第16.8話「午後」

 午前中の実地訓練が終わり、午後からは座学の時間だ。

 だが育ち盛りである少女たちにとって昼食後の授業時間というものは、いつの時代でも何物にも代えがたい睡眠時間となり果てるのが常だ。

 クレア教官が教科書を読み上げる声が響く教室の中で、2Cの少女たちの大半は気持ちよさそうな寝息を立てていた。


「このように、匂いや光だけではなく、音によってもインセクターはコミュニケーションを取ることが判明しており、その情報転送速度は毎秒二百テラバイトを超えると予想されており――」


 机に突っ伏している少女たちを叱ることもせず、クレア教官は淡々とした声で教科書を読み上げ続ける。


「次に、所在は不明であるが確認されている個体として、もっとも大きく、もっとも影響力が高いと言われているインセクター『クィーン』が存在している。この『クィーン』を中心に、個体である各インセクターは群体として統制され、明確な目的を持って人類に対し、生存戦争を仕掛けているとみられている。また統合幕僚監部の公式発表によれば、この『クィーン』を撃破することができれば、インセクターの独自ネットワークによって繋がっている各群体は混乱状態に陥り、大きな打撃を与えられると推測されている。聯合政府統合幕僚監部の最大の目的は、この『クィーン』と称される個体の撃破であり、その目的を達成するために若年より訓練を施して精強な兵士を育成し、打撃力向上を目的として高等戦闘学校が設立された。これは――』


 クレアが高戦の成り立ちから、その理念の説明に入った時、教室に備え付けられたスピーカーから授業終了の鐘が聞こえてきた。

 クレアはすぐに説明を打ち切り、教科書を纏める。


「……明日より定期考査が始まる。各員、しっかりと復習しておけ。また規定された点数に達しなかった場合、特別訓練に従事してもらう。……強くなりたいのであれば勉強をしなくても良いがな。……委員長、終令だ」

「はっ! 各員起立。礼」


 リオンの号令を合図に、起きて授業を受けていたものが起立し、クレアに向けて深く一礼する。

 そんな少女たちに返礼したクレアは、無言のまま教室を出ていった。




「はぁ~……まったくこのクラスの人たちときたら」


 机に突っ伏して寝息を立てる少女たちを見回しながら、リオンは呆れた声を上げた。


「今更何を言ってるんですかリオンさんバカですか。2Cと言えば第十三高戦でも有数の落ちこぼれ部隊じゃないですか」

「成績、協調性、モラル、全てにおいて最低最悪。唯一の取り柄はイジメがないことでしょうか?」


 サキの評価を受けて、リンカが真面目な表情で言葉を返す。


「ん。イジメダメゼッタイ。ばあちゃんに殺される」

「ああ、3Dの小隊長でしたっけ? イジメが発覚して校長自ら処分したのは」

「ん。仲間をいじめるの、よくない」

「全くですわ。3Dの小隊長は死んで当然です」

「さすが公正公平な小隊長! さすがですお嬢様!」


 リオンの隣にいたデヴィが、まるで神様にでも出会ったかのようにうっとりとした表情で持ち上げた。

 デヴィの言い方に整った眉を微かにつり上げながら、しかしリオンは何も答えず、話題を変える。


「とにかく、今回の定期考査で学年最低点を取ってしまえば、一年生の頃から十回連続で学年最低点を取るという、第十三高戦始まって以来の伝説を作ってしまうことになりますわ。それは何としても避けねばなりません」

「避けることなど不可能だと思いますけどリオンさんバカですか? なにせこのクラスにはバカ四天王が揃っているんですよ?」


 サヨの言葉を引き継ぐように、リンカが四天王を挙げていく。


「カエデ姐さん、ヒマリさん、ユイナさんにサキさん、それにバカザリ……あれ? 五人居ますけど」

「古来より四天王とは五人居るものなのですよ。知らないんですかリンカさん」

「え? 本当ですかそれ?」

「さぁ? 適当に言ってみただけですよ本気にしないでくださいバカですか」


 無表情のまま、冗談であったと告げられて、リンカは脱力したように肩を落とした。


「とにかくこれ以上、不名誉な伝説を作る前に何とかしなければなりません。サヨさん、リンカさん。それにミトさんにも手伝ってもらいますからね」

「え、普通にイヤですがバカですかリオンさん」

「小隊長命令ですわ。無視するというのなら小隊運用規則を適用しますわよ?」

「ぐぬっ……横暴ですよバカですか」

「何とでも仰ってください。私には2Cのクラスメイトたちを全員無事に……生きて卒業させ、三軍に登録させるという崇高な使命があるのですわ!」

「さすがですお嬢様!」


 気持ちの籠もったリオンの台詞に、デヴィは感涙にむせびながら拍手を送った。


「その使命に私たちが巻き込まれるのは確定なんですね……」

「当然ですわ。ですがサヨさん。もちろんタダでとは言いません。手伝って頂けるのであれば、こちらを進呈致しますわ」


 そう言うとリオンはスカートのポケットから三枚のチケットを取り出した。


「そ、それはまさか……!」


 チケットが何かを理解したリンカが、驚きの声を上げる。

 その横ではミトが小首を傾げていた。


「……チケット?」

「そう。但しただのチケットではありません。これは限られた上級都民しか客として受け入れないという、新宿にあるヘアサロン『ヴィーナス』のカット&ヘアエステコースの無料チケットなのですわ!」

「ぐぬっ……!」


 普段、表情を変えることなど滅多にないサヨの表情が、迷いと困惑に満ちあふれ、リオンが手に持つチケットから視線を外すことができなくなる。


「サヨさんが持つ見事な黒髪。その黒髪を美しく保つためには、質の良いヘアケアが必要ではなくて……?」


 勝ちを確信したようなリオンの顔と、負けることを悟ってしまったサヨ。

 対照的な表情の二人がにらみ合う。


「卑怯なりリオン・タカギ……!」

「おーっほっほっほっ! 何とでも仰れば宜しいですわ!」


 リオンから哄笑を浴びせられながら、サヨはチケットにふらふらと手を伸ばし――やがて自らリオンの軍門に降った。


「良いでしょう。報酬があるのならば手伝ってあげましょう」

「素直なサヨさんは好きですわ」

「くっ……!」


 悔しそうに唸るサヨの横では、リンカとミトの二人は嬉しそうにチケットを眺めながら、リオンの指示を待っていた。


「では皆さん。これより睡眠中の落ちこぼれたちを確保。二○○○まで図書室に軟禁し、少ない脳味噌への耐久試験を行います。時間合わせ、現在一五五五。……三、二、一、今! ではこれより作戦を開始しますわ!」


 軍門に降った部下たちに向かって、意気軒高に二十時までの自習作戦を指示するリオンだったが――。


「ふふっ、リオン。テンション上げるのも良いけど、周りをよく見てみなって」


 窓際にある自分の席でリオンたちの会話を聞いていたミコトが、笑いを堪えながら声を掛けた。


「なんですのミコトさん。何かありまして?」

「残念ながら目標はすでに撤退してるわよ」

「へっ?」


 珍しく間抜けた声をあげたリオンが落ちこぼれたち席を確認すると、今まで机に突っ伏して眠っていたはずの五人の姿は痕跡もなく消え去っていた。


「なーっ!? いつのまに姿を消したんですのっ!?」

「リオンたちが配給チケットの話に夢中になってたときに、ササーッとね。さすがフロントチームは隠密行動に長けてるわ。……カザはバックスだけど」

「あンのバカザリ!」

「仕方ありません。作戦を変更しますわ。サヨさん、リンカさん、ミトさん。これより目標捕獲作戦を開始します。各自T-LINK装着! 管制はデヴィが務めなさい」

「イエス、マムッ!」

 リオンの指図に対し、デヴィ一人だけが意気揚々とした敬礼を返した。

「では各員状況開始!」


 状況の変化に会わせて作戦を変更したリオンは、ミトたちを再編成した後、すぐさま教室を飛び出していった。


「はぁ~……なんで私までこんなことに巻き込まれるんだか。バカすぎます……」

「美容のためなんだから仕方ないんじゃない?」

「……そういうミコトさんも綺麗な髪をしてるんだから、上質なヘアケアが必要なんじゃないんですか? なんなら手伝ってくれても良いんですけど?」


 サヨの誘いに、ミコトは興味なさそうに肩を竦めた。


「いやー、私はそういうの無頓着だしねぇ」

「はっ? 無頓着なのに、そんなに綺麗な髪を維持できてるんですかっ!? ズル過ぎませんかミコトさん」

「ん。ミコトずるい」


 リンカとミトの抗議に苦笑しながら、ミコトはこれからのことを確認する。


「生まれつきなんだから仕方ないでしょ。それよりアテはあるの?」

「アテ? ああ、バカファイブを探すアテですか。あの五人のことですから、どうせ繁華街に出向いてアイスでも食べているでしょう」

「まぁあのバカ五人が考えることなんてお見通しですから」


 サヨの予想にリンカが賛同の意を示す。


「そ。なら捕獲作戦、頑張ってね」

「手伝ってくれないんですかミコトさんバカですか。一人だけ楽しようとするのはずるいですよ」

「手伝ってあげたいのは山々なんだけどねー。ちょーっとリリィに用事があってね。これからユリィとデータ室に籠もるつもり」

「もしかして拾得物の痕跡消しですか」

「それもあるけど、まぁ他にも色々とね」

「ふむ。相変わらず謎な人ですが……なら仕方ないですね。ではバカたちは私たちのほうで何とかしましょう。ほら、リンカさん、ミトさん、行きますよ」

「了解です」

「ん」


 サヨの声に頷きを返したリンカとミトが、鞄を持って教室を出て行った。


「さて……私たちも行きましょうか、ユリィ」

「データ室ですね。了解しました」


次回、11/30 AM04時更新予定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る