二十三話――すれ違う話




 ままならない。


「あー、くそっ。何だこれは」


 エレナが俺を避けている。

 それは確実に、間違いのないことだった。


 別段普段から、エレナと四六時中一緒にいたわけじゃない。

 エレナもしばしば、村の子供達などと遊んでいるはずだ。

 小さい頃、ソフィアやアリアとばかり一緒にいた俺は妙ないじめを受けたからな。

 俺は以前エレナに、色んな子と遊んだ方がいいぞ、と言ったことがある。

 エレナはそれを素直に聞き入れたようだった。


 だから、毎日が毎日、俺はエレナと一緒にいたわけじゃない。

 しかし、そういうのとは関係なく、エレナは俺を避けている。


 昨夜のアレは何だったのか。

 俺とアリシアの話を盗み聞いただけにしては、いささか様子がおかしい。


 俺に結婚を拒否されたことがそんなにショックだったのか?


 いや、それもあるかもしれないが、もしそうだとしても昨夜のエレナはおかしい。

 いくらそれがショックだったとしても、話が通じなさすぎた。

 あれはどちらかといえば、自棄に近いような気がする。

 

 そして、その原因は、結婚の約束が無くなったことだけではない……?


 そこで、俺はあることを思い出す。


「そういえば……、」


 ここ最近でエレナの様子がおかしかったのは、昨日が初めてではないはずだ。

 そう、もう少し前に、あの時。

 エレナが俺の布団に入り込んで、一緒に寝た日――


 つまり、前々からエレナには何か……。


「チッ……」


 思わず舌打ちがこぼれた。

 

「……もっと早く気付けよ」


 現在は、午前の昼前。

 朝食を終えたあと、エレナはなにも言わずに自分の部屋に向かった。

 昨日と同じ反応をされるのが怖くて、俺はエレナに話しかけることができなかった。


 けど……、


 やはりエレナとはちゃんと言葉を交わすべきだ。


 俺は、エレナの部屋に向かうことにした。

 


「エレナ……っ!、中にいるんだろ? お願いだから開けてくれ」

「…………」


 ドアの前で、何度も叫ぶ。しかし、中からの返事はない。

 

 中にいるのは確実だ。

 

 エレナの部屋のドアにカギなどは付いていない。

 だというのに俺がドアの前で叫ぶだけに留まっているのは、エレナに配慮しているからではない。

 中に入れるものなら、どんなに拒絶されようと中に飛び込んでいる。

 

 俺は、目の前にある木製のドアに目をやった。


――結界。


 赤と緑と青の光を複雑に編み込んだ魔方陣が、ドアの面を覆っている。

 これは、排他結界の類だ。魔物を弾く防御結界もその中に属する。

 

 エレナは、魔術の天才だ。

 七歳になった頃から父ルーカスに魔術を教えてもらっていたが、その才能はソフィアやアリアにも勝るとも劣らない。


 ほんと、俺の周囲にいる女の子のレベルが高すぎるんだよな。

 対して俺は平凡の少し下くらい。

 なんだか、逆に笑えてくるような状況だ。

 

 まぁそれはともかく。エレナが構築する魔術のレベルはすでに俺が扱うモノを軽く凌駕している。

 要するに、この結界は俺には破れない。


 ゆえに、言葉で伝えるしかないのだ。


「なぁエレナ! 一回、俺とちゃんとした話をしよう。きっとお前はいくつか勘違いしてる!」

「…………ねぇ、お兄ちゃん」

「エレナっ!?」


 ようやく、一つ返事をもらえた。

 か細くて、弱々しい声だったけど、確かにエレナの声。


「お兄ちゃんは、……エレナと結婚するのが嫌なんでしょ?」

「……なんで」

「ねぇ、お願い。お願い、ちゃんと話をしようって言ったのはお兄ちゃんでしょ? お願いだから、……正直に、答えて」


 その声だけで、エレナが今にも泣きそうなのがわかる。

 俺は、どう答えるべきなのか。

 とりあえずでここまで来たが、正答なんて道筋すら見えない。

 いや、それでも、ここでウソを吐けば、確実に『終わる』ことだけは分かった。



「俺はエレナと、結婚したいわけじゃない。けど、」


「……ッ!」


 ドアの向こうで、エレナが息を呑んだ。

 続いて、勢いよく窓が開かれる音が聞こえてきた。

 彼女が何をしようとしているのか、すぐに察知する。

 

 ここは二階だが、魔術をあそこまで自在に操るエレナなら怪我なく飛び降りることなど造作もないだろう。


「あのバカ……っ!」


 俺はドアの前から離れると、階段を駆け下り家から飛び出した。


 軒先で周囲を見渡す。

 村道に続く舗装路の先、遥かに小さく見える影があった。

 走り去っていくエレナを見つけ、俺はその方向へ足先を向ける。


「あのバカ……!」


 もう一度だけ呟いて、俺は走った。




――嫌、嫌、イヤ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ……。


 拒絶が、黒いものが、エレナを包み込む。

 ぐるぐる、ぐるぐると回転する熱い感情の渦は、急に凍りついて身を震わせたり、また身を焦がすように熱くなったりする。


 背後からウィルが追ってきていることには気付いていた。

 本当に、彼は優しい。

 優しい、優しい、優しくて、大好きで、片時も離れたくない。

 そのはずだったのに、今ではそれが拒絶に変わってしまった。

 

 エレナは魔術を駆使して、ウィルの目を欺いた。

 今頃彼は真逆の方向へ、エレナを追っているつもりで走っていることだろう。


 おかしい、おかしい、おかしい。

 どうして、自分は兄を遠ざけている?

 ウィルが、自分のことを追いかけてきてくれているのに。


――やさしいなぁ……。


 その優しさに思いっきり甘えてしまいたいが、それをしたら全て終わってしまう。

 だってそれは彼が優しいからそうしてくれるのであって、エレナのためではない。


 その時、彼の中にエレナはいない。


 認めなくない。いやだ、怖い。


 どうして……。


 ――俺はエレナと、結婚したいわけじゃない――


「……ッ!」


 胸の奥底に鋭い痛みが走って、その拍子に足がもつれる。

 河原を走っていたエレナはこけて、膝を強く打ち付けた。


 だめだ、だめだ、いやだ。

 

 兄にまで拒絶されてしまった。否定されてしまった。


 それがあるから、だいじょうぶだったのに。

 それだけが、心の支えだったのに。

 兄だけでも、いや、兄だけでいい。兄だけがいい。

 兄だけが自分を肯定してくれたから、自分は自分を保てたのだ。


 兄ならば、こんな気味の悪い自分を肯定してくれる。

 瞳の色が左右で違っていて、

 周りとどこか違っていて、

 価値観も違う。

 まともじゃない。


 エレナにとって、産まれた時から兄が全てだ。

 

 兄の期待には全て応えるようにしてきた。

 兄さえ自分を肯定してくれれば、それでよかったから。


 なのに……、だめだ、なくなってしまった。


 ……こんなのは無理だ、耐えられない。

 だけど、例え拒絶されたとしても――嫌われるのは、もっとイヤだ。


 ウィルに嫌われるのだけは、絶対に避けたい。

 だからエレナは、ウィルに迷惑をかけてはならない。


 兄に嫌われないためにも、そばにはいられない。けど、そばにいたい。

 嫌われるのはのはイヤだ。これ以上は、耐えられない。なのに。


「…………っ、」

 


 くるくる、ぐるぐると渦巻く、複雑で歪んだ感情。

 エレナの幼い胸の内に、くすぶり続けるソレは――――、

 

「あっ、こんなとこで何してんだよ、化け物」


 嘲笑の入り混じるそれに、エレナは顔を上げる。

 蔑むような視線を讃える、三人組の少年たちがいた。

 

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