13.医務棟にて




 外壁の外の森にて、魔物たちが一斉に凶暴化するという前例のない現象が起こった後。教師陣の迅速な判断と対応や、凛と夜人の独断行動のおかげで、幸いにも一切の重傷者、死者を出すことなく、彼らは学園に戻った。


 そんな中、被害にあった生徒とは別に、凛と夜人は担任教師の桜子に職員室に呼び出された。

 そして長い説教を終えて今、二人は職員室から出てきた所である。


「すげぇ怒られたな」


「納得いかないわ。私がいなかったら死んでいた生徒もいたのに、どうして私が怒られなければならないのかしら」


「まぁまぁ。でも最後はありがとう的なこと言われただろ」


「はぁ? あんなのは感謝の内に入らないわ。頭の固い奴ばかりなんだから……っ」


 凛は不快そうに言うと、夜人を睨むように見た。


「それよりもあなた。私の命令を無視して森に入ったのよね」


「そうだけど、でも俺が入ってなかったら死んでた生徒もいるんだぜ?」


 予め用意していた台詞を言うと、凜は何も言えなくなったかのように顔を逸らし、そして舌打ちをした。


「あなた、本当に何なの?」


「いや、何なのと言われてもな……」


「訳が分からない。……ほんと、気に入らないわ」


 凜はそれだけ言い残すと、足早にその場から離れていった。


「はぁ……。女王様はいちいち怖いんだよな……」


 夜人は軽く息を吐くと、踵を返してある場所を目指した。

 その場所というのは医務棟。

 学園の中央付近に建っている建物で、様々な医療機器が備えられており、治癒魔法の専門家も常駐している。


 今回、凶暴化した魔物に襲われ傷を負った生徒は、それが大したものでもなくても念のためにということで、現在、医務棟で検査を受けているのだ。


 夜人は一度校舎の外に出て、医務棟に向かう。

 桜華学園は魔道戦士(ブレイバー)を育成する機関ということで、その教育に怪我や命の危険が付きまとうことは避けられない。

 そのため、この医務棟の医療体制の水準はとても高いものになっているのである。


 夜人は医務棟の中に入り、通りかかった医務員に小夏が居場所を尋ねる。

 しかし、その医務員は詳しいことを知らないようで、夜人は引き続き見かけた人に小夏の居場所を尋ねるということを繰り返し、四人目に尋ねた所で、ようやく知りたかった情報を得た。

 

 夜人は二階の階段付近にある一つの部屋の戸をノックする。

 「どうぞ」という小夏の返事があったので、「入るぞー」と声をかけながら中に入った。


 部屋の中は広くはなかったが清潔で掃除が行き届いているようで、ベッドが二つあった。

 ベッドは二つとも埋まっており、二人とも夜人のクラスメイトだった。片方の生徒は眠っているらしく、もう片方の生徒は上半身を起こして夜人の方を見ていた。小夏である。


「夜人……」


「よう。怪我は大丈夫なのか?」


「うん。治癒魔法はかけてもらったし、今はもう何ともないよ。でも、もう少し検査したいことがあるからって、まだ帰れないみたいだけど……」


「そうか。まぁ、何ともないならよかったよ」


「うん……」


 小夏は俯いて、布団を握りしめた。そして、少し控えめな様子で、夜人を見つめなおす。


「あのね、夜人。助けてくれて本当にありがとう。まさか夜人が来てくれるなんて、……思わなかった」


「あぁ、気にすんな。お前が無事ならそれでよかったよ」


「……気にする、よ」


 小夏がポツリと、しかし力強く呟いた。


「……え?」


「気にするに決まってるよっ!」


 小夏が大声で叫んで、その青い瞳からポロポロと涙をこぼす。


「夜人。わたしよりずっと弱いのに、あんな無茶して……っ。もしかしたら死んじゃうかもしれなかったんだよ!?」


「小夏……」


 夜人は一瞬、自分が半吸血鬼ダンピールであることを小夏に伝えようかと思った。だからこそ、あの時、一人で森に入っても大丈夫という自信があったことを。


 だが、それを伝える訳にはいかない。吸血鬼ヴァンパイアの血を引いている夜人ならまだしも、関係のない小夏まで吸血鬼ヴァンパイアの存在を知ってしまったら、どうなるか分からない。最悪、口封じのために殺されるかもしれない。


 だから夜人は、目を伏せることしかできなかった。


「……悪かったよ。でも、小夏を助けたかったんだ。これだけは分かって欲しい」


「夜人……。ねぇ、夜人、約束して」


「なにをだ?」


「これから危ないことはしないって。わたし、夜人に危ない目にあって欲しくない。もし夜人が死んじゃったら、わたし……っ」


 じわりと、また小夏の瞳に大粒の涙が浮かぶ。


 それを見て、夜人は胸が締め付けられるようだった。

 小夏が優しい子だ。だから自分のせいで、夜人が危ない森に飛び込んだことが許せないのだろう。


「……わかったよ小夏」


 夜人は小夏の頭に手を乗せ、撫でる。


「もう危ないことはしない」


「よ、夜人、ちょっと……」


 小夏の顔が真っ赤になって、言葉が弱々しくなる。

 子供みたいな扱いをされて恥ずかしいのだろうかと夜人は思う。

でもこれで、この場の暗い空気が少し和らいだ気がする。

 が、これ以上続けて彼女の機嫌を損ねるのも逆効果なので、夜人は「悪い」と言って手を引いた。

 

「あ……っ」

 

「それじゃあ、邪魔したな小夏。また明日」


 そう言い残して、夜人は部屋から出た。



(悪いな小夏……。多分、危ないことはしないって約束、守れない気がする)


 廊下を歩きながら、夜人は思う。


 半吸血鬼ダンピールという曖昧な存在に生まれ、その事実を知ってしまった自分はもう、普通の暮らしはできないだろう――と。





 夜人が出て行った後も、小夏は胸のドキドキが止まらなかった。

 顔がとても熱い。

 

 小夏はさっきの感触を確かめるように、両手で自分の頭に触れる。


「あ、頭……、撫でられちゃった……」


「――小夏ぅ~っ!」

 

 ぼすんと、何かが勢いよく小夏のベッドに飛び込んでくる。


「きゃっ、ゆ、優子っ!? 寝てたんじゃないのっ?」


 それは、小夏の隣のベッドで横になっていた天木あまき優子ゆうこという生徒だった。小夏と仲の良い友人の一人である。


「いやー、実はうとうとしてただけなんだよねーっ。そしたら衆印くんが入ってくるじゃん? こんなの寝られる訳ないよっ」


「じゃ、じゃあっ、全部聞いてたの?」


 小夏の顔がますます赤くなる。優子は大きく頷いた。


「それはもう、バッチリよっ。聞いてたし、横目で見てたよっ。でもいいなぁっ、いいなぁ小夏っ。あんな幼馴染がいてさっ」


「え? え?」


 優子がもぞもぞと無理やり小夏の布団の中に潜り込みながら、喋り続ける。


「綺麗な黒髪でしょ? あと、顔も悪くないし。魔道戦士ブレイバーとしての才能はないかもしれないけど、それなのに今日、自分の危険なんか顧みずに小夏のために一人で森の中に来てくれたんでしょっ? それでちゃんと助けてもらえたんでしょ? いいなぁっ」


 「きゃー」と叫びながら優子が小夏の身体を抱きしめる。


「ちょっ、優子っ!?」


「しかもっ、しかもっ、なにあれっ。泣いてるあんたの頭、あんなさりげなく撫でちゃって! あんなん惚れるに決まってるでしょ。あっ、でもそっか。小夏はもう衆印くんのこと好きだから関係ないか」


「べっ、別にわたしは……っ、その、夜人は別に、ただの幼馴染で……」


 顔を真っ赤にして、この期に及んで明言を渋る小夏に、優子は冷めたようなジト目を向ける。


「へーっ。そっかー。じゃあ小夏が好きじゃないって言うならあたしが貰っちゃおうかな。衆印くん、中々良いと思うんだよね。なんか弱いからどうのこうのって言ってる人いっぱいいるけど、あたしはそんなの気にしないしー」


「だ、ダメだよそんなの!」


 焦ったように叫ぶ。その直後に「あっ」と口にして、しまったという顔をする小夏。


 それを見て、優子はニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべた。


「もーっ、ずるいよ優子……」


 すねたように言って、小夏は布団で顔を隠す。


「ごめんってば小夏―。あー、もう、小夏は可愛いなこのっ」


 優子は小夏を抱き寄せると、その頭を強引に撫でまくる。

 

「ちょ、優子……っ。やめ、きゃぁっ」


 そんな彼女たちのじゃれ合いはその後もしばらく続いたのだった。

 

 

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