第六話 ユージ、領主夫人と代官に会って開拓民の申請をする
文化の違いを体感した夜から二日。
ついに、領主夫人と代官に面会する日である。
ユージは、ケビンが用意した小綺麗な服に袖を通していた。ひらひらとした飾りがついた服である。
「なんか落ち着かないなあ……どうかな、アリス、コタロー」
「んんー。んんーと。ユージ兄、かっこいいと思う!」
眉をしかめ、腕を組んで考え込んでからユージに告げるアリス。なぜ考え込んだのか。お世辞なのだろうか。
アリスはワンピースにカーディガンを羽織ったシンプルな服装である。アップにした髪型と相まっていいとこの子供、といった印象だった。
コタローはなにやらユージの近くに行ったり離れたり、落ち着かないようである。なにあのひらひら、ちょっときになるわ、でもだめよ、かんじゃだめ、だめなのよ、と獣としての本能と戦っているようである。
「ユージさん、準備はできましたか? そろそろ行きましょうか」
ユージと同じように、装飾がついた服を着たケビンが部屋に入り、声をかける。ユージがいつも見ていた旅装とは違い、その姿はいかにも商人らしかった。
行ってらっしゃいませ、と店員と丁稚に見送られ、ケビンが手配した馬車が一行を乗せて出発する。車内はケビン、ユージ、アリス、コタロー。専属護衛は一人が御者として同行していた。
馬車は大通りを走り、やがて小さな窓から川が見えてくる。
「領主様の館は川のそばなんですか? そういえば、船を使った水運はどうなんでしょう?」
「ええ、領主館は川のすぐ横にあります。街の中央から少し北寄りの川岸ですね。この川の下流には王都があります。そこへ船で物を運ぶためにこの街は川岸が発展してきました。また、北の方が森が深いですから、モンスターから人々を守るために当初は一番北に領主の館があったそうですよ。そこからこの街は発展して広がっていき、いまでは領主の館は
いまでも木材を筏にして王都に運んだり、船を使った水運はこの街の大きな産業ですよ。もっとも、水運はときどき水棲モンスターに襲われるリスクがありますが、とケビンは話を続ける。
いるんだ、水棲のモンスター。ケルピーとかリザードマンとかかな、いや、ひょっとして人魚とか……などとユージが考え、ケビンに聞こうとしたその時、馬車のスピードが落ちていった。
「さて、ユージさん。そろそろ到着します。まあお教えした作法を忘れずに、基本的に話は私に任せてください。何があってもできるだけ動揺しないようにお願いしますね」
そう言ってケビンはユージに念押しするのだった。
ワンッとコタローが吠える。ゆーじにはむりだとおもうわよ、と言わんばかりだった。
□ □ ■ ■ □ ■ ■ □ □
領主の館にたどり着いた一行は、侍女に案内されて応接間へと入っていった。うわあ、本物のメイドさんだ、などというユージの呟きは全員から無視された。
ちなみに、コタローは門横の警備兵の詰め所でお留守番である。初日に見かけた集団と同じかどうかはわからないが、鎧を着て二足歩行するシベリアンハスキーがコタローの世話を請け負うようであった。なぜか彼からも両膝をついてお腹を見せる上位者への礼が行われていたが。
侍女に示され、着席するケビンとユージ、アリス。連れてきた専属護衛の一人は、ケビンの斜め後ろに立っていた。もちろん武器類は預けているが、鎧の着用は許されている。
各自にお茶を配り終えた侍女が、それではしばらくお待ちくださいと声をかけて退室する。
落ち着かない様子でキョロキョロと部屋の中を見渡すユージ。アリスはピンと背を伸ばしたまま固まっている。貴族と会うということで、アリスも緊張しているようだ。
けっきょく、高級なお茶を楽しんだのはケビンだけであった。
ユージにとってはただ待たされるだけの長い時間。実際にはお茶が冷めない程度のわずかな時間で、待ち人がやってくる。
侍女に先導されて最初に入ってきたのは護衛役だろうか。鎧姿のまま、何も言わずにイスの後ろに控える。
続いて入ってきたのは、40才前後の男。黒い髪を後ろに撫で付けた、痩せぎすの男である。こちらも言葉はない。というか、表情も変わらず読めなかった。
ケビンがユージに目配せをして、礼をする。わずかに遅れてユージ、アリスも礼をして待つ。
間もなく、女性が入ってきた。
歳の頃は20代後半。ロングドレスに、二の腕の半ばまで続くロンググローブ。隠された手足の代わりに、首と胸元は大きく開いている。
礼の姿勢から戻るケビンを横目でうかがい、ユージとアリスも姿勢を戻す。
でかい。
優しげなたれ目よりも、色気を感じさせる涙ボクロよりも、ユージの視線は深い谷間に吸い込まれていった。
二日ぶりに、ユージが特殊技能『
G、いやHか。くそっ、このレベルは参考資料が足りない。そんな考えがユージの頭をよぎっていた。
「お待たせしましたね。
「私はこのプルミエの街の代官、レイモン・カンタールだ」
入室してきた二人が挨拶をする。続いてケビン、ユージ、アリスと挨拶を返す。どうやらユージも最初の関門は乗り越えたようである。
続けてケビンが如才なく時候や街の話題を提供する。どうやら雑談からはじめるのがこの世界のスタンダードのようだ。
ユージとアリスは、横で大人しく押し黙っている。いや。ユージの目はたびたび深い谷間に向かい、その度に、いや、この世界はフサフサが基本なんだ、と言い聞かせて正気を取り戻しているようだった。そんなユージの様子を理解したのか、アリスはこっそりユージの脇肉をつねっている。どうやらすねているようだ。
「それで……本日はどんなご用件かしら? プルミエの街に台頭してきたケビン商会の会頭が、王都のゲガス商会の紹介状を持ってきたんだもの。張り切って時間を作っちゃったわ」
上品で艶やかな笑みを浮かべ、領主夫人がケビンに問いかける。
見とれるユージを無視して話は進む。
「おや、私のこともゲガス商会のこともご存知でらっしゃいましたか。これはお耳が早い!」
「ええ、私のお気に入りの香水と石鹸はゲガス商会から取り寄せているのよ。それに、王都で『
「いえいえ、私なんて会頭の足元にも及びませんよ。こうやってゲガス商会から生え抜きの護衛を融通してもらったぐらいですし。いやいや、それにしても本当にお詳しい」
ははは、おほほと白々しく笑い合う二人。和やかな風景だが、交渉はすでに情報戦からはじまっているようである。一方で、ユージは男の本能と理性の間で戦っていた。ふたつの戦いのレベル差たるや。
「本日は、こちらのユージさんとアリスさんを開拓民として登録し、開拓地を認めてもらうためにやってきました」
「あらあら。私はてっきりケビン商会が売り出した保存食のお話かと思っていましたわ。そうですか、開拓民。ゲガス商会出身で、プルミエの街で話題のケビン商会の会頭が、わざわざ来られるほどの……ねえ?」
チラリ、とユージに目をやる領主夫人。なんとなく愛想笑いで返すユージ。領主夫人は、あっさりとケビンに向き直った。どうやらひとまずユージは攻めずに放置することにしたようだ。
「ええ。アリスさんとはアンフォレ村の縁もありましたし……」
うつむき、わずかに首を振って悲しみを露にするケビン。どうやら情にも訴えていくようである。
「まあ……。レイモン、泥鼠はどうなっているのかしら? それとアンフォレ村の他の村人は?」
「盗賊団、通称『泥鼠』は王都に向かった隊商を襲って返り討ちにあい、24名がその場で死亡。遅れて周辺を捜索しましたが、アジトと思わしき場所はもぬけの殻でした。その後の捜索でもいまだ見つからず、領外へ逃げたものと思われます。アンフォレ村の生き残りは11名。それぞれ親戚や知人を頼り、街と村へ移住しました」
代官のレイモンがニコリともせず告げる。どうやら彼は無表情がデフォルトのようだ。
「そう……。アリスちゃん、ごめんなさいね。領内の安全は私と夫の責任。何かわかったら必ず知らせるわね」
悲しげな表情を見せ、気づかうように手を伸ばしてアリスの頭を撫でる領主夫人。
「あ、ありがとうございます
貴族に会うという、村娘にとっては考えられない状況。緊張はしているようだが、アリスは物怖じせず元気に答えていた。
「まあいいでしょう。開拓民として認めます。レイモン、書類を」
「よろしいのですか?」
軽くOKを出した領主夫人に、代官であるレイモンが問いかける。
「ええ。開拓に成功すれば税が増えるし、失敗しても損はないわ。それより今をときめくケビン商会が後援するようですもの。私も個人的に投資しようかしらねえ」
「いえいえ、それには及びませんよ」
あはは、うふふと再び白々しく笑い合う二人。自分のことが話されているのに、すっかりユージは蚊帳の外である。幸いなことに。
いくつかの書類に目を通し、ケビンとユージ、アリスがサインをする。
これでようやく、ユージは住人証明を手にした。街までの道もわかり、住人証明もある。これでユージは、大手を振って一人でも街に行けるようになったのである。
ユージの住人証明書類ができたついでとばかりにケビンは代官に掛け合い、獣人奴隷・マルセルの所有者をケビンからユージに変更していた。そう、実はユージの住人証明がないため、名目上はケビンが貸し出す形になっていたのだ。これで正式にユージは奴隷の主であった。
「それで、これで終わりかしら?」
「いえいえ、もうひとつありまして。実は開拓地の付近で、ゴブリンとオークが頻出しているようなのです。冒険者ギルドに調査依頼を出すのですが、集落を発見した場合、討伐の際は開拓団援助を適用していただけないかと……」
どうやらケビンは最初からこれも狙っていたようだ。もっとも領主夫人や代官にとって、領内のモンスター集落は無視できる話ではない。領主夫人もこれを快諾し、それどころか調査依頼も援助するよう代官に申し付けていた。
「それにしても、出自不明の男が開拓団を率いて森を開拓し、後援するケビン商会は見たこともない新しい保存食を売り出している、ねえ……」
口元に笑みを浮かべたまま、領主夫人は目を細めてユージを見やり、ケビンを見る。
「まあ、深くは聞かないわ。開拓もケビン商会の繁盛も、税収に繋がるわけですし。ええ、深くは聞かないわ。
どうやらユージは、しっかりと怪しまれていたようである。
ともあれ、こうしてユージは無事に異世界の身分証明書を手にするのだった。ケビンの活躍によって。
ちなみに。
退室して帰路に向かう際、なぜか代官のレイモンが一行を先導していた。
そのレイモンが足を止め、振り返らずユージに告げる。
「領主様は大変な愛妻家でして。こちらに帰ってくる度に、何人か首になるのですよ。領主夫人であるオルガ様に手を出そうとした、とおっしゃって」
ドキッとしながらも、そうですか、それは人員補充が大変そうですねえ、などと軽く返すユージ。たしかに視線は深い谷間に吸い込まれていたが、決して懸想しているわけではないのだ。男の本能なのだ。
「ええ、本当に、後始末が大変なんですよ。なにしろ首になるわけですからねえ。……物理的に」
体と血痕の始末が大変なんですよ、と語り、ゆっくり歩き出す代官。
ユージはピクリとも動かない。
お、おれ、だ、だいじょうぶだよな、セーフだよな、などとモゴモゴ言っている。
「どうしたのーユージ兄! 置いていくよー」
会談が終わってようやく緊張が解けたのか、元気なアリスの声に導かれてユージは再び歩き出すのであった。
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