五話――プチ修羅場を経験した話

 朝早くに起きて、アリアと遊んでくると母アリシアに告げた俺は、玄関で靴を履き、扉を開け外に飛び出し……、


 そしてソフィアに捕まっていた。


「ウィルくん、今日は何して遊ぶ? それともまた魔法の練習?」


 冬の冷気に頰を赤くし、天使のような微笑みを見せてくるソフィアに見下ろされながら、俺はバツの悪さを感じていた。


 現在俺は、幼馴染であるアリアとの約束を守るべく、彼女の家に向かおうとしている。

 そしてその約束の内容というのが、ソフィアとの約束を破る内容なのだ。

 なんかややこしいな……。


 まぁそれはともかく、気まずいにしろ罪悪感を感じるにしろ、ここは取捨選択をハッキリさせないといけない場面だ。


 身を切る思い、とまでは言えないかもしれないが、俺はそれに近い申し訳ない思いでソフィアに告げる。


「ごめんなさいソフィアお姉ちゃん。ぼく、今日アリアと遊ぶ約束してるんだ」


 それを聞いたソフィアは一瞬、悲しげな暗い表情を浮かべてたが、すぐに明るい笑みを取り戻して、


「そっか、じゃあ三人で遊ぼうっ」


 引き下がらないのかよ。察してくれよ、お姉ちゃん。


 俺は半ば引きずられるようにして、ソフィアに連れられる。

 向かう先はアリア宅。


 やばい。このままだとやばい。

 昨日は、絶対に明日魔法を教えるから、と約束してアリアの機嫌を取り持ったのだ。

 このままソフィアも一緒に連れて行くとなると、最悪の事態も考えられる。

 つまりは、アリアとの約束を破り、さらにソフィアとの約束をも破ったことが露見するという……。


「ちょ、ちょっと待ってお姉ちゃんっ」

「んー、なぁにウィルくん」


 ソフィアが振り返る。

 なんて眩しいスマイルだ。胸が痛い。


 だが、ここは……、


「ぼ、ぼく……、今日はアリアちゃんと二人きりで遊びたいなー……なんて、」

「えっ?」


 驚いたように小さく首をかしげるソフィアの笑顔が、心なしか硬い。


 そういえば、彼女の好意を真っ向から否定したことが今までになかったことに気がつく。

 だってそうする理由がなかったから。

 ソフィアは優しくて思いやりがあって、行動が鼻につかない。

 過度なボディタッチは目立つが、彼女は美少女なので問題なし。むしろ推奨されていた。


 が、しかし、今回に限っては、


「ウィルくん、お姉ちゃんと遊ぶの、嫌になっちゃったの?」


 やはり、どことなく笑顔が硬い。声も心なしか震えている気がする。


 言い知れぬ不安感を覚えた俺は、慌てて言葉を取り繕う。


「そ、そんなことないよっ。ぼく、ソフィアお姉ちゃんのこと大好きだし、一緒に遊ぶのもすごく楽しいよっ?」

「じゃ、じゃぁ何でお姉ちゃんと遊びたくないの?」


 あくまでも自分の方が年上であることを自覚し踏まえた、優しく大らかな問いかけだった。

 ただし内容が断定的で、糾弾じみているのは否めないけど……。なんか怖いけど。


 ソフィアは少し身を屈め、俺と目線を合わせる。


 透き通ったブルーの瞳がじっと俺を覗き込む。


 ちょっと怒ってません?


「……やっぱりぼくっ、ソフィアお姉ちゃんとも一緒に遊びたいっ」

「ほんとっ? じゃぁ、一緒に行こっか」


 じっと見つめ。略してじと目攻撃に俺が屈すると、ソフィアは目を輝かせて俺の手を引く。


 やべぇ、勢いに任せてやっちまった。

 自分の流されやすさが恨みがましい。でもあんなに整った顔立ちの女の子にじっと見つめられて、抗える男の子なんていないと思うの。思うの。


 だがしかし、そんなのはこの現状において言い訳にすらならない。


 俺の頰を一筋の冷や汗が伝ったそんな時、酷く不思議そうであどけない声音が俺の耳に刺さる。


「ウィル……と、ソフィアちゃん? ……あれ、きょうは二人っきりだって……あれ? あれ?」


 隠れた記憶を掘り返すように、しきりに首をひねるのは向かいからこちらにやって来ていたアリア。


 身体中の汗腺から嫌な汗が浮き出てくるのが分かる。


「あっ、アリアちゃん久しぶりだねっ」

「う、うんひさしぶり……ソフィアちゃん」


 アリアに笑いかけるソフィアと、戸惑いつつもそれに応えるアリア。


 その後アリアはててっと俺の右側、ソフィアと手を繋いでいる方とは反対側に回り込むと、ぎゅっと、見えない何かから俺を守るように抱きついてきた。


 えっ、ちょっと何で……。嬉しくなっちゃうからやめて。


 唐突の挙動に俺が困惑していると、耳元にぽそっと囁かれる。


「なんでソフィアちゃんがいるの? なんで?」

「えっ、……、いや」


 四歳児が出すにしてはいささか重いその声音に、俺の脳が危険を訴える。

 ふと見ると、アリアの紫紺の瞳には昨日のモノよりずっと多くの涙が溜め込まれ、今にも溢れ出しそうだった。

 その悲哀にくれる双眸が「アリアとのやくそく、やぶっちゃったの?」と、言外に告げていた。


 浮気して女泣かせとは救えねぇな、この俺も、フッ……。

 自嘲めかせて心中でそう呟き、少しばかりの平静を取り戻した俺は、この状況を打破するための言い訳を思索する。


「あーっ、二人きりで何話してるの? お姉ちゃんも混ぜてよー」


 三歳児と四歳児の会話に割り込んでくるこの九歳児を、今は大人気ないなと鼻で笑えない。


 いくらか冗談めかせていたはずのソフィアの割り込みに、しかし四歳児アリアは本気で取り合って、


「ウィルはっ、今日はアリアと二人っきりって、やくそくしてたの!」


 涙ぐんだアリアの剣幕に、ソフィアが一瞬固まる。

 必死に俺を引っ張ってソフィアからひきはがすアリアの息遣いはどこか荒い。


 そんなアリアを見てしばらく呆然とした後、毒気を抜かれたように緩んだ表情になったソフィアは何かを口にしようとしたが……、


「あっ、ソフィーっ! 元気にしてたかい?」


 横合いから飛び込んだその声にソフィアの言葉はかき消された。


 声の主は、長身のおじさん。

 少し長めのブロンドを後ろに流し、黒の礼服を身につけ、その背後には同じ黒色のスーツをまとった若々しさを感じさせる老人がピシッと佇んでいた。


 誰だ……?

 と、俺が困惑していると、ソフィアが戸惑いまじりにつぶやく。


「お父さん……?」

「そうだよ、……四年ぶりだね、会いたかったよ」


 なるほど、この人が例のソフィアのパパさんか。俺の親と仲がよくて、ソフィアをウチに預けているという。

 四年ぶりということは、俺が知らなくて当然だな。


 改めて彼を観察すると、風体の至る所から高級感が漂う。一歩引いて背後に立っている老人は執事かな。

 なんとなく貴人って感じ。

 あとから知ったのだが、やはりこの人は貴族で、この村と少し離れたところにある市街を統治する領主さま。

 ソフィアお姉ちゃんは貴族令嬢だったというわけだ。本名はソフィア・アーチサイン。

 そんな彼女がなぜウチで養われているかというと、四年ほど前からお隣の市街では凶悪な伝染病が蔓延しており、それの処理に追われ、さらには娘の身を案じたアーチサインご夫妻が昔から仲の良かったウチに預けたというわけだ。

 伝染病の対処にひと段落がついたので、こうして会いに来たと。数日後にまた、また市街に戻る。

 いやぁ、貴族さまも大変ですね。


 ソフィアパパは、ぱっと明るい笑顔を見せ、目尻を涙に光らせてソフィアに抱きついた。


 ソフィア自身も若干戸惑いながらも、嬉しそうな笑みを見せて、それに応えている。

 感動の再会ですな。

 これは邪魔しちゃいけないな、うん。


「そ、ソフィアお姉ちゃん、お父さんと会えてよかったね。じゃ、じゃぁぼくたちはお邪魔だから……」


 控えめに言って俺は、何が起こってるか分かっていない様子のアリアの手を引く。


「アリア、行こう、はやく」

「う、うん」


 これは神が与えたチャンス。利用しないわけにはいかない。神さま感謝します。


 そろりそろりと、その場から後ずさる。


「あっなるほど、君がウィルロールくんなのかい? 話には聞いているよ、年の割には聡い子だって」


 やべぇ捕まった。ヘルプっ!


「ソフィアととても仲良くしてくれているだってね、ありがとう。ソフィアには随分と寂しい思いをさせてしまったからね、君のような子がいて、よかったよ」

「……あはは、はい、よかった」


 俺の笑顔ひきつってないかな。


 ソフィアは「もうっ、お父さんっ」と言いながらもどこか嬉しそう。うんうん、やっぱり親との再会は嬉しいよね。


「今から私は君のお家に行くところなんだ。よかったら案内してくれないかな?」


 少し膝をかがめて俺を見るソフィアパパ。


 すると、隣でアリアがうなったのが分かった。


「だめっ! ウィルは今からアリアにま――」

「あーっ! あははっ。すみません……ちょっとぼく、彼女とのはずせない約束がありまして……」


 すんでのところでアリアの口を塞いだ俺は、パニックのあまり変な口調になってしまう。これどう考えても三歳児の喋り方じゃねぇな。


 ソフィアパパは、少し驚いたように目を丸くした。


「なるほど、なるほど。この年でその喋り方。君のご両親が、君のことを天才だと持て囃すのも分かる」


 いやたぶんそれはただの親バカ。

 実際、俺前世の記憶持ってる割には大して凄いこともしてないし。


 俺が反応に困ってると、


「悪かったね。女の子との約束があるならそれは仕方ない。私はソフィアと二人で行くことにするよ」

「えっ……? お父さん、私も……」


 どうやら勝手に話が良い方向に転がっていきそうなので、俺はそのまま愛想笑いを突き通す。

 ほどなくして、当惑気味のソフィアを連れてソフィアパパと始終無言だった老人さんはその場を去った。

 ソフィアは連れて行かれる際、しきりにこちらに困惑した視線を送ってきたが愛想笑いで黙殺した。

 ごめんなさい、ソフィアお姉ちゃん。


 俺がほっと安堵の息を漏らしていると、


「んーっ! ぃんぅーーっ!」


 可愛い涙目でこちらをにらみ、ぶんぶんと腕を振り回しているアリアに気づく。

 そういや口塞ぎっぱなしだった。


「あぁっ、ごめんアリア……」

「っはぁ……。んぅ、もぅ……ウィル、らんぼうはだめだよぉ……」


 くちびるを噛みしめ、泣きだしそうになるのを必死にこらえているアリア。


 そんなアリアの機嫌を直すのに、約五分を要した。


 と、まぁ。


 そんな僥倖もあって、俺は何とかアリアと二人きりで魔法の修行に向かうことができたのであった。

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