閑話 ある掲示板住人のお話 六人目と七人目

「明さん、なに見てるんですか?」


「ん? これ? 掲示板だよ!」


「あ、俺もたまに見てますよ。どのスレですか?」


 雪が吹きすさぶ真冬の北海道、後志地方。

 ゴルフ場や遊園地も備えた、とあるリゾートの従業員用休憩所。

 一人の男が、スマホを見ている男に話しかける。


 ひまつぶしの何気ない会話だった。


 男の人生を変えたのは、このひまつぶしの何気ない会話だった。


「いまは引きニートが異世界に行ったってスレを見てたんだ! けっこうおもしろいよー」


「は? 異世界?」


「うん! ウソかホントかわかんないけど、ときどきマジっぽい画像も上がるんだよね」


 冬になると、リゾートバイトとして遠方から働きにやってくる人たちがいる。

 男がいま話しかけたのもそのうちの一人。

 明というその男は、遠く九州から働きにきたらしい。

 スキーやスノボ三昧のリゾートバイトのメンツと違って、明はマイペースで過ごしていた。

 数少ない地元の若者だった男にも、明は話しかけやすかった。


「マジかよ、うらやましい! ちょっとなんてスレか教えてください!」


「んー、そんなリアクションなら大丈夫か。はいよ!」


 そう言って明が男に差し出したスマホに表示されていたのは『【もうすぐ春!】10年ぶりに外出したら自宅ごと異世界に来たっぽいpart45【キャンプの季節】』というスレだった。


 ちなみに男は、もうすぐ春って三月舐めてんじゃねーぞ内地人め、などとのたまっていた。



 佐々木 耕二、23才。

 北海道、喜茂別在住。

 のちのコテハン、試される大地の民2である。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 それから、男は過去ログを読みふける。

 元引きニートだったユージの物語。

 リアルタイムで見られなかったことを悔やみつつ、男はログを漁る。

 時おりリアルタイムの掲示板を眺めながら。


 そして。

 男にとっての転機となる書き込みを見つける。


『【本スレ】ユージ関連スレ第三回共通キャンプオフ実況part2【検証スレ共通】』

 そのスレに書かれた一つの書き込み。


「楽しそうだなあキャンプオフ。というかコイツ、@待避所って……。来年は俺も行ってみようかなー。栃木ならいっそフェリーで行くか。喜茂別から苫小牧なら近いし、茨城から宇都宮ならそんなにかからないだろ」


 喜茂別にある男の自宅。

 いや、両親と祖父母と兄と一緒に住んでいる実家の一部屋。

 パソコンに向かった男は、第三回キャンプオフの実況スレに張り付いて、時おりブツブツ言っていた。

 怪しい男である。


 そして、その書き込みを目にする。


「俺はムリだな、なにしろココは試される大地、って……道民がいるのか!」


 ネット上の同じスレ、同じタイミングで見つけた同郷の存在。

 うれしくなったのだろう、男はさっそく自分も書き込む。


「コテハンは……2をつけときゃいいか。道民発見! っと。コイツどこ住んでるんだろうな。札駅と大通と空港外せば混むとこないんだし、引きニートでも行けんじゃね? 近場なら俺が拾ってもいいしな!」


 ためらうことなく書き込む男。

 このあたりは道民の大らかさなのかもしれない。


 男の書き込みに、コテハン・試される大地の民1がさっそく反応する。


「興部って! くっそ遠いわ!」


 なぜか北海道の難読地名で盛り上がるスレをしり目に、男は悩む。

 だが、それも一瞬だった。


「くそ、言い出したのは俺だ! 行ってやろうじゃねーか!」


 喜茂別から興部まで、およそ5時間。

 男の書き込みと、距離を知った掲示板住人たちから正気を疑われる。

 当たり前だ。

 片道5時間ということは、往復10時間である。

 このあたりは道民ならではの時間感覚かもしれない。

 まれに、買い物のために道東-札幌を日帰りドライブする若者もいるのだ。

 正気か。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 日陰にはまだ雪が残る春。

 ユージが王都への旅に出たのと同様に、男も旅行に出ようとしていた。


「じゃあちょっと行ってくるわ!」


「耕二、気をつけてな。事故もだが……オロロンラインは避けろよ? 先頭の時は気をつけろよ?」


「大丈夫だって兄貴! 小樽から高速に乗るからさ!」


「小樽? わざわざあっちから……そうか、そうだったな。俺の分もよろしくな」


「兄貴……ああ、任せとけ。兄貴も祈っておいてくれ!」


 そう言って自分の車に乗り込む男。

 目的地はオホーツク海沿岸。興部である。



「それにしても、キャンプオフの前に一度家族に会って欲しいって……まあ引きこもりが泊まりがけで関東に行くって言い出したら当然なのかなあ」


 四駆仕様のコンパクトカーを走らせる男。

 暦は春だが、いまだにスタッドレスタイヤである。


 兄に告げた通り、男は喜茂別から北上する。

 名水が噴き出す公園を横目に、赤井川へ。

 赤井川のリゾートに用があったのではない。冬の間、男が働いていたリゾートはそこではないのだ。


 鼻歌を歌いながら車を走らせていた男の目が、次第に真剣な色を帯びてくる。


 やがて。

 とある展望所に、男が車を止めた。


「おお、さっぶ! さて、見えるかな……頼む!」


 祈りを込めて北東、留萌方面に目を向ける男。

 そして。 


「おお! おお! やったぜ兄貴!」


 ガッツポーズである。

 さっそくスマホを構えて撮影し、兄に写真を送る。


「都市伝説だってわかってても……よっしゃ!」


 男が車を止めたのは、毛無峠の展望所。

 小樽の夜景が見下ろせることで有名な場所である。

 そしてもう一つ。

 あまり知られていない伝説が語られる場所でもあった。


 毛無峠から増毛山を見ると、名前の通りになる。


 それは、ある種の人々にとって祈りにも似た伝説である。

 祖父、父。

 特定の家系を持つ兄と男にとって、悩みは共通だったようだ。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 小樽から高速に乗り、札幌を通過。

 そのまま道央道を走って旭川を越え、剣淵ICで下道に。

 ここまで3時間。

 午前中に出発したため、ちょうどお昼時である。


「このへんに……あった!」


 男が入っていったのは、道の駅だった。

 わざわざインターを降りて下道を戻り、道の駅に向かったのだ。

 綿密な下調べの結果である。



「おお、これは予想以上に……!」


 鶏もも肉の炭火焼。

 そして、各種のパン。

 買い込んだ男はガツガツと食べ漁る。


 たかが道の駅と舐めてはいけない。

 北海道の道の駅の充実っぷりは驚くほどなのだ。

 男が立ち寄った道の駅は広く清潔で、食べ物もレストランも特産品も充実していた。あとエミューがいた。


 北海道ドライブの醍醐味である。

 北海道の道の駅は、それだけでガイド本が出るほどの名所なのだ。

 男は下調べの結果、なかでも人気だった道の駅に立ち寄ったようだ。

 エミューは謎だが。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「さて、そろそろ……お、あの看板かな?」


 朝に喜茂別を出発し、昼には旭川を越えて昼食。

 さらに車を走らせること2時間弱。


 ついに男は旅の目的地にたどり着いたようだ。

 片道およそ330km、時間にして5時間ちょっと。


 コテハン・試される大地の民1が住む興部に到着したようだ。


 事前に聞いていた目印をたどり、ようやく男が一軒の家の前に車を止める。

 車から降りて、ぐっと伸びをする男。


 と、家の中から人が出てきた。

 ぞろぞろと。


「あ、こんにちは! あの、こちらに」


「ユウキの友達か! いやあ、遠いところよく来たね! さ、上がって上がって!」


 お父さんとお母さんかな? と思いながら案内されるまま上がり込む男。

 家は広い。

 まあ北海道の田舎なのだ、驚くほどの広さではない。


 リビングのソファに座らされた男の前に、あれよあれよとお茶やお菓子が並ぶ。

 ひっきりなしに挨拶される男。

 その度に自己紹介を交わすが、誰が誰やらわからない。


 ソックリだったのだ。

 丸い輪郭、人懐っこい笑顔、独特のイントネーション。

 年配の男の丸顔、老人の丸顔、若い丸顔、子供な丸顔。

 もはや金太郎飴である。


 似すぎだろおい、遺伝子どうなってんだ、と男が呟くのも無理はない。


「やっぱり下りてこないねえ。恥ずかしがってるのかしら。耕二さん、部屋に上がってくれる?」


「あ、わかりました」


 圧倒されていた男だが、目的を忘れていたわけではない。

 秋に開催されるキャンプオフ。

 北海道から行くには泊まりがけになるため、顔合わせに来たのだ。


 そこそこ年を取った丸顔の女に案内されて二階に向かう男。

 ノックの後に扉を開けられ、男が押し込まれる。


 そして、男は対面した。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「は、はじめまして、試される大地の民1です」


「はじめまして、2です。ああ、もう親御さんには名乗ったしいいか。佐々木耕二です」


「あ、じゃあボクも。ユウキです」


「はいよー。しかしアレだな、書き込みよりもずいぶんソフトな……」


「え、あ、その、イヤでしたか?」


「いや、気にしてねーよ。むしろユウキくんが丸顔じゃないことに安心した」


「……よく言われます」


「あ、気にしてたらすまん」


「え、あ、そんな」


 部屋は広かった。

 掃除もそれなりにされているようだ。


「とりあえず、座っていいかな?」


「あ、はい、どうぞ」


 そう言って自分はベッドに移動して腰掛けるユウキ。

 じゃあ、と言って男はパソコンデスクの前に置かれたチェアに座る。


「その、わざわざすいません」


「いやいいよ、ドライブは好きだしね。じゃなきゃオフ会で迎えに行こうかとか言わないって」


 男の様子を見ながらポツリと話しかけるユウキ。

 伸びっぱなしなのか、前髪に隠れて目は見えない。

 いや、わざと目を隠しているのかもしれないが。


 沈黙が続く。


 男はコミュ障ではない。

 ただ、相手が人慣れしていないことを見て取って、まずは自分から話しかけないようにしたようだ。


「その、耕二さんは、なにしてる人なんですか?」


 ネットで知り合った人物相手に、いきなり個人情報を質問するユウキ。

 コミュ力が低い。


「あー、春から秋は実家の手伝いだな。ウチ農家なんだわ。冬は近くのスキー場でバイトしてるよ」


 気を悪くするでもなく答える男。

 スキー場は農業主体の田舎にとって、農閑期の大事な働き口である。

 それにしてもこの男、いつの時代の若者か。


「あ、ボクも、実家の手伝いはしています。……高校中退で中卒引きニートだから、それぐらいしかできないんだけど」


 はは、と力なく笑ってユウキが答える。


「そっか、よくキャンプオフ行く気になったな。部屋から出ない感じなの?」


「あ、いや、部屋からは出ます。ユージが引きこもってた頃と同じ、ウチの敷地だけですけど……」


「なるほど。……ん?」


 首を傾げる男。

 元々のユージと同じ、実家の敷地から外には出ないタイプの引きこもり。

 だが。

 男は、ユージとの決定的な違いに気がついたのだ。


「ユウキくん、ちょっと聞くけどさ。敷地って……どこまで?」


 イスから立ち上がり、部屋の窓から外を見下ろす男。

 男がいる一軒家。

 そして同じ敷地の中、すぐ隣に立つ一軒の家。

 さらに。

 男の見下ろす先に、牛舎があった。


 興部は酪農の町である。


「え、その、あのへんかな」


 ユウキが示したのは遥か先。

 ユージの家の庭は広いが、比べるべくもない。


「そ、そっか。ユウキくん、ちなみに実家の手伝いって何やってるの?」


「え? あ、あの、掃除とか、洗濯とか、料理とか……今日はその、耕二くんが来るから何もしなくていいって」


「家事手伝いっぽいけど……ユウキくん、あの建物の掃除は?」


「え、やります、毎朝」


 男が指さした先にあったのは、牛舎である。


「えっと……洗濯と料理って、何人分?」


「いまは、13人かな」


 その答えを聞いて、納得顔で頷く男。


「ユウキくん……あのさ、ご両親からお小遣いもらってる?」


「え、うん。家から出ないから、ほとんど使ってないけど、けっこう」


「やっぱり。ユウキくん、ちょっと衝撃的なことを言おう」


「え? あ、はい」


「それ引きニートじゃねえよ! あとたぶんそれ小遣いじゃなくて給料だから!」


「え? え?」


「しがないアスパラ農家のウチだって法人化するかって話が出てるんだわ。ユウキくん家が個人事業主か会社にしてるかわからないけど……ちょっとご両親に聞いてみたら?」


「え? あ、え?」


「一緒に下に行こうか」


「あ、はい」


 ユウキの手を取って階下のリビングに向かう男。

 リビングでは大量の丸顔がくつろいでいた。


 そして。

 あらー、言ってなかったかしらー、やだなあ母ちゃん、などと朗らかに言い合う人たち。

 どうやらユウキの家族は、大らかでは片付けられないほど大雑把だったようだ。

 ちなみにコレ、本当にあった怖い話である。

 正気か。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 俺はちょっとどっかで車中泊しますんで、と辞退する男を引き止め、夜は宴会となっていた。

 盛り上がる家族や同居人、従業員をよそに、ユウキはひっそりと座っている。


 男はそつなく対処していた。

 途中までは。


「え? あ、え? そういえば名前も……」


 チラッとユウキを見やる男。

 前髪で隠れているが、恥ずかし気にうつむいている。


「ええ!? ほらお父さん、だから言ったじゃない!」


「いや、いい名前だってお前も賛成しただろ?」


「もう! それで耕二くん、ウチの優希、どうかしら?」


「は? え、いや、その、会ったのは今日が初めてですし……」


「あらあら、すぐ断らないってことは脈アリね!」


 ぐいぐい押してくる丸顔のおばさん。いや、優希の母。


 掲示板の書き込みは「俺」、会った時は「ボク」。

 ダボッとしたスエットに、伸びっぱなしの髪。

 そして、どちらとも取れる名前。


 男は勘違いしていた。


 ユウキは、女の子だった。


 泊まりがけのキャンプオフに行く前に、家族が同行者に会いたいというのも当然である。

 男の視線の先で、優希は頬を赤く染めていた。


「ところで……耕二ってことは、次男かしら?」


「え、あ、はい、兄貴がいます」


「あらあらあら! あらあら!」


 ニンマリと笑ってビールを注ぐ優希の母。

 まわりの家族や親族、従業員も笑顔である。


「え、あの、なんで次男で喜んで……あ!」


 どうやら男も気がついたようだ。

 さすが農家の息子である。


 自称・引きニート、実際は実家の会社の従業員にして、18才の女の子。

 優希は頬を赤く染めていた。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 翌朝。

 アレもコレもと渡されたお土産を車に積み込む男。

 乳製品だらけである。あとおこっぺプリン。


 男にお土産を渡した後、住人たちはニヤニヤしながら去っていった。

 二人を残して。


「あ、あの、その、耕二くん」


「ん? なんだ?」


「その、今日は、昨日もだけど、わざわざありがとう」


「おう。まあ高速使えば運転はラクだったからな。また秋に来るから」


「うん! その、それで……メール、教えてくれないかな?」


「え? 場所の確認でやり取りしただろ?」


「そうだけど、そうじゃなくて、その、ボクの」


「ああ、ケータイのメールアドレス?」


「うん。その、こんな男みたいな女だし、その、耕二くんがよかったら……」


 うつむいたまま男に投げかける優希。


「そんなに自分を下に見るなって」


 そう言いながらスマホを手にする男。


 アドレスを交換し、じゃあまた秋に、と軽く挨拶をして男は帰路につくのだった。

 興部の道の駅かなんちゃらファームでも寄っていくかなーと言いながら。



 だが、男は知らない。

 頬を染めた女は家族のプッシュがまんざらでもなく、覚醒してしまったことを。


 夏の終わり、キャンプオフに向かう前。

 おせっかいな従業員の妹に連れられて140km離れた旭川まで行って髪を切り、服を買い、簡単なメイクを教わったことを。


 男は知らない。

 秋に迎えに行った時に、その変貌に驚き、ときめくことを。



 コテハン、試される大地の民2。


 地元の高校を卒業し、札幌の大学に通い、でもなんだかサラリーマンをやる気はしなくて地元に帰ってきた男。

 春から秋は実家の農業を手伝い、冬は近くのリゾートでバイトをする。

 バイト仲間からユージの掲示板の存在を聞いて、入り浸るように。

 キャンプオフの実況中のノリで、次のキャンプオフには同じ道民を拾って二人で参加。

 以降、二人はそこそこ頻繁に会うようになったという。



 コテハン、試される大地の民1。


 男のような名前をからかわれ、引っ込み思案だった性格はさらに悪化。

 なぜか自己評価が低く、級友の発言もマイナスに捉えすぎて引きこもるように。

 大らかな家族は中退を責めることなく、家業を手伝うことになる。

 キャンプオフ実況が楽しそうで書き込んだ何気ない一言で人生が一変。

 家族以外の優しさを感じて、初めて恋をする。



 ユージが異世界に行ったことをきっかけに、同じ都道府県内だけど遠距離恋愛をはじめた男女。

 農家の次男は、酪農家の家族に着々と外堀を埋められているようだ。

 ある掲示板住人たちの、ちょっとした物語であった。



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