6.チカラの自覚



「うっ、太陽が……」


 家から出て、ギラついた陽光を受けた夜人は顔をしかめる。血を飲んで身体の調子が格段に良くなった夜人だが、これだけは今までとあまり変わらないようだ。

 直射日光を浴びた途端、やる気と体力が一気にそがれる。


 ティーナの話では、半吸血鬼ダンピールである夜人は、いつまで日光を受けようと、例え血を飲まないで生活しようと死ぬことはないらしい。だが、半分が吸血鬼ヴァンパイアである以上、そこに生まれるリスクは大きい。そのことは夜人自身が身を持って理解していた。

 ちなみに純血の吸血鬼ヴァンパイアの場合、何の対策もなしに直射日光を浴び続けると、数時間ほどで気を失い、そのまま死に至るらしい。


 そんな吸血鬼ヴァンパイアであるティーナは、カーテンを閉め切って、今も夜人のベッドで眠りについている。

 一応、家を出る前に叩き起こして、注意事項を伝えておいたが、大丈夫だろうか。心配だが、夜人も学校に行かなくてはならない。


 まぁ彼女も闇のセカイで暮らしてきた吸血鬼ヴァンパイアの一人である以上、そうそう変なことはしないだろう。

 

 そう思って、容赦ない陽光の中、夜人は手で影をつくりながらふらふらと学園を目指す。


「あ、夜人っ。相変わらず、朝は苦手みたいだねっ」


 学校に向かう途中、元気な声が夜人かけられた。そちらに目を向けると、透き通るような青髪を揺らす少女、涼風小夏が立っていた。彼女の家は、夜人が学校に向かう途中にあるのだ。


「なんだ小夏か……」


 少し意外に思った。昨日の実技訓練の終わりに、少しきついことを言ってそれ以降話しかけられなかったから、もしかしたら今日は居ないかもしれないと思っていたのだが。


「うんっ、おはよう夜人」


「別に俺のことなんて待たなくていいって何度も言ってるだろ? どうせ俺は時間ギリギリにしか出ないんだから」


「べ、別に待ってなんかないもん。ただ、歩いてたら後ろから夜人が歩いてくるのが見えたから……。そうっ、偶然だよ、偶然」


 この規則正しい少女がこんな時間に家を出るなんてこと、毎日起こるわけがないだろうに。

 それに夜人は見ていた。以前は分からなかったが、以前よりずっと明瞭で遠くを視認できるようになったその瞳で、小夏がしきりに時間を確認しながら夜人を来るのを待っているのを。


「分かりやすいんだよお前は……。ほら、早く行かないと遅刻になるぞ」


「あー、ほんとだ。じゃあ行こっか」


 そうして、夜人と小夏は並んで歩き始める。


「ねぇ夜人、お腹……大丈夫?」


 歩き始めてすぐ、小夏は気遣うように言った。


「え? お腹……?」


「もーっ、昨日貴元先生にお腹を殴られたでしょ? まさか忘れちゃったの?」


(あー、そんなこともあったな)


 昨日はそれ以上に常識外のことが起こったせいで、そんなことなど頭の中から綺麗に無くなっていた。


「別になんともないよ。小夏がちゃんと治癒してくれたし、痛みもない」


「そっか、よかったぁ」


 ほっとしたように小夏が呟く。そして、何かを思い出したように「あっ」とこぼした。


「そういえばさ、昨日の夜、夜人も聞いたよね?」


「なにを?」


「昨日の、夜の八時くらいかな……。なんか、草原がある方向から、物凄い音が聞こえてきたの」


「……っ!?」


(き、昨日のあれだよな? あの音、街の中にまで響いてたのか)


 昨夜、ティーナに促されて撃った衝撃魔法。凄まじい威力だとは思ったが、まさか街に音が届くほどだったとは。

 誰にも見られてはいないはずだが、もしバレたら言い訳のしようがない。

 夜人の顔に冷や汗が流れる。


「い、いや、知らないな。ちょうどその時、俺別のことに集中してたから」


「ふーん、そうなんだー。別のことって?」


「た、大したことじゃないって。それよりさ、小夏――」


 そう言って無理に話題を切り替える。小夏も昨夜の大音に関して、そこまで執着するつもりもないのか、夜人の話に乗ってきた。

 その後はとりとめもない事を小夏が夜人に振って、それに夜人が何気ない返事をするということが何度か繰り返されたが、学園がそろそろ近付いてきた頃、小夏が何かに気付いたように言った。


「ねぇ夜人、なんかいつもより調子よさそうだね」


 夜人の顔を覗き込むようにして見る小夏。

 

 夜人は少しだけ動揺した。確かに調子がいい事は確かだが、そんな素振り見せていないつもりだったから。


「そ、そうか……?」


「うん。なんかいつもより、顔がスッキリしてるっていうか……その、かっこいい……」


「は? かっこいい?」


「っ!? え、い、いや違うの! そのっ、別に全然変な意味じゃなくて……っ。あ、あぁっ! ごめん夜人っ、わたし用事思い出したから先に行くねっ?」


 慌てたようにまくし立てて、小夏は学園に向かって駆けだした。

 身体強化でも使っているのかと思わせる速度で、小夏の背中はどんどん遠ざかっていく。


「なんか、時々変になるよなあいつ……」


 幼馴染の奇行に首を傾げながら、夜人は学園に向かって再び歩き始めた。


 



 一限目が始まる五分ほど前に、夜人は自分の教室に辿り着いた。


(思ったより余裕あったな)


 そう思って、鞄を担ぎながら教室の中に入ろうとした所、何者かが死角から勢いよく飛び出してきた。

 そいつと肩がぶつかり合い、ぶつかってきた生徒が、小さくよろめく。


「……」


 夜人はそのクラスメイトの男を一瞥してから、特に何も言うことなく自席に向かおうとした。


「おい待てよテメェ」

 

 だが、ガシっと背後から肩を掴まれる。

 首だけで振り返ると、怒りを宿らせた目で男は夜人を睨んでいた。そこで夜人は、その男が鈴川という名前の生徒であることに気付いた。


「テメェ、ぶつかっておいて。謝りもなしかよ」


「……悪かったよ。謝るほどじゃないと思っただけだ」


 煩わしいと思いつつそう言って、鈴川から目を離す。


「は? それだけで済むかよ。ハズレ野郎の分際でよぉ。もっと他にやることがあんじゃねぇのか?」


(めんどくせぇ……)


 いつもこうだ。相手が夜人だと分かると、調子に乗って付け上がる。


「じゃあどうしたらいいんだよ」


「一発殴らせろ」


 歪んだ笑みを浮かべて鈴川は言った。


(俺はサンドバック代わりってことか……)


 そうして何も言っていないにも関わらず、鈴川が夜人を殴るために拳を振りかぶった。

 しかし、顔面を狙った大ぶりの一撃は空振って、鈴川は大きく体勢を崩す。

 鈴川は勢い余って、付近の椅子に衝突。椅子が倒れ、ガタンと硬い音が教室に響いた。

 ざわざわと雑談に興じていたクラスメイトたちが、夜人たちの異変に気付いて、視線が集中する。


「て、てめぇ……っ」


 すぐに体勢を立て直した鈴川は、驚きを隠せない表情で夜人を見ていた。

 確かに昨日までの夜人であれば、決して反応して避けるには至らなかっただろう。


 今までさんざん見下されてきた人物の一人に、恥をかかす形になったにも関わらず、夜人の表情は無感動だった。


(ほんと、血を飲んだだけでここまで変わるんだもんな……。半吸血鬼ダンピール、か……)


 なんだか複雑な気持ちになる。

 正直なところ、実感がなかったのだ。現実味が薄かった。

 昨夜に起きたこと全て、本当は夢だったのではないかと。今朝、自分のベッドで眠るティーナの姿を見ても納得できないでいた。


 だって、そうだろう。


(まさかこんな出来損ないの俺が、あんなとんでもない魔法を使って、あの、ベヒモスを一撃で……)


 脳裏に昨夜の出来事が次々と蘇る。どれもこれも、現実感のないことばかりだ。


「ちょ、調子乗ってんじゃねぇえよハズレ野郎がぁ!!」


 額に青筋を浮かべた鈴川が、また夜人に向かって殴りかかる。今度は先と違い、腰の入った本気の拳だった。


 それを夜人はあっさり躱す。

 だが鈴川はその後も続けざまに、拳と蹴りを容赦なく夜人にぶつけてくる。が、夜人にはまるで彼の攻撃を喰らう気がしなかった。その確信があった。


「て、てめぇぇぇぇっ!!」


 そう――だからこそ、今。

 夜人は今、自分が変わってしまったことを受け入れていた。

 己の身に、あまりにも余るチカラを一夜にして手に入れてしまったことを。


「はぁ……っ、はぁ……っ、っ!」


 鈴川が荒い息を繰り返し、血走った目で夜人を睨む。

 

 周囲のクラスメイトたちは、ザワザワと騒めきながら夜人と鈴川を眺めていた。

 彼らの騒めきは、唐突に起こった喧嘩騒ぎではなく、鈴川の攻撃をいなし続けている夜人に向けられているようであった。


「ふざ、けんな……っ」


 鈴川が舌打ちをして、自身の耳に着けたピアスに軽く触れる。


「――展開アクティベート


 ざわっと観衆の騒めきが一段と増した。

 鈴川の手には槍型の魔道武装マギアデバイスが握られていた。


 学生が、教師に許可された場合と、許可された場所以外において、魔法をつかったり、魔道武装マギアデバイスを展開させることは許されていないのだ。


 それを見て、夜人の口端がわずかに歪む。そして、携帯モードの腕輪として装備している自らの魔道武装マギアデバイスを活性化させるための一言を放とうとした、その時だった。


「――やめてっ!」


 鋭い声が切り込んで、同時に人影が目の前に現れた。


「こ、小夏……」


 青髪を揺らすその少女は、夜人を睨みつけるように見つめた。彼女の瞳に涙が浮かんでいる。


「お願い、やめて夜人……」

 

 その時、頭の中に冷水を注がれた錯覚をした。頭が冷え、気付かぬうちに興奮していた自分の存在を認める。


「わるい、小夏。ちょっと調子のった」


 小夏に作った笑顔を向けて、自席の方へ向かう。

 そんな夜人の様子を、魔道武装マギアデバイスを握りしめたままの鈴川が射殺さんばかりに睨みつけていた。

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