12.屋外実技訓練と動き出す闇Ⅲ



 教師たちが森の中に入り、生徒たちも学園に戻ることとなり、その場に誰もいなくなったかのように思われた。


 しかし、どさくさに紛れて、森の入り口付近にある木陰に身を隠した二人の生徒がいた。


 学園最弱と名高い衆印夜人と、学年最強の春風凛である。


「はぁ……。本当に呆れた。どうしてあなたがここに残っているの?」


 凜は信じられないという顔を夜人に向ける。


「いや、だってまだ春風さんの指示もらってないし」


 夜人はつい先ほど、無条件で凛の命令に従うことを約束させられた出来事を思い返す。


 それを聞いて、凜は頭痛がするかのように額を手で押さえた。


「どうしようもない雑魚だとは知っていたけど、まさかここまで馬鹿だとは思わなかったわ……」


 いつもの高飛車な様子はなく、本気で呆れているようだ。


 だが、何も夜人も気まぐれでこの場に残ったわけじゃない。


(小夏……)


 昔からずっと一緒にいた彼女が、あの優しい少女が、まだこの森の中にいるのだ。

 彼女を放って自分だけ逃げられる訳がない。


 それに以前の出来損ないの自分ではなく、今の夜人なら、小夏を助ける力がある。


 だが、同時に夜人は凛に疑問を持った。この傲岸不遜な少女が、わざわざ誰かを助けるために残るとは思えなかった。


「そういう春風さんも残ってるみたいだけど、なんで?」


 夜人が素直に尋ねると、凛は一転、いつもの高飛車な雰囲気で口端を吊り上げた。


「あら、強者が弱者を救うのは道理でしょう?」


 夜人は先ほどの彼女との会話を思い返して、思わず小さな笑みをこぼした。


「素直じゃないんだから……」


「何か言ったかしら」


 鋭い口調と共に凜が夜人を睨む。


「いや、何も言ってないよ」


「そう、ならいいわ。とにかく、あなたみたいな雑魚が森の中に入ってもできることはないわ。むしろこれ以上ない邪魔になる。出来損ないの雑魚だものね。だから今すぐ学園に戻りなさい。今ならまだ間に合うわ」


 そう言って、凜はまだ視界に届く範囲にいる学園に戻る生徒たちの集団を指さす。


「……わかったよ。言う通りにする」


「ふんっ。それでいいのよ。それじゃあね」


 凜は魔道武装マギアデバイスを展開させると、凄まじい速度で森の中へ入って行った。


 それを見届けて、夜人はポツリと呟く。


「なんて、戻る訳はないんだけどな。……待ってろ小夏」


 夜人は左腕の腕輪を黒刀に変化させると、森の中へ入るのだった。

 




「うぃ、――《風刃ウィン・レイド》っ!」


 その生徒が放った風の刃が、雄叫びを上げながら迫ってきた猿によく似たモンスターの身体を切り裂く。

 だが、身体に無数の傷を受け、ダラダラと血を流しながらもそのモンスターは怯む気配を見せなかった。


「な、何なんだよこいつらっ、急にどうしちまったんだっ」


 見慣れた、戦い慣れたモンスターの筈だった。

 だが瞳を血走らせて、まるで自分の命を捨てる勢いで襲ってくるこいつらは、今までで初めて見る様相を呈していた。


 その少年は、既に負傷を負って動けなくなっている背後の仲間をチラリと見やる。

 ここで自分が逃げたら、仲間が殺される。


 そんな時、少年は二匹目のモンスターが自分を狙っていることに気づいた。血を流しながら自分を殺そうとしている猿型のモンスターと同じく、目が血走っていた。

 ゾッと寒気がする。


 どうして、先生たちは来てくれないのだろうか。そんな考えが浮かぶ。


 生徒が緊急事態に陥れば、先生たちが助けに来てくれると言っていたはずなのに。


 彼は知らない。

 他の生徒たちも、自分と同じ目に合っていることを。そのせいで、教師の数が足りず、全ての生徒を助けにいけていないことに。


 ――いっそ、仲間を見捨てて逃げてしまおうか。


 恐ろしい考えが、彼の脳裏に過ぎった。

 死ぬよりはマシだと。


 目の前に迫っていた二匹のモンスターが真っ二つになったのは、そんな時だった。


「――情けないわね。それでも桜華学園の生徒なの?」


 刃に付着した血を飛ばすように切り払って、こちらを見る一人の少女。

 桃色のミディアムヘアーを風になびかせる彼女の名は、春風凛。


「じょうお……、じゃなくて春風、さん……、なんでここに」


 少年は震える声で尋ねる。


「そんなことはどうでもいいわ。いいから、あなたみたいな役立たずはその怪我人を担いで森の外に行きなさい。こっちの方角は私があらかた片付けたから安全なはず」


「え、でも」


「鬱陶しいわね、邪魔だから早く行きなさい」


「は、はいぃっ!」


 少年は凛の剣幕に押されるように返事をして、負傷した仲間を担ぐ。


「……一体何が起こってるのかしら」


 走り出す少年の背後で、凛は怪訝そうに呟いた。





「っざけんなよあの野郎……ッ!」


 夜人は怒りに満ちた声を上げた。 


 夜人が森に入ったすぐ後のことだ。

 彼は風の力を利用した感知魔法を使用して、小夏の姿を探した。


 血を飲むことで精度の上がった夜人の感知魔法は広い範囲に行き届き、すぐに小夏の居場所を割り出した。

 だが、夜人は感知魔法によってその光景を捉えたのだ。


 小夏のペアである鈴川が、小夏を見捨てて自分だけが逃げ出した所を。

 

 胸の内に激しい怒りが渦巻く。

 だが夜人には鈴川への怒りを滾らせている余裕はなかった。


 小夏が陥っている状況は酷く危険で、今にもその少女の命が無残にも散ろうとしている直前であった。


「――《風迅インテリペ》」


 風の属性を纏った魔力が、夜人の速度を大幅に引き上げる。その速度は音速を越え、ソニックブームをまき散らしながら夜人は遂に視界に小夏の姿を捉える。


 その瞬間はまさに危機一髪。

 三匹のアノイヴォルフの鋭い爪と牙が、今にも小夏に届こうとする刹那であった。


「くっそ――ッ!」


 夜人は地面を蹴りつけて飛び、自身の身を盾にしながら小夏を守るように包み込んだ。

 夜人の背中を爪が切り裂いて、血飛沫が上がる。


「つっ……ッ」


 夜人は痛みに顔をしかめる。だが傷は深くない。

 そのまま小夏を抱きしめながら地面を足裏で削って速度を落として、やがて停止した。


「はぁ……っ、はぁ……っ。あぶねぇ……、間に合った……っ」


 全霊をかけて森を駆け抜けた夜人は荒い呼吸を繰り返しながら、腕の中の小夏が無事であることを確認する。


「よる、と……?」


 小夏は信じられないという瞳で、力無く夜人を見上げる。彼女の身体は酷く震えていた。


「悪い、遅くなった。でももう大丈夫だから。すぐに森を出よう」


 早口にそう言って、小夏をお姫様抱っこすると、森の外へ足先を向けて駆けだそうとする。


「ま、待って夜人……っ」


 しかし、小夏が夜人の服を強く握りしめ、何かを訴えるように見つめる。


「どうした?」


 夜人は焦っていた。さっきのアノイヴォルフたちが追って来ても楽に返り討ちにできるのだが、それを小夏の前で行うのは憚られた。

 夜人はまだ、少しマシになった程度の出来損ないでないといけないのだから。

 だって、いきなり常識を超えて強くなるなんてこと、本来ならあり得ないのだから。


 だが、夜人はすぐに焦りを忘れることになる。

 小夏の口から、予想外の言葉が出てきたからだ。


「す、鈴川くんが、まだ森の中にいると思うの……っ。だから、助けないと」


「……っ」


 夜人は心の底から呆れた。

 小夏を見捨てて見殺しにしようとした鈴川の安否を、こんな状況になってもまだ案じているのだから。


「……わかった。そうしよう」


 夜人は吐き捨てるように言って、再び感知魔法を展開して鈴川の位置を探る。


「夜人……、下ろして。私がやる。夜人だけだと、危ないよ……っ」


 小夏はなぜか、泣きそうな顔で夜人にそう言った。

 夜人は少し迷ったが、それを無視すると、小夏を下ろすことはなく、すぐに見つけた鈴川の方向に向かって走り出す。


 感知魔法で見たところ鈴川は今、数匹の魔物に追い詰められていたが、膠着に近い状態であったため、このまま走れば多分間に合うだろう。


「ねぇ、夜人下ろして、お願い……っ」


 小夏は悲愴に繰り返し訴えるが、夜人はその悉くを無視する。


 そしてやがて、鈴川の姿を見つける。


 鈴川は木の幹に背中を張り付かせて、顔を恐怖の色に染めていた。三匹の魔物がじりじりとそれに近寄っている。


 一瞬迷った。

 今の夜人があの三匹を瞬殺するのは容易いが、それだと鈴川と小夏に夜人の異常性を見せつけることになる。

 これで窮地にいるのが小夏だったら迷うことはなかったのだが……。


「――チッ」


 夜人は舌打ちをすると、「――発風ヴァン」と唱えて突風を起こし、鈴川を狙う魔物たちをよろけさせ、隙を作った。


「今の内に逃げろ!」


 鈴川を睨んでそう叫ぶ。鈴川は必死な様子で何度か縦に首を振ると、森の外へ向かって駆け出す。

 夜人もまた、その後を追うようにして走り始める。


 その後も、近寄ってきた魔物を軽い魔法で牽制しつつ、鈴川、小夏と共に森の外へ脱出したのだった。





「あはっ、あははははははっ。くくっ、あぁっ、面白いなぁっ。くははっ」


 樹木の枝に腰を掛け、お腹を抱えるようにして笑い声を上げる一人の少年がいた。

 可笑しくてたまらないという様子であり、そんな彼の様子を一人の長身の女性が呆れたように眺めている。

 女性の身体は少年に向かい合うようにして浮かんでいる。彼女の背中には蝙蝠のような黒い翼が広げられているが、それを羽ばたかせて浮かんでいるようには見えなかった。


「サン。何がそんなに面白いのですか」


「ルージュ。君は可笑しくないのかい? 本質は大して変わっちゃいないのにさ、ちょっと闘志を狂わせた程度の魔物に腰を抜かす人間どもの姿が」


 「いつもはあんなに偉そうに嬲り殺してるのにさ」と続けて、少年はくつくつと心底可笑しそうに笑う。


「はぁ。本当にサンは趣味が悪いですね。こんなことをして、私たちの存在が露見したらどうするつもりなんです?」


「いやいや、これは大切なことさ。大切な、とても大切な実験の一つ。まぁこれは失敗だけどね」


「失敗なのですか?」


「うん。面白い魔法だけど、使い勝手が悪すぎる。理性を完全になくして、術者のボクにまで襲い掛かって来るんだから」


 丁度その時、猿型の魔物が少年たちがいる樹を上ってきて、少年に向かって狂気の雄叫びを上げた。


 少年はその魔物を薄い笑みを湛えて一瞥した後、軽く腕を振るう。

 次の瞬間、魔物の身体は幾重にも切り刻まれ、ただの肉塊と化すと、樹の根本に落ちる。

 その近くには似たような肉塊が大量に転がっていた。


「ですが、実験だとしてももう十分なのではないですか? ここに長居するのは、危険だと思われるので早く引き上げた方がいいかと」


「はぁ、全くルージュはほんとに心配性なんだから」


「慎重と言ってください」


「わかった、わかったよ。わかったわかった。面白いものも見れたしね、今日はこれくらいで満足しとく」


 パチリと少年が指を鳴らした。それと同時、森の中に広まっていた狂気的な異様な気配がすっと引いていく。


「じゃー、かえろっか」


「はい」


 バサッと少年は背中から黒い翼を広げ、宙に浮くと天に向かって飛んで行く。燦々と光を照りつける太陽との距離を縮めていく。

 女性の方もまた、小さく吐息を漏らしてから、同じように黒い翼を羽ばたかせ天へと消えて行ったのだった。

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