11.屋外実技訓練と動き出す闇Ⅱ




 小夏と鈴川は、三匹のアノイヴォルフと戦闘を行っていた。

 アノイヴォルフは、そこまで強い魔物ではない。そもそもこの森に生息している魔物が、桜華学園に通う者にとっては雑魚ばかりなのだ。

 だから例え三匹が相手だろうと、本来なら・・・・彼女と彼にとってそこまでの脅威ではない。


 落ち着いて対処すれば、十分に太刀打ちできる範疇だ。――そのはずだった。



 三匹のアノイヴォルフが纏う狂気、死に物狂いとでも言えそうな覇気。その三匹は、まるで小夏たちを道連れにしようとしているかのような必死さで、立ち向かってくる。


「は、は……っ? な、なんだよコイツら、なんかおかしくないか? ――ッ!?」


 愚直で直線的な動きで接近したアノイヴォルフが、鈴川に向けて鋭い爪を振り下ろす。

 彼は何とか身体を捻って回避を試みるが、二の腕に爪先がかすり、血飛沫が飛び散った。


「鈴川くんっ!」


 小夏が飛び出して、わざとアノイヴォルフの視界に入る位置から片手剣を振るう。

 通例であれば避けられるはずだし、小夏もそのつもりで剣を振った。避けたタイミングを図って魔法を使い、動きを封じる算段だったからだ。


 だが、アノイヴォルフは攻撃を避けなかった。彼女の剣が、アノイヴォルフの背中から横腹にかけて浅く斬り裂く。


「っ!」


 しかしアノイヴォルフは怯まなかった。ダラダラと血が流れる傷口などないかのように小夏に狂気の視線を向けると、唸りを上げながら彼女に突進する。


 小夏は咄嗟に盾でそれを防いだが、衝撃を耐え切ることが出来ず吹き飛ばされ、背後にあった大木に強かに激突する。


「――っぁ……っ」


(痛い……っ)


 残り二匹のアノイヴォルフも、動きの止まった小夏に狙いを定めたことを、彼女は視界の端で確認する。

 アノイヴォルフたちは地面を抉るように蹴りつけて小夏に飛び掛かった。小夏の脳裏に自分がズタズタに切り裂かれるイメージが過ぎる。


(だ、だめ……。このままだと――)

 

「――ひ、《治癒ヒーリング》!」


 自身に治癒魔法をかけながら必死に立ち上がって、彼女は横に跳んだ。

 間一髪の所で、アノイヴォルフ二匹の牙と爪を避けた――ように思われたが、爪先が肩に掠り、肉が引き裂かれた。血が流れ、傷口に痛みと熱が走る。小夏が苦悶の表情を浮かべる。


「つッ、ぅぅ……」


 その時――、


「「「グォァァァァァァァ!!!」」」


 三匹のアノイヴォルフが天に向かって力強く吠え始めた。


「な、なに……?」


「な、何なんだよぉ……ッ!?」


 吠え続け、隙だらけになったアノイヴォルフに、鈴川は自棄やけになったように槍を突き刺した。

 槍先はアノイヴォルフの腹を抉り、内臓を深く貫いた。


「へ、へへ……とりあえず一匹」


 鈴川は強張った笑みを浮かべて、腹から大量の血を流すアノイヴォルフを眺めた。――が、しかし、アノイヴォルフは倒れなかった。


「へ……?」


 アノイヴォルフは幽鬼のようなふらついた足取りで一歩鈴川に近づくと、狂気に染まった赤い瞳を揺らして、彼に鋭い牙を向けた。


「グガァァァァァっ!!」


 アノイヴォルフは限界までその口を開くと、鈴川の首元に噛みつこうと唸りを上げる。


「――――っ」


「だ、ダメ……ッ。――《樹槍プラント・スピア》!」


 小夏がそう唱えると先端が鋭く尖った樹木が地中から跳び出して、アノイヴォルフの身体を天高く突き上げた。

 身体に大穴を空けられたアノイヴォルフは、樹木の先端に貫かれたまま、ピクピクと震えた後、動かなくなる。

 

「はぁ……、はぁ……っ」


 多くの魔力を使った無理な魔法だったため、小夏の体力が一気に奪われる。

 荒い呼吸を繰り返し、小夏は力無く膝を付いた。


(だ、ダメ……。このままじゃ、鈴川くんっ)


 小夏が鈴川の方を見ると、彼は身体を脱力させて、絶望した表情を浮かべていた。


「む、無理だ……。無理だ……」


「え……っ? ……――っ!!?」


 小夏は鈴川の視線の先を追って、そして、認めたくない恐ろしい事実に気が付く。


(そんな……っ!)


 新たに四匹のアノイヴォルフがこちらに向かって来ていたのだ。

 そのアノイヴォルフたちもまた、瞳を血走らせ、口端から涎を垂らして狂気に染まっているようであった。


 最初に見つけた三匹だけが異常だったのではない。この森にいるアノイヴォルフ全てが――否、もしかすると魔物全てがこのような状態に陥っているのではないのか。

 そんな考えが小夏の頭に浮かぶ。


「お、おかしいだろ……っ!? なんで先生たちは来ないんだよ!! 俺らを見てて、危ない時には助けに来てくれるんじゃないのかよ! ふざっけんな!」


 鈴川は焦点の定まらない瞳で、狂ったように叫んだ。


「グルゥゥゥゥゥ……ッ」


 低い唸り声を鳴らしながら、六匹のアノイヴォルフたちが小夏と鈴川を取り囲むように位置取る。

 そして、後ろ脚を限界までたわめて、次の瞬間にも小夏たちに飛び掛かり、その凶悪な牙を突き立てようとした時であった。


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」


 鈴川が全力で叫び上げ、魔法を使う。


「――《風迅インテリペ》っっッ!!」


 全力で行使した魔法の効果により、鈴川は瞬時にトップスピードに加速すると、この場から離脱した。

 残像の軌跡を引いて、アノイヴォルフの包囲を突破する。


「グァァァァォォッ!!」


 六匹の内一匹のアノイヴォルフが、鈴川の背中を追って駆けだしていく。だが、残りの五匹はその場に残って、小夏を取り囲んだままだった。視線も小夏に固定し、決して逃さないと意思表示しているようであった。


「ぁ――――」

 

 小夏は鈴川が逃げて行った方向を茫然と眺め、そのまま崩れ落ちるように地面に座り込んだ。

 頭が今の状況を理解することを否定していた。


 視界の端に映る異常な狂気を見せるアノイヴォルフたちを、認めたくなかった。ゆるゆると首を振って、己の頭が理解することを避ける。知らずの内に涙が流れてた。


「いや……、いや。――ッぁ」


 一匹のアノイヴォルフが、先駆けて小夏に噛みつきを仕掛ける。小夏はそれを、盾を持ち上げてどうにか弾いた。

 しかし、なりふり構わないその攻撃を小夏は受け止めきれず、衝撃に押され、地面を削るように転がった。土煙が上がり、それを見たアノイヴォルフたちが吠え猛る。


 転がった拍子にあちこちを擦りむいて、掠り傷に血が滲んだ。先ほどやられた肩の傷もズキズキと痛みを訴えていた。


(いやぁ……、いや、だよ……。わたし……、夜人……っ)


 小夏の濡れた視界に、涎を垂らしながら跳びかかってくる三匹のアノイヴォルフが映る。狂った狼の赤い口腔が覗く。


「あ……――」



 ――――小夏の身体に強い衝撃が走り、同時に血飛沫が上がった。





 小夏と鈴川が狂気に染まったアノイヴォルフと接触する五分前。



「な、何かおかしいぞっ!」


 場の雰囲気が怪しくなったのは、その声がきっかけであった。

 感知魔法を生徒の行動範囲に行き渡らせて、森に入った生徒たちに危険が及ばないように見張っていた二人の教師の片割れが不意にそう言ったのだ。


 続けて、もう一人の教師も何かに気が付いたように目を大きく見開いた。


「な、何があったんですか?」


 桜子が不安そうな顔で、その教師たちに尋ねた。

 

「森の魔物たちの様子がおかしい……。何なんだこれは……? とにかく! 早く生徒たちを森から出した方がいい。既に四組の生徒たちが魔物と接触して苦戦してる」


 感知魔法を使っていない桜子には、森の中で何が起こっているのか計り知れなかった。が、その教師たちの必死な喋り口調から、今が窮地であることを悟った。


 桜子はすぐさま顔を引き締めると、緊急事態に備えてこの場に来ている、確かな実力を持った二人の教師に森の中に入って、生徒を助けるように告げる。

 貴元ともう一人の教師は頷くと、すぐに森の中へ突入していった。


 その二人の背中を見送った桜子に、感知魔法で森の中の状況を把握している教師が話しかける。


「古上先生。この状況では、二人では足りないと思われます。事態は一刻を争います……」


 そう言って、焦燥の眼で森の方を見やった。


「分かりました。では、私も中に入ります。大岡先生も一緒に来てください」


 大岡と呼ばれた感知魔法を担当していた教師が頷く。彼もまた、今森に入った二人ほどではないものの、戦闘を行える教師だ。


「長谷川先生は、この子たちを学園に連れて帰って、今の状況を伝えてください」


「は、はい……!」


 長谷川と呼ばれたもう一人の感知魔法を担当していた教師は、繰り返し頷く。


 桜子は、教師たちのただ事じゃない様子から異常事態を感じ取ってざわざわと騒めいている生徒たちの方を見やった。


「みんな聞いて。ここで授業は中断するわ! だから長谷川先生と一緒に、学園に戻っておいて」


「先生はどうするんですかっ?」


 生徒の一人がそう尋ねた。


「私はここに残ります。今、これ以上の質問は受け付けないわ。だから早く行って」


 普段の温厚な彼女とはかけ離れたキツイ口調で告げる。そして、促すように長谷川を見た。


「ほ、ほら、みんな行くから、ちゃんと付いてきてね」


 長谷川が生徒たちにそう呼びかけ、外壁の大門の方へ向かう。状況が状況であるため、生徒たちも特に文句は言わず、ただ森の方に不安な顔を向け、彼女の背中に付いていく。


 桜子と大岡はそれを確認すると、お互い顔を見合わせて頷き合い、森の中へ入って行った。


 

 そうしてその場には誰もいなくなったかのように思われた。


 しかし、教師たちは気づいていなかった。

 突然に起こった異常事態であるため、焦り、長谷川に付いて行った生徒の数を確認していなかったのだ。

 学園に戻るその集団に、生徒が二人足りていないことに。

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