二十二話――母親に頼った話
母親は、偉大である。
今現在の俺の母親にあたる人物は、アリシアという。
『今現在』とわざわざつけた理由は、俺が前世の記憶を引き継いでこの魔法世界に生まれてきたからだ。
だから、今の俺の、本当の母親はアリシアで間違いない。
しかし感覚的な母親で言えば、やはり人格が形成された前世、その当時の母親が妥当といえる。
それでも、アリシアが愛情を持ってこの俺を大切に育ててくれたという事実は変わらない。
そのことに対する俺の多大なる感謝と尊敬も変わらずだ。
だから俺は生まれてこの方、あまりアリシア、いや、両親にあまり迷惑をかけないようにしてきた。
まぁ、魔法を覚えたかった時は色々迷惑もかけたが。それは致し方あるまい。
しかし親というものは、子供に迷惑をかけられてこそ、だとも思う。
そういう意味では、俺は今まであまり子供らしくなかった。
大抵のことは自分で何とかしたからな……。
けど、自分ではどうしようも出来ない事態に直面した時。
頼るべきは、やはり親だろう。
特に悩みの中心となっているのが、同じ親から生まれた妹であれば、なおさら。
と、いうわけで、妹エレナのことで切羽詰まってどうしようもなくなった俺は、思い切って母アリシアに相談することにした。
どのみちバレることだ。
ならば、早いほうがいいだろう。
◯
深夜。
エレナが寝入ったことを確認した俺は、アリシアとテーブルを挟んで向かい合っていた。
「エレナが俺と結婚したがっているんだけど、どうしたらいいかな」
単刀直入、ストレートな悩みをアリシアにぶつけてみた。
アリシアには相談があるとだけしか伝えていない。
下手すれば冗談と取られてもおかしくない発言だった。
俺は恐る恐る、アリシアの様子をうかがう。
アリシアの顔を見た俺は、驚いた。
なぜなら彼女の表情に彩られていた感情は、驚愕ではなく、納得に近いものだったからだ。
「そういうことね……」
アリシアが呟く。
そこで俺は理解した。
彼女が全て知っていたことを。
アリシアはエレナが俺に普通以上の好意を向け、俺が悩んでいることを知っていたのだ。
さすがに結婚にまで話が進んでいるとは思っていなかったようだが。
「ウィルが悩んでるのは、それだけ?」
「いや……」
アリシアに問われ、俺は全てを吐き出した。
エレナが幼い頃にした俺との結婚の約束を今も覚えていて、それを信じきっていること。俺はそれを望んでいないこと。
「ウィルは、本気でその約束をしたわけじゃないのよね?」
「どうせ小さい頃の話だし、忘れると思って。もし覚えてても、エレナも本気にはしないだろうと思ってた」
アリシアは、ふーむと大きく息を吐き出すと、柔らかい笑みを浮かべた。それこそ、慈母のような。
「でも、エレナはウィルのことが好きなんでしょう? 本当に大好きで、結婚したいくらいに」
「……っ」
否定できるはずがない。あれだけの好意をまっすぐ向けられて、気づかないはずがない。
「でも、兄妹同士でそういうのっておかしくないかな」
「おかしくなんてないわよ。お母さんは別に、二人がそれを望んでいるなら反対はしないわ。それで二人が幸せになるなら」
「……でも」とアリシアは一息を置く。
「ウィルはエレナと結婚したいわけではないんでしょ?」
あまりにハッキリと当たり前のように言われ、肯定しなければならないのに俺は一瞬口ごもってしまった。
「いやでも俺は、別に」
「分かってるわよ。ウィルがエレナのことを嫌いじゃないことくらい。むしろ好きな方でしょう?」
「……」
「でも、結婚となるとまた別物よね。人生の中で一番大きい選択と言ってもいいくらいだもん」
全てを見透かしているような瞳が俺に向けられている。
アリシアは笑みを崩さないまま、続けた。
「ウィル自身は、どうしたいの? まずはお母さんにそれを聞かせて?」
「……、エレナに、もっとよく考えて欲しい」
「でも、きっとエレナはそう言われても、ウィルと結婚したいって言うんじゃないかしら。あの子、本当にお兄ちゃん大好きだから」
「いや、でも」
「違うでしょ、ウィル」
少しだけ、アリシアの声のトーンが変わった。
「え?」
「ウィルは、どうしたいの? エレナにこうして欲しいとかじゃなくて、ウィル自身がどうしたいの?」
アリシアは、俺の意思を訊いていた。決して、俺が理想する解決案ではなく。
「……俺は、エレナと結婚したいわけではない。結婚は、違うと思う。……昔、軽い気持ちで約束をしちゃったのはエレナに悪いとは思ってるけど……、これは、なかったことにしてもらうしか……ないよな」
アリシアが、満足そうに頷く。
「あーあ、エレナ……失恋しちゃったわね。でも失恋も大切な人生経験の一つよ。だから、ウィルが気にすることはないわ。と言ってもウィルのことだから、結構気にすると思うけど」
「……俺、どうしたらいいかな」
この母親なら、一番良い方法を、知っている気がした。
「そんなの一つに決まってるじゃない。ちゃんと今の話を全部、ウィルの口からエレナに聞かせるのよ。まっすぐに包み隠さず」
結局は、そこに落ち着くのか。
俺は思わず自嘲をこぼす。
確かにそうだ。はじめから、最善と言える手はそれしかなかった。
本心からエレナと向き合って、話し合う。
分かっていたのに、心のどこかでそれを恐れて、避けていた。
けれど、アリシアが、俺の母親がそれに気づかせてくれた。
さすが母親。
相談してよかったと思う。
やることは決まった。すぐに、明日にでもエレナと話そう。
俺はアリシアに礼を言って、自分の部屋に戻った。
「久しぶりに夜更かししたな……」
そう思うと自然と大きなあくびがこぼれ出た。
俺は、倒れこむようにしてベッドに寝転がる。
さっさと寝てしまおう。そう思った時だ。
「ねぇ、お兄ちゃん……」
すぐ近くで、細々とした声が聞こえた。
「えれ、な……?」
身体を起こして振り返ると、ベッドの側に立つ黒い影――エレナがいた。
今、この部屋に明かりはついていない。だから、光源と言えるものは窓から入り込むかすかな月光のみ。
わずかな月明かりに照らされたエレナの顔は、濡れている。
エレナは、泣いていた。
ドクンと、俺の心臓が嫌な高鳴りを見せる。
――どうしてエレナがここにいる?
――なんで、泣いているんだ?
いや、エレナの声を聞いた時から、うすうす勘付いていた。
「なぁ、エレナ、お前……」
「だ、だいじょうぶだよ、お兄ちゃん。エレナ、いい子だから、ね……? お兄ちゃんが嫌って言うなら、別に結婚の約束が無かったことになっても、わがまま言わないから。……お兄ちゃんに、迷惑かけたくないもん」
エレナの涙ぐんだ声を聞いて、俺は確信する。
あぁ、さっきの話を、聞かれていたのだと。
どこからどこまで聞かれていたかは定かではないが、エレナの言葉を聞くに、核心の部分だけは確実に聞かれている。
「あ、あはは、気づかなかったな……、エレナ、お兄ちゃんに迷惑かけてたんだね。妹、失格だね……、うん。お兄ちゃんに嫌がられても、しょうがないよね。うん、しょうがない……」
「ち、違う、なぁエレナ、一度落ち着いて俺の話を聞いてくれないか?」
「……えっ?」
きょとんと、エレナが声を漏らす。
その表情が、ふっと恐怖の色に染まったのが分かった。
「い、いや……いやだよ」
「エレナ……?」
エレナの手をつかもうとしたら、避けられた。
エレナが一歩、俺から遠ざかる。
エレナに拒絶を示されたのは、比喩ではなくこれが初めてだ。
「だめ、ちゃんとわかってるから。エレナ、お兄ちゃんに迷惑はかけないから。だ、だから……これ以上は、やめて。お願い、聞きたくないの」
「だから違うってエレナ、一度話を聞いてくれ」
「ううん、いいの。ちゃんと分かってる。分かってる。分かってるから! ……お兄ちゃんは優しいね、やさしいね……。スキ、だな……」
また一歩、エレナが遠ざかる。
思わず俺はベッドから飛び降りたが、エレナがひどく震え上がったのを見て、その場に留まった。
「ね、ねぇ、エレナはね、ずっとお兄ちゃんのこと好きだよ? 本当に、本当に、本当に今も、大好きで、愛してるから」
だめだ。話がどんどんマズイ方向へ向かっていくのがわかる。
「エレナ……だ、だから」
「やめてっ! お願い、やめて。聞きたくないの。お兄ちゃんまで、エレナを否定するのは。……ききたくない!」
「……っ、」
「あは、は、いやだよね。こんな妹……。気持ち悪いよね、目の色が違ってて、普通じゃなくて。こんなのがずっとお兄ちゃんの側にいて、迷惑だよね」
「お前、何言って……」
「やめてっ!」
だめだ。話が通じない。
エレナがぼろぼろと涙をこぼしながら、こちらを見て無理に笑っていた。
なのに、それを見て胸が締め付けられるように痛むのに、俺はエレナに近づくことができない。
「ごめんね、ごめんねお兄ちゃん……、大好き――――」
エレナはそのまま俺の部屋から逃げるように去っていった。
「何なんだよ、一体……」
結局俺は朝まで、部屋から出ることができなかった。
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