17話――決意



「――ねぇ? どうするの?」


 ソフィアは、俺に言った。ここで死ぬか、それとも自分を愛するか、と。

 

 ――そんなの、選べる訳がない。

 そもそも、選択として成り立っていない。まともじゃない。


 俺はソフィアを見る。

 ソフィアは不自然な笑みをたたえていて、その目は虚ろ。俺を見ているようで、ここではない遠くを見ている。


 あんなに可愛くて、こんな俺を本当の弟のように、優しくて接してくれたソフィアはここに居なかった。


 やっと分かった。

 ソフィアは正気じゃない。そしてそれは、アリアも、エレナも。


 もし俺の中途半端な態度のせいで、こんなことになってしまったのだとしたら。

 ここで一番に優先するのは、俺の安全ではないんじゃないだろうか。



 ――本当は、ずっと前から分かっていたのかもしれない。


「ちょっとごめん、アリア」


 俺は背中に抱きついているアリアの拘束をやんわりと解いて、ソフィアを見る。

 俺の目と、その虚ろな瞳が真っ直ぐ重なった。


 と、また背後に軽い重みがかかる。


「もー、ウィルったら……ぁ、えへ、へ」


 ……再びアリアに抱きつかれたようだった。

 もうこれは、ダメだな。

 氷のナイフを握りしめているソフィアを見て、あまり状況にこだわっている場合でないことを悟る。

 しまらないと思いながらも、俺は心から真剣にソフィアの目を見る。


「ソフィア、俺はさ、ソフィア姉さんの、ソフィアのことが好きだよ」

「……ウィル、くん」


 ソフィアの目が、小さく見開かれる。同時に、俺の背中に抱きつくアリアがピクリと動いたのが分かった。

 ソフィアが、一歩分離れていた距離を再び詰めようとする。

 しかし、ソフィアがその一歩を踏み出しきる前に俺は言う。


「でも、アリアのことが好きだ」


「――――」


 その場の、俺とソフィアとアリアを取り囲む小さな空間の、時が止まったような感覚を得た。

 その中で、俺は続ける。


 今、ここにはいないけれど、


「きっと――、いや、そうじゃない。俺は、エレナが好きだ」


 真剣な、真摯な、心からの言葉だった。

 そう、きっともうずっと前から気付いていた、それだけの事実。

 見ないようにしていた、単純なこと。


 俺は、昔からずっと一緒にいて、こんな俺を好いてくれる彼女たちが好きなのだと――、


 ――そんな、心からの想いだった。



「――――」


 ソフィアが目を丸くして、呆然とする。先ほどまで絶えなかった不自然な笑みも、ここではないどこかを見る虚ろな瞳も消えて、ただ、呆気にとられたように。

 その様は、何かを考えているようにも見える。


 俺の背中に張り付く、アリアにも動きは見られなかった。

 先ほどまで俺の耳にかかっていた熱く荒い息使いも途絶えていた。



 その僅か数秒の静寂が、何時間のものに思えた。



「―――――――」



 やがて固まっていた時は、思い出したようにその流れを再開する。

 だらりと下がっていたソフィアの腕が、不意に持ち上がる。


 その手には、未だナイフが握りしめられていた。


 ――――――。


 俺の思考が停止する。

 気付けばアリアは俺の背中から離れていていた。

 信じられないような、この世の終わりを直視したような顔で俺を見つめるアリアが横目に映る。


「――――ぁ」


「……そっか」


 それは、とても残念そうな、


「ウィルくんは、そういうことなんだ」


 また、この世の全てに絶望して、諦観しきったような、


「じゃあ、そんなウィルくんは、――殺すね?」


 そんな、柔らかな微笑み。


「――――」


 俺の胸に氷のナイフが突き刺さった。


「――」


 瞬間全てを悟る。



 ――やべぇなんか間違えた。







「だめぇ――ッ!」


 俺の胸に氷のナイフが突き立った瞬間、俺の体が燃え上がる。


 ――アッチィ!!!


 熱い熱い熱い熱い暑いあついアツイアツイアツイアツイ!!


 体が燃えて、空気が吸えず、その激熱と激痛に何も叫ぶことが出来ない。

 周りにあった人混みから、誰かの悲鳴が聞こえた。


 次に俺に訪れた衝撃は、激流。

 氷より冷たい水の渦が、俺を地面に叩きつけた。

 

 俺を火達磨にしていた炎は鎮火して、痛みを超える冷痛が痛過ぎてやばかった。

 地面に叩きつけられた衝撃で、額からドクドクと血が流れているのがわかる。

 脳味噌を直接、槌で殴りつけられたような痛みが襲う。


「どいてアリアちゃん、私の邪魔をしないで」

「ダメぇ! ダメ! 駄目、駄目、駄目、だめ、だめ、ダメダメダメダメだめ、だよ……。ソレは、ソレだけは、だめ……」

「ウィルくんを殺すだけなんだよ? 私の、お姉ちゃんの、私だけのウィルくん。アリアちゃんには関係ないよね」

「……関係ある。だってウィルはあたしのモノだから。だから、駄目、だめなの、ソレは、ダメ、ぜったいにだめ」


 俺は今までに味わったことのないほどの痛みを感じながら、そのあまりの激痛に、もうちょっとマシな助け方があったんじゃないのかと、場違いなことを考える。


 血が流れる額を押さえつけて、何とか顔だけを起こす。


「私、出来ればアリアちゃんは殺したくないな。私のウィルくんに変なことしなかったら、アリアちゃんのことは、大好きだったのに、な……」

「…………あたし、は」


 地面に倒れ伏す俺には目もくれないで、鋭い瞳で向かい合うソフィアとアリア。


 アリアはソフィアの哀しそうな言葉を受けて、思い詰めるように俯いた。


 やがてアリアは、何かを振り切るように頭を振って、また正面を向く。


「――ソフィアちゃん、あたしのウィルに手を出そうとしたら、容赦しないから」

「じゃあアリアちゃんも殺すしかないね」


 次の瞬間、血飛沫が上がった。

 

 ◯



 数人の大きな悲鳴が聞こえた。

 ソレは、日常が、非日常に変わる瞬間。


 俺が、刺されて、火達磨から冷水を浴びて、地面に叩きつけられたことで既に周囲に伝播していた事件の気配が、それで決定的なものになった。


 ソフィアに肩を浅く切りつけられたアリアから上がった血飛沫が、周囲に飛び散ったのだ。


 続けて起こった魔法による爆音によって、さらに恐慌は増す。

 大通り、パニックになった人たちは、我先にとその場から逃げ出していく。

 ぽっかりと穴が空いたようにその場に広々とした空間が生まれ、その中心には向かい合うアリアとソフィア。そして、その近くに転がって呻いている俺だ。


 やばい、やばい、これはヤバい。

 俺が不用意に言った言葉のせいでこんなことになるなんて。

 自分の気持ちに正直になれば大丈夫な気がしたがそんなことはなかった。


 このままだと本格的にヤバい。考えられる最悪の展開としては、アリアが殺されて俺も殺されて、ソフィアが駆け付けた衛兵に捕まること。


 また、爆音が弾ける。


 既に氷のナイフは投げ捨てたソフィアが、空中に浮かべた無数の光弾をアリアへと向ける。

 アリアはそれを正面に展開した防護結界で弾きながら、呪文の詠唱を始めた。


 魔法戦が始まった。どう考えても、俺の入り込める隙はない。

 

 魔法が弾ける爆音が重なって、地面が揺れ、大気が震える。

 幼少のころから魔術の天才と言われ続けた二人の、全力の戦闘だった。


「ひ、わ、――ぇ、ちょ――――がぁ……ッ!?」


 戦いの余波によって地面に倒れ伏していた俺は吹き飛ばされるように転がって、通りの端の壁に叩きつけられた。

 

 痛い痛い痛い痛い怖いコワイ。

 どうするんだ、これ。


 俺は慣れない痛みに歯を食いしばって、なんとか壁に手を付きながら起き上がる。

 

 二人の戦闘は、ほとんど互角だった。

 少なくとも俺の目には、今どちらが勝ちそうだとか、そういうのは予測できない。

 

 いや、そんなのはどうでもいい。

 どっちが勝つ負けるじゃない。


「……はやく、止めない、と」


 しかし、一歩前に踏み出そうとした俺の足が止まる。


 あんなの、俺にはどうしようもできないだろう。

 そう思った時、俺は戦いの余波で足元に転がってきた一つのバッグに目を奪われる。

 日本にあったリュックによく似たそれは、ソフィアが背負っていたモノだ。

 思えば、俺がソフィアに駆け落ちをしたのだと嘘を思い込まされた時も、あの夜、命がけで家から逃げ出した俺を待ち構えていた時も、彼女はこれを背負っていた。


 彼女たちを止めるのに、役立つかもしれないと思って、俺は迷わずその中身を漁った。

 一体いつ盗られていたのか、俺の衣服やら私物やらが詰め込まれていたが、そんなのは今は関係ない。


 おおよそ、こんな小さなバッグに入るとは思えない量のモノを漁り出した頃合い、俺は一つの見慣れない小瓶を見つける。


「これ、は……」


 透明な小瓶に入った、赤みがかった液体。所々に影のような靄がかかっていて、ジッと見ているだけで吸い込まれそうな危うさがあった。

 軽く振ってみると、液体は、ドロリとした様子で波打った。


「――」


 偶然にも、俺はその液体の特徴に覚えがあった。実物を見たことはないが、おそらく間違いない。

 だって、あの時、ソフィアは俺にコレを使ったのだろうから。


 幼少の頃、ソフィアが見ていたルーカスが所持するとある本。

 表紙に禍々しい文字で『禁忌魔法ーー呪術』と書かれてあるその本は、興味をそそられて俺もこっそり読んだことがある。


 読むだけで恐ろしくなってくる危なげな魔法が並べられる中には、禁忌とされている魔法薬も載っていた。


 当時の俺が強く関心を抱いたモノなので、よく覚えている。

 あの時の俺がそれに関心を抱いたのは、まぁ仕方のないことだったろう。


 生憎、調合の材料と方法は書かれていなかったが、彼女はどうにかして見つけ出したのだ。


「――――」


 そして小瓶の中で揺れるソレを認識した俺の頭に、電撃が走った。

 ぼんやりと頭に浮かんだ。もし、それがうまくいけば、俺は。いや、俺たちは――、

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