閑話 ある掲示板住人のお話 十人目

-------------------------前書き-------------------------


ちょっと暗めです。ご注意ください。


-----------------------------------------------------------



 ありふれた話である。


 小学校、中学校。

 男はいじめられていた。

 暴力的なものではない。

 疎まれ、無視され、ときどき物がなくなる程度の。


 理由はあった。

 理不尽な理由が。



 男の父は、ペットフードを製造・販売する会社で働いていた。

 立派な仕事である。

 だが。

 子供には関係ない。

 そして『ペット関連』の仕事だと受け取ったある種の人にも。


「かわいい猫を安く譲って欲しい」

「あの、ペットフードでしたら多少は安く手に入るんですけど」

「あのCMに出てた犬かわいいわねえ。でも人気でちゃって手に入らないんですって。どうにかならないかしら?」

「その、ペットショップで働いているわけじゃないんです」


 男の家族の対応は当然である。

 別モノの仕事なのだから。

 だが。

 子供には関係ないのだ。


 いつしか男は言われていた。

 お父さんがペットのお仕事してるのに、譲ってくれないなんてイジワルだ。


 小学校高学年、中学校にもなるとさらに言われる。

 ねえねえ知ってる? ペットショップって、売れ残ったペットは……アイツの父親もきっと。


 事実はもはや関係ない。

 たとえ否定しても、一度できた空気はそうそう覆らない。


 男は、一人で過ごす時間が多くなっていた。

 学校では。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「ただいま……はは、みんな元気だったみたいだね」


 学校から家に帰ると。

 男は、熱烈な歓迎を受けるのが日課だった。


 庭から駆け寄る三匹の犬。

 シェルティー、シベリアンハスキー、ゴールデンレトリバー。

 ひとしきりかまった後、家に入ると。

 玄関で待ち構えるシーズー、ポメラニアン。

 猫たちは、興味はないのよ? でもちょっと誰が来たか気になったの、とでも言いたげに遠巻きに男をチラ見する。


 学校では孤独でも、家に帰れば男には友達がいた。

 男は誰よりも信頼され、誰よりも愛されていた。

 散歩をして、父親が働く会社のペットフードをあげて、掃除して、ブラッシングして、時にシャンプーして、一緒に眠る。


 譲ってくれないのに、家にはたくさんの犬と猫がいる。

 それも妬みの原因だったのだろう。


 学校で何を言われようと、男は受け流していた。

 友達ならいるのだ。

 一緒に遊び、教えて教えられ、確かな信頼関係で結ばれた友達が、たくさん。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「ケンイチ、もう一匹増やしてもいいか」


「お父さん、また? いくら庭が広いって言っても……キツくない?」


「けんちゃん、そんなこと言って。お父さん、しょうがないんでしょう?」


「ああ。すまん」


「なんだ、もう決まってるんじゃん。はあ、どうしようか」


 高校生にもなると、いじめはなりを潜めていた。

 勉強に恋愛に遊びに、同級生たちは忙しくなってきたのだろう。

 学校では平凡で無口な男にかまうほどヒマではなかったようだ。

 それに、男が通う高校は都内の私立高校。

 父親の職業など、よっぽど変わっているか自分から自慢でもしなければそうそう話題になるものでもない。


 学校で何があっても、家に帰れば友達がいた。

 それほど陰湿でも暴力的でなかった。

 男は小中学校で受けたいじめを乗り越えていた。


 マジメに授業に出て、テスト前は勉強をして、部活はせずにまっすぐ帰る。

 用事があれば話をするし、受け答えも普通。

 卒業すれば、同級生は男の存在などあっさり忘れられるだろう。

 どこにでもいる平凡な男のことなど。


 男が通う高校も、父親の会社も都内にあった。

 だが、家は千葉ニュータウンにあった。


 ペットを飼えるように。

 いや。

 ように。


 広い庭を、と男の父が望んだのだ。


 キツくない? と言いながら、どうしようかと言いながら、男は笑っていた。

 また友達が増える、と。

 ウチで引き取れてよかった、と。


 男はすでに知っていたのだ。

 ペットフードの製造・販売をしている会社で働く父の営業先は、もちろんペットショップである。

 男の家にいる犬や猫は、頼まれて引き取った存在だと。

 もし引き取り先がなかったらどうなるか。

 男もすでに知っていたのだ。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 高校を出て、大学を出て。

 男は就職した。

 ペットを製造・輸入・販売する会社に。

 就職が決まった時、父親はこれで万全だな、などと笑っていた。

 そんなんじゃないよ、とはにかんでいたが、無関係ではあるまい。

 父親の仕事、引き取ってきた友達。

 男に影響を与えたのは確かだろう。

 ついでに言えば、面接でウケがよかったのも確かである。


 男は実家から会社に通っていた。

 給料はそれなりだが、ペット可物件で一人暮らしするよりも実家から都内の勤務地へ通うことを選んだようだ。

 電車で1時間ちょっとを短縮するより、実家の友達と暮らすことを優先したようだ。

 電車賃はなぜか異常に高いが、交通費として会社から出るので。


 往復で二時間半。

 男はネットサーフィンで時間を潰していた。

 ひまつぶしはいくらでもある。

 愛犬を自慢するサイト。

 同好の士が集まる掲示板。

 常連となったいくつかのサイトを巡り、いつものスレを覗き、ときどき検索する。


 そして。

 男は見つけた。

 ためらいなく書き込む。


 わんわんお!! と。


 あっさりと、コテハンで。

 すまん、でもお前ら俺を相手してくれないんだもん、などと頭の中で言い訳しながら。


『【引きニート】10年ぶりに外出したら自宅ごと異世界に来たっぽい【脱却?】』


 ユージが立てた最初のスレ。


 佐久間 健一、25才。

 コテハン・圧倒的犬派、誕生の瞬間である。

 実家の猫たちは、さらによそよそしくなることだろう。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 スレを見つけて以来、通勤時間は男の至福の時となっていた。

 ユージのスレを追いかけては書き込む。

 コタローの勇ましさに、愛らしさにやられる男。

 いつも同じ電車で通勤する男の周りには、いつしかスペースができていた。

 ちょっと危ない男と思われたようだ。


 コタローに惚れただけではない。

 男はケモミミにも反応する。

 フサフサタイプの獣人は、男にとってかわいく映ったらしい。

 愛玩動物的な意味で。

 ケモナーLv.MAXとは違うので。


 だが。

 男は、第一回キャンプオフに参加しなかった。

 ウチには俺の世話を待っている犬たちがいるんだ、と。

 両親も世話をしているのだが、愛情ゆえの言葉だろう。

 ただ、断腸の思いで諦めた男に猫たちは冷たかったようだ。圧倒的犬派などと名乗ったからかもしれない。男から近づくとそっけないが、かまって欲しい時にはかまって欲しいようだ。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 男にとっての転機は、第二回キャンプオフだった。


 森林公園で行われるソレは、BBQ後に異世界行き希望はユージ宅へ、希望しない者はそのまま森林公園でキャンプという予定が組まれていたのだ。

 異世界行きを望まない男は、だったらと参加を決意した。


 家の犬と猫の世話を両親に任せ、有給をとって男は宇都宮に向かう。

 千葉ニュータウンから宇都宮へ。


「んんー、16号から4号バイパスにするか。でも柏で混むんだよなあ」


 どうやら家のマイカーを持ち出してきたようだ。



 初参加のBBQは楽しめた。

 いままで掲示板でしか会話してこなかった男だが、コミュ力はそれなりにある。

 コタローという共通の話題があることも大きかったようだが。

 BBQが一段落して、いま男は一人ビールを飲んでいた。

 異世界行き希望ではない男はこのまま森林公園のキャンプ地に宿泊する。

 車を動かさなくていいため、ビールを解禁したようだ。


 名無しのトニーとミートが張り切ったキャンプファイヤーの残骸を見つめながら、男は一人もの思いにふける。


「どうした? 気まずいだけだったら言ってくれ。悩んでるように見えたから」


「ああ、クールなニートさん。まあちょっとね」


「話ぐらいなら聞くぞ。俺は言えなくて潰れたクチだから」


「優秀なのになんでニートかと思ったら。そうだなあ……ほら、ユージの世界は思ったより厳しいって話が出てたよな? モンスターがいて、盗賊がいて。だから異世界行き希望は武器を用意したって」


「去年の分は郡司さんがプレハブ倉庫を用意しているが……今年の追加分もあるからな」


「それでほら、『むこうの世界は命が軽い』って話が出て」


「ここまでのユージの話を聞く限り、それは間違いないだろう」


「ああ。でも……」


「でも?」


「こっちの世界でも、命は軽いんだ。人間は別だけど」


「圧倒的犬派というコテハンから考えて、ペット関連か?」


「はは、察し良すぎだろ。まあ俺と父親はペット関連事業で、直接じゃないんだけど。それでもペットショップが営業先でさ。引き取れないか聞かれることがあるんだ」


「ウワサでは聞いたことがあるが……」


「まあだいたいは引取先を見つけられる。ショップだって売れる見込みがあって準備するんだから。普通のところはね」


「そうは言っても……予測できない時もあるだろう? 言い方がアレかもしれないが、供給を自由にコントロールできるわけじゃない」


「……クールなニートって何の仕事してたの? いやまあいんだけどさ。そう、その通り。だから、こっちの世界でも命が軽いんだって」


「ふむ……」


「なんとかしたいんだけどね」


「問題は需要と供給のバランス、それにタイミングか……初めからアンバランスなんだから、いっそ崩してしまえばいいんじゃないか?」


「え?」


「ペット業界は詳しくないんだが……読み違えて仕入れすぎ、売れ残るのが犬派にとってなんとかしたい問題なんだろう?」


「あ、ああ」


「なら需要を確かめて、準備できてから供給すればいい。言葉は悪いが、受注生産は普通だろう? 納期だってありえないほど長いわけじゃない。それに『命が軽い』と考える人は、犬派以外にもいそうな気がしてな。現役の頃に受けた仕事だったら、こんなこと言えば詰められそうだが」


「受注生産……店に置かずに、予約をとってからブリーダーに? あぶれる人が出たとしても理解してもらうとして……いけるか?」


「よく知らない身で言うのもアレなんだが……そういう時は関連商品を伸ばすのも一つの手だ。ただ、情に訴えて寄付を募るのは悪手だな。不安定な収入じゃ継続的な運営は厳しい」


「ペットフード、グッズ……それだけじゃ赤字か。カフェ、ドッグランを併設して……あとはブリーダーとの繋がり。同じように思ってる人はいるはずだから……」


 ブツブツと呟き、考え込む男。


 小中学校、男はいじめられていた。

 孤独な男を支え、一緒にいたのは実家の犬たちと猫たちだった。


 大人になった男は知っている。

 それは、父親が引き取ってきた売れ残りのペットたち。

 引取先がなければ、『命が軽い』と男が評したようになるはずの。


 ペットフード・グッズの営業先であるペットショップに声をかけられれば、父親も男も引き取ってきた。

 ただそれは全体から見ればほんの些細な努力で。

 圧倒的犬派と名乗る男にとって、犬と猫に愛し愛されてきた男にとって、悔しいほどに小さなもので。

 ユージが、ユージを知る者たちが、『異世界は命が軽い』と言えば言うほどに、現実を知る男にとっては、こっちもなんだ、と叫びたくなるほどの。


 男は考え込む。

 クールなニートがきっかけを示したビジネスモデルを。

 いや、ビジネスモデルと言うほどのものではない、小さなアイデアを。


「まあここで考えることじゃないだろう。連絡先を渡しておくから、相談したかったらメールでも送ってくれ」


「あ、ああ、ありがとう。その、クールなニートってマジで何してた人なの?」


「ああ、コンサルタントだったんだ。激務、鬱からのニート。よくある話だ」



 きっかけは、掲示板を見つけたこと。ユージの世界を知ったこと。

 そして。

 第二回キャンプオフに参加したこと。



 コテハン、圧倒的犬派。


 子供らしい決めつけと勘違いで、小中学校といじめられてきた男。

 男の孤独を癒したのは、父親が引き取ってきた愛犬と愛猫たちだった。猫は猫らしくそっけない態度だったようだが。

 高校・大学を卒業し、ペットグッズを製造・輸入・販売する会社で勤務する。

 『異世界は命が軽い』と聞くたびに、違和感を覚えてきた男。

 第二回キャンプオフに参加し、クールなニートの言葉をきっかけに、男は動き出す。

 自ら立ち上げたペットショップ兼ドッグカフェは、ショーウィンドウがなく、販売用の動物は店内にいなかったのだという。

 ペットの購入は完全予約制で購入者には審査があり、いつ購入できるかわからない。

 千葉ニュータウンのさらに郊外にオープンしたそのペットショップは、異常な形態でありながらなんとか利益を出していた。

 ドッグラン併設のドッグカフェの売上と、ペットフードとペットグッズの収益に支えられて。

 サラリーマン時代よりも収入は苦しい。

 それでも、男はすっきりした気持ちで働いているようだ。

 愛猫たちとの信頼関係の修復に苦しんでいるようだが。圧倒的犬派、などと名乗っているので。


 ユージが異世界に行ったことをきっかけに、『命の軽さ』を見つめ直した男。

 ある掲示板住人の、ちょっとした物語であった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る