4.強すぎたチカラⅠ



 現代の世界において、人々が暮らす都市は、高い外壁に囲まれていることが多い。

 その理由は、ヒトに無条件の敵意と殺意を向ける生物――魔物から市民の身を守るためである。

 だから市民が許可なく外壁の外に出ることは許されていないし、警備が厳重なため、例え魔法を使えるものであろうと簡単に出ることは叶わない。


「あー、なんでこんなことになったんだろうな……」


 外壁の外に広がる草原の上に立って、夜人は頭を抱えていた。

 ここは夜人が生活する都市の外。多くの魔物が住処としている草原地帯だ。

 

「いい月夜だねお兄ちゃん!」


 夜人の隣では、夜空にくっきりと浮かぶ三日月を見上げながらティーナが笑顔を浮かべていた。


「はぁ……」


 夜人は自分がなぜこのような突飛な状況に陥っているのかを思い返す。


 そう、夜人はいつもより遅く帰宅して、妹を自称する吸血鬼ヴァンパイアの少女と出会い、今まで避けてきた血を飲むという行為によって、自らが半吸血鬼ダンピールであることを認めた。そうしたら今度は、ティーナが嬉々としてこう言ったのだ。


『それじゃあ、早速お兄ちゃんの強さを見せてよっ!』


 夜人が戸惑っている間に、彼はティーナに引きずられるように外に出て、空を飛んだ・・・・・

 

 もう何がなんだか分からなかった。まだ自分が半吸血鬼ダンピールであることを認めたばかりで気持ちの整理もついていないのに、ティーナは翼を広げて、夜人を抱えると空に飛んだのだ。

 そのままティーナは翼を羽ばたかせて上昇し、軽々と外壁を越えた。

 本来なら、たとえ空を飛んだとしても、そう簡単に外壁を越えることなど叶わないはずなのだが、ティーナが何か魔法を使ったらしい。


 そうして夜人は、吸血鬼ヴァンパイアの妹と共に、酷くあっさりと外壁の外にやって来てしまったのだ。

 果たしてこの都市の警備体制がガバガバだからなのか、ティーナが規格外のチカラを持っているからなのか、今の段階で判断は下せないが、何となく後者である気がした。


 だって、吸血鬼ヴァンパイアだ。

 今の時代ではもう、伝説になっている生き物。何をやってもおかしくはない。


「なぁティーナ、一つ気になるんだけどさ」


 夜人はもう、外壁の外に連れてこられた事に関して必要以上に突っ込むのは諦め、単に気になったことを尋ねることにした。この色々と常識はずれな妹に、常識を説くのは間違いだと悟ったのだ。


「うん? なぁにお兄ちゃん」


「俺は吸血鬼ヴァンパイアと人間の混血ハーフなんだよな」


「そうだよー?」


 何を当たり前のことを確認してるんだとでも言いたげに、ティーナが首を傾げる。


「だったら俺も、さっきのティーナみたいに空を飛んだりできるのか?」


「ううん。無理だと思う。だってお兄ちゃんは翼を持ってないでしょ?」


「そりゃ、持ってないけど……」


 持っていたら夜人はもっと早く自分が人外だと気付いていただろう。


「だったら無理だよ。お兄ちゃんに吸血鬼ヴァンパイアの翼は受け継がれなかったみたいだね。あ、でもでもっ、魔法を使って飛ぶことはできると思うよっ? そうでしょ?」


「あぁ……、いや。ティーナ、俺はさ、魔法をろくに使えないんだよ」


 少し表情に影を差して、しかしさほど気にしていない様子で夜人は言う。


「え?」


 ぽかんとするティーナ。まるで燦然と輝く陽の下で、幽霊と遭遇したかのような表情だった。かと思ったら、不意にお腹を抱えて笑い始める。


「あはっ、あははっ、そんな訳ないよーっ。お兄ちゃんがっ、ティーナのお兄ちゃんが魔法を使えないなんて、そんなことある訳がないもん」


「い、いやでも、現に俺は……」


(現に俺は、基礎中の基礎の身体強化さえまともに扱えなかった。どんなに努力しても、どんなやり方をためしても……)


 それを悟った当時は絶望した。そしてすぐに諦めた。もう、頑張ることに意味なんてないと。


「あーっ、分かった! そっか、そりゃそうだよね。半分とは言っても吸血鬼ヴァンパイアのお兄ちゃんが、血を飲まずに本来のチカラは出せないよー」


 「そっか、そっか」と納得したように頷いて、ティーナが夜人の身体に寄り掛かる。そして緩慢な動きで、彼の腰に腕を回すと、顎の下から夜人を見つめ上げる。その顔は嬉しそうに歪んでいる。


「ふふ……っ。でも、もう大丈夫だよ。お兄ちゃんはさっき血を飲んだでしょ? だからさ、ほら、何か気付かない?」


 そう言われずとも、何となく気付いていた。

 血を飲んだ直後から、自分の身体が今までにないくらい快調であることを。


 ――否。きっとそうではないのだろう。むしろこれが通常。今までが異常を来たすほどの、不調であったと。


「ほらほらっ。なにか使ってみてよ、魔法」


 ワクワクした様子のティーナにそう言われて、夜人はゆっくりと腕を持ち上げ掌を正面に向ける。


 ドクドクと心臓が震えていた。これは期待だろうか。それとも……。


「――――」


 夜人は大きく息を吸って吐き出すと、しっかりとその黒瞳で正面を見据えてこう唱えた。


「――《衝撃インパクト》」


 それは自らの魔力を行使して、離れた位置に振動を生み出す基礎的な魔法。

 以前の夜人なら、せいぜい数メートル先に、微かな雑音ノイズを生む程度の空気振動を起こすのが精一杯だった。


 だが、この時は――――。



「――――――――ッッぅ!!?」


 三日月が見下ろす夜の草原に、凄まじい轟音が鳴り響いた。

 大気そのものが大きく揺らぎ、鳴動し、夜人が魔法を発動させた一点を震源として、衝撃が波となって波紋を生む。

 震源付近の草枝は瞬時に刈り尽くされて、その場にサークル型の更地が出来上がる。

 ビリビリとした重圧が幾重にもなって押し寄せ、夜人とティーナの夜闇のような髪を激しくなびかせた。



「い、今のは……っ、俺が、やった、のか……?」


 唖然と自分の手の平をみつめ、信じられないという表情の夜人。


「わぁぁっ、思ったよりすごかったねー。すごいすごいっ」


 ティーナはキョロキョロと忙しなく周囲を見渡しながら、はしゃぐように言った。そしてクイクイと夜人の裾を引っ張る。


「ねぇお兄ちゃんお兄ちゃんっ、今のでここらへんの魔物ほとんど逃げてっちゃったよ。近くに居たやつは気絶してる」


「は……? 見えるのか?」


「うん。見えるよ。えへへ、すごい?」


 夜人もティーナに倣って周囲を見渡してみるが、いくら月夜とは言っても夜の視界は遠くまで届かず、ティーナが言うように気絶している魔物は見つけられない。

 ただ、今までと比べて、視界がより明確になっていることは実感した。

 血を飲んだことによって、夜人の身体に様々な変化が訪れていることは確実だった。


「まぁこの程度、お兄ちゃんならすぐにできるようになるよ。それよりもほら、面白いのが来てるよ」


「なにが来てるって?」


「うーん、たぶんベヒモスかな」


「べ、ベヒモス!?」


 ベヒモスと言えば、ここら一帯に生息している魔物中でも最高ランクに位置する魔物である。

 基本的に大人しいが、自分たちに危害が及ぶと悟ると、非常に凶暴になって攻撃してくる。

 ベヒモス一体に対し、平均的な魔道戦士ブレイバー一個隊でも倒すのは簡単じゃないと言われているほどだ。

 ゆえにベヒモスは駆除の対象になることは少なく、なるべく刺激を与えないようにしていると聞く。

 こちらから危害を与えなければ、脅威となることは少ない魔物なのだ。もちろん魔物と分類されている以上、危険な生物であることに違いはない。


 そんなベヒモスがティーナ曰く、こちらに向かっているらしい。

 おそらく、というかどう考えても、今の夜人の魔法が原因である。


「え、じゃあやばいだろ。逃げた方がいいんじゃ」


「あははっ、なに言ってるのお兄ちゃん。今のお兄ちゃんにとったら、丁度いい練習相手だよ。だからほら、魔道武装マギアデバイスを展開して? 多分お兄ちゃんなら持ってるでしょ?」


「……分かった。やってみる」


 夜人としても、自分の異常性は、今の魔法行使で自覚した。

 だから試してみたいという気持ちもあったし、試しておかなければならないという気持ちもあった。


「――展開アクティベート


 その言葉に呼応するように、夜人が左手首に装着していた銀色の腕輪が淡い輝きを放ち始める。腕輪に刻まれた複雑な文様を辿るように光の線が走って、一瞬後、一際強く発光した。


 そして夜闇を斬り裂く光が薄れ、その中からは一振りの黒い刀を持った夜人の姿が現れた。

 抜き身の刀の刃が、月光を反射している。


 その時、頃合いを図ったようにして、遠くから地響きから近づいてくる気配が夜人にも伝わった。

 次第に地響きは大きくなり、視界に草原地帯の王とも称されるベヒモスが姿を現した。

 完全に夜人に狙いを定めており、その獣の瞳は敵意に満ちていた。


 四メートルは優に超す巨体にも関わらず、ベヒモスは相当な速度で夜人に向けて突進してくる。

 だが、夜人の瞳はその動きをハッキリと捉えていた。


 きっと、今までの夜人なら、何が何だか分からない内に突進を喰らい、吹き飛ばされてあっさり死んでいたことだろう。

 だけど今は、むしろベヒモスの動きが遅く思える。


 刀を構えると、身体に身体強化の魔法を浸透させる。

 今までに無い手ごたえを得て、夜人は極めて高い精度で身体強化の魔法が成功したことを感じた。


「……ふぅ。――よしっ」


 夜人は軽く息を吸い込むと、地面を軽く蹴ってベヒモスに立ち向かうように駆けだす。

 一歩、二歩、三歩と、夜人が地面に足を置く度に彼の身体は加速し、既にベヒモスのトップスピードを越えていた。


 やがてベヒモスと夜人の距離感がゼロになり、互いに交差する。――瞬間、刀を一閃した。



「――――っ」


 その一振りで戦闘が終結したことを悟った夜人は、足を地面に叩きつけ、ピタリと静止すると、振り返る。

 彼の視界に映ったのは、真っ二つになったベヒモスの死体と、大量の血に濡れる草原であった。


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