閑話集 5

閑話 ある掲示板住人のお話 二人目

 試される大地。

 その大都市の市庁舎にて。

 一人の男が、今日もパソコンと向き合っていた。


「田中係長すいません、また例の人です。窓口をお願いしてもいいですか?」


 後輩が近寄り、小声で男に依頼する。

 ああいいよ、何でもないことのように男は立ち上がり、窓口に向かっていった。

 そんな男の背中を、後輩や課長が尊敬の眼差しで見送っていた。


 田中良太、36才。

 試される大地に住む市役所職員。


 男の初めての配属は、『市民の声を聞く』という名目の課であった。

 簡単に言えばクレーム窓口である。

 各課から手におえない相談者がまわされてきたり、もはや常連となった人物からひたすら話を聞く課である。

 もちろん、役に立つ意見もある。鮭児けいじは鮭の中に混ざっているのだ。万の中の一匹であっても。


 課の名前は変わっても男の配属は変わらなかった。そして、気づけば窓口対応のスペシャリストとして認識され、いつの間にか係長になっていた。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 男が窓口で常連の対応をしている時。

 給湯室には、二人の派遣社員の姿があった。サボっているわけではない。ちょっと自分のコーヒーを淹れているだけなのだ。決してサボりではない。


「うわあ、例のやっかいな常連さんじゃないですか。田中係長ってすごいんですね。ずっとにこやかに話きいてますよ」


「私ならぜったい無理ね。だいたいアレ、役所関係ないただのグチじゃない。あんなの追い返せばいいのよ」


「先輩キツイですねえ。でも公務員で、ちょっとメタボ気味だけど顔は普通で独身バツなしかー。優しそうだし、私、狙っちゃおっかな。派遣から専業主婦にジョブチェンジ!」


「ああ、それは止めといた方がいいわよ。何人かそんな子もいたけど、みんな玉砕」


「うわあ……。ホ、ホモなんですかね?」


「それは違うみたいだけど……。それにね、あの仕事ぶりだから、課長も上も、田中係長には何も言えなくてね。彼だけ治外法権よ」


「ああ、それで窓口対応以外はネットしてても何も言われないんですか。まあこの課、異動で来た人たちは窓口対応であっという間に病んじゃってますもんねえ。専門じゃない人にクレーム対応やらせるとか無茶すぎですよ」


「女の子はみんな玉砕、仕事は誰も口出しできない。それで田中係長にはあだ名が付いてね」


「え! なんですかそれ! ちょっと教えてくださいよ!」


「『触れてはいけない男アンタッチャブル・マン』よ」


「な、なんか無駄にかっこいい……」



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 本日も無事に窓口対応を終えた男に、上司である課長が声をかける。


「田中係長、お疲れさま。報告書をまとめたら今日は上がっていいから」


 気がつけば、すでに窓口を閉める時刻をまわっていた。

 課長は『今日は』と言ったが、そもそも男は窓口が開いている時間の対応と、対応した際の報告書の提出しか求められていない。この市役所における対モンスター戦の切り札なのだ。

 他の仕事は俺たちがやるから、窓口業務に専念してくれ。それが課の、いや、市役所で働く者たちの総意であった。

 残業する職員たちをしり目に、ほぼ定時に帰るのが男の日常であった。


 あっさりと報告書をまとめ、お先に失礼しますと一声かけて男は帰路につく。


 やっかいな相談者へのにこやかな対応。上司や同僚、女性への紳士だがドライな対応。

 男の根底にあるのは、無関心であった。

 それゆえ、相手がどれだけ怒っていても、どれだけぐちぐち文句をつけても受け流せるのだ。

 興味がなく、心が動かないのだから、表面さえ取り繕えればただ座っているだけでいい。男にとっては何の苦もないことであった。


 試される大地、その大都市の市役所に勤める触れてはいけない男アンタッチャブル・マン

 興味があるのは、ただ一つのことであった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 市役所を出た男は、グリーンの地下鉄に乗って家に向かう。

 降りたのは、学生や独身のサラリーマンが多く住む駅。ここから川がある方向へ歩くこと10分ほどで、男が住む部屋である。

 独身の男は、実家から離れ一人暮らしをしていた。

 事情があったのである。

 カバンから鍵を取り出し、ガチャリと開けて中に入る男。


 男は室内に入り、ふう、と大きく一息つく。


 お金を稼ぐため、一般人に擬態する時間が終わったのだ。

 ようやく、男にとって至福の時がはじまる。


 大きく引き伸ばしてプリントし、壁に貼ったポスターと向かい合う男。

 満面の笑みを浮かべ、声をかける。


「アリスちゃん、ただいま!」


 田中良太、36才。

 本人は知らないが、職場でのあだ名は触れてはいけない男アンタッチャブル・マンであった。


 そして、ある掲示板では、自ら名乗った名前がある。


 『YESロリータNOタッチ』


 まさに『触れてはいけない男』であった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「ああ、アリスちゃんはあいかわらずカワイイなあ……。くそっうらやましいぞユージ!」


 勤務中とはうってかわり、自室のパソコンに向けて感情を露にする男。


 彼が興味があるのは、幼女のみである。

 だが性的に興奮する訳ではない。

 庇護対象として、その独特の愛らしさを見守りたいだけなのだ。たぶん。きっと。


 職場で女性に接近されてもなびくわけがない。男にとってはBBAもいいところなのだ。

 どれだけ窓口でクレームつけられても動揺しない。そもそも幼女以外のすべてに興味がないのだ。あまり長時間だと職場でのネットサーフィンが滞るので止めてほしいと思う程度である。


 36才ともなれば、擬態も慣れたものであった。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



「ア、アア、アリスちゃんが着る服を作るだと! おお、おおおおおおおお! よし、さっそく資料探しだ!」


 いそいそと荷物をまとめ、外出する男。さっそうと自転車にまたがる。

 行き先は、男の部屋から自転車で15分ほど。川沿いの大きな橋の横にある超大型書店である。

 時刻は21時をまわっていたが、問題はない。目的の超大型書店は、年中無休で23時まで営業しているのだ。今日は男も利用しないようだが、ドーナツショップも入っているのだ。


 おそるべし試される大地。

 おそるべし北海道限定超大型書店チェーン。

 可及的速やかに全国展開してほしいものである。



 男は、閉店時間ぎりぎりまで粘っていたようだ。

 ようやく超大型書店から自室に戻ってきた男は、鼻歌を歌ってご機嫌な様子である。

 年季が入ったリュックから、さっそく何冊もの本を取り出す男。大人買いである。

 さらに大量の文房具とスケッチブックを取り出す男。大人買いである。

 地方公務員とはいえ、独身の男はお金も時間も余っているのだ。


 アリスちゃんに、理想の服を着せるんだ! とその目は決意に燃えていた。



  □ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □



 コテハン、YESロリータNOタッチ。


 職場で窓口対応の待機中に、掲示板を発見。ユージがアリスを保護して以降、コテハンとして常駐。

 キャンプオフは溜め込んでいた有給休暇を消化し、異世界行きを望むユージ家跡地組として全ての回に参加。

 『市民の声を聞く』という名目の課に勤務するかたわら、仕事の合間と勤務後に独学でデザインを学ぶ。

 しかし型紙作りは断念して、買い取りでプロに型紙を依頼。

 その苦労と金額を鑑みて、他のコテハンとともに無料のデザイン・型紙投稿&ダウンロードサイトを立ち上げる。

 利用者が増えて以降、男はサイト運営から身を引いて他のコテハンに任せ、自身はデザインに専念。

 無料デザイン・型紙投稿&ダウンロードサイトに大量投稿された謎の子供服ブランド『Alice』は人気を得るが、デザイナーとして名乗り出ることはなかった。


 ユージが異世界に行ったことをきっかけに、より完璧な擬態を身につけ、興味の矛先を異世界と幼女のための服飾に向けた男。

 もし掲示板に出会わなければ、彼が何をやらかしたかは誰も知らない。

 ある掲示板住人の、ちょっとした物語であった。



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