十五話ーー婚約の話



「……えっと、その……ブルム、さん? ちょっと、なにを言われたのか分からなかったんですけど……」


 面食らったようなソフィアは、怪訝な顔つきでブルムに聞き返す。


 いや、俺もちょっと彼がなにを言ったのか理解できなかった。

 聞き間違いじゃなければ、『婚姻』とかいうワードが聞こえたような気もするが……、


「あぁ、言い方が悪かったかもね。少し唐突だったよ」


 ブルムはキザったらしく長めの前髪をかき上げる。


「つい先ほど、君とボクの婚約が決まったんだ。あぁ、ソフィア。貴女はボクが今まで出逢ったどんな女性よりも美しい……。そんな君と結婚することができるとは、自らの幸せを確信するよ」


 ……なに言ってんだこいつ。


 ソフィアの前で熱の入った演説を披露しているブルム。

 俺が白けた視線を送っていると、腕の中でエレナが首を傾げた。


「……けっこん?」


 エレナが不思議そうな目で俺たちを見る。

 しかしエレナには悪いが、今はかまっていられない。


「あの、ブルムさん。申し訳ないのですが、今ひとつ話の内容が……。婚約が決まったとは、どういう意味ですか?」


 ソフィアが敬語を使うのを見るのは極めて稀だ。

 ブルムと呼ばれる彼が、ソフィアとあまり接点がない上に、年上だからだろう。


 だったらなぜ、そんな『結婚』や『婚約』なんて突飛なワードが出てくるんだ?


 その時、俺の頭にふと一つの単語が浮かんだ。


 政略結婚。


 その言葉を思い浮かべたのは、おそらく偶然だろう。ソフィアはこう見えて貴族令嬢だし、頭のどこかでその可能性を肯定していたのかもしれない。


 だがしかし、その可能性はーー


「ソフィア。君の父上とボクの父親が正式に取り決めた、婚約なんだよ。異議は通らない。つまりーー」


 どうやら現実のものだったらしい。

 

 


 レーゲン・ブルム。

 それがソフィアと婚約しただのなんだの、ほざいていた奴の名前だ。

 かの医療都市メディシアを統治する領主ベネット・アラル・ブルムの、一人息子である。


 医療都市メディシアの名は、田舎村に引きこもっている俺でも知っている。

 ソフィアの親父さんが統治するロムル街の隣にある、大都市だ。


 医療魔術を研究する大施設がいくつも設置されており、その名の通り医療がとても発達している。

 この世界には魔法はあっても、全てを治す超便利回復魔法なんて都合のいいものはない。

 回復魔法はあるが、それを扱うには相応の知識が必要だ。


 ちなみにその知識を有し、とある資格を持った魔術師は、魔法医と呼ばれる。


 簡単にまとめると、そのメディシアという都市には腕利きの魔法医がわんさかいるわけだ。


 ここで登場するのが、数年前にソフィアの親父さんが統治するロムル街で発生した疫病事件。

 領主たるソフィアの親父さんが有するチカラを大きく超えて、その疫病は猛威を振るった。

 そこでソフィアの親父さんは医療都市が在する隣領に助けを求めたらしい。


 その際に負債? 債務? そこらへんの難しいことはよく分からないがーー大きなカシを作ってしまった。

 それはもう結構大きな。

 それは領地の統治に、見過ごせない影響をおよぼすほど。


ーーそこで、ソフィアと、あの憎たらしいレーゲン・ブルムの婚約。

 ブルム家との繋がりをつくり、カシの帳消し。厳密に言えば、責の連帯状況をつくる、と。



 ……はっきり言って今の俺はかなりキテル。

 激おこである。

 

 この世界に来てから、いや、前世も合わせた中で、一番怒っていると言ってもいい。

 

 もちろん、その矛先はあのレーゲン・ブルムとかいうスカした奴。

 ではなくソフィアの親父さんだ。


 貴族の領主さまの仕事が苦しいかどうかは知ったこっちゃないが、それの解決に都合が良いからといって実の娘を当てがうとはどういうことだ。

 それも決して取り返しのつかない結婚というカタチで。

 

 そこで俺は決心する。

 今までどうしようもない俺の面倒を見てくれたソフィアのために、出来る限りのことをしよう、と。



 さて、ではまず……、ソフィアの親父さんに会いに行こうか。




 ロムル街で発生していた疫病被害は、今ではほとんど収束し、落ち着き始めている。

 一年ほど前までは、街を出入りするのにも厳重な検査と許可が必要だったが、今ではそれもほとんど形骸化しているので、実質的には街の出入りは自由。

 ソフィアの親父さんも、その頃からは毎日のようにソフィアの顔を見るためにウチへ足を運んでいた。

 

 しかし最近になってからは、あまりその姿を見なくなっていた。

 理由は言うまでない。

 

 レーゲン・ブルム出会った次の日。

 俺は学校にもいかず部屋にこもってしまったソフィアを見るに耐えかね、彼女の父親に会いに行くことにした。


 だいたいおかしいんだよ!

 なんでソフィアの意思を確認すらせずに、そんな話を進めるんだ!


 怒り心頭の俺は、街へ行くため、村の端にある乗り合い馬車に乗るべく、足を進めていた。

 まだ見た目が子供の俺が、一人で街の方に行くことに関して心配はあるが、他にやるよりない。


 母であるアリシアや、父であるルーカスの手を借りるというのもありだが、それはあまり良くないような気がするのだ。

 というのも、ウチとソフィアの家の繋がりに起因する。

 ウチの家の大黒柱を担う父ルーカスは魔術師であり、同時にこの村の管理的な役割を担う。


 分かりやすく言えば、魔術師の力で魔物から村を守ったり(結界とかね)、村で起こるイザコザを上から収めたり、とかだ。

 領主とかのスケールが小さい感じかな?


 そんな大きな仕事をしてるから、俺の家は比較的お金持ちで裕福な暮らしを受けている。


 だから、あまり両親には頼らない方が良い気がするのだ。


 頭の中でぐるぐるとそんな思考をしながら、歩を進めているとーー、


 ーーなんと、向こう側から歩いてくるソフィアの親父さんの姿を見つけた。

 


「……」


 居心地の悪い空気が漂う。


 ソフィアの親父さんは、バツの悪そうな顔で俺の隣を歩く。いつもくっついてきている執事さんは、今日はいなかった。


 そして向かう先は、俺の家である。


「それで、フルロさん」


 フルロ。ソフィアの親父さんの名前だ。


「な、なにかな、ウィルロールくん」


 怒りを抑えた俺の声に、フルロがこちらを見る。


「ソフィア姉さんが、ブルム家の子息と婚約したのは、本当なんですか?」

「っ!」


 俺を見るフロルの瞳に、驚きが入り混じった。

 

 その反応を見て、俺は確信する。

 レーゲン・ブルムの言っていたあの話は、嘘ではなかったのだと。


「な、なんで君がそれを……」

「昨日、ブルム家のご子息さんが、挨拶にいらっしゃいましたので」


 自分でもびっくりするくらい冷めた声が出てきた。

 きっと彼を見る俺の目も同じように冷めているだろう。

 七歳児のやることじゃない。


 だが、今はそんなこと気にしていられなかった。


「どういうことなんですか? フルロさんの家に関係がない俺が言うのもなんですけど、唐突過ぎじゃないですか? ソフィア姉さんも何も知らないみたいでしたし」


 なぜソフィアの意思も確認せずに、そのような重大なことを勝手に決めたんですか?

 そんな思いを言外に含めて、訊いてみる。


 フルロを見る目に、自然と力がこもる。


「……ち、違うんだ」


 振り絞るような、悲しそうに聞こえるその声を聞いて、俺の苛立ちが募る。

 白々しい。

 『何が違うんですか?』と、責めるような口調で、そう言いそうになったが、結果的に俺はその言葉を呑み込んだ。


 小刻みに震えて、拳をこれでもかと握りしめ、顔を俯かせている彼を見て、俺はハッと幾分の冷静を取り戻す。


 そうじゃないか。

 ソフィアの親父さんは、確かにソフィアのことを愛してた。

 疫病事件のせいで、幼い頃のソフィアに付き添ってやれなかったことを心底から悔やんでいたし。

 その分を取り返すように、一年ほど前からは、多忙は仕事の合間を縫ってソフィアに会いに来ていた。


 そんな彼が、どんなに危ういといってもソフィアの意思も聞かずにそんなことをするはずがない。


「……あの、何があったのか、聞かせてもらってもいいですか?」


 気づいた時、俺はそう口にしていた。

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