6話――その昼



 もうすぐ、お兄ちゃんの誕生日だ。



 ずっとずっと前から考えていた『その日』が、いよいよ近付いて来たのを強く感じる。


 けれど、一つ、重大な問題があった。


 お兄ちゃんに渡すプレゼントが、まだ何か決まっていない。


 兄の誕生日がいよいよ三日後にまで迫ったその日、エレナは朝からずっとそのことについて頭を悩ませていた。


 大好きな、大好きな兄に渡す誕生日プレゼントだ。

 もちろん、最高のものを渡さなければならない。絶対にだ。絶対に。絶対、絶対絶対絶対絶対。


 きっと期待してくれているであろう兄を落ち込ませることなどあってはならない。

 あんなに、日々、毎日毎日、自分に優しくしてくれて、自分のことを思っていてくれている兄に、せっかくお礼をすることのできるまたとないチャンスである。

 

 付け加えて、三日後の兄の誕生日は、十五歳の誕生日だ。

 普通の誕生日とは、少し毛色が違う。特別の、さらに特別。


 あぁ、一体何をあげればいいのだろうか。


 エレナは、悩んでいた。


「なんか最近肌寒くなってきたよな」


 ポツリとふいに呟かれた兄の言葉。どんなに遠くに居たって、兄の声は必ず聞こえる。兄のことは、わかる。


 エレナは今している作業を一旦止めて、すぐさま兄の元へ向かった。


 部屋の中を暖かくしようと、エレナは暖房器具をつけようとしたが。


「いや、大丈夫だよ。エレナの魔力を使わせるのも悪いし、ちょっと思っただけでそこまで寒いわけでもないから」


 ――あぁ、本当にお兄ちゃんはやさしい。


 そんな時、エレナの頭に不意に浮かんでくる記憶があった。


 それは、ずっと昔に兄であるウィルロールが言っていたこと。


『やっぱ魔法があると、大抵のことはそれで済ませちゃうんだよな。まぁ、機械でも似たようなことだけど、やっぱ魔法の方が万能なんだよなぁ……』

『どうしたの? お兄ちゃん』

『いや、この前俺が服の裾を引っ掛けて破いた時、エレナが魔法使って一瞬で繕っただろ? 裁縫道具とか必要ないんだなぁと思うと、便利だけど、なんか虚しい』

『サイホウ道具……』

『ん、あぁ、魔法とかじゃなくて、自分の手で繕ったりするための針とか糸とかのことだよ。……そういえば、手編みのマフラーとかってこの世界の人とかも作ったりするのかな』


 その時、エレナは兄から魔法を一切使わずに、自分の手だけを使ってマフラーなどの衣類を編むことがあるのを知った。

 兄曰く、そっちの方が愛情がこもってる感じがして良いのだそうだ。


「でも、そんなことしたら変な形になっちゃいそう」と、そう言うエレナに対してウィルは、


「だから良いんだよ」とそう答えた。


 あぁ、マフラーを自分の手で編もうとエレナは思った。


 そうすれば、きっと兄も寒い思いをしなくなる。

 愛情を込めて、マフラーを編もう、と――。


 日数は残り少ないが、睡眠時間など、余分に削れる時間はいくらでもある。

 間に合うだろう。そう思って、エレナは自分なりの工夫を凝らして、手編みのマフラーの作成を始めた。


 けれど、思ってたよりも作業は難航した。


 魔法の技術に関しては、天才と褒めそやされてきたエレナだが、手芸に関してはそうではなかったようだった。


 不完全なモノを兄に渡すわけにはいかない。

 普段通り、兄との時間を過ごしながら、エレナは少しずつ、一生懸命にマフラーを編んでいった。


 

 しかし――、



――やっぱり時間が足りない。


 兄の誕生日の朝一番に、渡そうとそう考えていたエレナであったが、あと少しというところで完成には至っていなかった。


 でも、あと、もう少しだ。もう少し。


 苦渋の決断の末、この調子で行けば昼過ぎには完成する目処が立っていたので、このまま兄には内緒にして手編みのマフラーの作成を続けることにした。


 朝食時、兄は何も気にしていないようであったが、きっと内心では怪訝に思っているに違いない。


――早くしないと。


 部屋にこもって、今までにないほどエレナは、集中して、他のことが何も気にならなくなるほど注力して、マフラーを作り続けた。


 そして――、


「ふぅっ、やっと出来たっ」


 そうして、エレナが時刻をすると、時計は昼過ぎを指していた。


 どうやら、兄のために夕飯にとびきりのご馳走を準備する時間は十分にありそうだ。


 ふと、エレナは眠気を感じた。

 三日も徹夜すれば、当たり前かもしれないが、ここで負けるわけにはいかない。


 兄のために。そう思うと、何でも出来る気がした。


「よーしっ、」


 そう言って立ち上がって、エレナは出来上がった手編みのマフラーを既に用意していた箱につめる。


 さっそく兄に、渡しに行こう。

 かなり遅れてしまったけど、きっと兄なら許してくれる。兄は、とても優しい人なのだから。

 何があってもエレナのことは嫌いになんかならないと言ってくれたのだから。


 きっと、喜んでくれるだろう。


 そう思って部屋から出たエレナは、ふととある違和感に気がつく。


「お兄ちゃん、家にいないの……?」


 兄の気配がしない。いたらすぐにわかる。


「……?」


 首を傾げるエレナは、魔力を自分の右目と右耳に集め始めた。


 エレナはウィルがどこにいても分かるように、密かにウィルの体に『印』をつけていた。


 『印』あれば、どこにいても兄の姿が見れる。


 魔力を集めた右目を閉じると、そこにあったのは暗闇ではなく外の風景。

 寒風が吹きすさぶ中、そこに、兄は、いた。


 ただし、一人ではなかった。


「……え? お兄、ちゃん?」


 長い一つのマフラーで、兄は――ウィルは、アリアと繋がっていた。


 声が、聞こえてくる。


『…………あたしは、』


 気付いた時、目の前で、兄がアリアにキスされていた。

 キスだ、キス、チュー、ちゅーだ。


 唇と唇が重なって、兄が目を丸くしている。


 エレナは、兄とそんなことはしたことない。一度も。無い。



「……ぇ?」




『あたしは、ウィルのことが誰よりも一番大好きだよ。好きで、好きで、大好き。だからウィルにはあたしのものでいて欲しいの。……ね? ウィル、分かる?』



 兄が、キスされている。



『っふぁ、……あのね、ウィル……あたしね、ウィルの誕生日プレゼントに何をあげようかずっと悩んでて、結局このマフラーしか準備できなかったの』

『…………え、え』

『でも、他にもあたしが今すぐウィルにあげれるものがあるんだ』


 ――――――

 

「――――」


 また――、また――、また。


 ことりと、床と硬いものが擦れ合う音が響いた。

 エレナが手編みしたマフラーの入った箱が、兄への誕生日プレゼントを手放したことに、エレナは気付いていない。



 兄が、アリアに押し倒されている。



「――――――――」



 分かる。兄が、進んでやってないことは分かる。兄が、自分から、彼女とキスをしようと思って、そうしたわけではないことは、分かる。


 兄のことなら、分かる。エレナは知っている。兄のことなら分かる分かる分かるわかるわかるわかる――――、


 でも、だからこそ、


 兄がそれを決して、嫌がってはいないことも分かった。分かった、わかってしまって、分かった分かった。


「……駄目、ダメ、だ、め、だめ、だめだめ、……、ぇ、」


 あぁ、あぁ、ダメだ。これはダメだ。いけない、イケナイ。イケナイ。



 ウィルが、アリアのペースに巻き込まれて、押されていく様を、アリアと見つめ合って顔を赤くしているウィルを、エレナは見ていた。


「……ダメだよ、違う、ちがう、チガウ、これじゃないコレジャナイチガウ、違う、うん、うん、ダメ、ダメだよ、うん、――――」



 あぁ、自分が間違っていた。



 兄のことが好きなら、本当に好きなら、ずっと一緒に、本当に片時も離れずに、ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと、一緒にいるべきだったのだ。


 もっともっともっともっともっともっともっと、自分が思っていることを、想っていることを、兄が好きであるかを、自分と一緒にいて欲しいことを、真っ直ぐに伝えるべきだったのだ。


 間違っていた間違っていた間違えた間違えた間違えた間違えた間違えた間違え間違え間違え違えた違った違った違った違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 

 目の前で、アリアが、ウィルのことを好きだと言っている。

 そして、ウィルはそれを見て、決して嫌ではない様子だ。好きだと言われて、――――な、様子だ。


 でもそれは違う。違う違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 ウィルが、お兄ちゃんのことが好きなのは、エレナだ。

 一番大切に、大切に、お兄ちゃんのために、一番のことができて、一番好きなのはエレナだ。

 

――――エレナが、お兄ちゃんを好きなんだよ。



 ふっと、エレナが普段と変わらない笑みをこぼし、落とした。



『ウィル……、ね、あたしのこと、好き?』



「――ううん、それはちがうよ?」



 ぱっとエレナが腕を振り上げると、白い閃光が迸った。


 凄まじい量の光が、その場を埋め尽くし、『何か』が床の上に転がる音がした。

 


「……お兄ちゃん」


「………………――――、ハッ? え、え、ちょ、ま………は?」


 突然目の前の景色が変わったことにウィルは、目をあらん限りに見開いて、あたりをキョロキョロと見渡す。


 そして、彼女の姿を見つけた。








「お兄ちゃん、大好きっ」

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