17.春風凛vs涼風小夏





「……よし」


 大きな深呼吸を繰り返し、開始三分前になったので、小夏は控室から決闘場のフィールドに足を踏み入れた。


 そして観客席を見渡し、その人の多さに驚いた。客席の八割ほどが埋まっており、本選でも場合によればこれより観客が少ないことも珍しくない。


「うそ、予選なのにこんな人が……」


(そっか、みんな春風さんを見に来てるんだ)


 だが、こんなことで動揺する訳にはいかないと、小夏はもう一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 正面にその青い瞳を向けると、向かい側の控室から凛が出てきているところだった。


 凜の足取りは堂々としていて、一切憶する様子もない。それが確かな自信に裏付けされるものであると、小夏は悟った。

 

(わたし、今からあの春風さんと……)


 知らず、小夏の身体に力が入る。


 そうして、小夏と凛が所定の位置についた。二人の間に審判役の教師が入ってきて、試合前の説明が軽く行われる。


 だが、小夏の耳にその言葉は上手く入ってきていなかった。


(勝たなきゃ……。勝つって決めたんだから。わたし、夜人のために強くなるって……。でも……)


「――小夏」


「……えっ」


 ワーワーと騒がしい客席の声に交じって、小夏を呼ぶ声が聞こえた。

 小夏がはっと振り向くと、視線の先に夜人がいて、こちらに手を振っていた。『がんばれ』と言っていることが分かる。


「夜人……」


「――涼風さん? 涼風小夏さん?」


「は、はいっ」


 審判役の教師に呼びかけられ、小夏は上ずった返事をする。


「試合を開始してもいいですか?」


「はいっ、大丈夫です」


 気付くと、小夏の緊張感は適度に和らいでいた。


(よし、よし、やってやるぞ……っ)


 審判が片手を上げ、大きな声で言う。


「では、両者。魔道武装マギアデバイスを展開してください」


「――展開アクティベート

「――展開アクティベートっ!」


 凜は落ち着いた声音で、小夏は気合を入れる声で、それぞれ魔道武装マギアデバイスを展開する。


 凛の手には赤く彩られた細身の長剣が、小夏の両手には青を基調とした色合いの片手剣と盾が握られる。


 小夏は対戦相手である凛の眼を見据えた。凜はそれに対し、冷えた視線を返す。その目線はまるで、小夏ではないどこか遠くを見ているようであった。



「――それでは、試合開始っ!」



 審判の合図により、試合が開始された。





「――ぐっ」


 開始直後、最初の一合で小夏は凛との力の差を痛感した。

 

 二人の距離が一瞬にして縮まり、剣と剣とがぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響く。

 だが、小夏は剣を振り切ることが出来ず、凜は易々と剣を振るい――斬る。


「っぁッ」


 剣の勢いに押されるまま小夏は後ろに大きく跳んだ。

 滑るようにして小夏は退がっていき、なんとか体勢を立て直し、剣を構える。


っ……」


 鋭い痛みが走る。

 小夏の手の甲からタラリと血が垂れた。今の初撃で、凛の剣先が掠ったのだろう。

 だが、小夏にそれを気にしている余裕などありはしない。


「――っ!?」


 ほんの一瞬意識をそらしただけだった。が、ハッと意識を戻した時刃が眼前にあった。


 小夏は命を守る本能による反射のみで盾を振り上げて、下から凛の剣を弾き上げる。

 金属同士がぶつかる音が響いて、凜の長剣が持ち上がる。


 今まで表情をほとんど動かさなかった凛の眉が、少しだけピクリと動いた。


(――今だっ!)


 心の中で叫び、小夏は渾身の突きを放つ。――が、しかし、その剣先は空を突き刺すだけに留まった。


「っ!?」


 瞬間、足元に危機を感じて、小夏はさらに後ろに跳び退がる。

 その直感とも言える反応で、間一髪、凜が限界まで身をかがめて仕掛けた足払いを回避した。


「……へぇ」


 後ろに跳んだ小夏を見て、凜が僅かに口の端を持ち上げた。


「やるじゃない。正直、今ので終わりだと思ったわ」


「え、へへ……。わたしだって、頑張ってるんだから。だから……この試合は、わたしが勝つよ」


 小夏は無理に笑って、凛と視線を合わせる。ここで笑えなければ、負ける気がしたから。

 そう。努力する。努力して、努力すれば、今凛の立っている場所へと至ることも夢ではないはずだ。


「気に入ったわ。少し遊んであげる」


 タッと凜が地を蹴って小夏に迫る。それを見て、小夏は僅かな会話の間に準備した魔法を発動させる。


「――《樹槍プラント・スピア》」


 すると、駆ける凛の足元から連続で先の鋭い樹木が突き出していく。


「こんなので私を止められるとでも?」


 凜は言葉を発する余裕も見せながら、容易に《樹槍》を躱し、自分の剣の間合いに小夏を入れた。

 だが、それを見て、小夏は笑う。


「っ?」


 小夏とて、今の魔法であの凛を止められるとは思っていない。だから《樹槍》を使った目的は、攻撃ではなく遅延。凜が小夏の位置にたどり着くまでの時間を少しでも遅らせたのだ。

 小夏が大きな魔法を編むための猶予を作り出すために。


 もし凜が遠距離まで届く魔法を使ってきたらおしまいだったが、そうはならないだろうと小夏は思っていた。

 何故ならここまで、凜が勝ち抜いてきた予選の三回分。その全てにおいて、凜は身体強化しか使用していなかった。


 凜は相当なことがない限り、身体強化以外の魔法を使用しないのだ。きっと己の中に、何らかの基準があるのだろう。

 だが、詰まるところ、ここで魔法が使われなかったということは、まだ小夏は凜にとって魔法を使うまでもない存在という訳でもある。


(後悔させてやるんだから……っ!)


 魔法を使わなかったことを。


 そして小夏は唱える。僅かに得た猶予をギリギリまで使って、編み上げた魔法を。


「――《流檻サブマージョンっ!》」


「……ッ」


 その刹那、小夏に接近した凜を中心にして、巨大な水渦が顕現した。


 まるで大蛇が蜷局とぐろを巻くかの如く、水の激流が渦を巻いて凜を取り囲んでゆく。

 激しい水飛沫が散り、それが凜の視界を封じながらも、彼女を取り囲む激流の包囲網はどんどん堅牢に成っていく。


 そして完成する――水流による渦の牢獄。

 凜はその中央に縫い付けられ、渦の勢いはどんどん苛烈さを増していく。

 もはや水の向こうに映る凜の表情すら満足に視認できなくなる。

 

 だが、小夏はまだ油断しない。春風凛という少女はこんなことでは終わらない。


「――《流水刃アクア・ブレイド》」


 その魔法によって、小夏が構える片手剣を水の流れがコーティングしていき、さらに剣先から水の刃が伸び、一つの巨大な刃と化す。

 その刃渡りは、小夏の背丈を優に越えていた。


「いっけぇっ!」


 間髪もいれない。

 小夏は盾を捨て、両手で柄を握りしめると、ソレを大きく横に薙いだ。その冗長なまでに長き刃はしかし、普通の剣速と変わらぬスピードで斬撃を成す。


 ――が、水刃が水渦の牢獄を易々と斬り裂き、それが中央にいる凜に届こうとした瞬間だった。


「――――え?」


 ゴウと火炎が燃え上がった。

 《流檻》を遥かに超える規模で火炎の渦が何処からともなく湧き起こる。

 火炎の渦は獄炎を思わせる苛烈さで周囲を取り巻く。空気が焼き焦げる匂いがした。

 凄まじい熱量が小夏に襲い掛かり、思わず彼女は瞳を閉じて大きく後ろに退避した。


 そして次に目を開けた時――、凜を取り囲んでいた水渦も、剣に纏った水の刃も全て、跡形もなく蒸発していた。

 周囲の酸素が燃え上がったせいか、呼吸がしづらくなっている。息を吸い込むと、空気が熱い。


 小夏は顔をしかめ、口元を手で覆いながら呟く。


「……そ、そんな」

 

 どちらも小夏の渾身の魔法だった。それがこうもあっさり消されてしまうなんて。


 火炎が消え行き、陽炎の向こうに凜の人影が浮かび上がる。


「あなた、思っていたよりずっと優秀なのね。想像以上よ。てっきり、あのプライドもやる気もない、どうしようもない雑魚男に付き纏ってるだけの同類かと思ってた。悪かったわね」


 コツ、コツと足音を鳴らしながら、無傷の凜が長剣を携えて、小夏の方へ歩み寄る。その表情は、微かな笑みを湛えていた。


「違うもん……」


 自然とこぼれ出た、子供が拗ねたような言葉。凜はそれに怪訝そうに反応した。


「何がかしら?」


「夜人は、雑魚なんかじゃないよ。本当は凄いの。でも、少し才能が足りなくて、みんなが夜人のことを認めないから、ちょっと捻くれちゃっただけなの」

 

 そんな小夏の台詞を聞いて、凜は見るからに苛ついた表情を見せた。


「――だからなに?」


「……え?」


「才能が足りないから? 誰かに認めてもらえないから? そんな程度で折れてしまう奴なんか、初めから此処ここに要らないのよ。目障りでしかないわ」


「……で、でも」


「まぁ正直、誰がどこでどんな風に生活しようと、私には関係ないわ。でもね、そういう奴らが私の視界に入るのが本当に気に入らないの」


 「ただ、それだけよ」と、吐き捨てるように呟くと、凜は剣を構え、小夏に肉薄した。その瞳は先に増して鋭く、しっかりと小夏を見据えている。


「――っ!」


 凜が剣を斬り上げる。刃は小夏の肩口を裂いて、血飛沫が上がる。

 傷は浅くない。激しい熱が肩を襲い、小夏は歯を喰いしばった。


(ここで引いちゃだめ……っ!)


 小夏は凛の勢いに憶することなく一歩踏み出す。凜は剣を振り切った直後、攻めるなら今しかない。


「ぁぁぁああっ!」


逆袈裟に剣を振るった。小夏が放つ全力の斬撃。だがその刃は、空を切った。


「――甘いわ」


「がっ……ッ!?」


 腹部に爆発したような衝撃。小夏の身体が宙に浮いた。

 その時彼女の視界に入る。凛の爪先が、抉るように小夏の脇腹を捉えていた。


(はや……すぎ……ッ!)


 凜が容赦なく脚を振り切る。小夏は吹き飛ばされ、フィールドの端、硬い壁に背中から衝突した。 

 ずるずると崩れ落ち、小夏はその場に座り込む。


 朦朧とする思考。霞む視界の先で、凜が悠然とこちらに歩み寄ってくるのが窺える。


「ま、まだ……っ」


 吹き飛ばされても、小夏は右手に握った剣は放していなかった。


「――ひ、《治癒ヒーリング》」


 残り少ない魔力を振り絞って、自身の身体に治癒をかける。これで少しはマシになった。

 だが、完璧に回復したわけじゃない。


 小夏はよろよろと剣を杖代わりにして立ち上がり、フィールドを足底で踏みしめ――前へ進んだ。


「負けない……っ。わたし、負けないから……っ」


 小夏は力を振り絞って、凜を目指して駆ける。その速度は次第に上がって行き、凜が間合いに入った瞬間、両手で握った剣を速度の力も利用して振り下ろす。


 だが――――、


「その心意気は認めてあげる」


 キィンッと甲高い音が鳴り響いて、小夏が両手で握っていた片手剣が天高く舞い上がる。


「……」


 小夏の首元に、長剣の剣先が突き付けられていた。


 小夏の正面には、凜の顔があった。桃色の鋭い瞳が、小夏の瞳を見据えている。


「私の勝ちよ」


 静かに告げると、凜は長剣を腕輪に戻して、背を向けたのだった。

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