119 第六章エピローグ 前編
ジグムントへの復讐を終えたアメリアはステイン伯爵家が所有する屋敷の応接間で一人の男性と向かい合っていた。
「此度はご協力ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。貴女の情報提供のおかげで旦那様の過ちに早い段階で気付く事が出来ました」
アメリアの言葉にそう返すのは、あの時、ジグムントを裏切り、アメリアの側に付いた執事だ。
長年、この屋敷に執事として仕え、ジグムントやその父の補佐をしてきたこの執事は、ジグムントがいなくなった今、実質上このステイン伯爵家を取り仕切っていると言っても過言ではないだろう。
「旦那様がいなくなった事で、これからステイン伯爵家は持ち直す事でしょう」
ステイン伯爵家の当主であったジグムントはいなくなったが、このステイン伯爵家は彼の息子が継ぐ手筈になっているらしい。
そして、彼は今後ジグムントの息子の補佐に専念するとの事だった。
「では、こちらがお約束の物となります」
そう言いながらアメリアは何処からか、砂金が大量に入った布袋を次々と取り出し、二人の間にある机の上に置いていく。
そうして取り出した袋の数は計八袋。それらの袋に入っている砂金の全てを合わせれば、その量は成人男性一人分の体重に匹敵する重さになるだろう。
これらの砂金の正体、それは言うまでも無く、あの時に砂金へと変わったジグムントだった物だ。あの後、アメリアは地面に落ちていた先程までジグムントであった砂金を全て回収して、この場へと持って来たのだ。
そして、これはアメリアが用意した執事への協力の報酬でもあった。
「どうぞ、ご確認ください」
「分かりました」
そして、執事は机の上に置かれた布袋を手に取り、その中身を丁寧に一つ一つ確認していく。
普通に考えれば、これ程の量の砂金を集めるのは容易な事ではない。アメリアを疑う訳では無いが、彼女がどのような手段でこれ程の量の砂金を入手したのか、その経緯を全く知らない彼はこの砂金の中に偽物の金、所謂黄鉄鉱の類が多分に混じっていてもおかしくはないと考えていた。だからこそ、こうやって一つ一つ袋の中身を丁寧に確認しているのだ。
(っ、これ、は……)
しかし、長年、このステイン伯爵家に仕えていた事で培われてきた彼の審美眼がこの布袋の中に入っている砂金は全てが本物の砂金だと訴えていた。
しかも、見るからにその砂金の中に含まれているであろう金の純度は非常に高い。これら全てを適切な方法で売却すれば、ステイン伯爵家数年分の税収に匹敵する程の額になるのは間違いないだろう。
そして、全ての袋の中身の確認を終えた彼はおもむろにその袋を閉じて、アメリアへと頭を下げた。
「ありがとうございます。これで、旦那様が作った借金の大半を返済する事が出来ます」
「では、約束通り、それは全て彼の作った借金の返済に使用してくださいね」
「ええ、必ず」
結局、ジグムントは自分で作った借金を文字通り自分の体で返す事になってしまったのだった。また、ジグムントの作った借金の額を考えれば、ステイン伯爵家には彼の負の遺産たる借金は少し残るかもしれないが、その程度ならば余程の事が無い限り、彼等ならば完済も難しくないだろう。
すると、その直後の事だった。
(……ぁっ、……ぁぁっ)
突如として、執事の耳に囁き声を彷彿とさせる様な小さな声が聞こえてきたのだ。だが、何処から聞こえてきたか分からないその声に、彼は周囲をキョロキョロと見渡す。
「今の声は一体……?」
「? 一体、どうなさったのですか?」
「いえ、何処からか小さな声が聞こえてきたもので……」
「ふふっ、私には何も聞こえませんでしたよ。気のせいでは無いのですか?」
アメリアはそう言いながら微笑みを浮かべる。
「気のせいですよ。気のせいです」
「そう、ですよね。気のせいですよね」
「ええ、気のせいです。そうに違いありません」
そして、アメリアの繰り返し念を押すようなその言葉に押されるまま、執事は先程聞こえてきた声を気のせいだと、割り切った。
すると、その直後、彼はふと何かを思い出したかのような表情を浮かべた直後、自分の懐へと手を入れた。
「ああ、そうだ。こちらが依頼されていた物になります」
そして、執事はそう言いながら懐から一枚の折り畳まれた紙を取り出し、それをアメリアへと手渡した。
「ありがとうございます」
アメリアが手渡されたその紙をおもむろに開くと、そこにはこのステイン伯爵家が治める領地の端のとある村の名前とその村への詳しい行き方が記されていた。
「……ここに、あの人が……」
「ええ。今後、貴女と接触するかもしれないという旦那様の命令で彼の行方は常に把握しておりました故、今もこの場所で生活しているのは間違いないでしょう」
「そう、ですか」
すると、彼女は一度だけ目を閉じたかと思うと、その紙を再度折り畳みながら懐へと仕舞い込み、おもむろに座っていたソファーから立ち上がった。
「では、ここでの用は終えたので、私はそろそろ行きます」
「あ、アメリア様、少しお待ちを」
「? なんでしょうか?」
「旦那様の遺体や遺灰はどうなったのでしょうか? もしかして、少しも残っていないのでしょうか?」
彼はアメリアに協力を求められた際、一つの要望を出していた。それは、『ジグムントの遺体、或いは遺灰といった様な物が残っていたならば、それを出来れば自分達に引き渡してほしい』というものだった。
アメリアの目的は裏切り者のジグムントへの復讐だ。彼はアメリアがどのような方法でジグムントへの復讐を行うのか、それは聞いていない。
だが、復讐の方法次第では遺体や遺灰が残らないかもしれない、という事も予めアメリアに聞かされていた。
しかし、彼にしてみればジグムントは恩がある先代の息子であり、曲がりなりにも自分が今迄仕えていた主だ。もし、遺体や遺灰といったものが少しでも残っているのなら、せめてそれだけでも先代であるジグムントの父と同じ墓に入れたいと考えていたのである。
だが、当のアメリアは執事のその質問に対して疑問符を浮かべた。
「それなら、もう既に貴方達にお返ししている筈ですが?」
「え? それは一体……?」
「では、先程も言った様にこれから少し予定があるので私はもう行きますね」
「す、少しお待ちを!! 一体、それはどういう事なのですか!?」
だが、アメリアは執事の呼び止める声に応える事無く、次の瞬間には転移魔術を使いこの場から消え去っていた。
「っ、行ってしまいましたか……」
そして、一人この場に残された執事は諦めた様な表情を浮かべると、アメリアの言葉の意味を考え始めた。しかし、彼はどれだけ考えてもアメリアの言葉の意味が全く分からなかった。
この屋敷に予め運ばれているのか、或いは誰か別の使用人にそれらを渡したのか。だが、もしそうであるのならば自分の耳にもその話が届いている筈だろう。しかし、それすらないという事は彼女の言葉にはなにか全く別の意味があるのかもしれない。
そんな風に色々と考えを巡らせる執事であったが、まさかジグムントが自分の目の前にある袋の中に入っている砂金に変わっているなどという事までは流石に想像がつかなかった様だ。
(あの言葉は一体どういう事なのか……)
結局の所、アメリアのその言葉に込められた本当の意味は彼女本人に問いたださなければ分からないのだが、今の彼では何処かへと去ってしまったアメリアを追う事は不可能だ。
それに、これから彼はこのステイン伯爵家に起きた急な当主の交代劇によって起きるだろう混乱を収束させる為に忙しく走り回らなければならない事になるだろう。更に、今後はステイン伯爵家を継ぐ事になるジグムントの息子の補佐もしなければならない為、今迄以上に多忙な日々が待っている。今の彼にはアメリアの言葉の意味をこれ以上に深く考える余裕など殆ど無かった。
「まぁ、あの言葉の意味は時間が出来た時にゆっくりと考える事にしましょう。今は……」
すると、その直後、彼のいた部屋の扉がコンコンとノックされた。
「失礼します。アリアント商会の商会長の方がお見えです。なんでも、当家の借金の事でお話があるのだとか……」
「そうですか。分かりました、商会長をこの部屋までご案内してください」
「かしこまりました」
そして、彼はアメリアの言葉の意味を考えるのを止めて、アリアント商会の商会長との話し合いの為に頭を切り替えるのだった。
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