第一章
今日は、じいちゃんの命日だ。じいちゃんが死んでもう一年経ってしまった。僕は、なにも変わらず、どこにも進むことが出来ないまま、ひたすらじいちゃんの残してくれた
洋楽ロックが好きで、趣味でギターをかき鳴らしていたじいちゃん。格好良いじいちゃんは、僕の憧れの人であり、ギターの師匠であり、一番の理解者だった。
中学生の時、僕はじいちゃんとセッションしたくてベースも練習し始めた。じいちゃんがギター、僕がベースで、初めて一緒に合わせたクラプトンの曲。今はじいちゃんのギターがないから、少しベースの音にメロディラインを混ぜてみた。
どうかな、クールなアレンジになってる?
僕はじいちゃんに届けとばかりに、墓の前でベースを弾いていた。ここは広い墓地なうえ、隣は大学という立地で深夜に人はいないし、近くに住宅街もない。だからといって、深夜に音を出していたら怒られるかもしれないが。でも、ヘッドフォンで自分だけに聴こえるのではなく、ちゃんと音を響かせたくて小型のアンプに繋いでいた。
ねぇじいちゃん、新曲作ったんだ。聴いてみてよ。
僕はスマホをタップし、作り込んだ音源を再生する。カウントが四つ鳴り、ギターのメロディが煌びやかにはじけると、ベースでそれが飛び去らないように引き留める。
僕の右手はネックの上を踊るように動き始めた。どうにもならない日常、出口のない暗闇、そこに差し込んできた光。じいちゃんとの思い出をぶち込んだ曲だ。パソコンでリズムを組み、そこにギターを自分で録音し、それを再生させながらベースを弾く。今、完成形となった曲だ。
風が自分の中を通り過ぎる。なんて気持ちいいんだろうか。やっぱり、空気に溶けて、どこまでも響く音は最高だ。きっと、じいちゃんも聴いてる。こんなに心地良い風なんだから、じいちゃんも気に入ってくれたのかな、などと頭の片隅で思った。
僕は、最後の一音を弾く。余韻が深夜の暗闇に吸い込まれて無くなった。
その瞬間だった。
「今のすっげーね! おにいさんが作ったの?」
楽器以外の音が聞こえたことに、僕の心臓は飛び出そうになった。
明るいその声の主は、にやにやと笑いながら三つ隣の墓石の上に両肘を置き、頬杖をついていた。罰が当たるぞと思ったが、僕も普通に考えたら非常識なことをしているので何も言えない。
「あ、なんかビックリさせちゃった? ごめん、ごめん」
声の主は軽い口調で謝ると、こちらに歩いてきた。月明かりでも良くわかる、派手な格好の青年だった。耳にはごついピアスが痛々しいほど輝き、前髪の一部に赤いメッシュが鮮やかに入っている。かまいたちに遭遇したのかと思うほどのダメージジーンズを穿き、トップスは黒いロングTシャツで胸のところに『DEATH』とプリントされていた。黒いマスクも装着し、はっきりいって怖い。もしかして現代版の死神なんだろうか。
僕は恐怖で体が動かない。すると、青年がさらに近寄ってきて、マスクを顎にずり下げながら、僕の顔をのぞき込んできた。至近距離で見ると、鼻筋がすっと通っていて涼やかな面持ちだが、目と口がニヤニヤと緩んでいるので悪戯っ子のようだと思った。
「あ、あの……すみません、でした」
何か反応しないと、このいたたまれない状況から抜け出せない。そう思った僕は、震える声をひねり出した。
「どうして謝るの?」
やっと、青年がのぞき込むのをやめてくれた。背を伸ばした青年は、頭半分ほど高い位置から僕を見下ろしてくる。
「えっと、その、うるさかったかなと思って」
普段、ほとんどしゃべらない生活をしているので、すでに一日分しゃべった気分だ。
「べっつにぃ、おにいさん音量かなり絞ってたから良いんじゃない? その辺の公園でジャカジャカやってる奴らの方がよっぽどうるさいよ」
ならば、なぜ声をかけてきたというのか。どう返答したら良いのかコミュ障の僕には分からない。伊達に引きこもり生活を満喫してるわけじゃないんだ、と心の中で主張する。
「それよりさぁ、おにいさんって近くで見ると、案外若いっていうか、何か幼い? 前髪で目が隠れてるから遠目だと年齢不詳に見えるけど。ねぇ歳いくつ? 俺はね、二十三歳、独身、彼女募集中、バンドでボーカルやってます! あ、ギターも弾くよ」
青年が死神ではなかったことに安堵した。バンドマンだから、こんな積極的に来たのだ。そりゃ、墓場でベース弾いてる奴がいたら気になるだろう。
ただ、この流れは僕の自己紹介をしなければいけないのだろうか。突然のミッションに、冷や汗が背中を伝った。
自分のことを紹介するだなんて怖い。本当の僕を知ったら、みんな気味悪いと言うから。だから、自分のことなんて何一つ話したくなかった。
「……僕、もう帰ります」
片付けようと体の向きを変える。すると、明らかに拗ねた声がした。
「えー何で? 歳くらい教えてくれたって良いじゃん。俺の歳だけ聞いて逃げるとかひーどーいー」
バンドマンは地面に座り込んで、人質のように僕のベースケースを抱きしめていた。
勝手に自分の年齢をしゃべったくせに酷いとか、そっちの方が酷いと思うけれど。だが、ベースケースを取られては帰るに帰れない。
僕は観念した。
「……十七歳です」
「マジで? すっげぇ、あいつと同い年かっ、ごほっ、げほっ――」
バンドマンが興奮した挙句、盛大にむせ出した。
「だ、だだだいじょうぶですか?」
僕は思わず声を掛けるが、バンドマンはなかなか咳き込むのが止まらない。
「ははっ、大丈夫……って、声がヤバい、ガラガラだ」
バンドマンは、あーとか、うーとか言って、喉の様子を探っている。そして、やっと元の声に戻ると、照れたように頭を掻いた。
「昨日、声出しすぎちゃってさ、喉の調子がちょーっとばかし良くないんだ」
「そ、そうですか」
僕は、とりあえず相槌を打つ。
「それにしても、驚いた。あいつと……同い年なのかぁ。うん、ますます気に入った。もうこりゃ運命だな。ここは墓場だし、まさに『死者に導かれし運命の出会い』ってやつだ」
にぱっと音がしそうなほど鮮やかに、バンドマンは笑顔を浮かべた。何か嫌な予感がする。
バンドマンがベースケースを抱きしめながら立ち上がる。そして、悪戯な表情を浮かべ、僕に選択を迫ってきた。
「俺、
僕の名前は
僕はもともと周りに馴染めない子供だった。暗くて鈍くさくて友達がいなくて、時たま変なことを言ったりするから、余計に浮いて気味悪がられた。思春期になりその異物感に耐えられなくなって、学校には行けなくなったのだ。
そんな僕のことを、両親は呆れてしまったようで、最初こそ心配そうに声をかけてきたが、何を言っても無駄と判断されてからは放置されている。大手企業で働くエリートな父、出来る男と結婚したことを自慢に思っている綺麗な母。彼らからの期待に応えられなかった僕は出来損ないのゴミだ。
一人っ子の僕は、ただひたすら部屋に閉じこもっていたけれど、それに対して唯一手をさしのべてくれたのがじいちゃんだった。だから、僕にとってのじいちゃんは、暗闇に射し込んできた光のような存在なのだ。
さて、現実逃避のように、己のことを振り返っているのには訳がある。僕は結局、カズさんとやらに引きずられるようにして、一緒に地下鉄に乗っているのだ。
見ず知らずの他人と一緒にいるだなんて、僕には荷が重すぎる。それに、地下鉄の走行音はうるさいうえ、終電のせいか深夜にもかかわらず乗客も多い。隣の車両からは大声が聞こえてくるし、酔っ払いが喧嘩でもしているのだろうか。正直、耳をふさぎたくて仕方が無い。風が痛いのだ。僕はぎゅっと身を守るように、自分の手で両腕を抱きしめる。
「鈴谷くん、もしかして気分悪い?」
カズさんが心配そうにのぞき込んできた。
だから、近いって。この人、距離感おかしいと思う。
「な、なんでも、ありません」
気分は良くないのだが、その理由を言ったら引かれてしまうだろう。
「そうは見えないけど。違ってたら恥ずかしいんだけどさ、鈴谷くん、苦手な音があるの?」
カズさんの問いかけに、僕は目を見開いてしまった。驚きすぎて、あんぐりと口が開いてしまう。
「あ、どうやら当たったみたいだな。さすが俺!」
嬉しそうに、カズさんは指を鳴らした。
「どうして分かった?って顔してるね。そりゃ分かるよぉ。鈴谷くん、特定の音が聞こえるたびに、手にぎゅっと力が入るからさ。地下鉄のキーっていう高い音と……あと、怒鳴り声もかな?」
当たりだった。
僕は、幼い頃から音に敏感で、とても不自由な思いをしている。普通なら不快に思っても我慢できる音が、僕には耐えられないほど不快なのだ。しかも引きこもっていたせいで、突然、こんなに多くの騒音に囲まれるとつらい。学校に通っていた頃は、毎日のことだから耐性のようなものがあったのだが。
僕は返事の代わりに、ぎこちなく頷いた。
「音に対する感覚がするどいってことかな。だからこそ、良い音が出せるんだろうなぁ。ちぇ、いいなぁ」
カズさんの言葉に、僕は引っかかりを覚える。
「何も、良くないです。こんなの、いらない」
僕は思わず反論していた。だってそうだろう。どれだけ苦痛で、どれだけ苦労して、どれだけ他人から気味悪がられたと思ってるんだ。
「でもさ、さっきの鈴谷くんの音、すごかったよ。俺、あんなベース弾く奴、会ったことないもん」
まっすぐにカズさんは僕を見つめてくる。その眼力に耐えきれず、僕は窓の外を向くのだった。
カズさんに連れられ繁華街の中にあるスタジオに入る。幸いなことに、見る限り僕等しかいない。エントランスには休憩や打ち合わせに使うのか、洒落たテーブルと椅子が数脚置かれ、奥には自販機が鎮座していた。そして、レンタル用かもしれないが、壁にはギターとベースが飾られており、見ているだけで圧倒される。
そして僕はというと、ヘロヘロに憔悴していた。『音酔い』とでも言えばいいだろうか。久しぶりの街の騒音は、想像以上のダメージを与えてきた。げっそりと椅子に座った僕を見て、カズさんがペットボトルの水を差しだしてくる。
「ごめんな。体調に響くほど音に敏感だとは思って無くて……軽はずみにいいなぁとか言って、反省してる」
カズさんは眉をハの字にして、ぽりぽりと頬をかいている。
確かにその通りなのだが、ここまで素直に謝られると逆に怒るに怒れなくて困る。ここまでの状態になる僕の方がおかしいのだから。
「……水、ありがとうございます。いくらですか?」
僕は財布を出そうと尻ポケットに手を伸ばす。
「えっ、そんなのおごりに決まってるじゃん。俺がわがまま言って連れてきたんだし。それよりもさ、そんなんで日常生活どうしてんの。支障出まくりでしょ」
他人に何かをおごってもらうなんて始めてだ。本当にいいのだろうかと不安になる。
「そう……ですね。支障が出るので、基本的には家に引きこもってます」
ペットボトルを手の中で転がしながら、僕はぼそりと答える。
初対面の人と話すなんて絶対に無理なはずだった。それなのに、カズさんはそんな壁などぶち壊すかのように、喋りかけてくるから戸惑ってしまう。じいちゃんが死んでから、こんなに会話をしているのは初めてかもしれない。
「でも、学校行くときは外出しなきゃダメでしょ?」
「通信制なので、登校しなくていいんです」
カズさんは腕を組んでなにやら考えている。
「じゃあさ、楽器関連で何か欲しくなったら?」
「ネットで買います」
本当は、自分の目で見て買えたらいいのにとは思っているけれど。
「えー、じゃあ、じゃあさ、今日はどうやってあの墓地まで移動したわけ?」
妙にムキになってしまったカズさんは、子供のように口をとがらせている。
「外からの音を遮断するために、ヘッドフォンで音楽を聴いてました」
僕が素直に言うと、カズさんの表情が強張った。
「待って待って。なら、さっきどうしてヘッドフォンしなかったの? 気分悪かったんでしょ?」
「どうしてって……人と一緒にいるのに、耳をふさぐような行為は失礼かと思って」
すると、カズさんが詰め寄ってきた。だから近いって。
「思って? 我慢してたの? 言えよ、お人好し過ぎだろ!」
つばが飛んでくるから、離れて欲しい。
「あの……じゃあ言ってもいいですか」
「なになに?なんでも言って」
カズさんは目を輝かせて僕の言葉を待っている。
「距離が近いです……」
申し訳ないなぁと思いながらも言うと、カズさんはしょぼんとしながら下がった。
「いや、まぁ、確かにメンバーにも近いって言われるけど……俺の期待してた感じと違う。何かこう、心配してくれてありがとうございます!とか、気遣いの出来るイケメンですね!とか、もうとにかく素敵です!とか、そーゆー褒め言葉が来ると思ってたのにぃ」
カズさんは本気でそう思っていたのか、座り込んで床を指でなぞっている。
なんていうか、この人、変だ。強引だし、距離近いし、僕みたいな墓場でベース弾くような奴にも物怖じしないし。でも、そういうこと以上に、何か面倒くさい!もはや図体のデカいただの子供だ。
まぁ、対人恐怖症のかたまりの僕が、ペースに引きずられて会話しちゃうんだから、その時点で相当変な人に違いないんだけど。
「あの、ご期待に添えなくて、スミマセン」
困り果てて、僕は小さく謝った。
すると現金にも、すぐにカズさんはヘラヘラとした表情を浮かべる。
「いいよぉ。俺気にしてないから! それよりさ、だいぶ顔色も戻ったみたいだし、セッションしようぜ」
僕の返事なんか聞かずに、カズさんは奥の受付へ行ってしまう。
僕は一度もセッションするだなんて言ってないのに……とため息をつく。それならば何故スタジオにいるのかと問われれば、ベースケースを返してくれなかったからと答える。でも、移動するにあたり、ちゃんとケースは戻ってきた。だから、本当は律儀についてくる必要はなかったし、カズさんが受付にいる今の内に、スタジオから帰ってしまってもいいはずだ。
けれど、何故かそれをしようとは思わなかった。初めての場所で、初対面の変な人とセッションなんて、本当はひびっているのに。
びびってる以上に、僕は、純粋に興味があったのだ。カズさんがどんな音を出すのかと。
「おっまたせぇ。ガラ空きだったから一番デカいとこにしてやったぜ」
カズさんは、ギターを手にして戻ってきた。それにしても、二人だけで音を出すのに、そんな広さなんて不要だと思うのだが。
「カズくん! ガラ空きとか言うな。少年に寂れたスタジオだって思われるでしょ!」
受付のお姉さんが大声で文句を言った瞬間、マズイと思った。
風が突き刺すように吹き抜ける。僕は思わず目を瞑り、手に持っていたベースを抱きしめた。
「……佳子さん、ごめんごめん。ほら、鈴谷くん。これ以上怒らせないうちに、さっさとスタジオ行こうぜ」
一瞬の間の後に、カズさんは受付の女性に軽く謝る。そして、すぐ歩き出してしまったので、僕も慌ててその後をついていくのだった。
スタジオなんて初めてだった。いつも家の中で弾いてるだけだったから。
スタジオは入ると正面は鏡になっていて、部屋のすべてが映っている。そして、入口の壁側にはドラムセットが鎮座していた。アンプやキーボード、マイクスタンドや譜面台などが壁に沿うように置かれており、まさに音を出すための空間だった。
どこにいればいいのか分からなくて、僕は入口の前に立つ。防音の室内は、自分達が起こす音しか聞こえない。今は、カズさんがギターをチューニングする音がベンベンと聞こえるだけだ。動きを止めれば無音状態。そこに突然、風が吹き抜けた。
実際には、カズさんが軽くギターを鳴らし始めただけ。けれどその音は、僕の体を通り過ぎた。
まるで、太陽に熱せられた夏の風だ。暑いからこそ、風が欲しくなる、手を伸ばしたくなる。
「鈴谷くん?」
呼びかけと同時に風がやむ。
「もっと」
僕は呟いていた。
「鈴谷くん? えっとどうした? 目ぇまん丸に見開いててちょっと怖いよ?」
「音の風が、心地いいから」
僕は扉の前から、カズさんの前までふらふらと歩く。
こんな音を出す人、初めてだった。時間だけはあったから、いろんな音楽を家で聴いた。けれど、こんな気持ちいい風を感じるギターは、聴いたことがない。
「鈴谷くん、面白いこと言うね。風の音じゃなくて、音の風かぁ」
カズさんの言葉に我に返る。風の感覚に夢中になり過ぎて、言わなくてもいいことを言ってしまった。
「あ、あの、いいいまのは言葉の綾というやつで」
僕は手をブンブンと左右に振り、身振りも加えて必死で否定する。
「そうなの? まぁいいや。鈴谷くんもベース用意しなよ」
カズさんはそれ以上追求することなく、また指慣らしを始めた。そのことに、僕はほっとした。
僕は音に敏感だけれど、実はそれだけじゃない。音を聞くと風を感じるのだ。音楽のように、意志を持って奏でられるものは、その抱いたイメージの風を感じる。もしかしたら風を感じてイメージを持つのかも知れないけれど。鶏と卵の関係と同じで、どっちが先なのかは僕には分からない。
しかし、いわゆる騒音と呼ばれるものは、とにかく不快だった。大きく鋭い音は、突風が肌にぶち当たるように感じるし、低いモーター音などはじめじめした生温い風に包まれている気がして気色悪い。そういう音に晒されていると、気分が悪くなるのだ。
幼い頃は、感じているのが本当の風なのか音に付随した風なのか分からなくて、周囲からは変な奴だと嫌がられた。急に突風が吹いたように感じて椅子から転げ落ち、隣の席の女子にゴミでも見るかのような目で見られたりした。何もないところでビクリとしたり、奇声を発したり、それに加えてすぐに気分悪くなって手がかかる。そういうことが度重なり、僕は変な奴だと気持ち悪がられ、クラスの輪からは完全に排除されたのだ。
だから、気味の悪い自分がバレることが怖い。こうして明るく接してくれているカズさんの笑顔が、消えてしまうのは怖いと思った。
僕は嫌な動悸と戦いながらベースを準備する。いつもは自宅の小さなアンプにしか繋いだことがないから、大きなアンプに繋いで出す音はどんなだろう。緊張しながら、僕は開放弦で一音弾いた。
腹に響く低音が、びりびりと肌を高ぶらせる。
「すごい」
思わず言葉が溢れていた。
「鈴谷くんはスタジオで音出すの初めてでしょ。そーなのよ、やっぱりスタジオで出す音は違うんだよ」
カズさんがにやにや笑っている。
それからしばらく指慣らしでスケールを弾いてると、聞き覚えのあるギターフレーズが飛び込んできた。
ドヤ顔のカズさんにイラっとしながらも、僕は指を止めてカズさんに向かい合うように体の向きを変える。それが合図のように、カズさんが再びフレーズを初めから弾き始めた。弾けるギターの音、僕は必死で尻尾を捕まえようとベースを鳴らした。そうしなくちゃギターが飛び去ってしまう。
カズさんが弾き始めたのは、僕が墓地で弾いていたじいちゃんに捧げた曲だ。
一度聞いただけなのに、ほとんど完コピだった。むしろ、カズさんのギターは僕が弾いてた音より数段華やかだ。同じフレーズを奏でているはずなのに、不思議だ。
置いていかれたくなくて、僕は夢中でベースを弾く。真夏の太陽の下、自転車で坂を駆け下りていくような爽快感。
気がつくと、僕は最後の音を弾いていた。
「最高! めっちゃ気持ち良い」
カズさんが額に浮かんだ汗をTシャツで拭いながら言う。
僕は魂が抜けたように、ただ立ちすくんでいた。だって、こんなに頭の中が空っぽになったことはなかったから。
「鈴谷くん、楽しかった?」
無邪気に笑いかけられ、僕は素直にコクンと頷いた。
「そっか、そっか。じゃあさ、一緒にバンドしよう。うん、そうしよう。はい、決定。鈴谷くん連絡先交換――」
興奮が冷めやらず、惚けたままの僕は、カズさんのいうままに連絡先を教えてしまっていた。
それは四月の初旬のこと、外では桜の花びらが風に舞っていた。
* * *
――『カズくんのドッキリ動画配信』のお時間でっす。え、ひねりが何もないって? じゃあ今から、この生配信の名前を募集しまーす。どんどん書き込んでね!
スマホから調子の良い声が流れて来た。
「順兄、リーダーが動画配信してるよ」
スマホをいじりながら、高校の制服を着た男子が声を上げる。すると、呼びかけられたエプロン姿の青年が、ため息をつきながら寄っていく。
「あいつ、本当に自由人だよな。俺らには配信やるって言っとけよ」
エプロン姿の青年は、ひょいとスマホの画面をのぞき込むと、呆れた表情を浮かべた。
「順兄、俺も書き込む。何がいいかな?」
「お前な、一緒になって遊ぶな。あいつが調子に乗るだろ」
――お、どんどん来たね。えーと、バンド名にひっかけて『シンドローム』をつけるのが多いね。ふんふん、じゃあ、独断と偏見で『カズくんシンドローム』に決定! え、結局あんまり変わってない? そーゆーこと言わないの。俺悲しくて泣いちゃうよ。
画面上に「泣かないで」の文字が流星のようにたくさん流れていく。
――へへ、ありがと。みんなやっさしいなー。じゃあ、この生配信の名前も決まったところで、改めて『カズくんシンドローム』始めまっす!
ジャーンとアコースティックギターの音が鳴る。効果音を自分で入れているらしい。
――じゃあ何を話そう……最近面白かったことにしようかな。そうそう、実はね、すんごく面白い奴に出会ったんだ。もう運命の出会いだね。
画面が文字で埋め尽くされる。驚き、悲鳴、興味の感情が一気に流れていく。
――わ、こんなに反応があるとは。ごめん、ごめん、野郎だから心配すんなって。俺の運命の恋人は、お前らだから。
最後の一文だけ低い艶のある声でカズは言った。その瞬間、画面に歓喜の文字……だけならまだいい。もはや文字化け状態の記号が流れていく。視聴者の興奮の度合いが恐ろしい。
「順兄、さすがリーダーだね。みんなを一気に調教しちゃったよ」
「……調教とか言うな。煽りが上手いとか、もっと表現を考えろよ」
「へへ、さーせん」
制服男子がぺろっと舌を出す。
「にしても、カズの言う面白い奴って誰なんだろな」
「俺らも知ってる人かなぁ?」
――ちょっと前にさ、某大学横の墓地に『平成の琵琶法師』が現れるって噂があったじゃん。え、知らない? あ、知ってる人もちらほらいるね。そう、お察しの通り、面白そうと思って、確かめに行ってきたのよ! 大丈夫、大丈夫。祟られてないし、見ての通りぴんぴんしてるよ。むしろ、琵琶法師の方が死にそうになってたからね。
カズは心底楽しそうに、思い出し笑いをしている。
「バカだとは思ってたけど、まさか興味本位で墓場まで行くとは……」
エプロンの青年は頭を押さえる。
「えー俺も行きたかった。誘ってくれれば良かったのに」
制服男子は不満をぶつけるように、コメントを投稿し始めた。しかし、他のコメントと混ざって埋もれてしまう。
「コメントが目立たない! 色つけよ」
なぜか選んだ色は黄色で、ますます目立たぬまま終わる。
「お前、なんで黄色なんだよ。赤とか青とか、濃い色にしないとダメだろ」
「だって、黄色は俺のカラーだから。俺のコメントだって気づくかなと思ったんだもん」
――琵琶法師はちゃんと実体を持った人間だったよ。でも、すんごく不思議でアンバランスな奴。俺めちゃくちゃ気に入ったから、絶対、手元に置きたいんだよね。てことで、次のライブは楽しみしててよ! GW明けの金曜だから。
「ちょい待てや! あいつ、何勝手に次のライブの話してんだよ」
エプロン姿の青年が、画面に向かって突っ込む。
「あはは、まだ対バン相手にやるって返事してないんだっけ」
「そうだよ。まったく、これで絶対にやらなきゃいけなくなったじゃん」
エプロンの青年はこめかみを揉み、大きなため息をついた。
「たぶん、リーダーの狙いはこれだね。ライブやりたかったんだよ」
「ライブやりたいのは分かるけどさ、やっぱりサポートメンバー入れてじゃ……」
「……そうだね。なんか違うもんね」
制服男子の表情も曇る。
その後も、スマホからは軽快にしゃべる『カズくんシンドローム』の配信が流れていった。
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