7話――監禁
転移魔法があるのだから、人間を意識的に遠くから呼び寄せることも可能なのだろう。
何と言っても、魔法のある世界だ。
何が起こっても、おかしくないのかもしれない。
ともあれ、アリアに熱い告白をされて、完全にその雰囲気に流されそうになっていた俺。
そんな俺の頭は、一瞬にして切り替わった眼前の光景を前にして、一気に冷えた。
――何なんだこれ?
「お兄ちゃん、よかった……。お兄ちゃん……ごめんね。ごめんね……」
床に倒れている俺に、エレナが飛びついてきた。
背に手を回されて、これでもかというほど抱きしめられる。
「エレナ……?」
「お兄ちゃん、あのね。エレナね、お兄ちゃんのことが好き、この世界の誰よりもずっとずっとずっとずっとお兄ちゃんのことが好きなの」
「……は?」
待って待って、状況が飲み込めない。
落ち着いて、今わかることを確かめよう。
いきなり現れた俺を当たり前のように扱ってるってことは、ここに俺を呼び寄せたのはエレナということ。
そしてそのエレナの様子がいつになくおかしい。
まだ幼いせいか、他人に影響されやすいエレナではあるが、今回のはどこか、異常だった。
それは、
「なぁ、エレナ。ちょっと落ち着いて……」
「うん、ごめんねお兄ちゃん。エレナが分かってなかったの。お兄ちゃんのことがこんなにも好きなのに、ずっと一緒にいたいのに。間違ってた。お兄ちゃんと一緒にいないで、一人でマフラーなんか編んでるのは、ダメだったんだよ。ほんと、エレナはダメだね。えへ、あは、あはは」
――俺の話をまともに聞いてない。
照れたように笑っているエレナは一見普段と何も変わらないように思えた。
けれど、何かが致命的に違っている。
「だからね、もうエレナは間違えないよ。エレナはお兄ちゃんが好きだから、ずっと一緒にいるね? 大丈夫、お兄ちゃんのことを一番幸せにしてあげられるのはエレナだから。……うん、そう、そうなの、絶対、うん、絶対。――だから、ね? お兄ちゃん」
ゾクっと背筋が震えた。理由は、分からない。
ギュッと殊更強くエレナに抱きしめられる。
「な、なぁ、エレナ」
「んー、なぁに? お兄ちゃんっ」
パッと俺の胸にうずめていた顔を上げて、エレナが満面の笑みを見せた。
「何か、あったのか?」
俺の言葉に、エレナが一瞬だけキョトンとする。
が、
「え? あぁ、うん。そう、そりゃ何かあるよ。だって今日はお兄ちゃんの誕生日だよっ?」
「あ、あぁ、そうだな」
「うんっ、それでね、今日でお兄ちゃんは十五歳でしょ? 男の人が、結婚できるようになる歳っ。おめでとうっ、お兄ちゃん!」
「ありがとう、エレナ……。でも、そうじゃなくて――」
「うんそれでね? お兄ちゃんっ」
俺の言葉を意識的にか無意識的にか、遮るようにしてエレナが弾んだ声を上げる。
エレナの左右色違いの瞳が、ジッと俺を見ていた。
「エレナね、ずっとずっと考えててね。やっと分かったの」
「な、なにが」
「エレナがね、お兄ちゃんが好きでね、ずっと一緒にいたいなぁってこと。だからやっぱりエレナはお兄ちゃんと結婚したいな、って!」
再びエレナの口から出されるその話題。
何気ないエレナの口調に、何故か俺の頰を一筋の汗が流れた。
「お兄ちゃん言ってたよね? 好きだから結婚するのは間違いだって。……でもね、本当に好きな人と結婚しないっていうのもおかしい、間違ってるよね?」
「――――」
「エレナはお兄ちゃんが大好きで、お兄ちゃんもエレナのことを好きって言ってくれた。けど、お兄ちゃんはエレナと結婚したいわけじゃないって言ってた。――だから、ね?」
――まずい。
「エレナ、お兄ちゃんにエレナと結婚したいって言ってもらえるように頑張ることにするっ! エレナがお兄ちゃんのことを一番わかってあげて、どんな時もずっと一緒にいてあげられて、一番大切に想ってて、一番幸せにしてあげられるって、」
「え、エレナ、あのさ……」
「ん? なぁにお兄ちゃん?」
俺が口を挟むと、エレナは小首を傾げて俺を見つめた。
俺は口を開くが……、なにも言葉にできなかった。
何も言えない。
エレナは純粋でまっすぐな笑顔を浮かべていた。明るい笑みだ。とても明るい。明るすぎる。
「……? あのねお兄ちゃん。エレナね、ダメダメだから、またお兄ちゃんに迷惑かけちゃうかもしれない。……でもね、お兄ちゃんのことは、本当に誰よりも大好きだから」
エレナが俺の目を見て、言った。顔が近い。
エレナは、上気した頰をそのままに、表情をほころばせる。
「――好きだよ、お兄ちゃん。好き、大好きあぁ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、好き、好き、好き、好き、好き――――」
そして俺はエレナにキスされた。
唇と唇が重なり合って、熱い息遣いが直接感じられる。
「……ぅ、ん」
「――っ!!?」
予想外の事態に頭が完全にパンクしかけている。
ダメだ、これは。これは、これは、これは、………………、
その口付けは終わりを知らなかった。
まるで、まるで、今までずっと抑えてきた何かを解放して、耐え難い何かを上書きして、そして、――――、
「――あぁ、やっと」
○
「えへ、えへへ、……お兄ちゃん……、えへ、お兄ちゃん……、お兄ちゃん、……お兄ちゃん」
エレナは俺のことを離そうとしなかった。
場所はベッドの上で、エレナに引きずり込まれた形だ。
エレナが俺の体に抱きつくようにして、ずっと蕩けたような笑顔を見せていた。
時折エレナにとりとめもない、普段と何ら変わらなぬ話を振られて、それに俺が無難な答えを返す。
いつもと違うのは、エレナが俺にずっと密着しているという点。
俺はどうすることも出来ない。
ただ、無難に、
俺は、エレナのキスから解放された直後のことを思い返す。
○
「えへへ、ごめんねお兄ちゃん……、えへ」
「な、な、エレナ……おま、え……」
実の妹にいきなりキスをされたという衝撃は計り知れない。
頭の思考が追いついてこない。
ようやくのこと唇を離したエレナは、照れたように俺を見ていた。
俺は咄嗟の衝撃に、思わずエレナにキスされた唇を手で拭おうとして――
――やめた。
分からない。何故かは分からない。
別にエレナの反応を気にしてとかではなかった。
分からない。
けれど、
――心の中のどこかでは、俺はきっと分かっていたのだろう。
エレナは何も言わない俺を、不安げにジッと見ていた。その頰は赤い。
俺は口を開いた。
「な、なぁ、エレナ……今の、は」
「うん、ごめんね? お兄ちゃん。ちゅー、しちゃった……お兄ちゃんと……えへへ。でもね、お兄ちゃんも悪いと思うの。だってあんなに簡単にアリアちゃんに押し切られて、キスされちゃって、あんなに、あんなに…………」
エレナが下を向く。目を伏せる。
声音は普段の調子と変わらない。ただし、その表情はうかがえなかった。
エレナがどんな顔をしているのか分からなかった。
ふと、エレナが顔を上げて俺を見た。
「あぁっ、ごめんねお兄ちゃん? ちょっと色々考えちゃった……、えへ」
「あ、あぁ、うん」
俺はそれしか言えない。
この状況が分からない。ずっと一緒にいた妹が分からない。
こんなの、まるでエレナが――、
「あぁそうだっ、お兄ちゃんっ。エレナね? 今からお兄ちゃんのためにご馳走を作ろうと思うのっ。それでね? お兄ちゃんも一緒にいて、一緒にいて、手伝ってくれると嬉しいなっ」
怖い。
と、ほんの僅かにそんな感情が芽生え始める。
とりあえずこれ以上はダメだ。
とりあえず、ここはエレナから距離を置いた方がいいだろう。
だから俺は口を開いた。
それは後で考えれば、馬鹿としか言いようがなかった。
目の前の状況に混乱していたなど、言い訳にならない。
「うん、ありがとエレナ。けど俺はちょっとさ、アリアのやつがいきなり俺が目の前で消えて戸惑ってるだろうからさ、とりあえずその事情の説明のために、俺はアリアのところに――――」
「――――えっ?」
そこで初めて、エレナの表情がガラリと変わった。
キョトンと目を丸くして、呆然と俺を見つめるアリア。
「お兄ちゃん、やっぱりアリアちゃんの方がいいの……?」
は? 何でそんな話に――
「ねぇお兄ちゃん、ねぇ、お兄ちゃん、ねぇ、ねぇ、やっぱりお兄ちゃんは、え、エレナのこと、嫌なの? 嫌いなの?」
エレナの瞳が潤んで、今にも泣き出しそうだった。
「い、いや、だから何でそんなことになるんだって。エレナのことが、嫌いなわけないだろ」
おかしい。何かおかしい。いつもならアリアのところに行くと言ったくらいで、こんな話にはならない。
「じゃあなんで! お兄ちゃんは、エレナのこと好きなんだよね? だって前にそう言ってたもん! でもねお兄ちゃん、エレナも、お兄ちゃんのこと好きなんだよ。大好きなの」
寒気が走った。
まずエレナを落ち着かせないといけない。
俺はそう思った。
「エレナ、一回落ち着けって。エレナが俺のことを好きって言ってくれるのはすごく嬉しいし」
「ほんと……?」
「あぁ、そうだよ。それに、俺だってエレナのことは好きだよ。うん、そうだ。だからさ、エレナ一回落ち着こう」
「うんっ、分かったお兄ちゃんっ。えへへ、……そっか、……やっぱり、よかった」
エレナがいい笑顔で頷いて、ふうっと息を吐き出す。
――そして、俺を見た。
「じゃあ、ね? お兄ちゃん……、お兄ちゃんはアリアちゃんより、エレナのことの方が、好き、だよね?」
その時、エレナの顔に今までになかった『不安』が見えた。
しかし、俺はその変化を深く考えなかった。
「いや、だからさエレナ。そういう好きは、比べられないって」
「ううん、遠慮は大丈夫だよお兄ちゃん。エレナは、大丈夫だから、ね? お兄ちゃん」
「いや別に遠慮とかじゃなくて、エレナとアリアのどっちが好きかとか、ハッキリ言えるものじゃないって……」
「ほんと……?」
「本当だよ」
エレナが、また目を伏せた。
「ふーん。そっか……そっか………、そうなんだね。そうなんだ……、じゃあ、やっぱりだねお兄ちゃん」
エレナが顔を上げ、また雰囲気の違った瞳を向ける。
「それって、お兄ちゃん。お兄ちゃんはエレナとアリアちゃんが同じくらい好きってことでしょ? だったらさ、やっぱりお兄ちゃんのことが誰よりも好きなエレナの方が、ずっとお兄ちゃんの隣にいた方がいいと思うのっ」
「……は?」
「だってそうでしょ? エレナが、お兄ちゃんのことを一番好きなんだから」
「――――」
エレナが混じり気のない瞳で俺を見る。
「だから今日からエレナとお兄ちゃんはずっと一緒。ずっとずっとずっとずっと、何をするときも、ずーーっと、一緒にいようっ、ねっ? お兄ちゃんっ」
「いや、お前は何を言って――」
「――だからお兄ちゃん、もう今日からアリアちゃんとは会っちゃだめだよお兄ちゃん。絶対、うん、絶対。だってだって、あんなのとお兄ちゃんが一緒にいたら悪いことになっちゃうもん」
ね? と俺に向かって首をかしげるエレナ。
俺はその間に口を開くが、言うべき言葉うまく見つからず、結局何も言えない。
「うん、だからエレナはお兄ちゃんと一緒にいた方が絶対にいいよ。エレナだったら、お兄ちゃんのために何だってできる。うん、お兄ちゃんのためだったら何してもいいよ?」
そこで俺は、先ほどのエレナの言葉に対する遅れた返事を口にした。
「い、いや、エレナ。アリアの絶対に会うなって言っても、そ、それは無理だろ」
「なんで?」
「いや家だってめちゃくちゃ近いし、今だって毎日のように会ってるし。そんで……、」
「あっ、そっかそうだね。アイツは、いつでもお兄ちゃんのとこに来るもんね。エレナとお兄ちゃんがせっかく二人でいても、いつも邪魔しに来るもんね?」
俺に確認するように首をかしげて、エレナが何かを思いついたように手を叩く。
まるで素晴らしい名案を見つけ出した時のように。
「そっか、じゃあお兄ちゃんはずっとこの家にいればいいと思うよ。あぁ心配しないで、お兄ちゃんのお世話は全部、うん全部エレナがやるから。お兄ちゃんが欲しいものとかも、全部エレナが何とかするよっ。だってお兄ちゃんのためだもんね? ……アリアちゃんは、エレナが追い返すから」
「いや何言ってんだエレナ。そんなことできるわけないだろ」
「できるよっ。だってエレナお兄ちゃんのこと大好きだから」
そんなエレナの態度に、ふつふつと俺の中に苛立ちに近い感情が生まれてきた。
エレナには、ハッキリ言った方がいいのかもしれないと思えた。
「だからなエレナ、そんなことできるわけないだろ。俺がずっと家にいて、エレナが全部の世話をするなんて、出来るわけがない」
俺がそう言うと、エレナは目を見張って、何やら考えるように俯いた。
そして、明るい笑顔で俺を見る。
「じゃぁ分かったよお兄ちゃん。一回やってみたら、お兄ちゃんもきっと、きっと分かってくれると思うの。――エレナがどれだけお兄ちゃんのことが大好きで、愛していて、お兄ちゃんのために尽くせるのか。もし、お兄ちゃんがどんな状況になっても、エレナが全部なんとかできるって。お兄ちゃんの
「……え?」
「だから、ね? 分かってお兄ちゃん。きっと、お兄ちゃんなら分かってくれる。だって、エレナのお兄ちゃんだもんっ。エレナがアイツなんかより、ずっと、ずっと、ずっとお兄ちゃんのこと、大好きだって、お兄ちゃんなら――――」
そこで俺は気付いた。
虚ろな、でも正気で、俺だけのことを見つめているエレナの左右色違いの瞳を。
そして、俺の体が一切の自由がきかなくなってることに。
俺の両目が、エレナのぼんやり光る手が、俺の腹部に押し付けられているのを捉えた。
「お兄ちゃん、大好きだよ?」
俺はエレナにキスされて――――、
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