閑話8-10 領主夫人、夫である領主に手紙を送る
-------------------------前書き-------------------------
副題の「8-10」は、この閑話が第八章 十話目ぐらいの頃という意味です。
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カリカリと羽根ペンで文字を書く音が響く。
プルミエの街、領主の館。
その執務室では、大きな机を前に領主夫人が仕事をしているようであった。
上等そうな服装ではあるが、胸元は開いていない。どうやら魅惑の谷間を見せつけるのは交渉相手の男を動揺させるためであり、露出趣味はないようだ。同室に女性の使用人しかいない今は、リラックスした様子で執務に集中していた。ちなみに胸は卓上に乗っている。重いので。
そんな執務室に、ノックの後に代官のレイモンが姿を現す。その手には数枚の紙。
徴税官として一年目の開拓地を査察し、その結果を書類にまとめてきたようである。
「それで、レイモン。討伐の援助金を出す前に口頭では聞いたけど……開拓地はどうなのかしら?」
「順調です。すでに木製の柵で囲われ、水場もありました。いまは伐採と建築が中心のようですが、春以降は農地も広がるでしょう。防衛戦力も申し分ありません。四年目からは問題なく徴税できると思われます」
領主夫人は書き物を続けたまま、目も上げずに代官に尋ねる。ユージやケビンとの交渉で見せた艶っぽい笑顔は欠片もない。だが、代官のレイモンはまったく動じず答えていた。どうやらこれが領主夫人の素のようである。
「そう。それで……彼はやっぱり稀人なのかしら?」
ここでようやく領主夫人が顔を上げ、代官を見つめながら質問する。商人ケビンの読み通り、やはり領主夫人と代官はユージが稀人であることに気づいているようだった。
「間違いないでしょう。開拓地には見たこともない形式の家がありました。また、保存食に加えて新しい装飾品や服を開発するようです」
代官の言葉に、そう、とだけ言って考え込む領主夫人。その仕草は無駄に色っぽかったが、代官はまったく動揺していない。これが日常なのだ。うらやましい男である。
「ケビン商会の缶詰、料理長との試作品はどうだったのかしら?」
「試作品は完成したようです。ただし、日持ちするかどうか確認するため、販売は春以降にした方がよいとのことでした。元々のケビン商会の缶詰は問題ないため、こちらも問題ないとは思いますが……」
「そうね、ケチつけられたら面倒だものね。ただ、冬の間にユキウサギ料理の缶詰は作りはじめてちょうだい。試作品が問題なかったら、まずはケビン商会に売らせるわ」
ケビンと領主夫人が取り交わした貴族向けの高級缶詰の販売契約。味と賞味期限は、ケビン商会に販売させて平民でテストするようであった。同じ貴族とはいえ、何かあったら面倒事である。話題作りも兼ねて、この冬に作った分はお金に余裕がある平民層に売り出すようだ。
「それに装飾品と服、ね……。稀人が考えたものなんでしょう? どんな物なのかしら。使いをやって、見本ができたら持参するようケビンに伝えておきなさい」
「かしこまりました。ただこの後、開拓地はゴブリンとオークの集落の討伐にかかるはずです。冬、もしくは春になるかもしれませんが、よろしいですか?」
「ああ、そうだったわね。討伐が終わるまでは開拓も進まない、か……。レイモン、殲滅の確認に出す兵士の他に、犯罪奴隷を遣わせなさい。足枷つきのままでいいわよ。肉壁ぐらいにはなるでしょう。殲滅が確認されたら、生き残りは道造りにあたらせるように。そうすれば缶詰のための鍛冶場も造れるようになるでしょう。人数は任せます」
ずいぶんな物言いだが、決して領主夫人が冷酷な女という訳ではない。
窃盗、強盗、強姦、殺人、住人証明なしの街への侵入など、罪を犯した者は内容によって年季が決められ犯罪奴隷となる。もちろん犯した罪によっては処刑もあるが。犯罪奴隷は最低限の衣食住は提供されるが、同時に労役も課されるのだ。しかもその労役は苛酷であり、年季が明ける前に命を落とすことも珍しくなかった。犬人族のマルセルのような奴隷と、犯罪奴隷の間には大きな違いがあるのだ。
「では、余っている犯罪奴隷を見繕いましょう」
「お願いするわ。それからこの手紙を書き終えたら、試作品の缶詰と一緒に王都の屋敷へ運ぶよう指示をお願いね。うふふ、彼の驚く顔が見られないのが残念だわ」
そう言って、手元の紙に視線を落とす領主夫人。頬は赤く染まり、うっとりとした表情を見せる。誰が見ても一目瞭然、その表情は恋する乙女のそれである。乙女と呼ぶには少々
「かしこまりました。では、いつものように街道の治安維持も兼ねて隊を出しましょう」
どうやら代官は鋼の心を持っているようである。賢者か。
……あるいは、衆道を極めんとする者なのかもしれない。
ともあれ、こうして開拓地の現状と、金を生む新たな商売について、王都にいる領主の下へ情報が届けられるのであった。
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