二十話ーー妹が少しおかしい話



 夜。

 やるべきこともすべて片付けた。

 この世界にはゲームやネットがない分、自然と前世と比べれば嫌が応にも寝る時間も早まる。

 それでも毎日の習慣というものは馬鹿にならないもので、俺は比較的夜の早い時間帯でも、眠気を得られるようになっていた。


「ふわ……」


 ドアを開けた先は、我ながら物の少ないシンプルな自室。

 自然とあくびが漏れる。


 ベッドに体を寝かせ、布団の中に潜り込み、俺はいつものように寝る準備を整えた。


 はずだったんだけど……、


「なんで、ここにいるんだ、エレナ……」

「お兄ちゃーん……。えへへ、やっときたー」

 

 寝巻き姿のエレナが手足を俺の体に絡ませてくる。

 薄めの布地を通して色々と柔らかい感触が伝わってくる。

 

「ふぅ……」

「あのエレナ、なんでここにいるかを聞いてるんだけど」

「お兄ちゃんの匂いって、落ち着くね……っ」

「話聞けって……」

「あぅっ」


 すでにこれくらいのことでは、驚きもしなくなっている自分が怖い。

 アリアやソフィア、それを見て育ったエレナに囲まれていると、このくらいのこと日常茶飯事なんだよな……。

 いや、待て。

 なんだこれ、はたから見ればハーレムじゃねぇか。

 でもなぜだろうか、これをあまりハーレムだと感じないのは。

 多分それは、安心できないから。

 彼女たち同士の俺に関する会話を聞いていると、ヒヤヒヤすることが多い。

 まぁ、色々とハッキリしてない俺が悪いところもあるんだけど……。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」


 俺にデコピンをかまされて、呻いていたエレナが間近で俺を見つめてくる。

 左右で色の違う瞳。


「んっ?」

「キスしても、いい?」

「ぶっ!」


 まさかいきなりそんな直球をもらうとは思わず、さすがの俺も吹き出す。


「え、エレナ。お前いきなりなに言ってんだよ」


 エレナは、神妙な雰囲気を崩して、面白がるような笑みを見せる。


「えへへ、もう、お兄ちゃんったら、冗談だってー。こんなムードもなにもない中で、エレナそんなこと言わないよ?」

「だったらいいんだけど……」

「でも、お兄ちゃんがしたいっていうなら、エレナは全然大丈夫だよ? エレナ、お兄ちゃんのこと大好きだし、お兄ちゃんにだったら何されてもいいって思えるから。それに、エレナとお兄ちゃんは、もうすぐ結婚するんだもんねっ」

「…………」


 そう言って無垢な笑顔を浮かべるエレナを見て、思わず俺は目を伏せる。


「お兄ちゃん? どうしたの?」


 手足は俺に絡みつかせたまま、エレナが俺の顔を覗き込んでくる。


 日中はツーサイドアップにしている茶髪を下ろし、母親によく似た美形の顔立ちに目一杯のあどけなさを宿している。

 エレナは、不思議そうにしていた。


「……エレナ、ちょっといいか?」


 俺は、絡みついてくるエレナを離して、ベッドの上に座らせる。

 俺も、その前に座り込んだ。


「どうしたのお兄ちゃん、なんか変だよ?」

「エレナは、本当に俺と結婚したいのか?」


 エレナの顔が、悲しげに歪む。


「お、お兄ちゃんは、いやなの? エレナと一緒にいるの、いやなの?」


 その瞳に涙が溜まり始めたのを見て、俺は慌てて付け加える。


「ち、違うってエレナ、俺が言いたいのはそういうことじゃない」

「……うん」

「エレナは、まだ九歳だろ? エレナは、まだまだ小さい」

「……うん、で、でも! 九歳でも、あと一年経てば結婚できるようになるんだもん! ちゃんと、お兄ちゃんのお嫁さんにもなれるんだよ?」


 エレナが再び、すがるように俺の胸に抱きついてきた。

 顔を俺の胸に強く押し付けて、両手も力強く背に回される。

 その様はまるで、一つしかない宝物を守り通そうとする怯えた子供のような……。


「だから、だから、ね、お兄ちゃん……。エレナ、お兄ちゃんのためなら何でもできるから」


 何かが、おかしいな……。

 

 確かにエレナは俺のことが大好きだと両親の前で明言するくらい俺に対する態度がわかりやすく、そしてボディタッチにも戸惑いがない。


 なのに、今のエレナは、どこか焦っているようにも思える。

 俺の考えすぎだろうか。


 まぁでも、この話題をこれ以上続けるのは得策ではないだろう。


「エレナ」


 声をかけると、エレナがびくりと震えた。

 俺は彼女の体をやさしく抱きしめる。


「お兄ちゃん……?」

「俺もエレナのことは好きだし、一緒にいたいとも思ってるよ。だから安心しろ」

「……ほんと? ほんとにほんと?」


 エレナが顔を上げて、潤んだ瞳で上目に俺を見つめる。


「ほんとだって。エレナ、今日のお前なんかおかしくないか? 何か、いやなことでもあったのか?」

「……そんなこと、ないもん」


 今、一瞬間があったな。

 少し目もそらされたし、どうやら何か嫌なことがあったのは間違いないようだ。

 

 まったく、分かりやすいな。

 こういうところはいかにも子供らしい。

 エレナは年に似合わず、時々ビックリするほど確信をついてくることがあるから、こういうところを見ると安心する。


「そっかそっか」

「な、なに、お兄ちゃん……わっ」


 抱きしめる腕に力を込めると、エレナが驚いたような声を漏らす。


 「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と毎日のように俺のあとをついてきて、心細い時でも俺を頼ってくれる妹。


 可愛くないはずがない。

 

 思えば、エレナが俺との結婚の約束話を掘り返してから、俺はエレナにどこか距離を置いていたかもしれない。


 エレナからしてみれば、不安だったことだろう。


「エレナ」

「な、なに、お兄ちゃん」

「今日はお兄ちゃんと一緒に寝るか」

「えっ、ほんと!? やったーっ」


 きゃーきゃー心底嬉しそうに騒ぎ出すエレナは、早速とばかりに布団の奥に潜り込んで、俺もそこに引っ張り込む。

 気の早いやつだ。


 エレナが、俺を正面から抱きしめた。


 しばらく、神妙な沈黙が続く。

 エレナは、まだ目を閉じてはいないようだった。

 

「ね、ねぇ……お兄ちゃん」


 ふとした瞬間。

 薄い暗闇の中、エレナが不安げに言う。

 

「キス、してくれない……?」


 その時に俺が考えたのは、エレナが言う、俺と結婚する約束の話。


 ここではっきりと結論を出しておこう。


 後々のことは、この際考えない。

 それを前提に話を進めれば、やはり俺とエレナが一年や二年という間もない先に、結婚するというのはありえないことだ。


 近いうちに、ちゃんと話をしよう。

 

 そう決意しながら、俺はエレナの額に軽く唇を当てた。


「……」

「ほら、エレナ、寝るならさっさっと寝るぞっ」

「うん、お兄ちゃん」


 エレナが俺の体に絡めている手足に、わずかに力を込めた。


「おやすみ……」

 

  

 

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