16話――短刀





「ソ、フィア……?」

「うん、ウィルくん。私だよ? ソフィア、ソフィアお姉ちゃん」

「……」


 いつからだ。

 一体いつから後ろにいた。


 最悪の考えがよぎった。

 まさか、今俺がアリアにキスしてたのを見られて――


「ね、ねぇ、ウィルくん」


 ソフィアの表情が硬い。こんな、ソフィアを見るのは、今までの中で初めてだ。

 こんな、こんなに動揺した彼女は。


「……えへ、ふふへ。ねぇ、ウィルくん」


 ソフィアの口から不自然な笑いがこぼれる。


「私のさ、お姉ちゃんの勘違いかもしれないけどね、お姉ちゃん、今、見ちゃったんだけどさ、ウィルくんとアリアちゃん、キス、してたよね」


 ソフィアの視線が、俺の背後に移動する。その視線の先にいるのは、見なくてもわかる。

 ソフィアの視線には、地面にへたり込んで惚けているアリアがいる。

 果たして、アリアはこちらの様子に気づいているのだろうか。


「――――」


「あ、ううん、別にね、そんなことはどうでもいいの。アリアちゃんがウィルくんのこと好きなのは知ってるし、その気持ちはすごくよくわかるの。今までにも、アリアちゃんとウィルくんがキスしたことあるのは、知ってる。うん、知ってたの」


 ソフィアは、まるで誰かに言い訳するように言葉を並べる。


「私は別にそんなこと気にしないしね? だって、……だってウィルくんが最後には私のこと、お姉ちゃんのこと見てくれるって、知ってたから、はずなんだけど、な……」


 ザッと、俺の足が後ろに下がる。無意識だ。

 ここに居てはいけないと、本能が叫んでいた。


 そんな俺の肩をソフィアが掴む。


「ねぇ、待って? ウィルくん待って。行かないで?」


「――――」


 肩が砕けそうになる。動けない。


「おかしい。おかしいよね? だって、だって私、ウィルくんに――……。ううん、そうじゃなくて、ウィルくんは、……あれ? ふふ、おかしいな」


 ソフィアの唇が震える。瞳は虚ろに俺を映していて、ここではない遠いどこかを見ているように見える。

 

 やがて、ソフィアは、何かを恐れるように口を開く。


「ねぇ、ウィルくん、ウィルくんはアリアちゃんのこと――――ん……ぅ」


 ソフィアにキスをした。


 自分でも、そこに至るまでの思考が思い出せない。

 けれど、きっとそれでさっきみたいに切り抜けられると思ったのだろう。そんな楽観的な自分が酷く馬鹿らしい。


 唇と唇を合わせて、舌を入れる。先程アリアにした時よりも、躊躇はなかった。


「――――」


 でも、キスをされた時のソフィアの顔を見て、その選択が間違っていたことを知る。


 無理なくソフィアに唇を離されて、信じられないものを見る目で見られる。


「……うん、……うん。嬉しいな、私、ウィルくんが自分からそんなことしてくれるなんて」

「あ、……うん、いや、だから、ソフィア」

「好きだよ、ウィルくん、大好き、だよ? 私は、ウィルくんだけが好きかな。だから、ウィルくんのためだったら何だってする、そう思ったから。だからね? 私は……」

「……」

「ねぇウィルくんは、私のこと、お姉ちゃんのこと、好きだよね?」


 頷いた。

 首を縦に振って、俺はソフィアの想いに応える。

 ただ、その行動は心からのソレではなく、俺は一刻も早くこの場から逃げ出したかった。


「ほんとの、ホントに私のこと好き? ――私のこと、愛してくれる?」


 ――けれど。


 鼻先が触れ合うほど間近から、揺れる瞳で、ジッと見つめられて、そう言われた時。心のどこかが変な揺らぎ方をしたのが分かった。

 

 それの正体が分からないまま、俺は頷く。頷いて、ソフィアの問いに肯定をしめす。

 だが、それは無意味だ。ソフィアの中で、既に答えは出てしまっている。


「ウソ、……だよね。ウィルくんは、私のことなんて、本当はそこまで、おもってくれてないんだよね」

「そ、そんなことはない! 俺は、ソフィアの……」

「ううん、本当は分かってた。私は、私はこんなにもウィルくんのこと愛してるのに、ウィルくんは私のこと好きじゃないって、だからこんなことしかできないの」


 言ってることが支離滅裂だった。まるで、筋が通っていない。

 そこに狂気を感じる。

 不自然な笑みをこぼすソフィアに、俺は無我夢中で言う。


「ち、違うって! 俺は、ソフィアのこと、好きだよ! これはウソじゃない!」

「じゃあ、私のこと、一番って言ってくれる? 一番、この世の中の誰よりも、好きだって、言ってくれるの?」


 反射的に、そうだと言い返そうとして、しかし俺の口は動かなかった。

 なんだ、何を俺は迷ってる?

 この場で一番に優先するのは、ここから無事に離れることだろ?


 その時、俺は背中に重みを感じた。誰かが、後ろから俺に寄りかかってきた。

 フラフラと、覚束ない様子で、彼女が背中に抱きついてくる。


「うぃ、うぃるぅ……えへ、えへ」

「――アリア……か?」

「うん、そー、ウィルの、ウィルだけのアリアだよぉ? えへ、ウィル、ウィル、ウィルぅ……、すきぃ……」

「――――」


 ぎゅぅと、アリアが静かに力を込める。

 彼女の息は荒い、背中から顎を俺の方に乗せているから、余計にそれが伝わってくる。

 

 目の前では、ソフィアが予想とを違って、割と普通の顔で俺を見ていた。不自然な笑みをたたえた、先程までとあまり変わらないように思える表情。


「そっ、か……、そうなんだね。うん、そう、なんだ。ふふ……」

「いや、ソフィア――、これは、違うから――」

「ううん、大丈夫、だいじょうぶ、分かってる」


 ソフィアが俺から一歩離れて、小首を傾ける。


「ウィルくんごめんね? 私分かっちゃった。――私、私のことを好きでいてくれない、愛してくれないウィルくんのことは、見ていられそうにない。だからね?」

「――――」


「ウィルくん、殺してもいいかな。その時は、私も死ぬから」


「――は」


「でも、ウィルくんが今から本当に心底から私を愛して、ずっとずっとずっとずっとずっとズットズットズットズットずぅ――っと、……いっしょにいて、好きっていてくれるなら、私、大丈夫な気がする。……――好きだよ、ウィルくん」


 ちょ、ちょっと待て。待って、言ってる意味が、よく分からない。

 

 背中からアリアの熱を感じながら、俺の混乱は頂点に達して、ソフィアは不自然に笑う。


「――ねぇ? どうするの?」


 ソフィアが無造作に片手を掲げる。

 そこには、短刀ナイフかたどった氷塊が握られていた。

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