3話――姉



「それで……、エレナは結局どこに行きたかったんだ?」

「えっ? え、えっとね」


 エレナに手を引かれながら、くねくねと路地裏や、道無き道的な微妙な通路を通った俺は、結局村の中心部に戻ってきていた。

 少し息を切らしている俺たちを、そばを通り人たちが不思議そうに眺めていく。

 

 いまいちエレナが何をしたかったのか、分からない。

 そんな疑問を視線に載せてエレナを見つめてみるが、エレナは戸惑ったように視線を彷徨わせるばかりだ。


「エレナ……?」

「……うぅ」


 じっとエレナを見つめていると、エレナが耐えきれなくなったように視線を下す。


「お兄ちゃん……」

「……いや、えー、今さっきの行動がどういう意図なのか、気になってしょうがないんだけど」


 何気なく俺がそう言うと、ビクッとエレナの方が震える。

 エレナは恐る恐る、俺の顔をうかがうようにしながら、ぼそりと口を開いた。


「その、アリアちゃんに……」

「え? アリア?」


 まさかここでアリアが出てくるとは思わず、思わず聞き返してしまう。

 どいうことだ?

 

「アリアちゃんの気配を感じたから……、思わず」

「アリアが来たから思わず逃げたって?」


 言葉の先を予測し、俺が訊くとエレナがこくんと頷く。

 アリアが来たから、エレナが逃げた?

 その事実を認めてしまえば、思い当たる点はないでもない。


 ここ最近の、エレナがアリアに向ける視線が、以前のものとはまた違う気がしていたからだ。

 何となく、不穏なもの。

 推測できる原因を言ってみるならば、


「けんか、でもしたんだな?」

「……」


 俺が訊くと、エレナは俯いたままで何も言わなかったが、否定はしない。

 なるほど、そういうことか。


 考えてみると気配を察知するとかマジでやべぇな俺の妹。それどこの超人。

 でもまぁ、それ以外は年相応だろう。たぶん……。


 俺はぽんと、エレナの頭に手を乗せる。


「まぁ気にすんな。そういうのはよくある。けど大事なのは、自分の正直な気持ちを話して、ちゃんと悪かったところを謝ることだ」

「おにい、ちゃん?」

「まぁでもだからと言っていきなりそうする必要はない。心の準備が出来てからでいいから、必ず、きちんとまっすぐにやることだな。それでも、心の準備ができなかったら誰かに相談しろ。別に俺だけじゃなくても、誰か頼れる人に」


 そう言って笑ってやると、エレナがゆっくりと顔を上げた。


 と、そんな時に、


「あぁっ、ウィルくんがお兄ちゃんしてるーっ」


 からかうような声が聞こえて振り返ると、すらっとした女の理想のような体型を存分に見せつけて、楽しそうに笑っているソフィアがいた。


「ウィルくんにエレナちゃんも、仲良さそうで何よりだねっ」

「あっ、お姉ちゃん」

「ソフィア姉さん……」



 話は約七年前、ソフィアがまだ十三歳、俺が七歳だった時期にさかのぼる。

 ソフィアの婚約騒動があった時期だ。


 ソフィアの父親であるフルロさんはこの村を含む土地を統治する領主さまだ。

 そんな彼はまだ俺が生まれる前に、領内で起きた疫病事件の処理に四苦八苦していた。

 つまり余裕がなかったわけだ。

 そこらへんの理由で、ソフィアは俺の家に預けられ、幼少期を過ごした。


 が、その時の婚約騒動の結果、フルロさんを取り巻く疫病事件の禍根は大きく薄れ、ソフィアはついに実家に戻ることが可能となった。

 しかし、ソフィアにとっては幼少期を過ごしたこの村こそが故郷なわけであって、結果的にソフィアは実家に帰ることを拒否した。


 その時のフルロさんのショックを受けた表情は筆舌に尽くしがたいほどとんでもなかったが、ソフィアが幼少期を理由があったとはいえここで過ごす決断を出したのも彼であったので、あまり同情はしなかったような気がする。


 ともあれ、ソフィアは実家に帰ることを拒否して、ウチで生活することを望んだ。

 しかし所詮は親の庇護を受ける少女、結果としてソフィアは実家に連れ帰られることとなった。


 そのあたりにも色々とソフィアが力の限り抵抗する一幕があったのだが、ここでは割愛する。

 

 とまぁ、そんな感じで収まったソフィアの帰郷であったが、続いたのは一年とちょっとだけだ。

 一般的に成人とされる十五歳。

 十五歳になったソフィアは、自力でうちの村まで引っ越して、自宅を構えた。


 そこらへんに渦巻く、貴族さま方のややこしい事情もここでは割愛させてもらうとする。


 まぁ、最終的な結果だけ述べるとするならば、住む家こそは違えど、ソフィアお姉ちゃんは今もウチの近所に住んで、俺とエレナのお姉ちゃんをやってくれている。



 ソフィアの家。

 すっかりと大人の美貌を様にしているソフィアの前で、俺とエレナは紅茶をすすっていた。

 コトンとカップを置くと、透き通るようなオレンジ色の液体に波紋が走る。


「あのねお姉ちゃんっ、お兄ちゃんってね、すごいんだよ。この前だってね、エレナがおうちで本読んでたらね――」

「へぇー、さっすがウィルくんかっこいい。いいお兄ちゃんだもんねっ?」

「うんっ!」

「でもエレナちゃん、その話前にも聞いたよ?」

「あれっ?」


 微笑ましい。なんか穏やかだ。

 目の前の姉妹を見て、俺が浮かべた感想がそれだ。

 

 自分でいうのも何だが、客観的に見てみた場合、エレナが一番心を寄せている人物は俺だと思う。

 でも、次点で言えば、俺たちの母――アリシアか、ソフィアであろう。


 ソフィアを見るエレナの目つきは、普段と比べてずっと落ち着いていて、純粋に楽しそうだ。

 エレナがアリアに向ける視線は、何というか怖いんだよな。この感覚、言葉にするのは難しいんだけど……。


 だから、こんな風に楽しそうに話すエレナとソフィアを見てると、俺も落ち着く。


 さすがにソフィアは大人だけあって色々とわきまえているし、妹であるエレナを立てて上げることが多い。だから、安心できる。

 まぁ、エレナはそのことに気づいていないっぽいが。

 

 俺がぼんやりとソフィアを見つめていると、不意に視線が重なって、頬杖をついたままソフィアが柔らかく微笑んだ。

 大人の笑みだ。二十の貫禄だ。

 ドキッとしてしまった。

 くそ、精神年齢では俺の方が勝ってるはずなのに何か負けてる気がするぅっ!

 

 エレナとソフィアが楽しそうに話しているのを目にしながら、俺は席から立ち上がった。


「あっ、ウィルくんトイレ?」

「えっ、ま、まぁうん」


 俺が立ち上がった瞬間にこちらに目をやるソフィア。

 まさにその通りだけど何で分かったんだ……。

 

「お姉ちゃんがついて行ってあげようか?」

「お姉ちゃんが俺たちからド変態の称号をもらってもいいなら」

「もうっ、ウィルくんのいじわる。冗談に決まってるじゃん」


 唇を尖らせるソフィアに苦笑しながら、俺は部屋から出る。

 その間際に、一瞬だけエレナと目が合った。



「ね、ねぇ、お姉ちゃん、相談したいことがあるんだけど。出来ればお兄ちゃんがいない、今に」


 ウィルが部屋を出てしばらくしてから、エレナは恐る恐るソフィアにそう切り出した。

 エレナの一変した雰囲気に目を丸くしながらも、ソフィアは大仰に頷いた。


「でもウィルくんはすぐに帰ってくると思うよ? まぁそれでも大丈夫なら何でも聞いて? 可愛い妹のためならお姉ちゃん何だって聞いちゃう」


 そんな柔らかい答えを聞いて、安堵したような顔になるエレナ。

 エレナは一息つくと、口を開いた。


「エレナね、お兄ちゃんのことが好きなの」

「うん、見てたら分かるよ。ウィルくんって、カッコいいもんね。もちろん私はウィルくんもエレナちゃんも大好きっ」


 頬杖をついたまま、穏やかに微笑むソフィア。

 「それで、どうしたの?」と、エレナに続きを促した。


「うんあのね、それでね、エレナはお兄ちゃんと結婚したいなって思うの」

「おー、それは大きく出たね、エレナちゃん」


 エレナの言葉に何の動揺も示すことなく、ソフィアは頷く。

 それを見て、エレナは再度口を開いた。


「エレナはね、お兄ちゃんのこと大好きだし、ずっと一緒にいたいの。だからね、お兄ちゃんにもエレナのこと大好きでいてほしいんだけどね……」

「けど?」

「エレナね、お兄ちゃんとちゅーしたことないの」

「うん、うん」

「でもねお姉ちゃん、……。アリアちゃんとお兄ちゃんって、ね、ちゅー、したことあるんだって」

「えーっ、ほんとっ?」


 エレナの言葉に、ソフィアが驚いたような仕草を取る。

 だが、そこに込められた情動は薄い。まるで、初めから全て知っていたように、ソフィアの動揺は少ない。

 そのことに、エレナは気づいていなかった。


「お兄ちゃんは……、アリアちゃんのことが、一番好きなの、かな?」

「うーん、それは無いと思うなぁ」

「……違うの、かな?」

「うん、だってウィルくんのことは、私(・)が一番よく知ってるしね」


 自信満々にそう言い切るソフィアは、頬杖をついたままその体勢を崩さない。


 ソフィアは、エレナに柔らかく微笑みかける。


「エレナちゃんは、どうしたいのかな?」

「お兄ちゃんに、一番好きって言ってほしい」

「じゃあ、そう言ってもらえるために、頑張らないとねっ」


 励ますようなソフィアの言葉に、エレナは弾かれたように顔を上げ、大きく頷く。


「う、うんっ、そうだね、頑張ってみるっ」


 ソフィアは、柔らかく微笑んで可愛い妹の奮起を見守る。


「……まぁ、絶対無理だろうけど」


 小さく呟いたソフィアの声に、エレナは気づかない。


 

 

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