後日談2 ヴァイスのその後②

 ヴァイスが連合軍に捕まった日から暫くの時が流れたその日、彼の姿はリンド王国の王城前の広場にあった。しかし、今の彼の姿は服装だけは整っていたが両手を縄で縛り付けられ、体にもこの場から逃げる事が出来ない様に厳重に縄が巻かれている。その姿は刑に処される直前の罪人といっても過言ではないだろう。

 そう、これから始まるのはエルクート王国の国王であったヴァイスの処刑であった。

 そして、そのすぐ傍にはこのリンド国王であるアンドルフやその側近達の姿もある。また、広場には大勢の民衆達がこの場に集まっており、これから行われる処刑を今か今かと待ちわびていた。


「これより、旧エルクート王国国王ヴァイス・エルクートの処刑を執り行う!!」


 そして、リンド王国の現国王であるアンドルフがそう宣言すると、この広場に集まった民衆達は一斉に歓声を上げた。

 リンド王国はかつてよりエルクート王国から属国に近い扱いを受けており、この国の総意として常日頃からこの状況から脱却したいという思いを抱いていた。

 その為、今回の連合軍はリンド王国が主導的な立ち位置となり結成されたという経緯がある。だからこそ、こうしてヴァイスの処刑を引き受ける形となったのだ。


 また、彼が旧エルクート王国といった通り、エルクート王国という国は既に滅んだと言っても過言ではない状態になっている。

 しかし、旧エルクート王国の生き残っていた一部の有力貴族達が独立を宣言し、それぞれがエルクート王国の後継を名乗り、連合軍と大規模な戦闘を各地で繰り広げられており、今のエルクート王国の全土は戦乱の世さながらの様相を呈しているのが現状だった。

 だからこそ、この処刑にはそれらの貴族達への牽制という狙いもあった。


「さぁ、始めよう」


 アンドルフが処刑執行人に目を向けると、処刑執行人は首を縦に振り、腰から剣を抜き放った。それに合わせてアンドルフが手を高くあげると、処刑執行人もそのまま剣を振り上げる。


「やれっ!!」


 そして、それから数十秒ほどの間隔を開けた後、アンドルフがそんな声と共に手を振り下すと、処刑執行人はヴァイスの首元目掛けて勢いよく剣を振り下した。


「やったか!?」


 しかし、思わずそう声を漏らした次の瞬間、アンドルフは呆然とした様な表情を浮かべた。だが、それも当然だろう。そこにあったのは首元に傷一つ無いヴァイスの姿だったからだ。


「おい、どうなっている!?」

「っ、分かりません、もう一度行います!!」


 そして、処刑執行人はその表情に少しばかり焦りの色をにじませながら再び剣を振り下す。


「なっ……」


 しかし、再度の処刑でも彼の首が落ちる事は無い。それどころか、剣によって出来ていた筈の傷も何事も無かったかのように元の状態に復元したのである。

 その事態に処刑執行人は慌てながらも、何度も何度もヴァイスの首に刃を振り下すが、その次の瞬間には彼の首はまるで何事も無かったかの様に元の姿に復元する。その異常な光景にこの処刑を見守っている民衆達は激しく動揺している。


「一体、何がどうなっている……」


 この異常事態には今回の処刑を取り仕切っていたアンドルフも流石に動揺を隠せない。

 だが、彼も一国を治める王だ。すぐに平静を取り戻し、民衆達の動揺を鎮めようと行動を始めた。


「っ、皆の者、静まれ、静まるのだ!! 此度の処刑は中止、中止とする!!」


 そして、アンドルフの命によってヴァイスの処刑は即座に中断される事になるのだった。





 あの処刑の後、ヴァイスはリンド王国にある監獄の奥深くに収監される事が決定された。そして、それからの彼は監獄内にある拷問室で人体実験を受ける事になる。


 元々、あの処刑はリンド王国の威信を賭けたものだった。しかし、処刑が突然中止となった事で王国の名前に傷が付いてしまった。あの処刑を観覧していた民衆の中では困惑の声が広がり、ありもしない噂話が多数飛び交っており、また連合軍に参加している他の国々からも再度の処刑をすぐに行う様にと催促されている。

 だからこそ、彼等はヴァイスを殺める方法を必死になって探し始めたのである。最悪、それらの実験中にヴァイスが死んだとしても、その首だけでも斬り落とし、広場辺りに晒し上げればそれだけでも最低限の体裁は整える事が出来るだろう。


 しかし、そんな彼等の努力の甲斐も空しく、殺める方法どころかその手掛かりすら掴めていない日々が続いていた。

 次第にその実験は過激な拷問紛いのものへと変わっていくが、それでも何の成果も得られない。

 そして、それらの実験によって、ヴァイス本人も自らの体に起きている異常を知らざるを得なくなっていた。

 ヴァイスは知らない事だが、彼があの時アメリアによって無理矢理飲み込まされた物は飲み込んだ者に永遠の生を与えるという賢者の石と呼ばれる代物だった。

 そんな事など知る由もない彼だが、自分の体が不死身の肉体に代わっているのだという事は理解できていた。


 ふと、彼の脳裏にはあの時のアメリアの言葉が過ぎる。あの時、アメリアは『祝福と呪い』であると言っていた。そして、数多の権力者が追い求めた人類の夢の一つであるとも。

 ならば、自らの体に起きたこの変化こそが彼女が言っていた『祝福』とやらなのだろう。しかし、復讐を望んでいた筈のアメリアが何故自分にこんな事をしたのか、それが分からなかった。そして、アメリアが言っていた『呪い』とやらの正体も、だ。


 そして、拷問紛いの実験が終わり、牢屋に戻されたヴァイスは何時もの様にアンナの事を想い始める。


「アンナ……」


 それは、あの惨劇の日から変わらないヴァイスの日課とも言えるものだ。そして、ヴァイスは何時もと同じ様にアンナと過ごした日々を思い出そうとする。しかし、その次の瞬間の事だった。


「え……」


 突然、ヴァイスは思わず呆然とした表情を浮かべたのだ。だが、それも当然といえるだろう。


「……どうして、彼女の声が……」


 そう、ヴァイスはあれほど大事にしていたアンナの声が何故か突然思い出せなくなってしまったのだ。


「何故、何故だ……」


 顔はまだ覚えている。彼女と過ごした日々の事もまだ記憶に残っている。しかし、アンナの声だけがどうしても思い出せなくなっていたである。昨日までは確かに覚えていた筈だ。それも覚えている。しかし、今はどうしてもアンナの声を思い出せないのだ。


「何故、どうして……」


 それは人間なら誰もが持つ、『忘れる』という当たり前の機能だった。時間が流れれば、古い記憶が思い出せなくなるというのはごく自然な話である。それだけ、アンナが死んでから少なくない程の時間が流れてしまったのだろう。


「あ、ああ……」


 しかし、自分がアンナの声を忘れてしまったと悟った彼は自分が持つ『忘れる』という機能に対してこれまでに覚えた事が無い程の恐怖を感じていた。もし、このまま生き続ければ、いつかアンナの声だけでは無くその容姿すらも思い出すことが出来なくなってしまう日が、或いは彼女の事すらも思い出せない時が来てしまうだろう。


「い、やだ……、いやだいやだいやだっ!!」


 その事を理解してしまった瞬間、彼は必死にその現実を拒絶し始めた。愛していた筈のアンナの事を思い出せなくなる時がいずれ訪れる、その事実が彼にとっては何よりも恐ろしい事だったのだ。

 しかし、現実というものは残酷だ。ヴァイスがどれだけ希おうともいずれは彼女の事を忘れてしまう時が来てしまうだろう。

 アンナの事を忘れるぐらいなら、いっそ彼女の事を覚えたまま死にたいとすら思えて来る。彼女の事を覚えたまま死ぬことが出来ればどれ程、幸せだろうという思いすら湧き出て来る。しかし、今のヴァイスはアメリアが与えた『祝福』によって死ぬことが出来ない。


 そして、その瞬間、彼の脳裏にあのアメリアの言葉が再び過った。


「そう、か……、そういう事、か……」


 あの時、アメリアは確かに『祝福と呪い』といっていた。ならば、これがアメリアの言っていた『呪い』の正体なのだろう。

 これこそまさに、『呪い』だ。彼は少しずつアンナの事を忘れ続けながら、死ぬ事も出来ずに、この世界で永遠に生き続けなければならない。それは彼にとってはある意味では死よりも恐ろしい事だった。

 容姿か、思い出か、あるいはもっと別の記憶か、それは分からない。しかし、このままでは次に何かを忘れてしまうという事だけは確定してしまっている。


「くぅぅ……」


 少しでもアンナの事を記憶に残しておく為にヴァイスは必死に彼女の記憶を頭の中に浮かべ続けるが、それでも現実は変わらない。彼の心情など関係ないとでも言わんばかりに、残酷にも時間は流れていくのだった。






 そして、ヴァイスがこの監獄に囚われてからもう数え切れない年月が過ぎ去ったとある日の事だった。


「反乱だ!! 囚人たちが反乱を起こしたぞ!!」


 その日、突如としてヴァイスが捕らえられている監獄で囚人たちによる大規模な暴動が発生したのだ。そして、反乱は瞬く間に監獄全体へと飛び火していく事になる。


 看守たちも彼等に対して必死に抵抗するが、そんな抵抗も空しく、暴動の発生から半日もしない内に監獄は囚人たちに制圧されてしまった。


「うおおおおおお!!」

「勝った、勝ったぞ!!」

「俺達は自由だあああああ!!」


 監獄の制圧に成功した囚人たちは囚われの身から解放された事で大きな歓声を上げている。

 そして、囚人たちがこの監獄を制圧してから数刻ほどの時間が経過した時だった。


「よう、お前さん。元気かい?」


 牢屋の中に捕えられているヴァイスに向けてそう声を掛けてきたのは囚人服を着た一人の男であった。その男の右手には無数の鍵が取り付けられている鍵束が握られている。


「……誰だ……?」

「俺はお前さんのお仲間みたいなもんだ。お前さんが誰だか知らないが、折角の機会だ。お前さんもこの牢屋から解放してやるよ」


 その囚人はそう言うや否や、手に持っていた鍵束の内の一つでヴァイスのいる牢屋の鍵を開ける。そして、そのまま彼の元へと近づき、彼の手足を縛り付けている鎖の鍵を次々と解錠していった。


「さ、これでお前も自由の身だ」

「自由……?」

「ああ、何処でも好きな所に行きな」

「何処でも、好きな所に……?」

「そうだ」

「……そう、か……」


 そして、自由の身になったヴァイスは幽鬼を思わせるような足取りでおもむろにこの牢屋から出ていき、何処かへと向かって歩み出していく。


「あっ、おい待てよ!!」

「…………」

「ちっ、解放してやったのに礼の一つも無しかよ」


 ヴァイスの態度に彼は思わず悪態をつくが、これ以上、あの男に構っている訳にもいかない、と言わんばかりに彼の事を忘れ、まだ捕まっている他の囚人を解放する為に別の牢屋へと向かっていくのだった。




 一方、捕えられていた牢屋から解放されたヴァイスはその足で監獄の出入り口にまで辿り着いていた。しかし、彼の足取りは監獄から出た直後、そこで止まってしまう。


「自由、か……」


 思わずそうポツリとつぶやく。

 数え切れないほどに長い時を虜囚として過ごし、記憶のほぼ全てが摩耗した今の彼には自分が何者だったかという事すらも曖昧になっていた。あの囚人の手によって解放され、自由の身になったヴァイスだったが、自らが何者であったかすら曖昧な彼にはこれからの目的すら見出す事も出来なかったのである。


 すると、その直後、ヴァイスはふと懐に違和感を覚える。


「ん? なんだこれは……?」


 おもむろにその違和感のある場所を漁ると、そこにあったのはアンナの形見とも言えるあのブローチだった。誰にも見つからない様にと、昔の彼が必死に隠し持っていた物である。

 しかし、そのブローチを見たヴァイスは思わず首を傾げる。


「あれ、これってなんだ……?」


 そう、今の彼にはそのブローチが一体何だったのかを殆ど思い出せなかったのだ。何かとても大事な物だった気がする事だけは薄っすらとは覚えている。だが、それ以上、何かを思い出す事は出来なかったのである。


「まぁ、思い出せないならこんな物はもう必要ないか……」


 そして、ヴァイスは大切だった筈のそのブローチを何の躊躇いもなく手放して、目的も無く行く当てもない放浪の旅を始めるのだった。

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