで直ぐ中段に蹴りを放ち、相手の逃げ場を無くすように小太刀を振り下ろす。

 身体強化に《風陣装》を掛け合わせ、動きの精度と速度は格段に上がっている。その素早さを最大限に活用した連撃だった。相手が回避をしたとしても、次の回避の前に畳みかける。そんな攻撃。


 ここに勝ち上がるまでの相手に、俊の動きに付いて来られた者はいなかった。だが、この少女は――、


 ――俊が放った攻撃の悉くが躱された。それも余裕を持って、笑顔で、あえて・・・、紙一重で避けられている。


「くっ!!」


 俊は一切の余白を挟まず連撃を続行する。

 小太刀の小回りの良さと、だからこそできる蹴り技をも組み合わせた怒涛の攻撃。

岩石を削り砕く激流の如く、絶え間なく降り注ぐ流星群の如く、俊は容赦のない攻めを敢行する。


――――が。


「ほらほら、それだけ?」


 全ての攻撃が易々といなされ、かえでの顔色一つ変えるに至らない。


「……っ!? ――っ!」


 身体強化のレベルをもう一段階上げる。これ以上は、五分も使い続ければ身体に異常を来たすレベルだが、そうも言っていられないと判断する。

 さらに《風陣装》の威力も上げる。風の勢いが増して、少し荒々しくなった。


「――――っっぁ!」


 俊が放つ渾身の突き刺し。だがそれはあっさりと躱された。

 続けて、小太刀を逆手に持ち変えると、逆袈裟に斬り上げる。当然のようにそれは空を斬り、間髪入れずに切り返す。

 やはり手ごたえはなく、追撃の横薙ぎ。ヒットの確認もせず下段から右脚を蹴り上げ、相手を左に誘導する。

 

「――《風刃エアロ・ブレイド》」


 左手に風の短刀を生み出して、三連の突きを放った。――が、それも涼しい顔で躱される。


(今だ……っ)


 俊はかえでの体勢が僅かに崩れたのを見逃さず、すかさずに足払いを仕掛ける。風を纏った高速の蹴り技――ッ!



「うーん。微妙だなぁ。……やっぱり――」


 かえでは観客席の方に目を向ける。彼女の尻尾が、退屈さを体現するようにゆらゆらと振られていた。


「っ、はぁ……っ、はぁ……。……なっ」


 俊が成せる全身全霊の連撃だった。それが掠りもしていない。しかも彼女は退屈そうな表情で、俊ではないどこかを見ている。

 不意に彼女の尻尾がピンと天を突いた。


「おーい、せんぱーいっ!」


 ブンブンとかえでは遠くに向けて手を振る。


 その時、風上俊という少年の中で何かが切れた。


「ふ、ふざける、なよ……っ!」


 俊の纏う風が一層激しさを増し、彼は身体強化を己が行える最大レベルまで引き延ばした。

 身体強化の魔法は身体に強い負担を強いる。ミシミシと骨の軋む音が遠くで聞こえた。


「ぁぁぁ゛ぁ゛あ゛っ!」


 かえでは俊が振り引いた太刀筋をそっぽを向いたまま避ける。そしてまた俊の方に向きなおした。


「ふふっ、いいよー。ボク、そういうの大好き」


 次々と小太刀が大気を斬り裂く音が鳴り響く。

 俊は言葉にならない叫びを上げながら、がむしゃらに、ただ更なる速さだけを求めて右の小太刀を振るい、左の風の短刀を突き、間隙を狙った蹴りを放つ。

 

 その全てが、にこやかな笑みを湛えるかえでに躱された。

 かえでは一切息切れをしておらず、掠り傷もない。対して、俊は一度も攻撃を受けていないにも関わらず身体はボロボロで、息は上がり、魔力は枯渇寸前に追い込まれていた。


 もはや狂気。目の前でかえでが浮かべる微笑みが、狂気だとしか思えなかった。

 

「残念、もうダメそうだね。……降参する? 決勝で降参っていうのもかなりみっともないと思うけど、まー仕方ないよね」


「だ、誰がぁ――っ!」


 俊は力を絞って腕を持ち上げ、小太刀をかえでに振り下ろす。

 かえではそれを半身になって回避し、初めて拳を振りかぶった。


「降参してくれないんじゃ、仕方ないよね」


 そうして、かえでは拳鍔ナックルダスターを装着した拳を、俊の頬目掛けて振り抜いた。

 ゴスッと鈍い音が鳴り、血飛沫が飛ぶ。フィールドにビチャリと血液が広がった。


 客席の何処かから少女の悲鳴らしき声が聞こえた。


「もういっこいくよーっ」


 ゴスっとまた肉が抉れるような鈍い音が鳴る。かえでの左の拳が、俊の鳩尾に打ち込まれた音だった。


「……っぁ゛ぁ゛」


 俊は腹を両手で押さえて、屈み込む。


「よいしょっ、と」


 かえでがその場で回転して、勢いを乗せた蹴りが低い位置に来ていた俊の側頭部を打ち抜く。

 俊の身体が捩じるように吹き飛ばされ、フィールド上を転がっていく。

 十数メートルほど離れた位置で、俊は停止した。


 彼が転がった跡を辿るようにして、点々と血が残る。


 かえでがゆったりと歩みを進めて、俊への元へ近づく。


「ほら、立ってよ風上くん。ボク、割と君のこと気に入ったんだけどなぁ」


「つ、……っぅ。ま、まだ……っ」


 今にも崩れ落ちそうな動きで、俊が手を付いて立ち上がる。


「いいねー、好き」


 かえでが立ち上がった俊に近寄って、拳を振り上げた。風を切るアッパーカットが俊の顎にヒットして、血飛沫を散らしながら浮かされる。

 高く高く浮いた俊は、そのままフィールドに叩きつけられた。

 バキリと妙な音が微かに響く。


「…………」


 その後、俊はピクリとも動く様子はない。


「あー。ちょっと、やり過ぎちゃったかな?」


 どこか残念そうな瞳で、かえでは俊の身体を見下ろした。


「――そ、そこまで!!」


 焦ったような審判役の教師の声が上がって、彼は俊に駆け寄ると脈を測る。それに続いて、救護担当と思しき人物が数人駆けこんでくる。

 俊は担架に乗せられると、救護担当たちに運ばれ、フィールドから退場させられる。


 かえでがふと観客席を見渡すと、何故か客席の熱は盛り下がっていた。試合が始まる前よりも、勝負が決した後の方がずっと静かだ。


 血を見せたのがいけなかったのだろうか。

否、今のより凄惨な試合などいくらでもある。元々、この武闘大会、いくら万全の体制を張ってるとはいえ、死人が出てもおかしくないものなのだから。


 一方的にやったのがいけなかった?

 否、かえでが勝ち上がる時に、相手を瞬時に負かせに行った試合はそれなりに盛り上がっていた。


(まー、どうでもいいか。それよりも先輩……。あんまり実力を見せられた気はしないけど――、)


「ボクのこと、見ててくれたよね?」


 かえでは顔を上げ、客席の後方にいる“先輩”に視線を送る。


「……?」


 だが、持ち前の高い視力で以って夜人の姿を捉えたかえでは、不思議そうに首を傾げる。


 あの人――、先輩よるとの様子がどこかおかしかったのだ。


 彼はまるで、苦しんでいるようであった。

 かえでの並外れた聴覚と嗅覚、視覚が先輩よるとという一点に向けられる。


 動悸が不安定になり、口元を押さえ、込み上げる何かを必死に堪えているようであった。


「どーしたんだろ……? んー……、血?」


 かえでは次第に、彼の不安定な視線が自分ではなく、フィールドに散った血液に向けられているということを悟った。

 

 ゾクリと背筋に震えが走る。夜人が血液を見つめる視線が狂気に満ちていて、居ても立ってもいられなくなったからだ。

 ゾクゾクと耐え難い衝動が全身に巡る。


 あの視線が、自分自身に向けられたならどんなにか素晴らしいだろう。それを想像するだけで、さらに震えが増す。止まらなくなる。


 ――やっぱり、間違ってなかった。


「血、かぁ……」


 くすりとかえでが微笑む。彼女の尻尾が、これから起こる何かに期待するようにゆらゆらと揺れていた。


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