127 王立学院での出来事②

 それが起きたのは、アンナがアメリアからの忠告を受けた翌日の事だった。アンナは何時もの様に学院に到着し、自分の靴箱がある場所まで向かおうとする。

 だが、その直後の事であった。彼女は自分の靴箱がある辺りから酷い悪臭が漂ってきたのを感じたのだ。辺りに漂うその悪臭にアンナや彼女の周りにいる生徒達も顔を顰めている。

 そして、アンナは自分の靴箱の元まで向かい、そのまま靴箱を開ける。すると、その靴箱の中には大量のネズミの死体が入れられていたのである。これが、辺りに漂うこの酷い悪臭の正体だったのだ。


「うっ……!!」


 靴箱を開けた事でより酷くなった悪臭にアンナや彼女の周りにいた生徒達は思わず鼻を塞ぐ。

 だが、その直後の事だった。アンナは一度だけ小さく溜め息を吐き出すと、まるでこんな事があると分かっていたかの様に持っていたカバンから予備の靴を取り出して、そのまま平然と自身の教室へと向かっていったのである。

 そんなアンナの様子を物陰から見ていたシャノンは彼女の準備の良さに思わず苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる。


 しかし、それだけでは終わらない。アンナがお昼休みに少し出歩いていると、突如として彼女の頭上から大量の水が落ちてきたのだ。

 当然、アンナはその水を避けられる筈も無く、次の瞬間には彼女はまるで濡れネズミの様に全身がびしょ濡れになってしまった。

 だが、彼女の周りにいる女子生徒たちはアンナを助けようとはせず、クスクスと嘲笑を浮かべるばかりであった。

 しかし、アンナはそんな事が起きるという事も分かっていたかのように、誰もいない別室まで向かうと、予め用意していたタオルと予備の制服に着替え、次の授業にはまるで何事も無かったかのように平然と授業に参加していた。

 また、アンナが次の授業に平然と参加していた事を知ったシャノンは苛立ちから思わず自身の親指の爪を噛み締めるばかりであった。


 そして、その日の全ての授業が終わったその直後の事だった。


「アンナ!!」


 そう言いながら彼女のいる教室に飛び込んできたのは、この国の王太子であるヴァイス・エルクート本人だった。当然、王太子であるヴァイスがこの教室に現れた事で教室内の空気はガラリと変わるが、彼はそんな事は気にした様子もなく、駆け足でアンナの元まで近づいていく。


「ヴァイス様!?」

「アンナ、俺と一緒に来てくれ!!」


 そして、ヴァイスはアンナの右手を掴むと、そのまま有無を言わせず彼女を教室から連れ出していく。

 そんな二人の様子に一部の女子生徒、特に高位貴族の令嬢はアンナに対して激しい嫉妬の目を向けるのだが、彼は最後までそんな視線に気付く事は無かったのだった。




 その後、ヴァイスはアンナを誰もいない部屋まで連れて行くと、改めて今日の彼女の身に起きた事を問い詰め始めた。


「アンナ、今日の件は全て聞いたぞ。大丈夫だったか?」

「……はい」

「そうか……。良かった……」


 ヴァイスも人伝にアンナの身に何が起きたのかを聞いていた為、彼女が平然としている様子に思わず安堵する。


「それで、だ。アンナはこの事件の犯人に心当たりはあるのか?」

「……多分、ですが。アメリア様かあの方の傍にいる誰かの仕業だと思います……」

「な、にっ!?」

「はい……。実は、数日前、アメリア様からもうヴァイス様に近づくな、という忠告を受けたんです。でも、私がその忠告を聞かなかったから……」


 そこまで言うと、アンナは泣きだすような仕草をし始めた。

 勿論、未来を知っているアンナはこの事件の犯人が誰か、そしてその裏には誰がいるのかを知っている。

 しかし、未来を知っているが故にアンナは何もしていないアメリアに『悪役』を押し付けたのだ。ここで、アメリアに『悪役』を押し付ける事こそが、自分が望む未来を手に入れる為にしなければならない事であるとアンナは知っていたから。


「アンナ、それは本当なのか?」

「はい……。忠告を受けた時、周りには他の人も沢山いたので、誰かに聞いて貰えばすぐに分かる事だと思います」

「そんな……」


 当然、ヴァイスはアンナの言葉に愕然とした表情を浮かべる。

 この時のヴァイスはまだ自分の婚約者であるアメリアをそこまでは嫌っていなかった。

 自分が結ばれる相手は自分が愛した相手が良い、そんな気持ちも当然彼の中にあったが、アメリアに対しての嫌悪感をそこまでは抱いてはいなかった。

 しかし、そんな彼のアメリアへの気持ちはアンナのその一言によって今この時、この瞬間に一変してしまったのだ。


「くそっ、今すぐあの女を問い詰めてやる!!」

「ヴァイス様、待ってください!!」

「アンナ、どうしたんだ?」

「今ここで、問い詰めても上手く言い逃れをされてしまうかもしれません。ちゃんとした証拠を集めてから出ないと……」

「っ、そうか、そうだ、そうだな……。だが、証拠を集めるとっても時間が掛かるだろう。その間、君の身には今日と同じ様な事が起こる筈だ。大丈夫なのか?」

「はい、大丈夫です!! 私、ヴァイス様の傍にいる為ならどんな事でも我慢できますから」


 そう言って、アンナは頬を赤らめる。そんな健気な様子のアンナにヴァイスは心打たれた。


「分かった。少しでも早く証拠集めをして見せる。だから、君は少しの間だけ耐えてくれ」

「はい!!」


 そして、アンナは満面の笑みを浮かべながら、ヴァイスの言葉に頷くのだった。




 だが、その後にアンナの身に起きたイジメは日が経るにつれ、酷くなる一方だった。持っていた教科書がビリビリに破られていたり、履いていた窟に無数の画鋲が入れられていたりといった様な事が多々続いたのだ。

 そのイジメは普通の人間ならば、耐え切れずに学院を去るだろう程に酷いものであったのだが、当のアンナはそれらのイジメをまるで予期していたかの様に上手く回避していた。


 そして、アンナへのイジメが始まってから一か月後、学院主催の夜会が始まる直前、遂にその時が訪れる。


「アンナ、聞いてくれ!! あの女が君へのイジメの指示を出したと証言してくれる人達が現れた。これで君へのイジメも無くなる筈だ!!」

「っ、ヴァイス様、それは本当ですか!?」

「ああ。これから始まる夜会であの女の罪を公に晒し、婚約の破棄を突きつけるつもりだ」

「ヴァイス様、それは……」

「大丈夫だ。俺とあの女の婚約を主導した父上はもう長くない。それに、あの女との婚約の破棄も父上の耳に入らない様に根回しは済んでいる。問題は起きない筈だ」

「ヴァイス様……」


 すると、ヴァイスはアンナのすぐ傍まで近づくと、彼女の顔を真剣に見つめながらおもむろに口を開いた。


「それで、だ。アンナ、もう一つだけ君に聞いてほしいことがあるんだ」

「……はい、何でしょうか……?」

「あの女との婚約を破棄すれば、俺の婚約者は誰もいなくなる。アンナ、君には俺の新しい婚約者になってほしいんだ」

「ヴァイス、様……」

「どうだろう、君は俺の告白を受け入れてくれるか?」

「……っ、はい!!」


 そして、アンナはヴァイスの告白を満面の笑みで受け入れる。ずっと、待ち望んでいた時が遂に訪れた事で彼女の胸の中は幸せ一色に染まっていた。


「さぁ、アンナ、行こうか」

「分かりました!!」


 そして、アンナはヴァイスにエスコートされながら、あの始まりとなる婚約破棄の夜会へと足を踏み出すのであった。

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