第二十二話 ユージ、ホウジョウの街に引きこもる


「葉桜がキレイだなあ。あれ? 葉桜って桜が散ってすぐのことだっけ? 葉っぱがキレイだから夏でもいいのかな? どうだろコタロー?」


 長い旅を終えたユージは、和室の縁側に腰掛けていた。

 隣でおすわりしているのはコタローである。


 ユージがこの世界に来てから12年目の初夏。

 長い旅と帰ってからのアレコレを終えたユージは、縁側でのんびりしていた。

 疲れた心を癒すために。


 横のコタローは、わたしにきかれたってわからないわよ、とでも言いたげな目でユージを見やる。

 ゆっくりと尻尾を振って、どこかご機嫌な様子で。


「王宮とか貴族とかビックリしたけど……でも、王様に認めてもらってよかった。このままの生活を続けられそうだし」


 風に揺れる葉桜をぼんやりと眺めながら、コタローの背中をそっと撫でるユージ。

 家に帰ってしばらくして、ようやく振り返ることができたようだ。

 コタローはワンッ! と小さく一吠え。

 そうね、いいひとそうだったわ、とユージの言葉に同意するかのように。


「王様に認められたんだし、もう大丈夫でしょ! みんなもいるしね!」


 ユージの言葉を聞いて、コタローが後脚で立ち上がってユージに前脚をかける。

 わたし、わたしもいるわよ、とアピールするかのごとく。


「はは、わかってるよコタロー、おまえがいてくれるもんな」


 このまま今の生活を送りたい。

 地位でも名誉でもお金でもなく、ユージは今の生活を続けることを望んだ。

 そんな希望を聞いた国王は、ユージの意志を尊重すると認めていた。

 この国において、何よりも強い後ろ盾である。


 ユージはコタローを抱えるように腕をまわして、頭を撫でる。

 ナチュラルなハグと頭ポンポンである。相手は犬だけど。


「それにしても……俺が勲章かあ」


 背後の和室、床の間にチラッと目を向けるユージ。

 そこには、国王から賜った第一位黄綬勲章と第四位緑綬勲章が飾られていた。

 白木の箱のフタを開けて、斜めに立てかけられた状態で。


「開拓に、商品開発と販売に、エルフのみんなとの交流。ぜんぶ、俺一人でやったことじゃないんだけどなあ」


 ポツリと呟くユージ。


 勲章を賜ったのは、上司である領主とユージだけである。

 ずっと一緒にいたアリスも、初期から開拓を手伝ったマルセルたち獣人一家も、ユージの知識を商品化したケビンも、針子のヴァレリーとユルシェルも、建築に小物作りに活躍したトマスたち木工職人も、開拓地の防衛力兼人間重機となった元3級冒険者パーティ『深緑の風』の名前もない。

 当然それ以降の開拓民たちも。


 ちょっと寂しそうなユージに、コタローが体をこすりつける。

 いいじゃない、ぼすのひょうかがむれのひょうかよ、とばかりに。さすが群れる獣のボスである。


「まあ信じられないって言ったら、向こうの世界の方が信じられないんだけど。知ってるかコタロー? 俺、ハリウッドスターなんだって。アカデ○ー賞受賞者だよ?」


 コタローにからかうような笑みを向けるユージ。

 コタローは首を傾げるのみである。そうなの? すごいのね? とばかりに、よくわかっていない感じで。

 ユージもコタローも、元の世界ではいまやスターであった。本人たちの自覚は薄い。

 文字通り、別世界の出来事である。


「こっちに来て、もう12年目か。いろいろ、いろいろあったなあ……」


 遠い目をするユージだが、口元には微笑みが浮かんでいた。

 かつての花見の時と違って、庭に静寂はない。

 ユージの家のまわりには缶詰生産工場や製糸工場、織布工場があるのだ。

 庭には、一定のリズムを刻む作業音が届いている。


「いろんな人と知り合ったし、向こうにもこっちにも友達ができたし」


 照れくさそうに笑うユージに、コタローがぐりぐりと頭を押し付ける。

 がんばったわねゆーじ、でもわたしをわすれないでね、とばかりに。


 家ごとこの世界に来る前。

 ユージは、10年間引きこもっていた。

 一人の世界である。

 友達もいなかった。


 それがいまや、ユージのまわりには人がいる。

 元の世界にはネットを通じた頼れる友達が、こちらの世界では多種多様な、というか種族さえ異なる友達も。

 それどころかユージは代官となって、200人を越える住民が暮らすホウジョウの街のトップに立っている。

 かつては一人と一匹しかおらず、一軒の家しかなかったこの地で。


「もう11年ちょっと前か。がんばってよかったなあ」


 コタローをそっと自分のヒザの上に乗せるユージ。

 目にわずかに涙が浮かんでいるが、それは寂しさのせいではない。


「10年ごしに引きニートを辞めて、外出しようって決めて。なんでか森の中で、それどころか異世界だったけど。うん、がんばってよかった」


 抱えたコタローの温もりを確かめながら呟くユージ。

 コタローはユージを見上げて、ペロリとユージの頬を拭う。よけいにユージの頬が湿る。


 ユージの顔に浮かぶのは、寂しさではない。

 今までの努力の成果として勲章を賜り、稀人という事実を明かした上で、これまで通りの生活を認められた。

 ユージの顔に浮かぶのは、満ち足りた笑みだった。

 コタローが小さく、ワンワンッと吠える。


「はは、そうだねコタロー。満足してないで、これからもがんばらないと。代官になったんだし、街は大きくなるみたいだし」


 ユージの言葉に、コタローが再びワンワンッと返す。

 一回鳴くのは肯定、二回続けて鳴くのは否定の意味。


「そうだね、こっちの世界だけじゃなくて、向こうの世界でもね。俺の話とかキャンプオフが、一歩踏み出すきっかけになってくれたらうれしいから」


 言葉が通じなくても理解し合えるのは、ユージとコタローが長い時を一緒に過ごしてきたからだろうか。

 健やかなる時も病める時も、喜びの時も悲しみの時も、富める時も貧しい時も。


「ユージにいー! ここにいたんだね!」


「ユージ兄、みんなが呼んでるわよ! 相談したいことがあるんだって!」


 ぼんやりと葉桜を見つめるユージに、少女の声が届く。

 門から走ってきたのは、アリスとリーゼの二人だった。


「一歩踏み出したら、ひょっとしたら、誰かの役に立つかもしれないしね。俺みたいに。……よし、行こうかコタロー!」


 腰掛けていた縁側から立ち上がり、少女のもとへ、友達のもとへ、住人のもとへ向かうユージ。

 ユージの後を追いかけるように、コタローも。



 10年ごしの引きニートを辞めて外出したら自宅ごと異世界に転移してた。


 引きニートだったユージが踏み出した小さな一歩は、たしかにこれまでとは異なる世界に続いていたようだ。




  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □




 辺境と呼ばれるパストゥール領。

 プルミエの街に続く第二の都市、ホウジョウの街。

 そこには、優秀な代官がいるのだという。


 往来が制限されているため、その代官の姿を目にした者の数は少ない。

 街になった当初は外出し、王宮に上がって勲章も賜ったようだが、以降はすっかり表舞台に姿を現さないのだと。


 新しい衣料品、これまでの常識を覆す保存期間と味の保存食、エルフとの交易品。

 ホウジョウの街からもたらされる商品の数々は、優秀な代官が関係しているのだという。

 姿を知る者が少ない、優秀な幻の代官。


「俺はエルフだって聞いたぜ」

「ちげえよ、アンデッドだから姿を見せられないんだ」

「いや、俺はこの目で見た、なんかボーッとした冴えない男だったぞ?」

「とんだ与太話だな。冴えない男が優秀な代官様なわけないだろ」

「街から出ないって引きこもりってヤツか?」


 市井の人々は、面白がって幻の代官を話のネタにしていたようだ。

 ある者は「その優秀な代官は平民で、外に出ないのは『貴族こわい』って警戒してるんだとよ」などと言っていた。「王宮で勲章を貰った時に嫌がらせされてな」と。

 嫌がらせではなく、ハニートラップにビビっただけという悲しい真実は知られていないらしい。


 そして。


 ホウジョウの街に引きこもっているのではなく、エルフの潜水艇を使って、エルフの里やプルミエの街やリザードマンの住処や王都に、こっそり出歩いていることも知られていないようだ。

 密かな外出は、ひょっとしたらハニートラップだけではなく、自分のウワサを知るのがイヤだったのかもしれない。


 ともあれ。


 辺境第二の都市、ホウジョウの街。

 発展を続けるその街には、優秀な代官がいるのだという。

 だからホウジョウの街は安泰で、どんどん発展しているのだと。

 人々は、まことしやかにウワサを囁き合うのだった。



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