3.血の味

「は、はは……冗談はやめてくれ。俺が半吸血鬼ダンピール? そんな訳がないだろバカバカしい。第一、吸血鬼ヴァンパイアの存在なんて今じゃおとぎ話みたいなもんなんだせ? いきなり現れて、俺の妹を名乗って、さすがにそんなことには騙されないって。ティーナちゃん」


「むぅ……、どうして信じてくれないの?」


 乾いた笑いを漏らす夜人に、ぷくりと頬を膨らませて不満を示すティーナ。


「もしかしてお兄ちゃん、信じたくないの?」


 その言葉に、また夜人の心臓が跳ねる。


「はっ、そりゃ。信じるか信じないかで言ったら信じたくないだろ。吸血鬼ヴァンパイアなんていうのはな、自分たちの強大なチカラに驕って、血を飲むためにヒトを殺しまくった魔物と変わらない存在なんだよ。だから殺されたんだろ? そんな、魔物になりたいかって言われて、頷く奴なんている訳ないだろうが」


「っ!」


 ティーナがショックを受けたように目を見張って、悲嘆の表情を浮かべる。その瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれ始める。


「え、ちょっ、なんで泣くんだよ」


「だ、だって……っ。お兄ちゃんが酷いこと言うんだもん……! ティーナ、ティーナは魔物なんかじゃない! ティーナたちは、吸血鬼は、人を簡単に殺したりしないっ。そ、そりゃ、生きるためにちょっと血をもらったりすることはあるけど、でもっ。魔物なんかじゃないもんっ!」


 ティーナは夜人の腹に顔を押し付けるようにして、わんわん泣き始める。


「ばかぁっ、お兄ちゃんのばかぁぁぁぁぁっ」


 夜人は動揺する。


「わ、わかったって。ごめん。直接、見た訳じゃないのに吸血鬼ヴァンパイアのこと悪く言ったことは謝るよ、ごめん。だからさ、とりあえず奥に行かないか? そこで落ち着いて、もう少し詳しい話をしよう」


 夜人がティーナの頭をなでながら、優しい口調でそう言うと、しばらくしてティーナは泣き止んだ。

 

「うん、……わかった」



 〇



 ティーナに密着されたまま玄関から居間に移動して、荷物を部屋の隅に放り投げる夜人。


「それじゃあティーナ。そこのソファに座っておいてくれ、俺はお茶は入れるから」


 そう言うと、ティーナは名残惜しそうにしながらも言う通りに夜人から離れて、ちょこんとソファに座る。それを見て、少し安堵した夜人はポットから湯をだして簡単にお茶を入れると、偶然余っていたクッキーも手に取ってティーナの元へ戻った。


「ほら、食えよ」


「わーい。いただきまーすっ」


 さっきまで大泣きしていたとは思えない程元気よくクッキーに飛びついて、嬉しそうに包みを開け始めるティーナ。

 切り替えの早い少女だ。いや、というよりは純粋に無邪気なのか。

 とても純粋な、透明色の少女。

 美味しそうにクッキーを食べて、口元に粉を付けているティーナは、見た目の年齢よりも少し幼く見えた。


 仕方ないという気分になって、おしぼりを持ってくると、夜人はティーナの口元を拭いてやる。


「もう少し落ち着いて食べろよ」


「うんっ、ありがとうお兄ちゃん!」


 夜人はそんなティーナを呆れる気持ちで眺めながら、向かい合う位置のソファに腰を下ろす。

 そして、お茶をすすりながらティーナが全てのクッキーを食べ終えるまで待って、口を開いた。


「さて、じゃあティーナ。話を再開しようか」


「うん」


「その前にまず、もう一度謝らせてくれ。吸血鬼ヴァンパイアのこと悪く言って、……ごめんな」


 ティーナがクッキーを食べている間に考えたのだ。

 もし、もし本当にティーナが吸血鬼ヴァンパイアなのだとしたら、さっきの夜人は相当に酷いことを言ったことになる。

 

「ううん。いいの、お兄ちゃんは何も知らなかったんだもんね。だからちゃんと教えてあげる」


 そう前置いて、ティーナは吸血鬼ヴァンパイアのことを語り始めた。



 遥か昔、吸血鬼ヴァンパイアと人間は共存していたらしい。

 吸血鬼ヴァンパイアは人間に血を提供してもらう代わりに、吸血鬼ヴァンパイアは人間にその特別なチカラを貸し与える。そんな関係が成立していた。

 だが、ある日、吸血鬼の特別なチカラを独占しようとした一部の人間が、吸血鬼ヴァンパイアを捕縛しはじめた。

 そのことに怒った吸血鬼ヴァンパイアは人間に宣戦布告し、戦争が始まった。


 だが、数において圧倒的に劣る吸血鬼ヴァンパイアに勝ち目はなく、止む無く人間の手によって絶滅させられた。吸血鬼ヴァンパイアの特別で強大なチカラを恐れた人間は、容赦をしなかったのだ。

 

 そうして吸血鬼ヴァンパイアはこの世界から姿を消した――――と、思われているが、実はそうではない。

 わずかに生き残った吸血鬼ヴァンパイアは闇のセカイに潜み、現代まで生き残っているというのだ。

 決して表の舞台に姿を現すことなく、ひっそりと。


「……なるほどね」


 ティーナの話を聞き終え、夜人は重々しくうなずいた。


「信じてくれたの……っ?」


「いや、別にそういう訳じゃない。どちらかというと、まだ信じられない部分が大きい」


 というより、信じたくない気持ちだろうか。

 

 吸血鬼ヴァンパイアが、必ずしも野蛮な存在でないと分かったものの、夜人は認めたくなかった。

 夜人は今まで、自分のことを人間だと思っていた。出来損ないではあるものの、人間は人間だと。


 しかし、彼女の話を認めてしまえば、自分が人間でないと認めることになるのだ。

 それがどうしようもなく恐ろしかった。


「そっか……、じゃあしょうがないね」


 ティーナがソファから立ち上がる。

 何をする気だろうと、少し警戒しながらティーナに注目する夜人。


 ティーナはおもむろに外套のふところに手を突っ込むと、中からペットボトル大の赤い瓶を取り出した。


「……っ」


 それは血だった。

 赤々しい血液がたっぷり詰まった瓶を手に取って、「ふふっ」とティーナが微笑む。


「どう? お兄ちゃん。たぶん、お兄ちゃんはまだ、ちゃんと血を飲んだことないんじゃない?」


 ティーナが瓶を軽く揺らすと、チャプンと血が音を立てる。

 

 それを見て、ゴクリと夜人の喉元が無意識に鳴った。

 あの赤い液体が酷く魅力的に感じられる。いますぐあれを奪い取って、飲み干したい。

 乾いている。喉が渇いている。


 あぁ、飲みたい。飲みたい。飲みたい。飲みたい。飲みたいのみたい、血を飲みたい――――


「――っ!?」


 いつもこうだ。

 血を見ると、自分が自分でなくなるような違和感に襲われる。

 だから夜人は血を見るのが嫌いだった。


 だけど、今は。


 もし自分が半吸血鬼ダンピールであるのなら、血を飲んでも何もおかしくない。むしろ、飲まない方がおかしいのだ。


「はい、お兄ちゃん」


 ティーナがまるでお茶の入ったボトルを渡すような気軽さで、夜人に瓶を手渡す。夜人は成すすべもなくそれを受け取った。

 夜人の手が震える。彼は震える手つきで、ボトルの栓を抜こうとしたが、上手く抜くことが出来ない。


「もー、お兄ちゃんはしょうがないなぁ」


 くすりとティーナは微笑んで、ボトルの栓を引っこ抜く。キュポンと空気を吸い込む音が鳴った。

 そして血液の甘くて芳醇な香りが、夜人の鼻孔をくすぐった。


「――美味しいよ。すっごく」



 ――やめろ。戻れなくなるぞ。



 (確かめるだけだ。確かめるだけ。俺が本当に半吸血鬼ダンピールであるかどうかを確かめるだけ――――)


 そうして自分を無理に納得させるような思考の中、夜人は瓶の淵に口を付け、血液を流し込む。


「――――――」




 

 そこから先の記憶はない。





 気付いた時、夜人はティーナを床に押し倒して、その柔らかそうな首元に狙いを定めていた。この白い肌を斬り裂けば、血液があふれ出すのだ。


 口に含めば痺れるような、喉を通せば震えるような、美味しい血液が。


 夜人の息は荒く、心臓は破裂しそうなほど速く拍動していた。顔中から汗があふれ、床に垂れ落ちる。



「ダメだよお兄ちゃん、吸血鬼の血は、飲んじゃダメなの」



 ティーナは上気した頬で、とろけるような表情で、兄である夜人を愛おしく見つめながら、彼の口元に人差し指を添えた。


「あぁ……ぁっ、でも、でもっ、ティーナのお兄ちゃん、かっこいいなぁ……っ! すきぃ……」


ーー!?


「っ!? っっっぅぅぅ――――っ!!?」


 不意に夜人に正常な意識が戻り、彼は飛び上がるようにしてティーナから距離を置く。

 ティーナが仰向けに倒れている側で、ガラスの瓶が砕け散っていることに夜人は気が付く。その中にあった血液は、綺麗さっぱり無くなっていた。


「……てぃ、ティーナ……、ひとつ、聞いていいか?」


 夜人はめまいのする頭を押さえながら、その場に座り込み、絞り出すようにそう言った。


 出来ることなら聞きたくなかった。が、そういう訳にはいかない。


「うんっ、すごくいい飲みっぷりだったよっ。お兄ちゃんっ」


 ティーナは赤く染めた頬を押さえながら身体を起こし、笑顔で夜人を見た。


「そっか……」


 記憶がない。血を飲んでいる時の記憶が。

 しかし、口の中に広がる血の匂いが、自分が血を口にしたことを何よりも証明していた。


 要するに、それだけ夢中だったということだ。

 記憶が飛ぶほど。

 血を飲むため、無意識の内に幼い少女を手にかけようとするほどに。


 だがそれと同時に、夜人は気づいていた。

 物心がついた時から、この身体を支配してやまなかった鉛のように伸し掛かる気怠さが、ウソのように消えてなくなっていることに。


 身体が羽根のように軽い。今なら何でも出来る気がした。チカラが湧き出てくる感覚。

 

「ティーナ、分かったよ……」


「うんっ」


 その、期待に満ちたティーナの表情を、静かに見返しながら、夜人はおもむろに口を開く。




「……俺は、半吸血鬼ダンピールだ」

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