5.強すぎたチカラⅡ



「わーっ、お兄ちゃん凄い一撃だったねっ。でもベヒモスじゃ相手にならなかったかぁ。さすがティーナのお兄ちゃんっ!」


 ベヒモスの死体を見て、ぴょんぴょん跳ねながらはしゃぎ、夜人の元へすり寄ってくるティーナ。


 夜人は表面上では落ち着いていたが、内心では動揺していた。そして、何もおかしくないのについ笑ってしまった。


吸血鬼ヴァンパイアが人間に狙われる訳だよ……。このチカラはちょっと、異常だ)

 

 吸血鬼ヴァンパイアが表舞台から姿を消している理由も同時に理解した。

 人間ほどの知性を持って、こんなことを易々行う種族が表に出たら、世界のパワーバランスが崩れる。


「……」


 ――違和感。

 ふと胸の内に、違和感が生まれる。

 そもそもおかしいのだ。どうして、今になって、自分の元に吸血鬼ヴァンパイアの妹が姿を現したのか。

 ティーナが現れていなけば、夜人は今も、ただの出来損ないの人間・・として暮らしていた。そしてこれからもそうだったろう。


 そういえばまだ聞いていなかったなと夜人は思う。

 あまりに突飛なことが起こり過ぎて、聞くタイミングを逃していた。


「なぁ、ティーナ」


 夜人は、側にいるティーナの頭を撫でながらそう言った。


「ふふ……っ。なにー? お兄ちゃん」


 撫でられるのが嬉しいのか、気持ちよさそうに目を細めながらティーナは夜人の方へ顔を向けた。


「ティーナはなんで俺のとこに来たんだ?」


「お兄ちゃんに会いたかったからだよ!」


「じゃあさ、あの、もしかしたら嫌なことを聞くかもしれないけど、ティーナの両親って、生きてるのか?」


「え? うん、生きてるよ?」


 きょとんとするティーナ。夜人の質問の意味が理解できていない様子だ。


(生きてるのか……。じゃあ、やっぱり)


「ティーナお前、無断で家を出て俺のとこに来たんじゃないか?」


 夜人はある種の確信を持ってそう言った。ティーナの両親が健在なら、この無邪気で純粋過ぎる・・・少女を一人でこんな所にやる訳がない。それもただの子供じゃない。吸血鬼ヴァンパイアの子供を、だ。

 もしティーナが何かをやらかして、吸血鬼ヴァンパイアの存在が明るみに出たら、世界を巻き込むような騒動が起きるかもしれないのに。


「っ!? え、ち、違う……よ? てぃ、ティーナは、ちゃんとして、お兄ちゃんに、会いに来たんだもん!」


 分かりやすく動揺して、夜人から視線を逸らすティーナ。


「ちゃんとして、か。じゃあもちろん、ティーナの両親は、お前がここにいることを知ってるんだよな?」

 

「う、うん、そうだよ?」


「ティーナ、ならせめて俺の目を見て話そうな」


 少しかがんで、ティーナの目線に合わせる。「ティーナ」と呼びかけると、ティーナはしぶしぶといった感じで、夜人の方を見た。


「ティーナ、嘘ついてないか?」


「…………ごめんなさい。ティーナ、うそついた……」


 しゅんと落ち込んだ様子で、ティーナは顔を下げる。叱られた時の子犬のような仕草だった。


「じゃあつまり、お前は誰にも知らせず勝手にここに来たんだな?」


「う、うん……そう」


 つまり、家出ということだろうか。


(これ、思ったよりやばい気がするのは俺だけかな……)


 夜人は頭をガリガリと掻きながら、思考を巡らす。

 

 予想が間違っていなければ、ティーナの両親、否、同族たちは今頃血眼になってティーナを捜しているだろう。

 そして、もう一つ――。


「ティーナ、もう一つ教えてくれ。お願いだから、本当のことを言って欲しいんだけど」


「う、うん……」


「ティーナは、俺のところには行くなって言われてたんじゃないか?」


「…………」


 俯いて、何も言わなくなるティーナ。それはもう殆ど答えと言っていい仕草だったが、夜人はティーナが答えてくれるまで待つ。


「どうなんだ?」


 しばらくの沈黙のあと、ティーナはゆっくり頷いた。


「……うん。お兄ちゃんには、会いに行っちゃいけないって、言われてた……。で、でも、ティーナ……、ティーナは、お兄ちゃんに会いたかったんだもん……」


 やはりそうだ。夜人は、ティーナと会ってはいけなかった。

 というよりも、自分が吸血鬼ヴァンパイアの血を引いていると知ってはいけなかったと言った方が正しいのだろうか。

 どちらにせよ、今のこの状況は、ティーナ以外にとって望まれた形ではない。


(……あーっ。どうすりゃいいんだこれ、俺には判断できねぇ)


 眉根を寄せ、難しい顔になる夜人。考えれば考える程、訳が分からなくなる。自分が半吸血鬼ダンピールであるということさえ、満足に受け入れられていないというのに。


「お、お兄ちゃん……」


 その時、ティーナが恐る恐ると、夜人の裾を引いた。

 ティーナの不安に揺れた赤瞳と、夜人の黒瞳が向かい合う。


「お兄ちゃん、ティーナのこと嫌いになった……? ティーナ、嘘ついたから、約束破る悪い子だから……」

 

 じわりとティーナの瞳に涙が浮かぶ。今にも溢れそうなまでに涙を溜めて、ティーナは夜人を見た。


 それを見て、夜人はあることに気付き、無意識の内に身体に入っていた力を抜く。


 ――だからどうした、と。

 別に今まで自分の正体を知らずにいた夜人が吸血鬼ヴァンパイアの事情まであれこれ考える義理はない。

 ただ今、彼がするべきことは、“自分”を受け入れることと、この無邪気で純粋な“妹”を守ること。これくらいで十分じゃないだろうか。

 あとは、吸血鬼ヴァンパイアの実在の露見にさえ気を付ければ、その内、別の吸血鬼ヴァンパイアがきっと現れる。

 もしかしたらその吸血鬼ヴァンパイアに夜人は襲われるかもしれないが、その時はその時だ。


 そこまで考えて、夜人は破顔すると、兄に嫌われることを恐れて涙を溜めている妹の頭に手を乗せた。


「おにい、ちゃん……?」


「別に嫌いになったりしないよ。だって、お前は俺の……妹だ」


 妹だと、そう初めて口にした。正直、ついさっきまで夜人は目の前の少女を“妹”だと認識していなかった。

 だけど今は違う。

 どうしてだろうか。涙を必死に堪えて、ただただ兄に嫌われるのを恐れる彼女を見ていると、昔からずっと彼女の兄をやってきたかのような、そんな不思議な錯覚をしたのだ。


「……っ。ぅぅぅうっ、お兄ちゃんんっっ!」


 夜人の腹に顔を押し付けるに抱き着いて、グスグスと鼻を鳴らすティーナ。服越しに彼女の涙がじんわりと染み込むのが感じられた。


 全くしょうがない妹だなと、夜人は小さな笑みをこぼしながら思った。





 夜の草原で自分のチカラを確かめた後、夜人は翼を広げるティーナに抱えられ、外壁を越えて自宅に戻った。その後、ティーナとのひと騒動を交えつつ夜遅くになってしまった夕食と風呂を済ませ、寝床についたところだ。


 生活用品をろくに持参してこなかったらしいティーナは、寝間着として夜人のTシャツを着て、夜人の側ですぐに眠りについた。

 ティーナが一緒に寝ると言って聞かなかったため、夜人とティーナは同じベッドの同じ布団の中に入っているのだ。


「……」


 安らかなティーナの横顔をまじかで見る。驚く白い肌に、綺麗な顔だ。こうして眠っていると、愛嬌が薄れ、彼女の美人さが際立っている気した。それと同時に、どことなく自分と似ていると思った。やはり彼女と自分は兄妹なのだと、改めて認識する。

 

「妹、か……」


 夜人の家族がこのことを知ったら、何と思うだろうか。

 

 夜人は感情の読めない表情で、静かに天井を見上げる。


「まぁ、でも、このチカラはそう易々と他人ひとに見せちゃいけないよな……」


 かつての夜人は自分のチカラの無さに絶望した。だが、今度は意図せず手に入れたその絶大なチカラを隠さなければならないのだ。そうしないと、まぁ可能性は低いだろうが、吸血鬼ヴァンパイアの存在が露見する恐れがある。


「皮肉なもんだよ、ほんと……」


 ため息交じりに呟く。絶望したあの頃ではなく、諦めきった今になってチカラを得るなんて。


 だがしかし、全てが今まで通りということにもなるまい。

 弱すぎる故に自分に向けられている軽蔑や嘲弄には、うんざりしてきた所だ。いくら夜人が受け流しても、ヘドロのように纏わりついてくるそれらは本当に鬱陶しい。


 少しずつ、不自然にならない程度に、チカラを見せていく分には問題ないはずだ。そう、目立たない程度に、せめて軽蔑や嘲弄の色が無くなる程度に。


 夜人が中傷を受け、自分のことのように心痛めているあの優しい幼馴染の少女のためにも。

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