125 アンナの過去

 アンナ・フローリア男爵令嬢、彼女は幼い頃より辛い境遇にある少女が幾多の苦難を経て、王子様と結ばれて幸せになる、そんなシンデレラストーリーに憧れる夢見る少女であった。


 そんなアンナにとって、今、この王都で行われているヴァイス・エルクート第一王子の立太式で一目見た彼の姿は彼女の理想とする王子様にしか見えなかった。


「あれが、この国の王太子殿下のお姿……」


 そんなアンナがヴァイスに一目惚れをするのも当然だったのだろう。その時、アンナはヴァイスへと初めての恋心を抱いたのだ。

 だが、アンナは現実が見えていない訳では無い。田舎貴族の一人娘でしかない自分が王太子であるヴァイスと接触する機会など皆無だという事もアンナは理解していた。

 彼女が唯一ヴァイスと接触できる機会があるとすれば、今後、彼が通う事になる王立学院だけだ。


「だけど……」


 しかし、アンナの実家であるフローリア男爵家は田舎の貧乏な貴族であった。今のままでは王立学院に入学する為の学費の工面すらままならないだろう。

 つまり、アンナの夢と恋は始まる前から終わっていたのだ。彼女もそれを薄っすらと理解しているのか、ヴァイスを見ながらアンナはうっすら一筋の涙を流した。




 そして、ヴァイスの立太式を終えた後の事だった。彼の立太式への参列を終えたアンナとその両親は宿泊している宿へと戻るべく、馬車に乗り込もうとしていた。

 そして、アンナの両親二人は馬車に乗り込んだが、当のアンナは何故か二人に続いて馬車に乗り込もうとはしなかったのだ。そんな彼女の様子を不思議に思った彼女の父はアンナに声を掛けた。


「アンナ、早く馬車に乗りなさい」

「……お父様……」

「……アンナ?」

「……お父様、私、今日は歩いて宿まで戻ります」

「……急にそんな事を言い出すなんて、一体どうしたのだ?」

「……今は少し街中を歩きたい気分なんです」


 初恋と失恋を同時に味わったアンナはどうしても今すぐに一人になる時間が欲しかったのだ。


「そうか……。分かった」


 アンナのそんな様子から何かを察したのだろう。アンナの両親は彼女を好きにさせる事にした。


「だが、辺りが暗くなる前には宿に戻ってくるのだぞ? 分かったな」

「はい……」


 そして、両親と離れたアンナは一人、王都の中をゆっくりとした足取りで歩んでいく。

 今の彼女の恰好や見た目はそれこそ平民と殆ど変わらない。フローリア男爵家の懐事情では貴族令嬢が着る様な高価な生地を使った服など購入することが出来ないのだ。その為、今の彼女が身代金目的に誘拐される事もかなり低いだろう。


 そして、王都をゆっくりとした足取りで進むアンナだったが、彼女は頭の中で自分の初恋に決着を着けようとしていた。

 所詮、シンデレラストーリーなど空想上の産物、自分の夢は叶う筈も無い幻想でしかなかったのだ。

 そう思ってしまったアンナが自らの夢と初恋を諦めようとしたその時だった。


「ちょっとよろしいですかな、そこのお嬢さん」


 ふと、そんな声が聞こえてきたのだ。アンナがおもむろにその声が聞こえてきた方を向くとそこには黒紫色のローブを来た一人の老人の姿があった。

 また、彼の目の前には簡素な机と椅子が置かれており、老人と対面する様に座れるようになっている。


「貴方が呼んだのは、私、ですか……?」

「ええ」

「……貴方は一体誰なんですか?」

「私はしがない占い師でございます。お嬢さん、今の貴女は何かお悩みのご様子。折角ですので、貴女の未来を私が占って差し上げましょうと思いましてな」

「だけど、今は……」

「大丈夫です。貴女からはお金を頂きませんよ」

「……それなら……」


 傷心中のアンナには少しでも気を紛らわせる材料が欲しかったのだろう。気が付けば彼女はその占い師の言葉に乗っていた。


「さぁ、その椅子にお掛けください」


 そして、アンナはその占い師の言葉に促されるまま、彼の目の前に置かれていた簡素な椅子へと腰掛けた。


「さて、早速始めましょう」

「占いって、初めてなんです。一体どうやるんですか?」

「私の占いは少し特殊でして、とある特別な魔術を使うのですよ。これから使うその魔術の名を予知魔術といいます」

「予知、魔術……?」

「ええ、この魔術は簡単に言いますと、対象者に起こりうるであろう未来の出来事のヴィジョンをその対象者へと見せる事が出来るのですよ。ただし、あくまでも完全では無く断片的に、という制約が付きますが」

「……そんな魔術、聞いた事も無い……」

「それも当然。何故なら、私が作り出した、私だけが使う事が出来る魔術ですので」


 それを聞いたアンナはこの占い師と占い師が見せるという未来のヴィジョンに少し興味が湧いてきた。だが、その直後の事だった。その占い師は人差し指と中指を立てた右手をアンナへと向けたのだ。


「ですが、二つだけお約束していただきたい事がございます」

「約束、ですか?」

「はい。まず一つはこの魔術の事やそれに関する事、この魔術で見えたヴィジョンの事を誰にも言わない事。そして、二つ目、私が一体何者か、それを詮索せず、ここでの私との出会いも口外しない事、その二つを守っていただきたいのです」

「…………分かりました」


 アンナはそう言いながら首を縦に振る。


「よろしい。さぁ、この水晶に両手で触れてください」

「? 水晶?」


 すると、その次の瞬間だった。先程まで何も無かったはずの占い師の目の前にある机の上に透き通る程に透明な水晶玉が突如として現れたのだ。


「えっ!?」


 当然、アンナは驚くが占い師は平然としている。その為、アンナは何かの手品の類なのだろうと思い、それ以上、この事について考えるのを辞めた。


「さぁ、どうぞ」

「……はい」


 そして、アンナは占い師の言葉に促されるまま、恐る恐る両手で目の前にある水晶玉に触れる。すると、その直後だった。その水晶玉が眩しい光を放ち始めたのだ。また、それと同時に、これから先の未来で起きるであろう出来事のヴィジョンの数々がまるで波濤の様にアンナの脳内へと流れ込んでくる。


「あっ、あああああ……」


 アンナの父が、領内の投資が実り王立学院に通う為の学費が工面できるようになった、と彼女に知らせに来るヴィジョン。

 王立学院に入学した後、王太子であるヴァイスに近づき、彼と親密になっていくヴィジョン。ヴァイスと親密になっていく自分に嫉妬した令嬢からのイジメを受けるヴィジョン。

 そして、それらの苦難を乗り越えてヴァイスの正式な婚約者となり、彼と幸せに結ばれるヴィジョン。


 そんなヴィジョンの数々が次々と彼女の脳内に流れ込んできたのだ。


「ああああ……」


 自分の頭の中に次々と流れ込んでくるそれらのヴィジョンにアンナは只々呆然とする事しかできない。


「おおっ、やはり私の見立てに間違いは……」


 呆然としているアンナの向かい側で占い師は満足げな表情を浮かべながらそう呟くが、頭の中に流れ込んで来るヴィジョンに気を取られているアンナには彼の呟きは届かない。


 そして、それから数分後、アンナはやっと正気を取り戻した。


「今のって、一体……?」


 しかし、当の彼女は今も頭に残るこれらのヴィジョンに困惑を隠せなかった。何故なら、頭の中に流れ込んできたあの数々のヴィジョンは彼女が憧れていたシンデレラストーリーそのものだったからだ。


「あの、占い師さん!! これって……」


 アンナはそう言いながら慌てて占い師の方を向くがだが、彼女の言葉は途中で止まってしまった。先程まで、目の前にいた筈の占い師の姿が何処にも無かったからだ。


「あれ……?」


 忽然と消えた占い師に再度困惑するが、その直後、彼女は慌てて占い師の姿を探し始めた。


「占い師さん、何処ですか!?」


 アンナは先程見たヴィジョンが本当に未来で起こりうる出来事なのか、それをどうしても知りたかったのだ。

 だからこそ、アンナは必死にこの辺り一帯を探し回るが、彼女がどれだけ探しても先程の占い師の姿を見つける事は出来なかった。


「……私、夢でも見てたのかな……?」


 先程まで目の前にいた筈の人間が突如として跡形もなく消えるなど普通はあり得ない。まして、今も頭にあるヴィジョンは現実にはあり得ないだろう彼女が憧れていたシンデレラストーリーそのものだ。彼女が白昼夢か何かだと思い込むのは当然だろう。


「……宿まで戻ろう……」


 その後、アンナは両親が待つ宿まで一人で戻るのであった。




 それが起きたのはアンナがあの占い師に出会ってから数年後の出来事だった。

 その日、部屋で休んでいたアンナの元に彼女の父が突如として駆け込んできたのだ。


「アンナ、喜べ!! 以前から、お前が入学したがっていたあの王立学院に通える事が出来る様になったぞ!!」

「っ、お父様、それは本当なの!?」

「ああ、前々から数少ない税収を領地内の投資に使っていたんだが、それが遂に実ってな。今後、我が家に入ってくるであろう税収ならば、お前が学院に入る為に必要な学費も十分に支払えるはずだ!!」

「……ええっ!?」


 父のその言葉を聞いたアンナは驚きを隠せなくなり、思わず声を上げてしまう。だが、それも当然だろう。何故なら、先程父から発せられた言葉は数年前のあの日から今もずっと彼女の頭に焼き付いて離れない、あの占い師に見せられたあのヴィジョンと全く同じものだったからだ。


(あの時、あの占い師さんに見せてもらったあの予知、あれってやっぱり本当の出来事だったんだ!!)


 今迄、白昼夢中かなにかだと思っていたあの占い師との出会い。今も頭に残っているあの出会いや予知魔術とやらで見せられたあのヴィジョンも、数年の時が流れた事で自分の妄想が生んだ何かだと思い込んでいた。

 だが、それは今この時、本当に起きた出来事なのであったのだと証明されたのだ。


「お父様、それは本当に本当なの!?」

「ああ!!」


 それを聞いた瞬間、アンナは思わず表情をほころばせながら頬を赤めた。


(あの予知が本当の事なら、私は!!)


 今も頭の中にあるあのヴィジョンが本当に起こる出来事ならば、これから先に自分に待っているのは憧れていたシンデレラストーリーそのものだ。そこまで思い描いた彼女の心の内は幸せ一色に染まっていく。


 そして、アンナはあのヴィジョンで見た憧れの幸せな未来に心躍らせながら王立学院へと入学する日を迎えるのだった。


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