十二話――妹が可愛い話



 苦しい。暗い。暑い。


 深い深い闇の底に俺はいた。

 ここがどこかは分からないが、この場に平穏が似合わないことだけは理解できる。


 ただただ暗い。真っ暗闇。そして、息苦しい。

 じっとりした堪え難い熱が俺にまとわりついてた。


 息がし辛い。動悸が早い。体が重い。

 まるで熱された鉄の塊に全身が覆われているようだ。

 何があったんだっけ。


 そうだ、たしか俺は……。


 そこでようやく、俺はここが夢の中であることに気がついた。



「ぶはぁっ!」


 なんだ一体っ!

 めっちゃ呼吸しにくいんだけど!


 と、そこで俺は自分が覚醒に導かれた原因を捉える。


 俺の顔面にエレナがへばりついていた。エレナのふよふよしたお腹が俺の鼻先を押しつぶしている。

 そりゃ苦しいわな。


 すーすーと寝息を立てているエレナをそっと退かそうとしたが……、中々離れなかったので無理矢理引き剝がし、俺は体を起こす。

 隣ではアリアが俺を抱き枕に見立てて、これまた気持ち良さそうな寝息を立てている。

 暑さの原因はこれか。

 相当なチカラで絡みつかれている。


 場所は俺の部屋。八畳ほどの広さに、調度品の類は少なく、内装はいたってシンプル。

 部屋の中央には円卓が据えられ、端には一人用の寝台ベッドが置かれている。

 その寝台の上に、俺とエレナとアリアが狭苦しく収まっていた。


 どうしてこんなことになってるんだっけ……。

 そうだ。確か、アリシアは家の大掃除をするからと言って、エレナを寝かしつけるのを俺に一任して……。アリアを寝かしつけている時に、そのまま俺も一緒に眠りに落ちたというわけか。

 アリアは……、エレナが眠るまで待っているとか言ってたけど、結局自分も寝ちゃったんだね。


 さて、と。


 平静を保とうとしばらく頑張ってみたけど、これは無理だな。


 最近になってよく思うが、アリアは女の子らしくなってきたと思う。体つきとか、諸々合わせてね。


 そんな彼女が、ベッドの上で俺に絡みついているという状況。

 限界がくる、色々と。


 さっきから引き剥がそうと試みているが、アリアが俺にしがみつくチカラが強すぎてうまくいかない。


 どうすんのこれ……。

 女の子の体って、柔らかいんだなー……と。


 ふと、


 ……おっぱいとか触っても怒られないかな。

 そんな考えが浮かぶ。

 ていうかそれ以前に押し付けられてはいるんですけど、体で味わうのと、手先手のひらで味わうのはまた違うと思うんだ。


 いいよね? こんなに密着されてて、警戒心ゼロなんだし。


 そう考えてしまえば、もう歯止めは効かない。


 うまく身をよじって、位置を調整。

 アリアに抱きつかれたまま、俺の右手が彼女の胸に伸びていく。


 あとちょっと。


 あと、数センチ……。


「……おにいちゃん、なにやってるの?」

「ぅわっちっ!」


 慌てて手を引っ込める。

 見れば、パッチリと目を開けたエレナが小首をかしげていた。

 

「え、エレナ、起きたのか……」

「うんっ、エレナおきたよっ」


 危ないところだった。

 妹に眠り込む幼馴染の胸を揉みしだく兄。

 という考えてみればかなり恐ろしい絵面を見せるところだった。


「おにいちゃんっ、あそぼっ」

「あそぶ? んー、そうだな」


 俺が少し考える素振りを見せると、エレナは左右で色の違う瞳を、悲しそうに歪めた。


「おにいちゃん、……エレナとあそぶ、いやなの?」

「そんなわけないだろ」


 即答。

 こんなにかわいい妹と遊ぶのが嫌なわけあるはずがない。

 

「よしっ、じゃあお兄ちゃんと一緒に遊ぶか」

「うんっ!」


 エレナがパッと顔をほころばせて、ベッドの上で弾み始める。

 まったく、かわいいやつめ。


 しかしアリアは、こんなにうるさくしてるのに起きないな。

 満足げな寝顔に一筋のよだれを光らせていた。


 ふと、アリアの口が動く。


「……んっ、あっ、もぅ……しょうがないなぁ……ふふ、あたしがずぅっと一緒にいてあげるぅ……」


 うふふ、っとアリアの口元に笑みが浮かぶ。

 どうやら楽しい夢でも見ているらしい。


 アリアは、このまま寝かせておくか。


 



 約五分による寡黙なる激戦の末、俺はアリアを起こすことなく引き剥がすことに成功した。

 

 そして今、俺は「おそとであそぶっ」と言ったエレナを連れて、お散歩を楽しんでいる。

 村から少し外れたところにある河原に沿って、足を運んでいた。

 時折吹く風が爽やかで心地いい。


 俺と手をつないだエレナは、上機嫌にぶんぶん腕を振り、歌なんかも口ずさんでいる。


「すーき、すきすきすきっ、すきっ、すき、おにいーちゃんっ」

「……エレナ、その歌は?」

「おにいちゃんのうたっ!」


 ……そうか。

 一瞬、一休さんの歌かと思っちゃったぜ。


「おにいちゃんっ」

「ん? どした?」

「おにいちゃん、エレナのことすき?」


 小さい子の脈絡の無さって、ほんとにすごい。

 思ったこと、すぐにその場で口にするんだから。


 俺は下から上目に覗き込んでくるエレナの頭を、握っていない方の手で撫でて、


「もちろん、おにいちゃんはエレナのこと大好きだよ」

「ほんとっ?」

「ほんとほんと」

「わーいっ」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるエレナを、「こけちゃうぞー」となだめる。


 エレナはお行儀よく「はーい」と返事をして、俺の腰に抱きついてきた。


「おおきくなったらエレナ、おにいちゃんとけっこんだねっ」

「そうかそうか、結婚だな」

「うんっ、けっこん! おにいちゃんとけっこん!」


 かわいすぎるぜ、うちの妹。


 こんなに可愛いことを言ってくれるエレナも、本当に大きくなった時には「糞兄貴! 近寄んな!! しね!」とか言ったりするのだろうか……。

 実際にそんな日が訪れようものなら、「それもまたご褒美」なんて宣う余裕もなく絶望のどん底に陥りそう。


 将来エレナが嫁に行く時なんか、発狂するかもしれんな。

 どうやら気付かぬ内に俺は、相当シスコンをこじらせていたみたいだ。


 いや、……兄としてこれは当然の反応か?


「うーむ」

「あっ! おにいちゃん、おかさながいるよ」

「オカサナ?」


 聞きなれない言葉を聞いて、思考を停止。


 エレナが指差す先、すぐそばを流れる川の中では数匹の魚が泳いでいた。


「お魚ね。エレナ、あれはオカサナじゃなくて、お魚っていうんだよ?」

「おかさな?」


 きょとんと首をかしげるエレナ。


「ちがうちがう、お、さ、か、な」

「お、か、さ、なっ!」


 エレナは一句ずつ区切る俺の真似をするが、結局何も変化してない。

 幼いドヤ顔で俺を見上げるエレナ。

 なんだこの生き物は……。なんと愛らしいことか。


 ずっと弟を欲しがっていて、俺をめちゃくちゃに可愛がっていたソフィアの気持ちが今ならすごく共感できる。

 そうか、お姉ちゃんはこんな気持ちだったのか。

 思えば俺は前世の関係で、小さい時からもちろん大人びているつもりであったが、所詮見た目は子供。

 ソフィアからすれば、懸命に背伸びをしている微笑ましき年下男児に見えていたのかもしれん。


 そう考えてみると、なんだか癪にさわるな……。

 精神的な年齢で言えば、俺はソフィアより年上のはずなのに。


 ていうかあのソフィアお姉ちゃん、俺が七歳になった今でも、子供扱いをしてくるんですけど。

 いや、七歳はまだまだ子供か……。


「なんたって日本で言えばまだ俺は小学一、二」

「ただいまウィルくんっ!」


「……」


「あーっ、おねえちゃんおかえりなさいっ!」


 目の前で満開の笑顔を見せつけてくれたソフィアお姉ちゃんに度肝を抜かれ、俺は背後から隣を流るる川に落下。


 ソフィアの帰宅を歓迎しているエレナを尻目に、


 ぼちゃんと小気味よい音が響いて俺は水没した。

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