120 第六章エピローグ 中編

 ステイン伯爵家の屋敷から離れたアメリアが次に向かった場所、それはステイン伯爵領の端に位置する小さな村、その奥に建てられている小さな一軒家だった。


「ここ、ですね……」


 あの執事から受け取った情報通りなら、ここに目的の人物が居る筈だ。


「……行きましょうか」


 そして、アメリアはその一軒家の扉の前に立つと、一度だけ息を飲み、意を決した様な表情を浮かべながら扉をコンコンとノックする。すると、その直後、その一軒家の中から男性の物と思われる声が聞こえてきた。


「はい、どなたでしょうか?」


 そして、そう言いながら、その一軒家から出てきたのは一人の初老の男性だった。だが、その男性は家の前に立つアメリアの姿を目にした瞬間、驚きから思わずその表情が固まる。


「あ、貴女は……」

「お久しぶりですね。カシムさん」

「っ、アメリア様、ご無事だったのですね」

「ええ、お陰様で」


 アメリアにカシムと呼ばれた男性、彼はアメリアがステイン伯爵家の屋敷から逃げ出す時、彼女の逃亡の手助けをした人物だ。


 ジグムントの屋敷で働いていた筈の彼がどうしてこんな所にいるのか、それには当然理由がある。

 あの執事曰く、カシムはアメリアに馬を貸し与えた事でジグムントから怒りを買ってしまい、彼女が屋敷から逃げた翌日には暇を与えられてしまったらしい。そして、今はこの一軒家に一人で住んでいるとの事だった。


「ですが、貴女はどうしてここに……?」

「あの時、貴方から受けた恩を返しに来ました」


 そう、ジグムントへの復讐を終えた今、アメリアは此度の復讐の最後の清算として彼から受けた恩を返しに来たのだ。


「こんな物でしか恩を返せないのが心苦しい限りですが……」


 そう言いながらアメリアは何処からか布袋を取り出し、それをカシムへと差し出した。


「どうぞ、お受け取り下さい」

「? これは、一体……?」


 彼は訝しげな表情を浮かべながらも、おもむろにその差し出された布袋を受け取る。


「……この中には一体なにが……?」


 そして、彼がそう呟きながらその布袋の封を開けて、布袋の中に入っている物を見た次の瞬間だった。


「なぁっ!?」


 カシムが布袋の中を凝視しながら、そんな驚きの声を上げたのだ。彼の表情も驚き一色に染まっている。

 だが、それも当然だろう。アメリアが彼に渡した布袋の中に入っていたのは、それこそ一家四人が二十年は普通に暮らせる程の大金だったのだ。


「こ、こんな大金、受け取れません!!」


 当然、彼はこんな大金を受け取る訳にはいかないと、顔を上げて、その布袋を必死にアメリアへと返そうとする。

 しかし、当のアメリアも首を横に振り、手の平をカシムへと向け、その布袋を受け取ろうとしなかった。

 彼女がカシムの為にこれ程の大金を用意した理由がちゃんとあるからだ。


「聞きましたよ。私を助けてくれた直後、貴方はあの屋敷を解雇されて、更には貴方の持つ財産もその殆どがあの男に没収されたそうですね。そうであるなら、今の貴方は日々の生活にも困窮しているのでしょう?」

「それ、は……」


 アメリアの言葉に対して、カシムは反論出来ず、思わず言葉に詰まる。


 カシムはアメリアの逃亡を手助けした時点であの屋敷を解雇される事は覚悟していた。しかし、そんな彼にも想定外の事があったのだ。

 アメリアに逃げられた当時のジグムントの怒りは凄まじく、彼女の逃亡の手助けをしたカシムは彼の怒りを一身に向けられる事になってしまったのである。

 その結果、彼は屋敷を辞めた後も生活できるようにと自分が少しずつ蓄えてきた財産や所有物の殆どをジグムントに無理矢理没収され、ステイン伯爵家の屋敷から身一つで追い出されてしまったのだ。


 ジグムントに没収されずに、何とかあの屋敷から持ち出せたものを売る事で今は何とか生活が出来ているが、手元に残っている僅かな金銭では今年の冬を越せるかすらも怪しいだろう。

 また、彼には身内と呼べる人物もいない為に誰かに頼る事も出来ない。その為、このまま冬を越せずに死ぬのだろう、と彼は自分の生を諦めてかけていたのである。


 だが、この布袋を受け取れば、余程の事が無い限りは今後の生活に困窮する事も無くなるのは間違いないだろう。


「で、ですが、やはり……」

「受け取ってください。それは元を辿れば貴方の物なのですから」


 そう、この布袋の中に入っているのは元を辿れば、カシムがジグムントに没収された彼の財産なのである。その没収された財産をアメリアがジグムントの屋敷から回収し、そこに彼女なりに色を多分に付けたものがこの布袋の中に入っている大金なのだ。


 だが、そこまで説明されてもカシムは布袋を受け取ろうとはせず、彼女に必死に返そうとする。しかし、アメリアは首を横に振るばかりで、それを決して受け取ろうとはしない。


 そして、そんな押し問答を繰り返す事、十数分、アメリアの固い意思にカシムは遂に根負けしたのか、諦めた様な表情を浮かべた。


「……………………わかり……まし、た……」


 恐らく、自分がこの布袋をどれだけ必死に返そうとしてもアメリアがこれを受け取る事は決して無いだろう。これまでの押し問答でそう悟ったカシムはこれ以上、時間とアメリアの好意を無碍にする訳にはいかない、と渋々ながらも、大金が入った布袋を受け取る事にした。


「受け取っていただいて、ありがとうございます。では、ここでの用も終えたので、そろそろ私は行きますね」

「お、お待ちください。せっかくここまで来られたのです。すぐにお茶でも用意いたしますので、家にお上がりください」

「いえ、それには及びません。私にはこれからしなければならない事がありますから」

「しなければならない事?」

「ええ」


 カシムには今のアメリアが抱えている物がどういったものであるのか、それは分からないだろう。

 しかし、彼にはアメリアの様子と彼女の強い言葉から、アメリアが何らかの目的を持って行動している事、それだけが今の彼女を動かしている原動力になっているという事だけはうっすらと理解できた。

 だからこそ、今の彼が出来るのはたった一つ、アメリアの無事を願う事だけだった。


「…………分かりました。アメリア様、どうか、どうかご無事で」

「ありがとうございます。貴方もどうかご無事で」


 アメリアはその別れの言葉を最後にカシムに背を向けて村の外へと歩み出していく。


「……アメリア様、貴女のご無事を祈っております」


 そして、カシムはここから去っていくアメリアの背を見つめながら、何度も何度も彼女の無事を祈るのだった。

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